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2009-07-06(Mon)

「尻豆」

7月6日(月)

今朝はまた5時代に目が醒め、それからが眠れず悶々とする。今朝はユキのせいではなく、単に目が醒めてしまっただけで、どうにも眠りが浅くてしんどい。うつらうつらとはするが結局それからほとんど眠れずに、7時過ぎには起きてしまった。
外は雨が梅雨らしくシトシト降っていた。子供たちが来てくれた土日は本当によく天気が持ってくれたなあ…と、煙る比叡山の山頂に手を合わせた。
朝のいろいろを終えたが食欲があまりなく、ウーロン茶で尿酸値を下げる薬だけを飲んだ。

それから、今日は午後から手続きのことで行政書士さんに会うことになっていたので、そのための経過説明などの文書を書いて打ち出したり、必要書類なども揃える。準備が終わったら9時を過ぎており、いつの間にか外は雨が上がって日が射していた。

その後昨日子供たちと出かけている間に不在で戻っていた、お袋からの荷物が届く。カール・レイモンのハム、ソーセージ詰め合わせと、五勝手屋羊羹。これは明青さんに間に合うはずだったが、一足遅かった。
五勝手屋羊羹は、前に三津子が甘い物をそれこそ「病的に」欲していた頃、大好きで食べていたものだ。函館の老舗の羊羹で、筒状の入れ物に入っていて、フタを取って下からグイと押し出し、糸で輪切りにして食べる。北海道産の小豆の濃厚な甘さがたまらん逸品だ。

なので夕べ明青さんにメールで、帰り寄れたら寄って下さいと打ったが、片付けとかでいつになるか解らないから、という。なのでじゃあ今日俺が出かける用事があるので、その行きがけに届けますということにした。
よく考えれば、こちらから「お渡ししたいものがある」と言いつつ「取りに来い」とは失礼だ。なので、行政書士さんのところは13時なので、12時過ぎに顔を出すことにする。早起きしたせいか、もうずいぶん働いた気がしたが、まだ9時半だった。

その後昼過ぎに支度をして玄関を出ようとしたら、ユキが俺の外出の気配に気付いて起きてきた。玄関で「すぐ帰ってくるから泣くんじゃないよ」と撫でて出るが、きっとまたどこかで尻尾を加えてくるくる回りながら鳴くんだろうな、と思いつつエレベータで下へ降りる。
ほぼ時間通りに来たバスでまず明青さんへ行き、おかあさんに、五勝手屋羊羹を渡して、こないだの御礼を言う。おかあさんは美味しいトマトを持たせてくれようとしたので「これから行政書士のところへ行くので、帰りに寄りますよ」と言うと、お昼が終わったらいったん閉めてるかも知れないというので、じゃあ夕方自転車で来ます、ということにして、ご主人にも挨拶して降りる。

雨はもうすっかり上がって、日射しが強まってきた。
俺が何か三津子のことで動くたびに涙雨に濡れたものだ。それらはほとんどが、悲しいことばっかりだった。愛する彼女が倒れ、もう戻らないと解ってからの、辛さ、悲しさ、絶望、慟哭…ありとあらゆる辛苦が自分に襲いかかってきた。それでもやらねばならない事があり、その状態で雨に打たれるのは、本当に辛かった。こう書いても、誰にもその痛みは伝わらないだろうと思うほどに。
けれど四十九日の納骨が終わってからは、こうして逆に雨の予報だった日であっても、晴れてくれる。まだ梅雨は開けていない、単に「それは季節の問題だよ」と済ませられる気持ちを、俺は持ち合わせていない。

明青さんから出るとすぐにタクシーが通りかかったので、行政書士事務所へ向かう。アポは1時からで少し早かったが、対応してくれる。朝打ち出しておいた詳細を読んでいただき、相談して、いろいろと面倒な手続きを委任状を書いてお任せすることにした。帰り際、「いろいろとね、奥さん亡くなられた後は大変だったでしょう」と言われて、ちょっと泣きそうになったが、何とか持ちこたえた。

外に出ると日射しが強くまぶしいほど。気持ちも少し楽になった。このあたりは御所の南、「町屋風」家屋もそこかしこに残っている。もっとも、昔から住んでいる人にとっては「ずいぶん少のうなりましたわ」ということらしいが。
丸太町に出るまで竹屋町を東へちょっと歩くと、八百屋があった。通りがてら何気なく見たら「空豆」があった。このところずっと、スーパーへ行くたびに探していたが、どこにも売っていないのが不思議だった。へたごとの空豆の束が、一つ350円。これを剥いて、中の豆を塩ゆでして食べるのが、二人とも大好物だった。
「三津子、空豆あったよ。今日の夜食べようか」と心で思いつつ、八百屋のおっちゃんにお金を渡して受け取る。その緑の薄い袋を書類カバンにひっかけてぶらぶら歩きながら、河原町まで出て4番のバスで出町の升形商店街へ。
ここは大福で有名な「出町ふたば」が手前にあるが、西へ入る商店街もなかなか庶民的でいい感じだ。以前、三津子と夕方買い物ではなく、飲み屋を探してぶらぶらしたことがある。
入ってすぐの個人営業のスーパーへ入り、今日の夕飯を物色。アジフライと刺身、野菜類を買う。安かった。その隣の総菜屋が作っている弁当を昼飯に買い、タクシーで帰宅。
もう一人になってからはたまにしか外出しないので、こういう機会にちょっとでも違ったもの、野菜などを食べるように気をつけている。

家に着くと、ユキは大人しく俺の仕事机の脇にある箱の上で丸くなって寝ていて、本なども落とした形跡がない。けれど尻尾の真ん中が黄色くなっていて、押し入れの戸が10cmくらい開いていたから、今日は押し入れの中でクルクル回ったらしい。
その後、夕飯に升形で買った弁当を食べた。総菜屋さんが作っただけあって、なかなか白飯にあうおかずがうまい。うーんここが近くだったらもっといいのにな、と思いつつ完食。外は暑くて汗をかいたし、喉も渇いていたので、食べる前後に大量にウーロン茶を飲む。

一息ついてから、こないだ二人の娘と話した、三津子の形見の服をどれか送ろうと思い、こないだ猫の砂とシーツが届いた空き箱を二つ用意。
そうして衣装部屋のハンガーから三津子のオーバーオールを二つ外した。ぷん、と三津子の匂いがした。
思わず抱きしめると思いがけず涙が出てきて、結果オイオイと声をあげて泣いてしまった。
春ものの赤いのと夏用の薄いデニム生地のオーバーオール。一緒に買い物に行く時はトートバッグに使っていた信三郎帆布のピンクのカバン。俺が彼女の誕生日にプレゼントしたアニエス・ベーのオレンジのバッグ。それらを持って、嗚咽しながらリビングへ戻る。
ときどき、どうしてもこのような「情動失禁」みたいなことになるが、自覚しているのだからいいじゃないか、そう思うことにしている。

それから気を取り直して、明青さんがお店を開ける前にトマトをいただきに伺おう…と思っていたら、どうも下腹が痛い。
どうやら弁当の時にウーロン茶を飲み過ぎて下痢をしたようで、トイレへ行っても治らず、何度か行き来するような形。ゲッソリ疲れる。とても自転車など漕げず、おかあさんに申し訳ないですとメール。
下痢は何とか7時過ぎにはおさまったものの、消耗してダメ。下痢の時は逆に水分を摂った方がいいのだが、「そのまま」出そうで怖い。尾籠な話で申し訳ないです。

その間に何とかバッグを箱詰めをして、ゆうちゃんに送る荷物は宅急便の集荷に間に合ったが、集荷が思いがけず早く、ももちゃんの分が間に合わなかった。二人には今日の司法書士さんの件を報告するので「時間がある時に電話して」とメールしておく。
夕方ももちゃんから電話があったので、今日のことを報告した。
ゆうちゃんは少し遅く7時ころだったか、よく覚えていない。とにかく今日のことを話した後、少し原稿の話もした。
ゆうちゃんは出来れば預かりたいけど、管理が心配だという。場所的には、俺が整理をしている感じだと、漫画原稿そのものは段ボール箱で4,5個という感じ。とりあえず俺が死ぬまでは三津子の遺品同様俺がきちんと守り、死んだ後のことも考えていろいろと準備しておこう、と思った。

その後、夜は昼間八百屋で買った空豆を茹でた。空豆を剥いていると、またちょっとだけ涙が出た。団地の頃、三津子が晩ご飯の支度をしていた時、よくみんなで手伝いをさせられたっけ。ボウルいっぱいの空豆のことを、我が家ではぷりっとしたお尻のような形をしているから、「尻豆」と言ったりしていた。
厚い皮を「パリッ」と開くと、ふかふかのビロードのベッドにキチンと寝ているような豆が数個出て来て、それらを取り出して「爪」を取らされた。
その後塩ゆでされたほっかほかの空豆を、皆でぱくぱく食ったっけなあ…。懐かしさと、それから現実の孤独感からくる寂しさで、涙が出たのだと思う。
今日は「お尻の割れ目」に包丁を入れてから塩ゆでをするのだが、包丁が浅かったようで、塩味は今一つだった。そういう時は茹でたてにパラッと塩を振れば良かったのだが、忘れたのでそのまま食べた。それでも旬のものはやっぱり、おいしい。
三津子の陰膳にお酒とお茶を入れ換え、温泉玉子を置き、皿に空豆と、升形商店街で買った刺身を薄く切って置いた。
こっちは下痢ぎみだったのでビールはやめとこうと思ったが、止瀉薬を飲んで止まったので、やっぱり乾杯をした。

それから録画してあった「タモリ倶楽部」を久々に見て、「空耳アワー」を立て続けに見て、思い切り笑った。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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