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2009-06-10(Wed)

夜は辛い

6月10日(水)

寝られなかった。
日記をつけブログをアップしたら12時をまわっていたので、レンドルミンが切れてしまったのでそのまま寝室へ上がった。なかなか寝付けず、うとうととしては目が醒めを繰り返し、時計ばかりを見ていた。2時半ころからは本格的に寝られなくなり、目を閉じ悶々とするが全く駄目。3時、4時…となり、進んでいるデジタル時計の4:44に続いて6分後にDVDプレイヤの時計が4:44になったのも見た。外は薄明るくなってきて、ユキは隣のベッドの足元にあるクッションで、いつものように寝ている。シマはいつの間にかいなかった。
結局5時近くになって下へ降りた。
シマは俺が足元につけている送風機の風が嫌らしく、最近は仕事部屋の三津子の椅子の上で寝るようになっている。
導眠剤…レンドルミンがないともう寝られないのかと思うとちょっと怖い気もするが、よく考えたら俺はもう重篤な病人なわけで、寝られないのなら薬を飲めばいいと思う。これも対処療法だと思えばいい。若くて健康な体なのに精神を病み、不眠や薬物依存になっているわけではないのだから、と納得する。

5時頃に下へ降りて三津子の薬箱を探すと、「アモバン」があった。これはハルシオンより超即効性があるが依存性や副作用は少ないという薬。これを一錠飲んだ。「苦み」が強く人によってはそれが残って不快だという人もあるようだが俺の場合は噛まずにゴクンと水で飲んでしまうので、あまり関係ない。

それからもう一度ベッドに上がった。ユキが気配に気付いてじっとこちらを見たので「おいで」と手招きすると、すぐにゴロゴロ言いながら近寄ってきた。しばらく撫でてやると満足してまた足元のクッションへ戻って、こちらをじっと見ている。「大丈夫、寝るよ」と言いながら目をつぶったり開けたりして見つめていると、向こうも同じ動作をし始める。俺たちがよくやっていた、猫への「催眠術」だ。
そうしているうちにこちらも眠くなってきて、どうにか5時半過ぎには寝ることが出来た。

次に目が醒めたのは10時ころ。何とか4時間以上寝られた、良かった…。それにしてもレンドルミンが切れたらこうなるとは恐ろしい。旅先などでは気をつけよう…と思ったが、よく考えたらもう泊まりがけで動くことは、三津子の四十九日前に東京でやる納骨くらいしかないだろうが。
洗顔や三津子の写真周りを整え線香をあげ、それから着替えてすぐ下のI内科へ行く。
診察券を出して座ろうとしたら、大家さんのKさんが居たのでビックリ。こちらに通院されておられるようだ。
すぐに奥からI先生の奥さんが紙袋を持ってきてくれ、「奥さん大変な方だったんですね、あれから奥さんの本とか色々探したんですよ」と言いながら渡してくれた。俺がいつ来院するか解らなかったので、生花ではなく造花の綺麗なすずらんのポットだった。
「ご主人もね、お体、大変だと思いますが気をつけていただいて…」と心配して下さる。ちょっと前ならここで泣いていたと思う。けれどさすがに受付にお2人、先生の奥さん、さらに待合には大家さんまで居る中でぼろぼろ泣くわけにもいかない。
何とか持ちこたえた。そして「綺麗ですね、ありがとうございます」と頭を下げた。
受付の係の女性で、前に三津子が履いていたクラークスの靴のことを聞いた方が、三津子の本をネットで色々調べてくれ、「何冊か買ったんですよ」と言ってくれた。
診察室から看護婦さんが出て来て「白取さんは、いつもの…」というので「はい、薬が切れましたので」と伝え、それから待合のソファに座って大家さんにもご挨拶をする。

それからすぐに看護婦さんに呼ばれて診察室へ入る。
I先生にお花の御礼を言うと
「どうですか、ちゃんと寝られてますか」と聞かれるので、「薬が無いとやっぱり…」とお伝えする。
「昨日でちょうど切れたんですが、2時半ころから結局寝られなくて悶々としました」と話すと「ああ〜」という顔をされて、「じゃあまた一ヶ月分出しましょう」と言ってくださった。アモバンを飲んだことは言わなかった。(ていうかこれでバレるか。今度から切れる前にちゃんと来ます…)
それから「目眩はどうですか」と言われるので、「はい、日によって全然違って、手首あたりが腫れたり膝だったりするんですが、耳の中の日はやっぱりくらくらします。そういう時は目眩止めが効くみたいで助かってます」と話すと、「じゃあ効くということですね」と、それも一ヶ月分出していただけた。
目眩は症状がない時はいいが、出た時は大変なのだ。一度、桜の頃に三津子と二条城を歩いていた時に、突然猛烈な目眩に襲われたことがある。それこそ、壁づたいじゃないと怖いくらいで、すぐにタクシーで帰った。あんなことが駅のホームなんかで起きたらと思うと、怖い。だから薬はいつも持ち歩くようにしている。
I先生は「次は京大病院はいつですか」というので「十週間置きになったので、次は七月です」と言うと、「じゃあその間に何かちょっとでも体調に変化があったらいつでも来てくださいね」と言って下さる。こういういい先生が自分の住んでいる下に居て下さるというのは本当に心強い。
そういえばその間の採血も、ここでお願い出来るわけだし、とも思った。とはいっても、採血をすれば俺の場合はもの凄い「不健康な数値」が出てくるわけだが。
ただ、日大病院にお世話になっていた頃、採血を終えて予約時間に診察室に入ったら、当時の主治医だったU先生にいきなり「白取さん、風邪ひかれませんでせした?」と言われたことがあった。CRPという炎症反応が通常よりもハネ上がっていたので、何かに感染したんじゃないかという。そういえばちょっと風邪っぽいかも、ということで感冒薬を出してもらって、当時は大事に至らなかった。あとで自分で数値を入力したら、CRPのグラフはそこだけ剣山の針のように突出して異常に高かった。
I先生に採血もよろしいでしょうかと言うと「あ、そうですね。じゃあ次の時に京大の先生にも相談してみてください」ということになり、身長・体重、血圧を測ってもらう。
会計に呼ばれてカウンタへ行くと、I先生の奥さんが今度は三津子の本を何冊か奥から持って来て見せて下さった。
青林堂版のA5判の単行本もあった。文庫の『性悪猫』など含めて5、6冊はあった。
「ああ、こんなにいっぱい大変でしたでしょう。ありがとうございます」とまた頭を下げる。
奥さんは「あのね、ご自分を責めてられるかも知れませんけど、うちの先生も『絶対(倒れることなんて)解らへんかった』って言ってますし…」と慰めて下さった。色々な方に心配していただき、慰めていただき、助けていただいて、申し訳ないと同時に感謝。
カウンタには、三津子の密葬を終えた挨拶状に添えた、ユキちゃんのポストカードがちゃんとプレートに入れて飾っていただいてある。
三津子の靴を「可愛い」と言ってクラークスで買ったことを教えて貰ったという事務の女性は、「あの後靴を買いに行ったんですよ」と言うので「足に合わせてインナーもちゃんと宛ててくれるし、いいでしょう」と言うと「ええ、履き心地もすごく良くて」と喜んでいた。そして三津子のことを「こんなにね、立派な先生なのに全然普通のいい方で…」と言われる。「そういう性格の人だったんでね…」と返しつつ、やっぱり涙が出そうになった。
処方箋いただいて会計をして出ると、曇天でポツッと時折雨が落ちてくる。薬局で薬を貰い、コンビニでガス代を払ってカップラーメンを買ってすぐ戻る。
新聞などを取って上に上がり、着替えて買っておいたハムタマゴドッグと、柔らかチキンとコーヒーミルクのボトルで遅い朝飯。

近畿地方は昨日あたり梅雨入りしていたらしい。
外は昼を過ぎたらすっかり一面の曇天で、さあさあと雨が降っている。京都の桜が終わり梅雨までの新緑のころが、一番俺たちが好きな季節だった。
そして三津子もこの時期に逝った。梅雨に入り、その季節も終わろうとしている。

君のいない暮らし、誰とも話さない日もある暮らしがもう50日近く続いている。確かに「日常」としてはもう慣れた。何か言っても笑顔や声のレスポンスはない。台所で簡単なこしらえものをして振り返っても、ソファに君の姿はない。
そういう生活そのものは何もせずとも過ぎていくものだし、確かに慣れていっているところはある。
でもこの部屋にはまだあちこちに、君の名残がたくさん遺されたままだ。それなのに、この部屋から君という存在だけがすっぽりと抜け落ちたかのように、ここに居ないということ。
それから無理に目を逸らして考えぬようにしているだけなのかも知れない。
陰膳をし、写真に話しかけ、わざと居るかのように振る舞う日常。
その「自分への嘘」に慣れてきただけだ。

やらなければいけないこと、ルーティンでやること、時間はそれなりに過ぎてはいくけれど、嘘で誤魔化さずに「君が、もういない」ということに真正面から向き合ってしまう瞬間があると、やっぱりまだ俺はダメだ。

だから無理に立ち歩いては思い出したように本の整理をしたり、出て来た原稿を封筒に入れて内容を書き入れたりしている。あちこちから大量の写真が出てくる。アルバムに貼られているものはまだいいが、未整理の写真が本当にあちらこちらから、しかも時代がバラバラで出てくる。
それらを時代ごとに整理していくような作業はとても一人で出来るものではないから、とりあえず写真は写真、とアルバムなどとひとまとめにしておくしか出来ない。でもそうして出て来た写真を見ていくと、その時代時代へ心が及び、現実を忘れる。
原稿や校正刷り、スクラップブック、水彩画などをひとつひとつ整理していくのも、膨大な時間と手間がかかる。けれども、やっぱりその時間は作業に没頭している限り、あの人が居ないという現実から離れていることが出来る。

もっとも辛いのはやはり、夜だ。
箱を降ろしたり、整理の物音を立てるのは近所迷惑だから、夜はそういう作業を控えざるを得ない。
いつもあの人が座っていたソファの空間を見ては、自然に自分の足元に視線が下がる。視線を上げれば目の前には花に囲まれた三津子の写真。そして旅行の時、夕飯を前に浴衣で小首を傾げておどけている写真。
真正面から「彼女の死」というとてつもない喪失感がぶつかってくる。
そうして彼女とだけ、向かい合う。
そんな日がもうずっと続いている。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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