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2009-06-06(Sat)

一人で河原町へ

6月6日(土)

夕べは映画のDVDを見た後日記をつけて、12時過ぎに寝た。
昼過ぎ2時、部屋にいると暑いのでクーラーをつけている。ちょっと動いただけで汗が出る。
朝は8時過ぎに下の電話が鳴ったので起こされた。外はうす曇り。電話はお袋からで、飛行機に乗るのが何時だという連絡。朦朧としたままトイレ、洗顔。今日はやることが一杯ある。
まず下の階の全ての電気をつけて、掃除機(ダイソン)をえっちらと持ち出し、手前の衣装部屋から順番に掃除機をかけていく。猫の毛が綿埃状になったものが多くて、それに爪研ぎの段ボールくずが混じってすぐに集塵ケースが一杯になる。吸引力と音は確かにもの凄い。だがうちの場合は「ゴミ」というよりは猫の毛が多いので、特殊なのだと思う。
一階を終えて階段から二階に掃除機をかけているうちに汗だくになり、着ていた肌着のメッシュTシャツで汗を拭く。メガネも汗で水を被ったようになっている。掃除機がけを何とか終えて、それから今度はダスキンの床拭きモップで細かいゴミなどをよく取って、ベランダ側の奥の部屋からクイックルワイパーで床掃除&ワックスがけを同時に行う。
これはかなり腹筋やら腕力を使うので、作業的にはかなりきつい。病身には堪えるが、ここしばらく掃除をろくにしていなかった。あちらこちら動くたびに綿埃が舞う、という状態だったから、健康上も良くなかったろう。
それらを何とか終えて少し休んでから、シャワーを浴びた。
外を見るとカッと太陽が出て青空が広がっている。ここ数日が梅雨入り前の最後の晴天かも知れない…と昨日天気予報で言っていた。ベランダの苔や枇杷などに水をやり、やれやれと思ったら10時半になっていた。

今、テーブルの上には三津子の遺影と花、そして夜には陰膳を置くのが習慣になっている。けれど好きだった小物や、いつも持ち歩いていた大学の手帳や研究室の鍵、財布やメガネ…といったものをまとめて置くところがない。
そもそもが我が家には昔から仏壇というものはなくて、その時その家でタンスの上や棚の高いところなどを「ほとけさま」と称して、ご先祖様の写真や仏様の写真や線香立てを置いて、手を合わせていた。
今はリビングのテーブルの上に、三津子の大きな写真と花にお茶やお酒を置いている。その背面の壁際に手帳類と飾り棚の上に「仏様」のお水と線香立て、さらにその上の壁面の飾り棚に三津子のメガネや財布、その上に三津子の小さな額装された写真と技芸天様の写真…と、位置関係が無宗教の自分が見てもバラバラになっている。
かといって仏教徒でもないのに仏壇というのも仰々しい。
日本人は仏教徒であると無自覚に思い込んでいる人が多いようだが、では果たして「檀家」としてのお勤めをちゃんと果たしている人がどれだけ居るか? と思う。田舎はそういう結びつきや習慣は守られているところが多いが、都合のいい時だけ「供養」とか「仏教」を持ち出す人も多い。
ネットで検索すると、今は小さな「メモリーステージ」とかいう仏壇みたいなものも売り出されていて、マンション家庭や若い人に好まれているらしい。けれどどれもやっぱり宗教ぽいというか、まあ仏教徒でいう「仏壇」ぽいものばかりだ。そういうものを置いて何となく亡くなった人への言い訳にしている感もある。
うちでは仏様用の線香はあるのだけど、部屋やトイレ用のお香が切れたのと、仏壇とは言わないがせめてちょっとした小物を整理できて上に遺影も置けるような小ダンスはないかな…と思い、とにかく一度買い物へ出ようと決意した。
洗濯物を洗濯機に入れて乾燥までかけてから、着替えて外に出る。
いつも三津子が行っていて、二人で何度かお世話になった美容室の前を通り、中をチラと見る。この美容室はナイスガイの兄弟で経営されていて、いつも俺の髪を切ってくれていた弟くんの方が俺と目が合うと走り出てきた。
「どうも、この度は…」と言ってくれたので、俺も最初は笑顔で「本当にね、急だったんで…」と言うが、弟くんが「いやでもほんまに、あのハガキいただいて、頭真っ白になって…。やっぱりね、白取さんはウチの最初のお客さんやったんで、特別な方やったもんですからもう…」と聞くと、思わず目が潤んでしまった。
「もう一ヶ月経ったんだけど、まだやっぱり辛くてね…」と声が震える。本当はお客が居なかったら、だいぶ伸びた髪を切ってもらおうと思ったのだが、通りすがりに見たらお客さんが一人いたので、「また、髪切って貰いに来ますから」と頭を下げた。弟くんも「ぜひぜひ、いらして下さい」と最敬礼してくれる。
あの店が出来る前の内装段階から、三津子と俺は通りかかるたびに「美容室だね」「どんな感じだろうか」と話していた。そうしてオープンしたその日に三津子はシャンプーをして貰いに行ったのだが、それがあの店の最初の客だったというわけだ。
何の副作用か、あるいは皮膚病か、毎日頭を洗わないと髪がギトギトになりかゆみが出るため、それから三津子はよくこの美容室にお世話になった。
「いい子たちだよ、ナイスガイで。あなたも一緒に行こうよ」と言われて、夫婦で並んで髪を切ってもらったこともたびたびあった。それだけに、俺が一人遺されてからあそこへ行くというのは、やっぱりまだ辛すぎる。隣であの人が笑顔で髪をセットしてもらっている映像がリアルに浮かぶ。
弟くんと別れて、そのまま郵便局横のポストまで行き、お姉さんへ送る枇杷の種が入ったエクスパックを投函した。スーパーの前でタクシーを拾い、寺町御池まで行ってもらう。
この頃にはもう外は30℃近かったのではないか、タンクトップ一枚の男が自転車で川端を疾走していたりする。二人でタクシーに乗って、この道をいったい何十回通っただろう。京都へ来たのが一昨年の秋、まだたった二度目の夏だけど、やっぱり密度が濃かった分、思い出がありすぎて車窓から見る景色が辛い。

御池通り、寺町三条へ下がるアーケードの入口脇で降ろしてもらい、鳩居堂へ行く。
「のどか」という、うちでリビングやトイレに使っているお香の小さいのを2箱と、金属製のお香挟みも2つ買う。今の陶器皿のお香立ては真ん中が盛り上がってお香を差す穴が開いてるのはいいが、その穴でお香が消えると、ひっくり返さないと燃え残ったお香が取れない。なので結局金属製のお香挟みを皿の上に立てて置くのが一番楽だ。(レシートを後で見たら11時12分だった)
それらを入れた袋を下げてつらつらと寺町を下がる。
一人でここをぶらぶらすることがあるなんて思わなかった。いつもいつも、ふたりだった。額縁を見たり、お寺で賽銭を投げて手を合わせたり、ウィンドウショッピングをしては笑顔で語り合った。パチンコをしたりもした。でも、今は一人だ。
観光客らしい若い女がピッチリしたジーンズで腰をかがめて、本能寺の山門を写真に収め、少し前方で振り返って待つ「旦那」にしては年配、恐らく「パトロン」と思しきおっさんの方へ駆け寄って行った。ミュールだかサンダルだか知らないが、「バッカバッカバッカ」ともの凄い靴音を、文字通りバカみたいに通りに響かせながら走って行った。

三条へ出て左つまり東へ折れると仏具店があるのは、前から知っていた。三津子といつも通ったのだけど、通るたびに、ショーケースの中に並んでいる木彫りの精巧な仏像を二人で眺めたものだ。
「良く出来てるね」「いいお顔だね」と話し合った。「でも高いんだろうね」とも話して、いつも見るだけだった。
その店へ初めて入って、何気なく仏像を見る。
柘植や白檀を彫って作られた仏像はどれもいい出来だけど、やっぱり高いなあ…と思った。なので店員さんに立体的な仏像ではなく、手のひらに載るくらいの水滴型の木に仏様を彫ったものの、千手観音様を見せて欲しいとお願いする。それだと4000円弱くらいで安い。三津子は子年生まれなので、守り本尊様は千手観音様だ。
そのガラスケースを開けてもらう間に何気なく別の棚を見ると、高さ6〜7cmほどで、精巧な手彫りの千手観音座像が目に入った。
これだと三津子の写真の傍に立てられる。値段を聞くと3万円ほどだったが、これだけの出来で3万円なら安いと思ったので、いただくことにした。さらに、今俺は自分の左腕に比叡山延暦寺で買った黒檀の数珠をしているが、三津子のために、白檀の数珠をもう一つ買い、それはその場で同じく左腕に重ねてつけた。
綺麗な千手観音様をいただけたので何となく気持ちが楽になり、久しぶりに河原町へ抜けた。三津子が倒れてから、河原町を散策するなんてもちろん初めてのことだ。
河原町へ抜ける手前のサークルKでガス代を払ったレシートの時間が11時31分。日射しはいよいよ強く、真夏を思わせるようなまぶしさで、猛烈に暑い。
河原町のアーケードをそのまま南下し、六角を過ぎたところにある上島珈琲へ入る。
ここも三津子と何度か来たところだ。
カウンタでクロックムッシュと黒糖アイスコーヒーを頼んで、コーヒーだけを受け取って入口の一番近くの二人掛けに座る。レシートは11時36分。この席にも何度か座ったことがある。もちろん向かいには三津子がいつも居た。
出来たてのクロックムッシュが運ばれてきた。噛むとザクッと焼きたてのパンが香ばしく、熱々のチーズとハムが絶妙の味になっていて、うまい。考えたら一人で外食なんて久しぶりだった。
観音様とお香は買ったから、あとは…。
食べながらしばらく考えて、店を出てから来た道を逆に戻る。御池を渡って、市役所の裏側の寺町通りを歩いた。このあたりはアンティークショップやしゃれた小道具を扱う店が多く、ここももちろん夫婦で何度も歩いたところだ。ホコリの積もったどうでもいい陶器を店先に並べているやる気のない店も、ちゃんと奥へ入ってじっくり見ると、安くてなかなかいいお皿があったりした。夫婦でささやかな楽しみに、そういうところで二人が気に入ったものを買ったりした。
寺町通り沿いの、いつも通っては何となく足を止めてしまい、それでも中には入ったことの無かった家具店を覗くと、木製でB4くらいの大きさだろうか、引き出しが4つついた小ダンスを見つけた。
まさしく「こんなのないかな」と探していたものだった。
思わず中に入って値段を見ると、6000円くらいと手頃だったので、出て来た店の女性に下さいと告げる。幸い在庫もあり、大きな紙袋に入れて貰った。
それをぶら下げて河原町へ抜けると、荷物もあるせいか、大変な暑さと汗だくになった。信号待ちをしていたタクシーを拾い、マンション前まで帰った。

帰って来てすぐトイレへ行き、お香とお香立てをセッティングした。それからリビングの三津子の写真周りを片付け、買ってきた小ダンスを取り出し、意外と変な木くずやカスがついていたりするものだから、一回外側を濡れティッシュで綺麗に拭く。
それからその小ダンスの引き出しの中に、三津子が気に入っていた『宝石箱』の中身を整頓して行く。
『宝石箱』といっても、ちょうつがいの壊れた安物の木製の寄せ木細工もどきの小箱で、中には若い頃に買ったネックレスや指輪、ピアスやブローチなどが雑然と放り込んであるだけだ。
高価なものはほとんどと言っていいほど無い。でも、その時々にブランドや値段ではなく、彼女が「これ可愛いな」「これ欲しい」と思い、なおかつそれが手の届く価格の範囲だったものが入っている、彼女の『宝石箱』だ。
他人から見ればゴミのようなものだろうが、俺にとっては文字通り彼女の大切な『宝石箱』で、俺の大切な彼女の愛したものたちが入っているのだから、俺にとっても大切なものなのだ。
小ダンスの引き出しの中に、厚紙を探してきて山折りをいくつか作り、仕切りにした。
その山と山の間の平面に、ネックレスをそっと並べていく。大振りなものや、彼女が身に付けているのをあまり見たことのないようなものは、その下の引き出しの底に鳩居堂の包み紙を丁寧に敷いてから、並べていく。
「こういう作業ってさ、俺って本当に天下一品だと思うよね…」
自分でそう言いながら、今日買ったばかりの箱が、見る見るうちに三津子の宝物を収めるものに仕上げていく。
「遺品」というには余りに安い、それでもかけがえのないものたち…一つ一つを『宝石箱』から取り出していくうちに、「高いものなんか、本当に自分で買ったことなんかないんだな…」と思った。彼女がとてもいじらしく思えた。
俺が買ってあげた、大して高価でもないものを気に入ってくれて、最後まで身に付けていてくれた。それらは子供たちにもう渡してある。
そうやって整理していくとやがて『宝石箱』はカラになり、最後に何か残っている。よく見るともの凄く小さなネジが2つ、箱の底に転がっていた。そのネジは、寄せ木細工もどきの安物の『宝石箱』の上蓋と箱をつなぐ、ちょうつがいのネジだった。左右二つあったちょうつがいは左側が壊れていて、箱の蓋を開けると右側に大きく傾き、取れそうになって何年も経つ。
こんな安物の小箱をここまで大切に使って、中に入っていたものも安物ばかりだ。それでも、中のものたちにも、この箱にも、あの人の気持ちが一杯に詰まっている。

この箱を直そう。
そう思って、メガネのネジを廻す微細なねじ回しを持っていたので、小箱のちょうつがいに突っ込んで廻してみた。ネジ穴がバカになっているのか、最後まで廻しても、ずっと空回りするだけだった。けれども、カラになった箱の底にあった二つのネジ…彼女が大事に取っておいたネジは、ちょうつがいにキチンと二つとも収まった。それで箱が普通に開閉できるようになった。
三津子の笑顔が脳裏に浮かんだ。
それから、今日買った小ダンスの一番上の引き出しにお香や数珠などを入れて、順番に彼女の大切にしていたアクセサリを収納していき、一番下のちょっと深い引き出しには、手帳などの遺品を入れた。
それから小ダンスに布をかけて遺影を置き、その前に線香立てを置いて、横には千住観音様を並べた。
そうして改めて手を合わせて、線香をあげた。
立派な仏壇はないけれど、君が大切にしていたものがここに詰まってる。そう思うと心が温かくなる気がするよ。

その作業の途中、東京の烏山団地でご近所だったという、三津子の友達のMさんから電話があった。
かって書肆水族館で開催した「やま猫展 ?」に来ていただいたというから、俺も恐らく顔を合わせてはいるはずだが、お互いに覚えていなかった。俺から届いた三津子の訃報を読み、信じられず、ショックで、電話をかけてくるまで一ヶ月かかったと言っていた。
三津子の二人の娘であるももちゃんやゆうちゃんがまだ赤ん坊で、お姉さんの子どもさんが…、ということも話していた。俺の知らない時代の三津子を良く知る人で、京都へ転居した後も「遊びに来てよ」と言われた、とのことだった。

三津子はやっぱり夫婦二人っきりで京都に越してきて、寂しかったのだと思う。
母や姉、娘たちや友達とも遠く離れ、知り合いも関西にはほとんどいない。寂しかっただろうと思う。
俺など、もともとが田舎者だから故郷を出て東京や千葉を何カ所か転居し、それから彼女と一緒になった。だから寂しいとかそういう感情は余り持ったことはない。でも彼女は東京で生まれ、ずっと東京で暮らした。良きも悪しきも、思い出は全て東京にある。

Mさんとは電話で、三津子の最後の様子を突然のことで本人もほとんど苦しまなかった…と少しだけお伝えし、それから京都での生活はとても穏やかでお互い幸せでした、と話した。

その後、やはりどうしてもご先祖様の写真額が一番高いところに並んでいるのが気になり、まず額を外し、技芸天様の写真を一番高いところに飾った。それからその隣に、お袋が送ってくれたマリア様の小さな写真の額。次にこれまで技芸天様の写真と三津子の小さな写真額を置いていた飾り棚の上に、ご先祖様の写真額を並べて置いた。その飾り棚の下に三津子の小さな額。そしてテーブルの上に、遺品を収めた小ダンスと遺影、そして花。
それらを入れ換えたあと、ソファに座って壁を眺めて「ああ、良くなった。良くなったねえ…」と言いながら手を合わせた。
写真も撮った。宗教的に仏様やマリア様をいっしょくたにし、さらに仏壇すらないのに線香だの何だのというのは滅茶苦茶だろうとは思う。
しかしそういう仏教の側だってやれ分骨はいけないとか、戒名は長い方がいいとかいろいろ形式を言うくせに、お釈迦様はあちらこちらに分骨されているし、戒名だって全ての人がたった三文字と決められている宗派だってあるではないか。
「宗派」によって細かな「解釈」が違うのは構わないが、基本は宗派どころか宗教が違っても同じなのではないか。

右側にあるのが千手観音の木像「神」や「仏」という「大いなる存在」を認めて敬う心を持つこと。
亡くした人、ご先祖様や愛した人を偲び、忘れずにいてあげること。
心からそういうことを信じて、真摯な気持ちで何かをする人を、端から見てこれはいかん、それは間違ってるなどと言う方がどうかと思う。俺は、そう思う。ましてや「ちゃんとしてやるから」と言って大金をねだる新興宗教や詐欺まがいの宗教など、何をか言わんやだろう。

三津子が一番好きだった秋篠寺の技芸天様と、油彩画のモチーフにも選んだマリア様の写真。その下にご先祖様の写真。そして三津子の写真が好きだったものたちを収めた小ダンスの上で、花に囲まれている。
俺はこのかたちが一番、こちらの心も安まると考えたからそうしている。


夕方4時半ころ、お袋から電話が入った。
携帯から4時ころメールをしたが行ってないかというので、来てないという。京都に着いたが団体旅行なので予定があって今日は動けないという。
明日、明青さんに行こう、と話す。
その後明青さんへ電話をすると旦那さんが出たので、明日「三人」で伺いますと予約を入れる。俺が「泣いてしまって他のお客さんにご迷惑になるかも知れないので」と言うと、旦那さんは明るく「大丈夫ですよ!」と笑って下さる。人前でメソメソしたくはないが、一ヶ月も経つのに、いまだに朝美容室の弟くんとちょっと話しただけで涙目になった。いつも二人で座った明青さんのカウンタで泣かずにいられる自信が、全くない。
自信がないどころか、確実に泣いてしまうに決まっている。
三津子と二人で何度も何度も通った、階段を上ってドアを開けるとご主人とおかあさんがいつも笑顔で俺たちを迎えてくれた。いつもいつも、二人だった。俺の隣には必ず三津子が居た。
それなのに、もう二度と彼女と並んで「おいしいね」と言い合うことがないなんて。
そう考えただけでもう、滂沱の涙が流れ出す。こんなことではタオルか箱のティッシュでも持って行かねばならない。

その後6時前に、A3の用紙一杯に思い出の写真を配置したのを出力してアルミフレームに入れた。京都へ来てから、色々なところへ出かけた、飲みに行った、旅行へ行った…そんな思い出の写真を散りばめてフレームに入れた。
それを見てやっぱり泣けてきた。これはいかん…。と思った。
二人で旅行へ行った時にタクシーの運転手さんに撮ってもらったツーショット。
遠慮がちに俺に寄り添い、笑顔の三津子。
家のソファでシマの首に顔をうずめて幸せそうな三津子。
明青さんのカウンタでおどけた表情を見せる三津子。
チューリップ畑の前で困り眉で微笑む三津子。
旅行先の旅館のご馳走を前に小首を傾げる三津子。
孫の肩に手をかけて笑顔の三津子…。
いい顔だな、と思う写真はどれも、裏返せばもう絶対に見ることの出来ない光景なのだ。フレームに入れて壁にかけたはいいが、見れば見るほど、幸せだった思い出が蘇って現在が辛くなる。
寂しい、ほんとうに寂しい。
振り返ってもソファに君の姿はなく、もう二度と俺の前に現れることがないことも知っている。
一ヶ月以上が経つのに、俺だけ時間が停まったままだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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