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2009-05-26(Tue)

焼き肉を食べた

5月26日(火)
夕べは三津子にだらしのないところを見せて、叱られたあとも、写真と差し向かいでビールを飲んでいた。
その間ずっと喉に何かがつかえている感覚があって往生した。肉じゃがのじゃがいもを咀嚼してご飯の塊よろしくゴクン! と勢いよく嚥下しても、何かを食べたり飲み下しても、ずっと消えなかった。ひょっとしたら顎にあるリンパ節が腫れて食道を圧迫しているのかと思うほど、違和感がずっとある。
結局そのまま12時前に薬を飲んで寝た。

今朝は7時過ぎに起きた。夜中2時半ころ、5時、6時…と目が醒め、5時以降は寝たり醒めたりの軽い眠りだけだった。夢は見なかった(見たのだろうけど覚えていない)。

朝起きた時から喉が多少いがらっぽい。
夕べの喉の違和感はこれの前駆症状だったのだろうか。喉風邪でも貰ってきたんだろうか、あれほど用心していたのに…。洗顔の際にイソジンうがい薬で念入りにうがいをする。そして吐きそうになった。どうもあの「味」が喉の奥に拡がるのは気持ちが悪いというか、慣れない。

外はうす曇りで、ニュースによればこの後京都や大阪は夏日(25℃以上)になるという。
猫たちのご飯を入れ水を取り替えて、洗い物をした後ほうじ茶を二人分淹れて、三津子に「はい、お茶だよ」と声をかける。線香を立てて手を合わせる。
念のため体温を測ると、35.8℃。起き抜けの自分の体温は、4年前に病院に40日間入院した時にちゃんと把握している。これは平熱だ。これから日中、36.5℃で止まれば大丈夫。一応念のためと気休めに市販の総合感冒薬を半量飲む。
それからベランダを開けて、苔や草に水をあげたが、この時間だとまだ15〜16℃といった気温で、涼しい。8:39

その後、ももちゃんから夕べ二人に送った『アサヒグラフ』掲載の画像を見たとメールが入って、他愛のないやりとりを2回ほどする。「みんな若いね」とか。本当に、みんな若かった…。

それから香典のお返しに、三津子の性悪猫の中の猫をモチーフに何か作れないかな、と考えた。香典返しというと月並みなハンカチやタオルなどがあるけれど、もし俺がそういうオリジナルのものをいただいたら、絶対に使えないと思う。洗ったりすると劣化していき、やがては捨てなければいけなくなる。だから、使えない。
使えないということは、死蔵されるということだ。それも悲しい。もうちょっと身近に持っていただけて、バッグにぶら下げてもらったり、携帯に付けてもらったりして貰える物はないかな、と探す。10:37


11時ころ、オーダーしておいた額縁類が届いた。なぜか落ちて割れてしまた、三津子が描いたジローの油絵を入れるF0のキャンバスが入るやつと頼んだのだけど、肝心のF0は品切れで、B4の原画を入れられるものやA4の書類が入るフレームだけ。何かの掲載誌のページを見開きにして飾ろうかと思ったり。原画はバラバラにしたくないから、一枚ものを入れようか、などと思って買ったものだ。とりあえず、試しに「TBS調査情報」の見開きを額装してみる。なかなか立派に見えて嬉しい。

思い出して体温を測ると、平熱だった。良かった。
昼過ぎに昨日スーパーで買っておいたパンを1つと、総菜屋のクリームコロッケ、カップスープを食べた。今日は夕方明青さんの渡辺さんご夫妻が焼き肉に誘って下さっているので、軽く済ませる。12:19



19:36
5時10分に近くの交差点で渡辺さんたちと待ち合わせだったので、5時前に支度をする。
食器棚にしまってあった、5cm角くらいの二段重ね・蓋付きの陶器をエアキャップで包み、袋に入れて出る。これは三津子と二人で錦小路を散歩した時に陶器屋で見つけたもので、白地にえんじ色でシンプルな梅模様が描かれている。三津子がお気に入りで、正月やちょっと気分のいい時に、小さなおつまみを入れてにこにこしながら使っていた。これを、明青さんのお店の隅にでも置いてもらえばと思う。

絵も人に見てもらうもので、死蔵するものではない。
陶器も、使って貰って生きるものだと思う。

交差点へ向かうと、遠目に見ても旦那さんが立ってこちらを見ているのが解る。5分前だったが足早に行こうとするのを、おかあさんが手で静止してくれる。明青の旦那さんとお会いするのは一ヶ月ぶりだ。三津子が倒れたのが4月25日の夜、明けた26日だ。その少し前の22日に夫婦二人で伺っているから、旦那さんとはそれ以来ということになる。
その旦那さんがにこにこ笑いながら「先生、ずいぶん痩せたんじゃないですか?」と言われる。
「少し頬がこけましたよ」とも。そうだろうか、自分ではよく解らないが…。
おかあさんは「お店はね、お二人の行ったことあるところだと辛いかなと思って。私らも初めて行くんよ。」とのこと。お店のお客さんか知り合いの若いご夫婦が開いた店だという。
ちょうど通りかかったタクシーを拾って、昨日開店だったという焼肉店へ向かう。場所は俺もよく知っているところで、叡電の踏切のすぐそばだった。開店直後だけあって花が外にいくつか置いてあって、まだ暖簾も出ていない。
おかあさんが「あれ、開いてへんね。5時過ぎって言うたんやけど」と呼び鈴を押すと、しばらくして慌てて店主の男性が降りてきた。「すんませーん、もう仕込みが全然間に合わへんくて、もう大変で…」といいながら暖簾を出す。「いやいや、こっちが早かったんで、すみませんね」と明青の旦那さんが頭を下げ、店に入れてもらった。
オープン間もないせいか予約が入っていて、5〜6人用のカウンタになるという。上がり座敷のテーブルは2つとも予約済みで、隅の丸いちゃぶ台なら…と言われて、「じゃあそこでいいですよ」と言うことになる。

俺は三津子の写真を入れた小さな額を持って行ったので、それを3人に向けてちゃぶ台の上に立てる。お母さんがビールを3つオーダーしてくれたので、ビールが来てから三津子用に冷酒を一つ頼んだ。
明青の旦那さんが「ああ、そうでしたね…。」と言ってビールのグラスに出しかけた手を引っ込められたので、
「いや、この人が生きてたら『泡が消えちゃうから先にやって』って言うと思いますよ」と言うと、「そうですね」と言って「じゃあ、献杯!ですね」とグラスを合わせた。
冷酒がすぐに来たので、ガラスのおちょこをいただいて注ぎ、写真の前に置いた。
旦那さんにオーダーはお任せして、キムチやカクテキをつまみにしつつ飲む。
おかあさんは「白取さん、これからどうするの」と心配していただき、「まだ決めてないっていうか、決められなくて」と言うと「あそこにずっと住めるんやったら、引越やら体力のこと考えてもその方がええと思うんやけど、もし出るんやったら、もう今から動いてないとあかんよ」とのこと。
京都は特殊なところだから、敷金礼金とかじゃなくて「保証金」というところが多い。当然ながら保証人も必ずいる。その上「ペット可」なんて、賃貸ではほぼゼロだ。それは一昨年俺たちがどれだけ苦労したか、探し回ったことでよく知っている。そして今住んでいるところがどれほど奇跡的な環境なのか、京都の人も聞くたびに皆さんが驚かれる。
「やることいっぱいあって、これから部屋決めて引越だって、8月なんて絶対無理やわ。健康な人かて大変やのに。今のとこ住めるんやったらそれが一番やと思うし。」と。
俺も自分で、もう一人で8月までに全ての作業…つまり原稿や作品の整理をしつつ、不要なものの処分をし、さらに新しいところを不動産屋を探して歩き、見せて貰ったりしつつ決めて、それから引越の算段をする…ということが、とうてい間に合わないことに気付いている。
ご夫妻は
「保証人やら何やら、誰もこっちにおらへんし来てくれへんのでしょ、私たちお金は出せないけどそういうんやったら何でも力になるから言うて!」と言って下さる。
ありがたくてまた涙が出た。
明青さんのご夫婦はお二人とも、関東のご出身で、こちらに誰も身よりも知り合いもない状態で来られた。そのことは俺たち夫婦と同じで、それだけに、たった一人遺された者の辛さを考えて、色々と親身になって下さる。その有り難さが身に染みる。
ぶっちゃけた話、生活の方は大丈夫なのかとか、いろいろ親身になって話をしていただいた。
途中いかんと思いつつも、三津子の話になるとどうしても何度か涙が出た。それをおしぼりで拭くのだが、そのおしぼりさえおかあさんがお店に頼んで下さった。真ん中の落ち着かない席で、ビールが空けばオーダーして、こちらの開いたグラスを下げてと、本当に気を使っていただいて、申し訳ない限りだ。

久しぶりの焼き肉は美味しかった。
タン塩、キムチやカクテキ、もちろんお肉やホルモンも。焼き肉なんて、だいたいが一人で行くものではない、ましてや愛する妻が死んで一ヶ月、一人で焼き肉をバクバク食えるわけもない。普通のご飯だって、写真と差し向かいで話しかけながらようやく食べている。
お二人はきっと俺がそういう状態で、毎日寂しくつまらん食事をしているのだろう…と思って案じていただいて、誘って下さったのだ。
三津子にもお酒と陰膳をあげて、思い出話もした。
明青の旦那さんは三津子の写真をちょっとさすって
「先生、またお会いしましょうやぁ」と声をかけて下さった。旦那さんは笑顔だったし、俺も笑顔で頷いたものの、「俺もね、また逢えるような人間にならなくっちゃ…」と言うとすぐにまた涙が出てしまう。

俺たち夫婦と同様、明青さんが好きでよく来店されていた老夫婦がおられた。俺たちとは会えば挨拶を交わし時々簡単な会話はしたものの、それほど深いお付き合いはしていなかった。けれどそのご夫婦が俺のことを心配されていたということも伺った。けっこうご年配の上品なご夫婦で、俺たちと同じようにいつもお二人でカウンタに座って、静かに飲んでおられた。三津子の絵も褒めて下さったとも聞いた。三津子も喜んでいると思う。
何度か泣いてしまったけれど、久しぶりに外で楽しく食べて飲んだ。思い出話も出来たし、嬉しかった。
5時過ぎから早めに入れていただいて、7時半近くまでゆっくり食べて飲んだ。
まだ完全に暗くなる前の道を東大路までそぞろ歩いて、タクシーを拾い、途中でお二人を下ろして、手を振って別れた。「また行きましょうね」と言って下さった。心から、お二人に感謝した。

セブンイレブンで明日の朝食分や切れていたゴミ袋などをを買い、帰宅すると7時半ころ。
ポストを覗くとももちゃんから書類と、「TBS調査情報」のKさんから手紙が来ていた。この本に掲載された三津子の原稿がきっかけで、去年「Inter BEE (国際放送機器展)2008」のシンポジウムと基調講演に招いていただいたのだ。
今日の昼間、届いた額に掲載誌の見開きを入れてみようと思い、「TBS調査情報」に掲載された三津子、やまだ紫の見開きページを額装したばかりだった。不思議だな…と思ったが、偶然などこの世にはあり得ないのだったと、すぐに思い直した。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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