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2009-06-22(Mon)

四十九日を記録する

6月22日(月)

朝は6時半ころ目を覚ました。夕べは12時半ころ眠れたと思うので、6時間くらいは寝られたか。最近では多い方だから、やはり疲れていたのかも知れない。
一度ごろりとベッド脇に降りるが、そのまままたベッドに戻る。どうも怠く、首と肩が異様に凝っている。この凝りは意味が解らない。新幹線は帰りはとにかく早いのをと思ってグリーンにしたので、快適だった。
7時前に起きて洗顔などし、夕べ陰膳にした温泉玉子や皿などを片付け、三津子の水やお茶を入れ換える。
今日は四十九日なので、線香を立てて、声を出して般若心経を読んだ。
前の日の納骨や法要の報告をアップした記事に書いたように、四十九日とは遺された人が悲しみを癒すために設けられた時間のような気がするが、俺の場合はまだまだ無理だ。三津子のことを考えただけで目が潤む。
色々心配ばかりかけてごめんね。こんな人間を愛してくれてありがとう。君と一緒に暮らせて本当に、幸せだった。ずっとずっと忘れない。昔から今も、これからも愛している。
謝罪と感謝、そして永遠の愛。毎日、ずっとずっと君に伝え続ける。

三津子の四十九日法要を終えたことを、ブログにアップする前、昨日コンビニで買った残りのシャケおにぎりを一つ、水を飲みながら食べた。
ブログに書くために前の日記…エクセルで俺が癌宣告を受けてから三津子が倒れるまでずっとつけていた日記を見返す。
おととしの7月19日、あのカーッと晴れた暑い日、この部屋の「二階」から送り火をやる松ヶ崎の「妙法」を見て、住むことを決めたのだ…。やっぱり京都に来てからのいろいろなことが思い出される。
昨日、三津子の骨壺が墓の下に納骨されたとき、墓の後ろからアゲハチョウがヒラヒラと舞い上がったこと。あれは君だったんだ、と改めて思い出すと涙が出る。

その前、昨日不在で今日の午前中に配達を頼んでいた、舟渡の桑原さんからさくらんぼが届いた。見事な大粒のさくらんぼがぎっしり綺麗に並べられた箱が2つも入った立派なものだった。すぐに冷蔵庫にしまい、三津子の写真の前にも皿に盛った。
三津子のお腹を隠すオーバーオールを何着も作ってくれた、桑原さん。京都へ来たらぜひお会いしましょう、と言っていたのに。とうとう俺は一度もお会いすることがなかった。
あとで俺もいただいてみると、じゅうぶん甘いが、もうちょっとで完全に熟すという、絶妙な状態だと解った。本当に有り難い。ふたりとも、さくらんぼが大好きだったから。

携帯を見ると、昨日高校の同級生で親友のUからメールが入っていた。最近は携帯もあまり見ないし、そう言えばその辺に買い物に行く時も携帯は持って出ない。この携帯は、俺と三津子が離れている時のメールや連絡のためにあるようなものだった。もう、その相手もいない。
Uからのメールは、ヤフオクに昭和63年3/25号のクロワッサンが出ていて、「献立発想法」というタイトルで「やまだ紫」の名前があるよ、と知らせてくれるものだった。うちにバックナンバーはあるかというので、調べてみると返答した。
三津子の机の引き出しに改めてしまい直したファイルを出してみるが、それらしい記事はみつからなかった。これは三津子が自分のインタビューやエッセイなどが載った雑誌を切り抜いてファイルしたものだが、見あたらない。ひょっとしたら小さなコーナーだったのかも知れないが、とにかく他にあるのかも知れないが、あとは原稿の箱ぐらいだし…と思うと、やはり居てもたってもいられない。
それから思い直して10段のキャスターつき書類入れの引き出しを開けて、茶色い箱を「これ何だっけ?」と開けてみたら、92年にあの詩人吉原幸子さんの書肆水族館を開放していただいた、『やま猫展?』の時に使ったタイトルプレート、絵やグッズの値札とか、全然関係ない写真とかが入っていた。
「ああ、この箱か…」としまいかけたが、写真はまとめておこうと取り出し、改めてよく見てみると展覧会と関係のないものも入っている。引越の時に見た時には入ってなかったものが、入れられているようだった。
三津子がたぶん突っ込んで、とりあえず仕舞ったのだろう。
古い和風の名刺入れが出て来て、中を見ると全然知らない人の名刺が一枚と、それからお守りが出て来た。お守りというか、それは小さな護符で、よく見ると「技芸天」と書いてあった。裏にはもちろん「秋篠寺」と書いてある。
「うわあ」と声が出た。
すぐに台所の入口の一番上に飾ってある、技芸天様の写真の額を外した。そして、出て来た護符を入れた。
三津子、君が一番好きでもう一回見たい、と言ってた技芸天様の護符、持ってたんだね…。ついこの間、2月の末に奈良へ行った時、この写真をいただいた時は何も言ってなかったじゃないか。
護符を収めて額を元に戻し、それから手を合わせた。
今日は三津子の四十九日なので、きっと仏様が出して下さった。三津子はきっと、成仏する。そう確信した。


それからずっと、昨日の法要の様子、一日を克明に記録した。覚えている間に彼女に関わる全てを記録しておくこと。それが俺が自分に課した使命でもある。
昼はレンジで温めるポトフと、昨日コンビニで買っておいたハムタマゴドッグを食べた。そしてずっとずっと、詳細な記録だけをつけていた。
途中函館のお袋から「どうしてる」と電話があり、昨日の納骨の様子を伝えた。やはり途中、何度かこみあげてしまう。四十九日を終えたらメソメソするのはやめよう。何度そう思い、何度無理だと思ったことだろう。

夕方4時過ぎ、ドアフォンが鳴った。出ると同じ階のお隣に住むUさんで、お花と果物をお持ちいただいた。玄関先では失礼なので、散らかっている部屋に上がっていただいた。過度な干渉をし合わない抑制のきいたご近所付き合いをさせていただいていたので、上がっていただくのは初めてのことだった。
ほんの短い間、線香を上げていただいただけなのに、また涙が出た。帰り際、ユキが出て来てやはり猫好きなUさんにお愛想をしてくれた。
ユキは俺の姿が見えないと必ず探しに来る。探してもいないと鳴く。狂ったような大音声で鳴くのでうるさくなかったですか、と聞くが、Uさんは聞こえなかったと言って下さる。本当は聞こえたのかも知れないが、そうですか、と答えておいた。

日記をつけ終わると4時半になった。
外はすっかり雨も上がっていて、曇り空だが明るい。ユキはとにかく片時も俺の側を離れず、こうしてパソコンに向かっていると傍に積んだ箱の上で丸くなり、時折目を覚ましては確認するように一声だけ鳴く。シマは二階で寝てばかりいるが、時々寂しくなると降りてきて甘える。
猫たちも、もう三津子が二度とこの家に戻ってくることがないことを、知っている。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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