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2009-07-05(Sun)

鴨川散策

7月5日(日)

今朝は5時頃にユキが鳴いて足の間に上がってきて起こされ、それからはずっと寝られず。朦朧としたまま8時ころ起きる。
今日は天気予報では雨のはずで、夕べの月もそんな感じだったが、薄曇りで雨は降っていない。
今日は三津子の月命日だ。いつものように水とお茶を取り替え、線香を上げて手を合わせる。
朝はレトルトの野菜スープを温めて食べた。BSでMLBを眺めていると、9時ころゆうちゃんからメールが来て、ホテルの下にあるパン屋で朝食を買って食べるとのこと。それから二人とも10時前にはチェックアウトして、マンションへ来る。

昨日話していたハンディカムのビデオをテレビにつないで、2001年、まだ三津子が手術前で元気だった頃の影像を見た。猫を連れて二人で近くの公園へ出かけた影像。彼女は元気で、俺が買って来たハンバーグ弁当を食べたり、猫たちがビビってバッグから出ないのを見て笑ったりしている。
そういえば、やっぱりいつだって俺たちはこうして笑っていたよ。辛いことも苦しいこともいっぱいあった、とてもひと言では語れないような、色々な山坂があった。でも、概ね、笑顔で乗り越えてきたよね。辛い記憶は忘れて、良かったことをこれからは思い出して、心に残して行こう…。

11時ころに、二人に「ぼちぼち、何かおみやげ買うとかあるだろうから出ようか」と話し、出かけることにする。外は曇り空ながら、雨はない。
三津子が倒れてから、いつもいつも節目には涙雨が降った。
彼女が天から涙を降らせているとしか思えぬ符合ばかりだった。そして先だっての四十九日の法要の日、朝からざあざあと降っていた雨が、納骨の時には嘘のように上がった。
そして、二人が来る昨日・今日も、京都の予報はずっと「雨」だったのに、昨日は降らず、昨日の時点で雨の予報だった今日も降らない。
彼女はもう、泣いてはいないんだ。再び強くそう思った。

北大路を渡ってタクシーを停めて、二人を後ろに座らせて助手席に乗り、河原町三条へ向かって貰う。道々ルートを考えて思い直し、寺町御池で下ろして貰った。
言うまでもなく夫婦で何度も何度も歩いたアーケード街を、御池から寺町三条方面へゆっくり抜ける。途中二人がきっと何かしら気に入るものがあると思った鳩居堂に寄るが、日曜は定休だった。そのまま寺町京極を四条手前まで歩いて、錦小路へ入る。
両側に並ぶ店を見ながらゆっくり歩き、二人が家に乾物を買ったり、俺は自分の夕飯に豆ご飯と肉じゃがを買った。
錦は観光で来るたび、ここにあるものを持って帰って食べられたら…と何度も思ったものだが、今それが出来る嬉しさと、共に味わう人の居ない寂しさが交錯する。
二人に帰りの新幹線で食べればと、わらび餅を持たせる。それからちりめん細工の店へ入り、二人のおみやげ選びに付き合ったり。
錦を抜ける頃にはもう昼近くなって、すっかりあたりの店からいい匂いが漂ってきている。
「どうする、何が食べたい? 中華、寿司、そば…」と言うと「そば、いいね」と言う。「いいところがあるんだけど、ちょっと遠いんだよね」と俺が言うと「いいよ、せっかくだから行こうよ」と言ってくれたので、高倉を北へ方向を変えた。
その頃には雨どころか気温がぐんぐん上がり、暑いほどになった。六角から麩屋町へ出て、御池を超えて押小路の「宇一朗」へ向かう。
店を覗くと日曜のせいか、客は一人だけだった。いつも夫婦二人だったので、座ったことのない4人掛けに3人で座った。町屋を改造した雰囲気のいい蕎麦屋に、二人とも携帯で写真撮りまくり。
ももちゃんは「へぎそば」のせいろ、ゆうちゃんはふつうのせいろ。俺はいつものように鴨汁せいろにする。暑い日なのだが、ここの鴨汁のうまさには換えられない。
そばもつゆも美味で、皆満足。デザートにぜひ食べろと言ってオーダーした、蕎麦粉ゼリーに黒豆きなこアイス乗せが絶品のうまさ。俺はゆうちゃんのをちょっとだけ貰ったが、こっちはいつでも食べられる。二人とも満足してくれたようで、良かった。

それから寺町の小物屋をちょっと覗いたりしてから、「鴨川にでも出て歩こうか、でも疲れてるかな」と聞くと、二人とも「いいよ、子供がいつも居るから逆に一人だと楽だよ」と言うので、市役所前を通って御池大橋から鴨川へ降りる。
そこから鴨川の東岸をゆっくり、四条までそぞろ歩いた。白鷺が小魚を狙って水面をじっと見ていたり、鴨がゆっくり泳いでいる。川鵜のような鳥が川の中央で羽根を広げてゆっくりゆすりながら屹立しているのがおかしい。上空にはトンビが舞い、鴨川の西岸はずらりと川床が並んでいる。
曇ってはいるが、日射しがその上から強く注いでいるのが解り、かなり暑くなってきた。三津子、晴れてくれたのはいいけど、さすがにこれはちょっと暑いよ…。
それでもゆっくり散歩をしたあと、四条大橋の手前で川端へ上がって橋を渡り、河原町へ抜ける手前で、タクシーに二人を乗せて、別れた。
二人とも手を振って、京都駅へ向かった。
二人が来てくれて、昨日はいい夜になった。三津子も家族四人が久しぶりに揃って、いい月命日の供養にもなったと思う。今後のこともちゃんと相談できた。
後は任せてくれ、俺がしっかりママの作品を遺す仕事をきっちりとやる。その他のものは要らない。俺が死んだ後のことも、考えてちゃんとする。二人とも、ありがとう。
そう思いながら車を見送った。

それから高島屋のタクシー乗り場で車に乗り、マンションまで戻ると2時過ぎだった。二人はこれから新幹線でそれぞれの家庭へ戻っていく。二人とも遠くまで来てくれてありがとうと思った。そう、メールでも伝える。

5時をまわっても、今日は一滴も雨が降らなかった。
三津子はもう泣いていない。俺だけが彼女を思ってメソメソしているのはおかしいと思う、京都に来て良かった、幸せだったと、子供たちも誰もが言ってくれる。
それでも笑顔の彼女の写真を見ると、寂しさと喪失感で時々ギュウウ、と胸が締め付けられ、気が付くと涙が出ている。
仕方がない、これはもうしょうがないことだ、明青のおかあさんが言ってくれたように、最愛の人を失って辛い、悲しい、どうしようもなく淋しい、だから涙が出ても仕方が無い。
泣きたい時は泣いて、あとは彼女のための仕事をしよう。そのために生きよう。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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