--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-07-01(Wed)

君がいる

7月1日(水)
今朝は何度か目が醒めたものの、8時前には起きた。
今日は薄曇りで、雨はない。梅雨入りしてから京都は昨日一日ようやく梅雨らしくはなったが、ほとんど雨がないという印象だ。
朝のもろもろを済ませて、三津子の写真に手を合わせて祈る。四十九日が終わってしばらく放心状態が続いた。最近になってようやく作品の整理を再開し、彼女の作品リストを作り始めた。
ほんの一歩だけど俺がやるべきことに踏み出せたという、何となく安堵感がある。

俺のやるべきことは決まっており、それに向かって一歩一歩進んでいくしかない。
「やまだ紫」の作品、業績を後に遺し伝えて行くこと。そのために作品の整理やリストを整備したい。個人的なことでいえば、出来るだけ「三津子」という個人と俺のことも、遺しておきたい。これはたくさんの人にでなくてもいい。俺たちが生きた証を、何らかの形で覚えていて欲しい。このブログがずっと残るように、お金を入れておきたい。そういうことも生きるモチベーションになる。

朝のうち8時過ぎにコンビニへ出かけて、電話代を払ってからサンドイッチやおにぎり、などを買った。
それからマンションへすぐ戻るが、新聞がない。
あ、今日から7月なんだ…と思った。
三津子が亡くなってから、あまりに多い手続きやその他のことに追われて、ここも引越さなきゃならない、新聞ももういらないと思って断ったんだ。けれどやはり一人の生活が続くと、新聞を読むというのも話し相手のいない生活では句読点になってはいたので、どうしようか…と悩む。
その後サンドイッチとボトルのコーヒー牛乳で朝食を済ませ、一休みしてヤンキース対シアトルの試合。

7月1日その後11時過ぎに宅急便が来て、一週間ほど前に頼んでおいたリング型のメモリアルペンダントが届いた。
さっそく開けて、2つそれぞれに小ダンスの引き出しにしまってあった三津子の遺骨を入れた。リング型なので遺骨がなかなか奥へスムースに入ってくれず難儀したが、何とか入れられた。2個目はコツが解ったので簡単に入った。そうして接着剤を垂らしてからネジを固く締めた。
今週末京都に来るゆうちゃんとももちゃんに渡すための銀製のリングで、首から下げても、お守りのようにしてもいい。「MAMA 09.5.5」と刻印も入れて貰った。
テーブルにほんの少しこぼれた骨の粉は、指先につけて俺がなめた。

今日は仕事のデータがなかなか来ないので、パソコンに向かい、またデジカメの写真をずっと日を追って見ていた。
俺たちは一緒に暮らすようになって四半世紀近く経つのに、彼女が「山田三津子」から「白取」になってからは、まだ十年経っていない。
一緒に暮らし始めた当初は子供たちがまだ小中学生だったので、離婚前の姓から山田に戻したあと、三つ目の姓を名乗らせるのは可哀想だと思った。それと、彼女は「なぜ結婚のたびに女が姓を変えるということが決まり事のようになっているのか」とよく言っていた。夫婦別姓論者というほど強くはなく、イデオロギー的にどうこうというものではなかった。ただ、素朴に「なぜ」と思っていた。
なので俺たちは未入籍のまま「事実婚」を続けることにした。今のように「事実婚」というコトバはなかったかも知れない。とにかく内縁のまま、二人が仲良く暮らしていればいいのだと思っていた。
けれど彼女が病気をして、生き死にの話を二人するようになり、内縁のままだと後の人たちに迷惑がかかると話した。もう、子供たちも独立したし…と、彼女は「白取三津子」になってくれた。
写真をずっと見ていくと、三津子はここ十年ほど吐血や腎臓などで入退院を繰り返しており、その度に顔がゲッソリと痩せていくのが解る。どんな大病院へ行こうが、どんな最新設備でくまなく調べて貰おうが、結論はいつも「原因不明」だった。
彼女はもう「更年期障害としか思えないね」と言っていた。

「山田三津子」に比べ、「白取三津子」は病気、病気…の印象ばかりだ。そう思うと本当に申し訳なく、可哀想に思えてならない。
すまん、俺と一緒になったばっかりに…。
あなたに苦労ばっかりさせてたんじゃないかな、俺は。
それで幸せだった、と言えるのかな…。

そんなことをまた考えてうなだれていたら、突然電話が鳴った。
長野の三津子の旧友のS子さんからだった。納骨も終えたと思うので、お墓にお参りして線香でも…と思ったそうだ。しかし東京の多磨霊園の山田の墓に入れたことをお伝えし、彼女も生前「あんな暗い石の下にわたしは居ないよ」と言っていたので、写真に手を合わせていただければ、と話す。S子さんも「そうですよね、そうします」と言ってくださる。
S子さんは三津子が亡くなってからの5月16日、電話してきて下さって、
「白取さんと一緒になって良かったと思いますよ。前からいろいろ聞いてましたから」
と言ってくださった人だ。
今日、たった今写真を見ながら三津子のことを幸せだったのか、俺と一緒になって良かったのか…と悩んでいた。
そうすると、こういうことが起きる。

三津子、ありがとう。これが君の答えなんだね。
もう何度も何度も、君はこうして「私はちかおと一緒になれて、幸せだったよ」というメッセージをくれているのに、俺ときたら、毎度毎度同じ問いかけをして、メソメソしてばかりいる。
君が死んだあと、あまり俺のまわりで気配がしない、きっとばーちゃんの方だろうと思ったりもしたけど、君はどこにいるとか、誰のところにいるとか、もうそういう存在じゃないんだね、きっと。
だから君は俺にいつでもメッセージを送ることが出来るし、つまり、俺の側にも居るし、ばーちゃんやねーちゃん、子供たち
の傍にも居るんだね。

君もまた「遍在である」存在になった…ということなんだ。

いつもいつも君は俺にこうして色々なことを教えてくれる。人として高いステージへ行けるよう導こうとしてくれる。
あとは俺がそれに応えられるかどうか、そういう人間になれるかどうかなんだろう。
本当に、世の中にはどうしようもなく愚劣な人間っているんだよね。君ともよく話していたように、お世話になっておきながら、「そのこと自体を無かったこと」にしようとする奴。
嘘やデマで人を陥れ、傷つけてまで自分たちの利益を優先しようとする奴。

人が死病にかかり、夫婦ふたりで病身を寄せ合い助け合って生きていることを、「早くくたばれ」と嗤う連中。酒を飲みながら下品なジョークで俺たちを貶めている。

現実に、そういう人間が、この世の中に、存在している。

君はいつも、「そういう人には必ず裁きが下る」と言っていたね。君は正しく生きたし、何より自分に対して恥ずかしいことや、天に唾するような行為を最も嫌い、実践してきた。
だから君はいま、必ず幸せだという確信があるよ。
あなたは、今、ほんとうに幸福の光に包まれて、ある。そう心から思う。
ばーちゃんが納骨のあと、皆の前に備えられた遺影を見て何度も、
「この子は今が一番、幸せなんだから…」って言ってたよね。
子供時代にどうだったとか、俺と一緒になってどうだったとか、そういうことはもうどうでもいい話なんだ。今のあなたは、病気の苦しみや痛みや、あらゆる苦痛や困難から解放されて、慈愛に満ちた笑顔で俺たちをいつでも見守ってくれている。そう、心から思う。
思うことによって、俺も救われるんだ。
そう思っても、やはり涙が出る。
でもこれは君を失った「悲しみ」よりも、もっと違う種類の涙のような気がする。自分でもよく解らないけど、何かとても暖かくて、優しい君の笑顔が頭に浮かぶ。心から、魂の深い奥の奥から、君に感謝している、そのための涙なんだ。
俺と一緒に暮らしてくれてありがとう、三津子。
俺を愛してくれてありがとう。
そして、やまだ紫先生、たくさんの作品で俺たちを癒し、感動を与えてくれてありがとうございます。
個人として、作家として、両方のあなたに出会えたことと、愛せたことへの感謝を、ずっとずっと忘れない。

頑張って、君の業績を、素晴らしい作品を後に伝えよう。そのための仕事がたくさん待っているから、俺も頑張るよ。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

蓮根より

はじめまして。
昨夜眠れず、ネットでなぜか歎異抄が知りたくなり検索していたら映画経由でこちらに来させていただきました。
当方、白取さんご夫妻の歩いた道を今現在毎日通らせていただいてます。
あの店もあの神社もあのスーパーも奥様と歩まれたんだなあと胸にこみ上げるものがあり、結局眠れず一気にほぼすべて読ませていただきました。
何も言えませんが、人を愛することを本当に教えていただきました。これも何かの啓示かと思います。
ありがとうございました。
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。