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2009-06-09(Tue)

黙々と整理

6月09日(火)

今朝は7時頃目が醒めて、しばらく朦朧とした後、7時半頃起きる。外は薄曇り。
その後食欲が無かったのでサンドイッチでも買ってこようかと、8時前に着替えて出る。ポストにDMMのレンタルDVD返却分と、昨日書いた苫小牧の伯母さんへの手紙を投函する。
苫小牧の伯母さんは先日伯父さん、つまり俺の亡父の兄を亡くしたばかりだ。伯父さんが病床にある時、実は三人の息子たち…俺の従兄弟…の長男が急死した。その訃報は、病床にある伯父にはあまりにむごいということで、しばらく伏せておかれた。
遺された伯母さんの心中は察するに余りある。数少ない身内に立て続けに不幸が重なると、確かに、弱い人間ならもう生きていたくないと思うし、得体の知れない宗教にすがるかも知れない。俺も辛いが、伯母さんもお辛いだろう。

手紙を投函して、そのままコンビニでサンドイッチと昼用の小さなコッペパンにハムなどを挟んだやつに飲み物を買って戻る。サンドイッチを喰べながらBSでヤンキース対タンパベイを見る。試合の経過よりも、無音の中黙々と一人でものを食べる状況が嫌なだけ。

昼前にネットで三津子、やまだ紫の本を検索するが、ヤフオクではもう筑摩の作品集が高騰している。5冊セットだと3万近い値段をつけている人がいる。悪いけど「あざといな」とも思う。好きな作家だったら、その人が亡くなってしまったら余計に売れない、手放せないと思う。商売なのかも知れない。
楽天のオークションでは2冊しか出てなくて、そのうち「空におちる」も希少ながら450円と良心的な価格だった。
でも結局ヤフオクで筑摩書房の作品集の5巻『性悪猫/鈍たちとやま猫』だけ、これを3000円くらいで落札してしまう。
何でこんなことをしているのかというと、もう人にあげられる本がないからだ。特に筑摩の作品集はいつの間にか本当に数が少なくなって、中でも5巻つまり『性悪猫』の入った巻がほとんどない。(こういうことを書くと、また「商売」の人たちが値をあげるのだろうが)確かもううちで保存してあるのも2冊とかいうレベルだ。
それに本家の青林堂版はいつの間にか一冊だけあった初版はもうなく、あとは再版だがそれももう3冊しかない。いくら俺たちがお人好しでも、もう人にホイホイあげられる状況にはなくなった。

そう思って、やはり取り置きの本の箱が無いのはおかしいと思い、仕事部屋の押し入れを探した。力仕事は一人だときつい。腕力だけで重い箱を動かすのは重労働というより、もはや苦行である。汗が滝のように流れてぽたぽた落ちるので、貴重な本についてはいけないと思い、タオルで拭きながらの作業。
必死で箱を開けては確認し、違ったらいったん外へ出す…と繰り返す。
三津子のスケッチブックや、雑記帳、切り抜きのスクラップ、未整理の写真…。色々なものが京都への引っ越しの時に「とにかく持って行くものと捨てるものだけ分けよう」というので、雑多になっている。そしてそれらを見るたびに、どうしても三津子を想う。
箱を開けていくたびに、彼女との思い出、記憶に包まれる。不思議と悲しいというより、暖かな気持ちになった。
果たして、保存用にやまだの著書をまとめた箱があった。ちゃんと外側に「しんきらり・青」と書いてある。俺が会社で「断裁するなら持って帰る」と言って貰ってきた青林堂版の『しんきらり』の返本が十冊ほど。
当時筑摩書房から作品集が出ることとなり、同時に青林堂版は在庫の注文がはけたら絶版になることに決まっていた。青林堂は倉庫も小さかったし、絶版になった本をいつまでも積んでおくわけにもいかない。会社かあるいは倉庫に資料として数冊あればよく、返本の結束は不要だというので、数百あった在庫で綺麗なものを在庫として売り、残りは断裁(古紙業者へ処分すること)するという。なので、その中からひと束貰って帰って来たのだと記憶している。
当時はずーっと田端に青林堂の倉庫があったのだが、そこの社長がもう年で、やめるということになって、板橋の蓮根に倉庫を見つけて移したあとだった。そして俺はそこから徒歩5分くらいのところに、三津子と暮らしていた。

押し入れから出て来た箱からは、筑摩版の作品集も何冊か出て来た。3巻『しあわせつぶて/金魚の殿様』と4巻『はなびらながれ/陽溜りのへやで』が数冊ずつ。しかしもっとたくさんあったはずの1巻『ゆらりうす色/Second Hand Love』、2巻『しんきらり』や5巻『性悪猫/鈍たちとやま猫』が見つからない。ということはもう、今二階の保存用の本棚にある以外、やはり手元には無くなったのだ。とすると5巻『性悪猫/鈍たちとやま猫』は本当にもう我が家には2冊しかないということになる。落札分をいれても3冊だ。
ひとに「どんな作品書いてるんですか?」と聞かれ、言葉を濁しているうちはいいが、成り行きで本をあげなくてはいけない状況になることがある。
そういう時に作家は本当なら「注文して本屋さんで買って下さい」と言えればいいのだが、いや、作家は本当にそれで食ってるわけだから、そう言うのが正しいのだと思う。けれどもお人好しにもホイホイ贈呈しているうちに、手元には気が付いたら一冊とか二冊しか無くなっていたりする。
とにかくもう人に本はあげられないな、と思った。俺が守っていかねば貴重な彼女の足跡が無くなってしまう。
だが彼女の本はいずれ新しく必ず復活させる、けれども「その時のそのかたち」の本はもう二度とない。それに全ての著作が復活される保証はない。

箱から出て来たのはかろうじて筑摩の作品集が5巻ひと揃い、あとは貴重な絶版の書籍がほぼ全てだが、たくさんはない。そうだ、引っ越す前のマンションの納戸に、「これだけは死守しよう」と二人で一番上に置いたのがこれらの本だった。
これと今二階の書棚に保存してある分を永久保存用にすればいい。
これは俺の財産でもなければ二人の娘たちのものでもなく、やまだ紫という作家とそのファンのための、漫画界、出版界の財産だ。保存する義務がある。
いずれは俺もそう遠くない日に死ぬ。
そうなった後のこういった「財産」の管理をいったいどうしてもらえば良いのか、実はまだ解らない。二人の子らは娘だから家を出て他の家庭を持ち、守る立場にある。そこへ貴重な書籍とはいえ、けっこうな量の本や原稿を保管してもらうというのは無理な話だ。
嫁に行った娘に子々孫々作品や原稿を受け継いで行けというのはある種の暴力だろう。そう考えると、原稿と著作権(の財産権)ごと、心ある版元なり美術館なり教育機関なりへ引き取って貰い、管理をお願いした方がいいような気もしてくる。

とにかく、著作はひと通り押し入れや納戸からは出そろったので、あとはゆっくり二階へ上げて行こう。いっぺんには無理だし、どうせ一人でやるしかないのだから。
一息ついたら、4時間以上経っていた。


それから新たに出て来た三津子の原稿や校正などの整理をする。何かが出てくるたびに、新しい封筒に入れて表に解る範囲で何の原画か、あるいは何の校正かを書き入れる。掲載誌であれば雑誌名や発行年月日も書き入れる。気が遠くなるような作業で、やはりこうしていたらとても8月の引越など無理だった、と改めて思う。

途中、いったん休憩がてら宅急便で届いていた額の箱を開けた。ちょっと前に注文しておいた額が入っている箱だ。

三津子が死んだ、あの日の夕方。俺がいったん家に戻ったら、猫のご飯置き場の上にかけてあったジローの油彩画が下に落ちていて、木製の額が壊れて絵がはみ出していた。
あのことがどういう意味なのか、いまだに解らない。
前の日に、「ママが迷わないように連れて行って貰おう」と、子供たちと祈った。ももちゃんも「ジローにもお願いする」と言っていた。その翌朝に三津子は逝った…。
そして俺の目の前にジローの額が落ちて壊れていたのは、どういう意味だったのだろう…。

ジローの額とにかく、ジローの絵をそのままむき出しにしておくのは忍びなく、壊れた額をくっつけてそれに収めておいた。けれどずっと気になっていたので、額縁を探して注文しておいたのだった。
ジローの油彩画は「F0号」という小さなものだ。でも注文した額は思ったより大きな箱で、一瞬間違ったのかと思ったほどだった。しかし絵を入れてみると、たいそう立派になった。
もともと三津子の油彩はあっさりとした、水彩のようでいてそうではない、不思議な魅力のあるいいタッチだ。だけど、この絵は割と油彩ぽいというか、けっこう「盛ってある」感じがする。あの人が最も愛した猫、ジロー。立派な額に入って、また部屋にかけることが出来て良かった。

それから畳んだ段ボール類と燃えないゴミの袋を持って下へ降り、戻りがけにポストを覗く。
津野さんから『鱗粉薬』の増補改訂版が届いていた。装丁も造本も綺麗で、とても瀟洒な本だった。
中に津野さんから手紙が入っていて、これがあの復活青林堂から出た時は、お金を全然貰えなかったと書いてあった。どんな形であれ作家は作品が世に出ることが素晴らしいと思う、だが、作家に対価が払われないというのは論外だと思う。
いずれにしても、今回ほんとうに素晴らしい形で「復活」したのは、本当に良かったと思う。
あとは三津子のアシスタントをよくやっていただいた、漫画家の宮脇要子さんからも手紙が来ていた。事情があってよく関西方面へは来るそうだ。「やまだ先生にお焼香をしたいと思うけれども、まだその気持ちになれない」と言う。
俺も、誰かに焼香に来てもらう気持ちにはなかなかなれなかった。出来ればそっとしておいて欲しい、そうずっと思っていた。
旧知の編集者であるSさんが焼香に伺いたいと言って下さった時は、最も人に会いたく無い状態だったのだが、こちらには三津子の本を遺すという意味で何かいいお話が出来ればとも思った。
絶対にこのまま、やまだ紫の本を品切れのままにして死ぬわけにはいかない。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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