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2009-07-10(Fri)

「演技」と「役者」について雑感

7月10日(金)

夕べは日中膝がきつくて疲れたせいか、9時過ぎには寝室へ上がり、テレビをつけているうちに寝てしまった。気が付いたら1時で、テレビを消して寝直す。あまりに早すぎたせいか、次は4時前に目が醒め、下へ降りてペットボトルのミルクコーヒーの残りを飲み、トイレへ行きベッドへ戻る。
その後の眠りは浅く、結局8時過ぎに起きた時は朦朧としていた。睡眠時間は長く取れた気もするのに、睡眠は「質」だとよくいうが、その通りだと実感。
今日は曇りで、比叡山の山頂はガスっているが合掌する。
下へ降りて、いつものように朝の一連のことを済ませる。それからテレビをつけるが、見るものが、いや見たいという気持ちになるものが何もないので、9時半過ぎに着替えて外に出る。
しとしと雨が降っていたのでいったん傘を取ってから下へ下り、I内科へ行く。
診察券を出すとすぐに診察室へ呼ばれ、レンドルミンが切れたので処方していただく。もうレンドルミン2錠だとあまり効かないみたいでと相談。結局やはり追加で何か出すとか、強くするというのはやめて、様子を見ましょうということに。こちらもこの上に何か強い薬剤を、といのは怖い。
それから今月末に京大の診察日なので、かかりつけの内科で採血も出来ると伝えて、それでさらに間隔が空けばそれでいいし、何か変化があったら京大へ行けばいいということにしていただく。

診察室を出て、血圧と体重を測ってもらう。
俺は普段から血圧は低く、そのかわり(?)脈拍は異常に高い。
この日もやはり血圧は110-80と低く、その代わり脈拍が早い。
「いつも普通に100とか90台なんですよ」と言うと看護婦さんもビックリしていた。脈をとって「本当ですねえ、今ドキドキするとかそういうのじゃなくて?」というので「家で安静にしてても90とか普通なんですよ」と言うと「不整脈とかはないですか?」と言うのでそれはないですと答えた。

何かの本で読んだが、生き物の心臓の鼓動の数は大体決まっていて、象のようにゆっくりと鼓動する生き物は長寿で、ネズミのように早死にする生き物はチマチマセコセコ動き鼓動も早い。
俺も大人の男としては1.5倍速くらいだから、それほど長くは生きられないのかな、とフと思った。
ずっと昔、元気だった頃はせいぜい60台だった脈拍が、白血病になって以降は安静時でも90台。ベッドに寝ているだけなのに100ということもあった。三津子に言うと心配するから黙っていたこともあったが、心臓がバクバクと走った後のようになることもあった。不整脈というのではなく、動悸というやつだ。
まあ彼女との年齢差を俺が急いで埋めていて、きっと同じ頃に一緒に死ねるだろう…と思っていたのだが。
薬を隣の薬局で貰って、そのまままっすぐ家に戻る。それからしばらくして小岩井のボトルコーヒー(うまいが自分の場合糖分と下痢に注意)と、昨日買っておいたサンドイッチを食べた。それからはずっと仕事。

その後一休みでテレビを見る。BSのMLB中継、テキサス対シアトル、ヘルナンデス9勝目。好投が報われた。
それにしてもメジャーリーグは、球場に来るお客さんがいかに野球を愛し真剣に試合を見ているか、楽しんでいるかが良く解る。決してプレイ中は余計な鳴り物での応援はしない(一部、アスレチックスの太鼓などはあるが)し、インプレイになると球場のオルガンや音楽がピタリと止まる。自然に、客の耳目がフィールドに集中する。
中継を見ていると、家族連れも多いが、女性だけというファンもとても多い。7thイニングストレッチなんかは全員で「Take me out to the ballgame」を合掌。そういう球場に来ているファンの様子を見たいのに、MLB中継はイニングの合間に「それでは今日のここまでのハイライトを」とか「今日のイチローの打席を振り返りましょう」とか、余計なことをする。試合が終わった後ならともかく、たった今見ていたばかりの試合中のリプレイを何度も何度も見せてどうする、と思う。
それより球場のファンを映すとか、グラウンド整備の様子を映すなりしてくれる方が、よほどサービスだろうと思うのだが。MLBはもちろん開幕戦を日本人選手(とマーケティング)のために日本で開催するような例外を除いて、アメリカへ行かなければ公式戦が見られない。日本にいながら、せめて球場でとは言わぬが一体感のある中継をしてくれるのが親切と、なぜ思わないんだろう。
日本人が出て活躍するのはそれは同じ日本人として嬉しいけれど、それ以前に野球というゲームが好きで見ている人のための放送スタイルに気付いて欲しい。
でないと、「野球観戦が好き」というファンが育たず、単に「日本人が出ているから見る」という人が増え、結果日本人がいなくなれば誰も見なくなる…ということぐらい、予想できないだろうか。

テレビは見るものがないからと、消していると淋しい。
夫婦二人の時でさえ、三津子は一日中起きてから寝る直前までテレビをつけていた。俺が一人でいる時は逆に消すことが多かったが、今、彼女が逝ってしまって本当に「一人」になると、何かしら音が出たり画面が動いていないとほんとうに寂しい。

午前中はたいていBSを流している。世界のニュースを順繰りに流してたりするし、メジャーリーグ中継があればずっとそれをつけている。仕事の合間に一休みの時、それを眺めたりする。
問題は午後、MLBが終わってニュースも一段落した後だ。特に民放地上派がワイドショーを流すあたりからは、もう決定的に見るものがなくなる。民放のBSはたいてい通販番組か、なぜか「韓流ドラマ」が異常に多い。
ドラマの再放送なら、日本の、それも自前で持ってる昔のドラマの再放送でも流せばいいだろうに、わざわざライセンスを支払ってまで、なぜ隣国のドラマを持ってくるのか、しかも各局揃って…というのが理解に苦しむ。
なので本当に見るものがない。

仕方が無いので黒沢の映画や小津の映画はさすがにもう何度も見たものばかりなので、数年前に撮り溜めたDVDを漁る。「日本映画専門チャンネル」で成瀬巳喜男生誕百年のとき、全作品を放送したのを出来る限り撮り溜めたDVDがあって、それを見直したりする。

関係ないが、「痛いニュース(痛いニュースノ∀デーブ・スペクター 「日本のドラマは末期。俳優が『自分は演技が下手』という自覚が無いから恐ろしい」)」のねらー諸氏の誰かが「森光子に賞(国民栄誉賞)をやるなら高峰秀子にやれ」というようなことを書きこんでいたが、なるほどと思う。今の役者とも呼べない連中の、演技とも呼べない学芸会もどきと比較するつもりは毛頭ないし、比較することすら失礼だと思うが、本当に高峰秀子の演技は素晴らしいと思う。
『馬』や『秀子の車掌さん』など少女時代の溌剌としたものから、『放浪記』で見せるあの感じまで、本当に幅広く、本物の女優というのはああいう人のことを言うのだな、と。
原節子もいいが、戦前の『望楼の決死隊』という貴重なものからほとんどの作品を見て思うのは、いいけれども、原節子は「演技派」というより、笠智衆のように「存在感」の人だと思う。またあの美貌から、任される役柄もどちらかというと決まったものが多く、そのことが彼女自体の演技の幅も狭いという誤解を受けているのではと思えるほどだ。
高峰秀子の場合は本当に役柄も幅広く、そしてその分演技も実に広く、深い。凄いなこの人、と見るたびに思う。何十本も見ると、その分だけ伝わってくる「女優の凄み」が増すと思う。
『放浪記』といえば今では森光子の「でんぐり返し」だが、戦前の夏川静江・藤原釜足のものも録画してあるし、何度か見た。戦後の角梨枝子・岡田英次のものは見たかも知れないが、あまり印象にない。
森光子の舞台は見ていない。
ちなみに森光子の舞台の初演は、高峰秀子の映画版「放浪記」より1年早い。何かのインタビューだか記事だかで、無名当時の森光子の口癖は「あいつよりうまいのになぜ売れない」というようなことだったと思うが、その「あいつ」とは誰だったのだろう。高峰秀子に対してではなかったと思いたいが。
そういえば「痛いニュース」では書き込んでいる年代が違うのだろうか、「舞台から来た俳優は基礎が出来ているからうまい」のに、総じて「アイドルや芸人など演技のプロでもないタレントを使う」からダメなのだ、という論調が多い。
でも我々、というか三津子ともよく映画を見ながら話していたものだが、俺たちの認識としては
「舞台俳優がそのまま映画やドラマに出ると、見られたものではない」
というのが共通のものだった。舞台役者は当たり前だが声を張る。所作が大きくなる。総じて演技がオーバーになるというわけだが、それは「舞台上で見せなければならない演技」だから、舞台では仕方がない。というより当たり前のことだ。
クレバーな役者は舞台では舞台用の、映画やドラマではそれ用の演技が出来るだろうが、舞台俳優だからドラマの演技もうまいとは限らない。演技って、演技だと思った瞬間に見ている側は冷める、いや醒める(教祖誕生)。
もちろん最初から「つくりごと」だと了解して映画なり舞台なりテレビドラマなりを見始めるわけだが、演技のうまい役者がいい脚本とスタッフに恵まれると、いつしかその「世界」へ入り込むことが出来る、誰でもそういう経験はあるだろう。漫画だってそうだろう。夢中になって見る、「引き込まれる」というのはそういうことだ。
せっかく誰かがいい演技をして没入しかかったところに、台詞棒読みの大根が出て来て失笑したり、考証が間違っていて吹き出したり(着物の着方や箸の持ち方などは言うまでもなく、時代劇でも現代劇でも「考証」は重要だ)、そういう経験も誰でもあると思う。
後者の「あ〜あ、ダメだこりゃ」がいつから多くなったのか定かではないけれども、俺たちは、もう20年以上大河も含めてテレビドラマをほとんど見なくなった。
バブル期のひどいドラマをチラと見たのだったか、映されている部屋や暮らしぶりを見て、このドラマの登場人物は全員が年収数億の富豪なのかと思ったら、ただのサラリーマンだったりした。「考証」が出来ないから、ああなる。
最近でも嫌でも見せられる「番宣」とやらで時折見ると、アイドル歌手が学芸会よりもひどい口調で台詞を喋っていた。リハかと思ったらそれが本番らしいと知って驚いた。
こういう経験も、一定の年代の人なら、いや一定のリテラシーがある人なら(というか少なくとも意識的に見ているなら)誰でも持っていると思う。
今の若い人たち、たぶんイケメンたちがあり得ない設定でわめいたり怒鳴ったり意味無く殴り合ったりしているのを当たり前に見ていられるのは、たぶん、そういう「設定」を楽しんで、その上でイケメンを目をハートにして愛でているのだろう。
だから動物園に動物を見に行って、「動物好き」だと思っているのにも似ている。(本当の「動物好き」なら、動物があそこでいかにストレスに耐えているかと思って同情するだろう。)
「そういう設定」を理解した上で「好きな人だけ見ればいいじゃん」なので、別に何にも文句はない。言う筋合いもない。
では違うものを…と思うが、ワイドショー以外はそういうつまらん和製ドラマか韓流ドラマと通販もの…というでは、この先これでいいのかと余計な心配をしてしまう。

先日はもう10回以上になるかと思うが、また小津の『お茶漬けの味』を見た、と書いた。佐分利信というと「強面」という晩年の印象に比べて、あの映画での演技はさすが役者というものだ。
小津は独特のカメラワークがあるのと(役者の会話を正面からそれぞれ個別に撮ってカットバックさせるとか)、キッチリとした「演技指導」(それも自分の思った通りにやらせる)で、ヘタするとちゃんとした役者でも大根に見えたりするものだが、他の役者の「セリフ言ってます」的な中で、自然体を貫いていた。もし小津がそれを計算し、他の役者を皆ああいう形で「喋らせて」、佐分利信を意図的に浮き上がらせたのだとしたら、もの凄いことだなあ、と思ったりした。いや、小津の研究家が聞いたら噴飯ものかも知れないが。

そんなことをつらつら思っていたら、もう夕方4時半。外は雲の合間から明るい日が射してきた。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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