--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-06-13(Sat)

グラスが割れる

6月13日(土)

夕べは三津子の写真が大きくなって、本当に旅館で差し向かいのような気持ちで嬉しくなってしまい、ビールを飲み過ぎた。11時過ぎには寝て、今朝は5時ころ目が醒めた。ああ、またか…と思ったが前の晩寝たのが早かったから、6時間は寝たことになる。
もう一度寝ようとしたがダメで、結局テレビをつけてニュースを見ながらごろごろして、7時には下へ降りた。片付けモノをして台所の洗い物をしようと、ビールのタンブラを取り上げようとしたら手が滑って、シンクに落としてしまった。

割れた。

去年、三津子と一緒に四条高倉のたち吉へ行って、ぐいのみとお揃いで買ったやつだ。明青の旦那さんのお兄さんがガラス工芸家で、その展示会に伺った時に、ふたりで買った。
俺のタンブラは飲み口の部分が薄くて、あれで飲むようになってからビールがうまくなったし、逆に他のグラスだと飲み口が厚くて違和感があるほど、よく出来ていた。三津子のぐいのみと同じように底に金泥が入っていて、水を注ぐと綺麗ないい色になる。もっとも俺の場合は冷やしてビールばかり飲んでいたから、金泥の色はほとんど効果が無かったが。
たしか1万6〜7千円くらいしたと思う。それでも高いと思わなかった。三津子のぐいのみもいい形で、二人でフンパツしたけど、本当に満足だった。
その時見た小さな5cmくらいの高さで5つ揃いの、青いガラスの花瓶…というか実用的な花瓶ではない、極小の一輪挿しが気になって、二人で「いいねえ」とずっと見ていた。でもその時、三津子はぐいのみ、俺はタンブラを買ったので、いくら何でも贅沢かと思って、その時は小さな花瓶を2つだけ選んで帰った。
帰ってから三津子は「やっぱり残りのも欲しい、ねーちゃんにあげたい」というので、後日また出かけて、残っていたやつも全部買った。フンパツした。

ずっと前から、その時頑張れば買えないことはなかった小物や服を「やっぱりもったいないから」と諦めて、熟考したあげく「やっぱり買う!」と再び行った時にはもう売れていたり、無くなっていた…という経験を何度かしていた。
俺たちももういい年だ、一期一会だと思って、ほんとうに欲しいと思ったらその時に買おうよ。そう話し合うようになったのはここ数年のことだ。もちろんそれまで経済的な余裕が無かったことが大きかったが、何より俺たちは何十万もするブランド物や宝石や高級時計などには興味が無かった。
安物でも、本当に気に入ったもの、可愛いものを三津子は好んだ。近年、よほど気に入ったもので、ちょっとだけ「フンパツ」すれば手が届くようなものは、後悔しないように頑張ってみることに決めていた。

二人で買った、お気に入りのタンブラが割れてしまった。三津子とお揃いなのに。
実は、俺は昨日、三津子の葬儀の日に葬儀屋に
「葬儀の前に家を出るとき、夫婦茶碗があったら奥さんのを割ってから出てきてください」と言われて、言われるがままそうしたことを後悔していた。
洗い物をしているときに、自分の青いご飯茶碗を取り出して、やっぱりお揃いだった三津子の桃色の茶碗を思い出した。
「割るんじゃなかった」
と激しく後悔した。
あの日、玄関先で茶碗を割って、それから家を出た。戻ってきてその日だったか翌日だったか、手を合わせてからゴミ捨て場にそっと置いた。振り返るとポツンと割れた茶碗が入った袋が寂しそうに見えて、涙が溢れた。
葬儀屋は「この世に故人が未練を残さないためです。もうこの茶碗でご飯を食べる体は無いんだよ、ということを教えてあげないと」と言っていた。そういう決まりなんだ、と。
だから何も疑わずにそうした。「断腸の思い」とはあのことだった。
でも今となっては、何で割ってしまったのだろう、そんな「しきたり」とか「決まり事」なんて、しょせん誰かが言い出したことに決まっている。坊さんなのか昔の人なのかは知らない。実際俺の実家の方ではやった覚えがないし、例えば浄土真宗などではそういう儀式はしないという。
だとしたら、故人の形見なんだから大切に取っておく。時々はそこにご飯をよそって、一緒に食べたっていいじゃないか…。

「分骨はいけない」というお坊さんがいれば、「お釈迦さんだって世界中に仏舎利といって、分骨されてます。亡くなった方をしのぶためにお持ちになりたいのであればそれもいいのです。大事なのは形式ではなく、供養される心なのです」というお坊さんもいる。
戒名も立派なほど霊の成仏につながるという宗派もあれば、皆死ねば平等なのだと、三文字で統一する宗派もある。
決まり事やしきたりは、必ず根拠や伝えられてきた理由がある。それに納得した人が従えばいいのだし、そもそも、我々は「敬虔な仏教徒」ではなかった。
仏教徒だというのなら信仰する菩提寺を持ち、檀家としてのお勤めをキチンと果たし、その宗派のしきたりにのっとって日々信心を励行しないといけない。仏壇をしつらえご先祖の供養を日々行い手を合わせてお題目をあげるとかお経を読むとかそういう「しきたり」をして、はじめて「仏教徒だ」と胸を張ればいい。
敬虔も何も、そもそも俺たちは特定の宗教を持たなかったではないか。
けれども、ご先祖があるから連なって今の自分がある。その連なりが絡み合って「縁」となり、俺たちは出会い、共に暮らすことが出来た。それに人智や科学の及ばない何かの存在にも気付いている。だから宗教がどうではなく、一番納得できることを形にして実行していたわけで、マリア様にも手を合わせるし、お寺に行っても合掌し、神社へ行けば柏手を打つ。気持ちはどこでも同じだし、祈ることも同じだ。その場所その場所で「自分はこの宗派の信徒じゃないから」と儀式を断ったりすることはない。

それが普通の日本人の感覚だろうと思う。

八百万の神を信仰していた日本人は、そのことを逆に「無節操」とか「無宗教」と批判されることもある。実際に日本でキチンと「自分はなになに宗の信徒です」と言い、その宗教のしきたり、戒律にのっとって生活をしている人がどれくらい居るかというと、むしろそれ以外の人の方が多い。
だからお宮参りは神社へ行き結婚は教会でやり葬式はお寺でやる。特定の宗教を熱心に信仰できることは、それは素晴らしいことだと思う。例えば京都だと、有名な比叡山延暦寺(つまり天台宗、厳密には滋賀県側にある)の千日回峰行という過酷な行があるのは有名だろう。あれほどまでの過酷な、過酷という言葉では言い表せないほどの荒行を「信仰心」のみで継続し完遂するということは、大変なことだと思う。
信仰というものがああして「自分」へ向かう、「修行」することによって自分を高めて他者への救済へとつなげる、仏へと近付く。そういう考えは素晴らしいと思う。
現世利益のみや権力のために信仰を利用したり、教義のために他者の命や幸福を奪っていいという宗教もあるが、論外だと思う。

三津子が旅立ったあの日、一度家に戻ってきたら三津子が描いたジローの油彩画の額が壁から落ちて、木枠が壊れ絵がはみ出して散らばっていた。
あの時思わず「お茶碗割ったこと、怒ってるの?」と俺は中空に向かって聞いた。その時、何でそうなったのか、何を三津子が言いたかったのか、本気で解らなかった。
ジローにも、迷っている三津子を案内してくれるように皆で祈った。でもそのジローが怒って額を割るわけがない。三津子が何かに怒って、そのことを知らせたに違いない。

やっぱり、三津子は俺とお揃いの茶碗を割ったことを怒ったのだと思う。
ふたりで選んで買った、お揃いのご飯茶碗。何回も何回も、あれで一緒にご飯を食べた。亡くなるつい何日か前も、三津子はあの茶碗でたまごかけご飯を食べていた。

それを「決まりだから」ということで割っちまった。
申し訳ないことをした。未練を断ち切るためにというなら、それはきっと遺された人間のためなんだと思う。その茶碗を見るたびに思い出しては泣くからだ。
でも茶碗が無くても、あの人が居ないということで悲しくて仕方が無い今、「茶碗があるから思い出して泣く」のではない。「茶碗が無いことが申し訳なくて泣く」のだ。
ついさっき三津子とお揃いのビールタンブラが割れた。今度は俺の方だ、これでおあいこだね。ごめんな…。

その後、洗濯機を廻してシャワーを浴びた。髪がずいぶん伸びた。でもなかなか、いつも二人で行っていた美容室「V」へ行く勇気が無かった。いつも前を通るたび、わざと中の兄弟と目を合わさないようにしていた。いつも二人だった店に一人で入り、泣かずに髪を切って貰える自信が無かったからだ。
11時すぎ、郵便だしやら用事があったので、シャワーで髪が濡れたまま、自転車で出た。そして勇気を出して美容室「V」へ入ると、お客がすでに二人いた。
弟君が俺を見て「ああっ、どうも!」と笑顔を向け、お兄ちゃんの方が「ちょっと待ってもらえますか」とやはり笑顔で言ってくれたので、椅子に座って待つ。弟君は手前左の椅子でおしゃべりなおばちゃんのカラーリングをやっていて、時間がかかりそうだった。お兄ちゃんは右の奥で二十代くらいの男の子の髪をバリカンで坊主にしていた。こっちは早く終わるのかな、と思って10分ほど待ったか、そこへ若い常連客と思しき女性が入ってきて、客が2人に俺が待っているのを見ると、まるで恋人みたいな口調で兄弟に「ああ〜、だいぶ待つん〜?」と言ったので、俺は立ち上がって弟君たちに「また電話して来ますよ」と笑って出た。
待っているうちに、やっぱりここへ何度も三津子と通ったことを思い出してしまい、俺の番になっても無理だな、と思った。俺はいつも、たいがい伸びすぎというくらいにならないとここへ来ない。なのでシャンプーからカットを終えると、その後はいつもヒゲをあたってもらうから、三津子の方が早く終わっていつも俺を待っていた。
あそこでシャンプーやカットをしてもらっている間、入口脇の椅子にあの人が居たことを、どうしてもまだあ思い出してしまう。思い出しただけで涙が出そうになる。
こんな状態で自分の番になっても、弟くんと普通に会話なんか出来るわけがない。そう思って「また来る」と言って出てしまった。しかし四十九日に東京へ行く前に、このボウボウに伸びた髪を切らねばならない。
自転車にまたがって、まず郵便局手前のコンビニで用事を済ませてすぐ戻る。書店並びの安い床屋でいいかと思ったら、土曜のせいか小学生の子どもたちがわんさか待っていて無理と判断。
弁当を買っていったん家へ戻り、ヤンキース対メッツのサブウェイシリーズを見ながら食べた。その後1時くらいまでウトウトしてしまう。

その後仕事をして、やっぱり今日を逃すと髪を切る機会がないような気がしたので、もう一度今度は徒歩で「V」へ行ってみた。店の前からドア越しに覗いてみると、男性客が一人しかおらず、弟君がもうカットに入っている。
じゃあちょっと待てば入れるかなと思い、ドアを開けるとすぐお兄ちゃんの方が「さっきはすいませんでしたね、どうぞ」と言って手前の席へ通してくれた。メガネを預けて、いったん座り、お兄ちゃんとちょっとだけ話した。
「もう一ヶ月以上になりますかね」というので「そうですね、でもまだ慣れなくてね…」と言うと、もう少しこみあげそうになった。すぐにシャンプー台へ通されて、シャンプーをしてもらう。
「ちょこっと用事のついでに空いてるかな、と思って来たんで、簡単でいいですよ」と言ってシャンプーも一度にしてもらった。
席に戻ってちょっとだけ待つとすぐに弟くんがカットに来てくれた。
いつも三津子と二人で来ていた頃は、カットの間弟君とは野球の話や関東と関西の違いなどで、けっこう笑い通しだった。
去年の今ごろは「清原は何を目指してるんですかね」とか言って大笑いしていた。三津子も傍で笑顔で聞いていた。
でも今日はもう少ししたら納骨に東京へ行かねばならないこと、三津子が倒れた時の状況などを簡単に説明したあとは、お互いほとんど無言だった。
「最初のお客さんやったんでね、ハガキいただいた時は頭真っ白なって…。でもいつも写真、見てますし」と言ってくれた。
弟君はその後は静かに仕事を終え、鏡で後ろを確認させてくれたが、もう彼の腕は信用しているので、見たフリをして「大丈夫です」と言った。
それからもう一度お兄ちゃんが頭を流してくれ、椅子へ戻ってブロウをしながら「まだあそこに住んではるんですか」と聞くので「そう、まだね」と言う。
「いろいろとやらなあかんこともあって、大変ですね」と言われ、思わず「でもね…、何にも手につかなくて。実はここへももっと前に来ようと思ってたんだけど、やっぱり思い出すでしょ。いっつも二人で来てたからね…」と言うと思わず涙が出た。まずい、と思ったのですぐに手で拭った。下を向いたら鼻水が少し出た。
途中から常連さんらしい若い男性客が入ってきて、タバコをふかしながら待っていたが、先の客が帰って、弟君はその客の相手をしていた。
レジの前の椅子、つまり俺の背後の椅子には、振り返れば彼女が俺が終わるのを待っていそうな気がして、そう思うともう我慢が出来なかった。
ブロウが終わって、二人に「ありがとう、またお願いします」と言って会計をして出た。涙と鼻水が止まらない。通る人がおかしな顔で俺を見るので、ハンカチで拭きながら歩いた。
それからスーパーへ行き、割れてしまったタンブラの代わりにビールグラスを買った。明青の渡辺さんのお兄さんが造ったものに比べるべくもない、安物のグラス。でも、仕方が無い。
それからテイクアウトの簡単な寿司を買って戻った。

夜8時前、明青のおかあさんが電話してきてくれた。
ここ数日ブログの更新が止まっているので、具合が悪いのかと思ったと心配してかけてくれた。(実は6月8日から止まっていたブログを6月16日にまとめてアップした)
「こないだはお袋が一人で喋ったのを聞いていただいて、すいませんでした」と言うと
「ううん、だってお母さんっていうのはやっぱりありがたいものだし、正しいなって思いましたよ」と言って下さる。
「何か調子悪いとかあったら、遠慮無く電話でもメールでもしてよ」と言ってくれる。頼るあてのない京都で、本当に有り難いと思う。


その後、お姉さんに「四十九日は喪服ですよね」と一応確認のメールを入れると、すぐ折り返し電話があった。
泊まるとこは決めたの、というのでもうホテルを取ったというとビックリしていた。うちでもいいんだけど布団がないし…というので「ももちゃんやゆうちゃんのところにも子どもがいるし、最近は連絡もないんで、まあ迷惑かけてもいけないな…と思って」と答える。
俺は喪服を昨日着てみたらかなりキツくてやっぱり無理だと思ったが、形式を重んじる「儀式」なんだから、形式を崩すわけにはいかない。俺は病人だが、「儀式」はそんなことには配慮してくれない。苦しくても喪服というか黒のスーツをぶら下げていくしかない。しんどいが喪服を着て儀式に参加し、終わったらどこか車の中か借りるなりして着替えようと思う。じゃないと苦しくて、とても座って移動とかは無理だ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。