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2009-05-30(Sat)

夫婦の晩酌

5月30日(土)

夕べは12時前にいったん寝室へ上がってベッド脇のテレビでニュースを見るが、凄く暑い。夕方の予報では「京都の最低気温は19℃」だと言っていた。最低気温は恐らく明け方前だろうから、まだまだ家の中は気温が高く、しかも熱が籠もるこの部屋は相当暑い。部屋は上へ行くほど、下の階の生活熱が籠もるのだろうか、夏はとにかく暑くなる。今からこれではどうすると思いつつ、足元の送風機をつけるが全く影響無し。しょうがなく1時間タイマーでクーラーをつける。それでも駄目で、風がぬるい。
あっ、と思って見たら「暖房」のままだった。冷房に切り替えて、目を閉じる。
全く眠気が来ないのでおかしいと思ったら、レンドルミンを飲み忘れた。
最近はもうレンドルミンがないと眠れない。
いわゆる比較的弱い精神安定剤で睡眠導入剤としてもよく使われるもので、習慣性はハルシオンより弱いと聞いた。けれどこうした薬剤は、飲む側にとっては習慣性よりもむしろ「効き目」が重要で、短時間で「効く」つまり眠くなるものが重宝される。そしてあとは持続時間。レンドルミンは超短時間で効力が切れるらしいので、朝までに何度か目が醒めるのは仕方がないようだ。かといって本格的な睡眠薬の「依存症」になるのは怖いし、一番怖いのは「鬱病」だ。
良く言われるストレスの「強度」で言うと「配偶者の死」は最上位。しかも他のライフイベントとは比較にならないほど大きい。自分でもこんなに辛く苦しいことは他に無いと思っている。
「悲しいのは解るけど…」と簡単に言う人がいる。
解るわけがない。
最愛の相棒、伴侶、連れ合いを失った、この気持ちが他人に解るはずがない。

だから、こうした記録もその一環だけど、自分をある意味「このような状況下に居ること」を理解し相対化することが重要だと、意識的に自分で崩壊しかかっている精神を救っているのだ。
それなのに「何だか知らないけどあんなに事細かにネットに書かなくとも良いのに」と言う人も居る。
それは、俺に「死ね」ということと同じだ。

とにかく、鬱病はこうした努力である程度防衛出来る…と思いたい。
でなければ、たった一人京都で遺された自分は、正気を保つのは難しいだろう。
旧知の人や一度も会ったことのない方たちから、たくさん励ましのメールやお手紙をいただいている。一つ一つとてもお返事を書けないのがもどかしく、申し訳ない。
身内でもない、一度も会ったことのない方が、このブログを読み、理解して下さり、その上で励まして下さる。ある方は
「お連れ合いがどういう状況にあるかを早期から正しく理解され、それが到底受け入れ難いことにお気づきになられた。であるが故に、受け入れられないことを受け入れるために、記録を始められた。」
「自分は精神医学を学んだ者ですが、あなたのやっている事は、正しいと断言出来ます」
と書いて下さった。
有り難くて涙が出た。


薬を飲んでもう一回ベッドに戻り、暗い中喉を鳴らして甘えるシマをなでながら、三津子に話しかける。いつもこうしているうちに、寝てしまう。昨晩もいろいろなことを話して、そのうち寝てしまった。

今朝は目が醒めたら6時ころだった。
それからとろとろして寝たり醒めたりで、起きたのは9時前。カップのそばで朝飯。今日は曇りで、よく見ると霧雨のようなのが降っている。

その後、昼前からテレビも何も見るものがなく、ちょっとだけウトウトしかかるが、部屋の中が暑くて往生した。窓を開けると曇り空はいずこという感じで、青空と気持ちのいい日差しで気温もぐんぐん上がっている。
温度計を見ると室温は27℃を軽く超えていた。窓を開けて空気を入れ換えるが、とにかく暑い。この調子だと午後は大変だ。今のうちに買い物へ行くかと意を決して自転車で近くのスーパーへ向かう。
お昼に簡単な寿司と、夜のおかずや三津子の好きな卵豆腐、それから明日の朝用にざる蕎麦と最近不足している生野菜。
食材を買ってきて料理をすればいいのは解っている。けれども一人で何かをし、全てが一人で決着する。何かを作っても誰も感想は言ってくれないし、そもそも食べてくれる人も他にはいない。それでも、ずっと三津子の写真の前にはお茶やお酒、ちょっとしたつまみやご飯は必ず並べる。それが唯一の楽しみと言ってもいい。

あの人の好きだったものなら、すぐに挙げられる。
玉子豆腐、梅干し、温泉玉子、白身の薄造り、鶏唐揚げの甘酢餡かけ、じゃこと大根おろしあえ、空豆の塩ゆで、生湯葉、焼き生麩の田楽味噌、炒り銀杏…。スラスラとあっという間に浮かぶ。
もちろん「あそこの店のあれ」とか季節のものも他にもたくさんあるけれど、何か毎日一つでも好きだったものを添えてあげたい。何も無ければチーズ一つ、京都では手に入りにくいカリカリ小梅一つであっても、彼女に何もあげずに俺だけ飲み食いすることが出来ない。

買い物を終えて部屋に戻ってくると、うちのガスメーターの扉を必死に開けようとしているおっちゃんが居た。汗だくになって、ドライバを突っ込んで廻そうとしている。今日はそういえば防災設備とかの検査日だと張り紙がしてあったなと思い、おっちゃんに
「あの、そこ特別なカギじゃないと開かないんですよ」と声をかける。
前に三津子と部屋で炭火焼き(椎茸や鶏肉を和風つゆに浸けて焼いたりした)をしていたら、警報が鳴ってガスが止まったことがある。換気扇だけでは駄目で、窓を開けてなかったので一酸化炭素が許容度を超えたらしい。対処法は東京に居た頃にも一度やってたので知っている。そう思って外へ出たら、とにかくガスメーターの扉が開かなかった。
その時は結局大家さんがわざわざ来てくれて、「これじゃないと開かないんですよ」と言って、カギというか薄い金属製の工具のような「カギ」を渡してくれた。
部屋に一旦入ってそれを取り、おっちゃんにそれを渡すと「あ、これはえらいすんません! お借りします」と言って受け取った。
それから冷蔵庫にものを閉まって着替えているとノックがして、おっちゃんが「メーターの方は確認出来ました」と言ってカギを返してくれた。それから消防設備の検査だと「ベランダだけ見せてください」と言ってベランダを覗いて両側の壁を確認してすぐ戻ろうとした。
そうして振り返ると、テーブルの上の三津子の遺影や花に気付いたようなので、
「あ、うち連れ合いが亡くなったばっかりなもんで…」と言うと「それはそれは…まあえらいことで…」と言いながら遺影に立ったまま丁寧に手を合わせてくれた。
「お力落としでしょう、大変ですなあ」と言ってくれたので「ええ、何だかね、まだ慣れなくて」と言ううちに鼻声になってしまい、慌てて取り繕って見送った。

それからはNHKのハイビジョンでルノアールの特集番組、続けて円空の番組を見ながら、遅い昼ご飯に買ってきた寿司を食べた。三津子には白身の寿司をあげて、寄ってきたユキにはまぐろの上側をちぎって食べさせた。もうクーラーをつけないと暑くて大変だ。

その後5時近くなって、ネットで探した大阪の会社に発注してあった、『性悪猫』に出てくる猫の絵をデザインした、金のプレートをストラップにしたものが届いた。出してみると、ずしりと重い。金色に打刻といって表面を白く削るように細かいフォントや絵を削ったもので、プレートは周囲をスワロフスキのダイヤぽいもので囲んである。それをさらにストラップにつけてもらった。これなら、よくある「香典返し」のタオルやハンカチよりも、大事にしていただけそうだ。
さっそく三津子の写真に「ほら、けっこう綺麗に出来てるよ」と言って見せて、眺めたり、写真に撮ろうとして写り込みで失敗したり。結局三津子の遺影と技芸天様の写真の下、メガネなどを置いてあるところへ一緒にした。


夜になって外は雨になった。

今はもう7時半。夕方シャワーを浴び、浴びている途中で三津子に語りかけ、泣きながらシャワーを浴びた。
思えば最後に一緒に風呂に入ったのはいつだったっけね。東京に居た時だったね。お互いあっちが痛いこっちが痛い、手が届かない…などと言ってはどちらかが相手の背中を流したり頭を洗ったりしたっけ。
もう性愛、リビドーなど遥かに超越したところで、俺たちは手をつなぎ、助け合って生きていたね。
何だかもう老境に達して、全てに達観した老夫婦みたいなもんだったよなあ…。
そう思いながらシャワーを浴びる。三津子はシャワーの時、よく「怖くて頭を一人で洗えない」と言っていたことを思い出す。若い頃から彼女は「妙なモノ」をよく見る体質だったから、一人で目を閉じて何かをしなければいけない状況が、かなり怖かったらしい。
実際そういう状況で、例えば団地で一人で居る時に新聞を整理していて、フと背中に近い側の雑誌だかに手を伸ばしたら、居るはずのない者の「なま足」が見えて凍り付いた…とか。まあそういう話は昔から本当に良く聞いた。俺だって見えたりはしないものの、子供たちも含めて実際に「体験」もしているから、こればかりは経験していない人に説明する言葉は持たない。
「だってあるんだよ、そういうことって」としか言えない。
けれど今、こうしてシャワーを一人で浴び、目を瞑り、頭を洗おうが何をしようが、彼女が俺に触ってきたり、目に見えたりすることはない。残念ながら俺にはそれほど鋭敏な感性というか、アンテナがないのだろう。
今はもう例え夢でもいいから、もう一度三津子に会いたいと思う。
少し前に彼女が夢に出て来てきてくれた、その時のしっかりと支え合った幸福感が忘れられない。
あれが夢でもいいからもう一度体験できれば、生きて行く「よすが」になる。
シャワーの時に背中にそっと手を置いてくれてもいい、以前なら吹っ飛んで飛び出しただろうが、今はそれさえ切実に願う。
けれども何事もなく、いつものようにシャワーを終えた。いつもいつもシャワーばかりで、たまには風呂にお湯をはって…とも思うが、風呂桶を洗剤で洗っておしまいだ。何だか一人で湯に浸かるのがとても贅沢なことのように思える。
その後三津子のストラップのことをお姉さんに報告のメールをすると、すぐに電話がかかってきた。
お姉さんはこないだ俺が送った三津子の写真と絵の額を見ていて、昔の写真を眺めたそうだ。最後にお姉さんたちが親子三人で比叡山へ行った時の写真で、自分たち母娘三人が手をつないで歩いている写真を見てたら…みたいな話になり、俺も思わず泣きそうになる。すると受話器の奥から義兄のYさんが何かいい、電話がかかってきたから、というので話は終わった。

その後、昼間買っておいた総菜で夕飯。三津子には温泉たまごと白身と甘エビの刺身をあげた。お刺身のツマ…大根と木の芽(?)のような茶色い小さな葉ものを大葉で包んで、皿に添えた。
三津子がいつも外で刺身を食べる時、そうやってツマものをよく食べていた。東京だったら刺身のツマを食べられるという店はよほどの名店じゃないとあり得ない(使い回しされていたり、そもそも鮮度に問題がある場合が多い)が、京都では普通以上のレベルの店であれば、刺身の器に盛られたものは「基本的に全て食べられるもの」だ。
俺たちはいつも安心して、刺身と一緒に野菜もちゃんと食べられた。三津子は大葉にくるくると大根のツマを巻いて、木の芽を包んで本わさび(これも京都では当たり前だ)をつけて、ぱりっと音を立てて食べていた。彼女の方向から大葉の何とも言えない香りが漂ってきたのを思い出す。
お酒が大好きだったけれど、贅沢ではなくても、新鮮で「普通に美味しい」ものを好んだ。二人で本当に、そういうものを「おいしいね」と言いながら食べて、飲んだ。
今も、「おいしいね」と言って二人で飲んでいる。
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コメント

慎ましく美しい。
お二人の事を直接知りもしないくせに、そう思いました。
まだ一か月ですものね。ケロリとする方がおかしいです。
あたしは夫(というか彼)とは生き別れました。それも相手のバカさに呆れはてて。
だから最愛のひとを亡くすという体験はありません。でも、もしそういう心から愛せるひとを見つけていっしょになったとしてそのひとを失ったとしたら。
おかしいかも知れませんが、それだけで涙が出ます。対象さえ、いないのに。
だから泣いても何も恥かしくないって思います。泣くのが当たり前だと思います。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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