--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-06-22(Mon)

四十九日

今日は妻・三津子、そして作家・やまだ紫の四十九日です。
京都は朝から雨が降っています。

おとといの午後、新幹線で東京へ向かいました。
彼女の骨は埼玉に住む次女のゆうちゃんが預かってくれています。親戚一同が参集し、21日にお寺で法要の後、三津子の先祖が眠る多磨霊園に納骨となりました。

自分は武蔵境へ宿を取り、翌日の法要へは直接霊園の入口での待ち合わせを、と考えておりました。
この近辺にももちろん、東京や近郊には旧知の友人や知人がたくさんおります。
この武蔵境は同郷の友人の家にも近く、連絡をしようかどうか当日まで迷いました。
けれど顔を合わせればきっと、だらしのないところを見せてしまうと思う。そして誰それには連絡をしたが誰それには会わないということも嫌だったので、敢えて誰にも連絡をせずに過ごしました。

翌日つまり昨日は、またしても朝から涙雨となりました。

スーツの喪服に着替えると、ウエストがもの凄くきつく、大変でした。このスーツは病気で脾臓が膨れてからは下が履けず、今回ウエストを直してきたのに、日によって具合が違ったのか、苦しくて大変でした。
この上荷物を持ち、11時のチェックアウトから集合時間である12時半まで、2時間以上の時間を潰すのは大変だな…と思っていました。
念のため待ち合わせ時間の確認をしようと、ゆうちゃん一家の車と途中で合流して向かっているはずのお姉さんにメールを入れました。すると、折り返し電話が入り「あと10分ちょっとで武蔵境に着くよ」とのこと。
早く出過ぎてしまい、しかも山手通りの下に出来た道路が思ったより相当速く進み、かえって時間をもてあますところだったということでした。結局武蔵境の駅前で車に拾ってもらうことが出来て、ゆうちゃん一家とお姉さんご夫婦と近くでお昼が食べられました。

これも三津子が助けてくれたんだな、と感謝しました。

いつだったか、京都で俺が荷物を持って時間を潰さねばならないときがあって、こちらは足が腫れて大変なことになりました。彼女はそれを繰り返さないようにと、助けてくれたのでしょう。

車5台で、三津子のお母さん以下親戚一同が久しぶりに全員、集まりました。
今回の法要から納骨までの段取りは全て、三津子の母親が進めて下さり、執り行われました。
こちらは京都という離れた場所に居たこともありましたが、逆縁の不幸という悲しみの中、我が娘の四十九日法要、納骨を執り行うという心中は「察するに余りある」などという月並みな表現では足りなかったと思います。

自分は確かに最愛の妻を失い、気が狂わんばかりの悲しみと絶望の中で、日々ほぼ一人でそれに対峙しなければなりませんでした。だからといって、三津子の母親は娘を失い、また二人の子供たちは母を、姉はたった一人の妹を…と、皆それぞれに辛く悲しい気持ちを抱えていることは、きっと同じだったでしょう。

雨は少し弱まり、小雨の中、霊園から十分弱ほど歩いたところにあるお寺へ法要に向かいました。自分は三津子の遺骨を抱いて歩きました。
お寺はあまり大きくはありませんでせしたが、その分、皆がぎゅっと集まったかたちになった、いい法要でした。
三津子の戒名
「紫雲院妙津信女」
が刻まれた位牌と遺影に向かって焼香する時に、やはり涙が出ました。
メソメソするのはやめなさいよ、皆さんにそう言っていただいたのですが、法要の前にご住職が
「明日は四十九日と申します。徳を積まれた方、早い方はもう生まれ変わられるご準備をなされるそうですよ。」と笑顔でおっしゃられた話を反芻し、また身内がそれぞれ合掌し焼香を繰り返す間、涙が止まりませんでした。

あなたは素晴らしい人だったし、素晴らしい作家としてたくさんの人を救ってきた。だから本当に、あっという間に別な人になってしまうのかも知れない。
でもそれじゃああんまりじゃないか。もう少し、少しでいいから待ってくれないか。
そう思うとどうしても涙が流れました。

位牌の戒名の上には、「妙法」と書かれています。もちろんこのお寺の宗派による決まりですが、法要の前に位牌を初めて見た時から思うところがあって、溜まらなくなっていました。

京都の我が家の二階…北側のメゾネットから見えるのは、五山送り火の「妙法」。真正面が、法の字です。

おととしの夏、京都へ思い切って引っ越そう。そうふたりで決めました。
それまで三津子が京都へ行くたびに何軒か下見をして決め手がなく、次は一日二人でまわる日を作ろうと相談し、京都で合流しました。
2007年の7月19日、天気が良く、その分暑い日でした。
朝から二人で部屋を見て廻り、最後に予定していなかった物件として紹介されたのが、この部屋でした。
不動産屋のAさんに促されて、メゾネットへの階段を上がり、和室へ踏み込んだ瞬間に目に入ってきたのは、緑の山に描き出された「法」の字でした。視線を左へ少し移すと、もちろん「妙」の字も見えました。
「わあ、すごい!」「こ、これは…」
二人とも驚愕しました。すでに猫を飼える条件で、厳しい物件を何件も見て来た二人にとって、この部屋は奇跡のような物件でした。
そしてその場で手付けを払って、次回までに契約をという段取りになったのです。

三津子の四十九日、納骨の法要で東京に来た自分。その目の前にある三津子の位牌には、「妙法」の二文字。

自分は2005年の夏に白血病の宣告を受けてから、やはり病身であった三津子と、夫婦手を取り合って助け合う暮らしが続いたと思っています。
彼女が京都に教職を得てからは、年中行事だった吐血と入院もなくなり、二人であちこち散歩や旅行へ行ったり、おいしいお酒を飲んだりと、京都へ来たことは「お導き」であると感謝する日々でした。
であるとすれば、今、眼前にある三津子の戒名の上に刻まれた「妙法」の二文字が、その帰着点なのだろうか…、読経を聞きながら、そんなことを考えました。
考えていると、京都での楽しかった日々も、今、この瞬間に収斂していたと思えてなりませんでした。
そう思えば「これもまた運命ですか」と諦めに似た感情が浮かびます。
けれどそう思えば思うほど「でも余りに早くありませんでしたか…」。
そういう気持ちが涙を押し出すのです。

四十九日や納骨という儀式は、おそらく、残された者の涙や悲しみ、心の傷、慟哭、そういったことを癒し、再スタートさせるために儲けられた時間なのだと理解しています。儀式とは故人のためでもあり、生者のためでもある。

ご住職が法要を終え、笑顔で我々に向かっていろいろとお話をしてくれました。それから霊園へ戻り、皆車で山田家の墓へ向かいました。
いつもいつもそうだった、「涙雨」は上がっていました。

石屋さんの若い衆が、骨壺を墓の中に入れてくれました。ご住職が
「ご覧いただけますか、あのように、ご遺骨が収められましたね。」と促されたので、墓の中を覗き込みました。いくつか骨壺が入っていて、一番手前に三津子の骨壺が置かれていました。

その瞬間、大きなアゲハチョウがひらひら、と墓石の後ろから飛び立ちました。思わず隣にいたゆうちゃんに「あ、蝶が…」と言うとゆうちゃんも「本当だ」と言いました。涙が溢れました。でも蝶のことは他の人には言いませんでした。

納骨の確認の後、再び石で閉じられた墓の前で最後の読経の後、儀式は全て終了となりました。
立ち去る前に、お墓に水をかけ、背中を撫でました。
最後に君の背中を流したのは、そういえば割と最近だったね…。
でもあの暗い石の中に、君は居ないんだろう? それは解ってる、解ってるけど、でもこれは遺された人たちのためにも必要なんだね。

それから皆の車で新宿まで移動し、夕方からはホテルで会食となりました。
皆のテーブルを笑顔で見守る三津子の前には、いつもそうだったようによく冷えたガラスのぐいのみに、冷酒が注がれていました。
食事は和やかに進みました。
途中ゆうちゃんの次女SNが「何でバァバ(三津子)はここにいないの?」と聞いた時はこみ上げるものがありましたが、本当に暖かい場となりました。
全ての手配を三津子のお母さんがなされ、自分はのこのこと京都から来て、ただ献杯と最後のご挨拶をしただけでした。
それでも、皆さんにはよくしていただきました。
本当に本当に、いい法要で、感謝の気持ちで一杯でした。

7時10分の新幹線で京都へ戻り、まっすぐ自宅へ帰ると10時過ぎでした。

猫たちと一人、これから三津子の居ない生活と、また向き合わねばなりません。
どうしても、人生の半分以上を共に過ごした連れ合いを失った深い悲しみと喪失感から抜け出せずにいる今、強く頑張ります! とは言えません。
もっと頑張らねばならないのは理解していても、それを支えてくれた最愛のひとが居ないという現実が、心と体を締め付けるのです。

四十九日という期間は、自分にはまだまだ短すぎるのです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

Unknown

はじめまして。
つなりんと申します。
おつらいですね。
わたしは老いた両親と3人家族で、
今年はじめに、諸事情でわたしはうつ病になりました。
いずれ両親が去り、ひとりきりになることを、
考えずにはいられず、考えればすぐ涙が出ます。
愛する者の喪失を想像するだけでも、涙がでます。
どうしたらいいのかわからない。
生病老死。生きることが苦しみだなんて今まで思ったことありませんでした。
その人が居ないことに耐えられないその苦しみ。
身の置き場所のなさ。
どうかなんとか一日一日をしのいでください。
更新がないと、どうなさっているのだろうかと、遠くの地より思っています。
梅雨時です。どうぞご自愛ください。


カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。