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2009-06-07(Sun)

明青さんへ行けました

6月7日(日)

夕べはBSでサッカーW杯予選、日本対ウズベキスタンの試合をやっていたので、薬を飲み二階へ上がってからベッドで見た。試合は見始めるた時にはすでに日本が1点を先取していて、その後は相手の猛攻をひたすら凌ぐという展開だった。前半が終わったところで導眠剤が効き出して、そのまま寝てしまった。

今朝は8時ころ目が醒めた。
朦朧としていて、やはり夢も見なかった。いや見ていないわけはないので、覚えていないだけだ。
三津子に夢の中でもいいから会いたい…とずっと呼びかけているが、なかなか出て来てくれない。5日ほど前だったか、最後にゆうちゃんから電話があった時に、「うちにママがいる気配が全然ないから、きっとちかちゃんのところに居るんだよ」と言っていたが、こちらは最初のころはよく弱音を吐けば音を立てて叱ってくれたり、色々と不思議なシンクロを体験させて「わたしは居るよ」と教えてくれたのだけど、最近は何だかそういう気配もないようで寂しい。
彼女の四十九日が近付くにつれ、少しずつ「向こうの世界」へと行く準備をしているのか。
時々振り返り振り返り、歩んでいるのか。
でも四十九日という「区切り」も、いわゆる仏教が決めたものではある。四十九日を過ぎたら「向こうの世界」へ行ってしまい、お盆以外には戻ってこないなんて、あんまりだという感情もある。
あの人は正しく生きた人だ、人を騙したり謀略で陥れたり、自分の利益のために人を不幸にしたりなど、絶対にしなかった。むしろその逆に、あれこれ世話をした人に踏みつけにされ、ある女性作家には自分が仕事中に話したエピソードを盗まれ、挙げ句陰では嘘ばかり吹聴された。俺もそれは傍で見ていて知っている。
ほんとうに、「バカ正直」で「クソ真面目」だけに、小ずるい連中にはいいように手玉に取られたと思う。
自分の立場を相対的に高めるために、お世話になった人を悪し様に言う、そういう恩知らず、いや「鬼畜」が、世の中には本当にたくさん存在するということを、彼女を通して知った。
だから彼女の魂は凛として高潔なまま、旅立つはずだ。もし仏教のしきたりというか教えが正しいのなら、彼女はきっとすぐに仏様になってたくさんの人を救うだろう。

ふたりが知り合って一緒に暮らすようになった頃、あの人は俺のを見て目を潤ませながら、
「あなたは神様が私にくれた宝物なんだよ」と言ってくれた。
そのとき俺には彼女がそう言ってくれる深い意味はよく解らなかった。若かった。未熟だった。
けれど俺はすぐに「あなたこそ、俺にとっては女神様だよ」と言った。
今ならとても言えない台詞だろうけれど、蜜月時代だった当時、ふたりで本気でそう言い合った。
冗談ではなく作り話でもない、だいたいがこんな甘ったるく恥ずかしい話を今まで人に、いや子ども達にすら話したことはない。

いま、彼女がまさしく俺の人生において女神のような人であったと、実感している。
いつも俺の心配をし先回りをし、そして守ってくれた。今もきっと。
けれど俺が彼女の「宝物」としてずっといられたのかどうか、それを考えると切ない気持ちで一杯になる。
もっともっと愛せたのではないか。
この気持ちは、彼女が倒れてからずっとずっと、一瞬たりとも頭から離れたことはない。
きっと今後も、死ぬまでの残りの時間をずっとそう考えて過ごすと思う。

あの人がベッドで意識を失って十日目、長女のももちゃんから、「ママが暗いトンネルの中を迷っている夢を見た」と聞いて、子どもたち二人と「迷わずに明るい方へ行きなさい」と祈った。
その後、カーペンターズの「Only Yesterday」がずっと俺の頭の中で響いていた。その時、歌詞の意味はよく知らなかったが、どうしても我慢出来ずに翻訳を調べた。
その意味を知って、俺は彼女が迷いを捨て、旅立つのだと確信した。

その翌朝、彼女は逝った。


小説でもドラマでも映画でも何でもない、本当にあった出来事だった。
それ以来、ずっと「Only Yesterday」の歌詞と対訳をプリントしたものを傍の壁に貼ってある。時々それを眺めて、彼女のメッセージを噛みしめる。
もう二十五年近く前に、団地で、彼女が俺に言った「あなたは私の宝物」と言ってくれた言葉の意味を、この「Only Yesterday」の対訳を理解してはっきりと感じた。
理解するのがずいぶん遅かったけど、三津子は俺のことをそう思っていてくれたのだ、本当にありがとう、と心から感謝した。
ということは、やっぱりあなたは俺の「女神様」なのだとも思った。
でも「神」と呼ぶのか「仏」と呼ぶのか、いずれにしても、彼女はもう俺だけのものではなくなり、たくさんの人たちを救う本当の女神のような存在になるのだろう。
いや、実際にやまだ紫はその「作品」で、いったいどれほどの人たちを救ってきたかと思えば、最初からそうなのだったかも知れない。

今日の京都は薄曇りに時折青空が覗く、おだやかな天気だ。
9時前に朝飯は冷凍していたご飯を温めて中華丼の具をかけて食べた。レトルトやインスタントや買ってきた弁当や総菜類ばかり…と思うが、三度の食事をたった一人のためにその都度作らねばならないとなると、当然同じようなものを続けて食べることにもなる。だいたい一人の食事を三度三度作る方が、体力・労力などを加えて考えると実際は不経済な場合も多い…と納得している。

その後はBSでヤンキースとタンパベイの試合をしばらく眺めていたが、ユキがソファの背、俺の頭の上ですやすやと寝てしまったので、こちらもそれを見ているうちに何となくうとうとしてしまう。
猫たち、シマの方はもう一日のほとんどを二階のベッドで過ごし、ユキもこうして下に来ても寝ていることが多い。
俺が仕事やいろいろな雑事をこなしたり、記録のためにこうしてパソコンに向かっている時間が多く、「ママ」はいない。寂しいのだと思う。

お姉さんからはもう枇杷の種が届いたとメールが来た。「久しぶりにお母さんとゆっくりしてください」とも書いてあった。


夜9時前、さっき帰宅した。

4時ころにお袋から電話があり、うちへの道順を説明した。その後苔玉に水をあげたりするのでベランダを開放し、ユキが出たりしたのをカメラで撮ったりした。天気が良くいい陽気の中、ユキがベランダに出てバケツの水を飲んだりしている。のどかな光景だ。
その後お袋から「タクシーに乗った」と電話があり、三津子が居た時にはいつもそうしていたように「もうそろそろかな」という時間にベランダの手すりにひじを載せて道路を見下ろしたり、山の緑を見たりしていた。頃合いになるとヤナセの前にタクシーが一台停まり、お袋が降りてきた。
電話してそのまま来た方向へ歩くよう言い、内科の隣のマンションだから入口にいてと言ってマンション下に迎えに行った。エレベータの中でお袋が「しかしねえ…」と溜息をつくので「まだ部屋入ったら居そうでしょ」と言うと「ウン」と言っていた。

それから1時間ちょっと、いろいろと話をした。
お袋は自分のことをあまり書くなというので、簡単に事実だけ記録しておく。

その後5時半を過ぎ、歩いて明青さんへ向かう。
明青さんに上がって行くと、すぐにおかあさんが気配で出て来てくれた。奥の小上がりの部屋ではなく、カウンタの一番奥の四人掛けに席を取ってもらっており、入口を背にするかたちで俺が座り、奥にお袋に座って貰った。

俺が写真を持って行くとお伝えしてあったし、明青さんのはからいで、カウンタを背にするかたちで三津子の席も用意してくれていた。そこへ小さな額を立てて、陰膳にする。
三津子にはいつもの日本酒、俺もいつもの生、お袋はちょっとでいいというので小さなグラスに生ビールを注いでいただいた。そうして三津子の写真と箸の前に、お酒が注がれた小さなぐいのみが置かれた。
これは明青のご主人のお兄さんが作られたガラス工芸作品で、我が家で三津子が愛用していたものと同じく底に金泥が入れ込んである、美しいもの。我が家のよりも一回り小降りで、それが小さな写真の三津子によく合う。

ビールで三津子の写真の日本酒とまず乾杯した。
お袋の思い出話などを、明青のおかあさんが立ったまま相づちを打って聞いて下さった。詳しくは書かないが、本当に感謝しています。
三津子がずっとずっと気にしていた、比叡山で買った切れた水晶の腕輪(「比叡山へ登る」)もお預けした。「これ直さはる方がお客さんで来られるから、お預けしときます」と言って下さる。

それにしても、やっぱり明青さんの料理は美味しい。京都の季節のもの、はもおとしを梅肉でいただいたし、お造りのホッキもシャキシャキだった。三津子の好きだったサザエの壺焼きなども頼んで、後半はけっこう日本酒を飲んだ。
9時半過ぎにタクシーを読んでいただいて、俺が先にマンション前でおりて、手を振ってタクシーがUターンするのを見送った。

三津子の死後、明青さんに初めて伺った。
良かったと思う。
明青さんのおかあさんと、ご主人の抑制の効いた心配りが本当に有り難いと思った。

お袋とここ数年会ったといえば、俺が白血病で一時退院したあの日。それから、去年京都へ招いた日。そして、今回。
悲しみと喜びとが交錯し、最期はこんな深い悲しみの中でというのは、本当に我が身を呪う。けれども俺がここで三津子の後を追うように死んでしまっては、やはりまた新たな不幸を産むことになるとも思う。
肉親というのはやはり、無条件で有り難い存在であると思う。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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