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2009-07-12(Sun)

変名によるSF少女漫画作品を発見

7月12日(日)

昨日は一日下痢ぎみと腹が張り気味で往生した。寝たのは12時ころだったか。
今朝は6時過ぎまで寝られた。そこから何度かまた薄く寝て、起きたのは8時前。すっかり年寄りのような早寝早起きになってしまった。日中はやることがあるからいいが、夜はやっぱり一人だと辛い。いまだに、居るべき場所に居るべき人が居てくれないことが寂しい。だから早く寝るに限る。

今日はうす曇り。寝室から見ると比叡山の山頂はうっすらと曇っていたがちゃんと見えた。思わず合掌。
トイレ洗顔、猫のご飯と水、それから三津子に冷たい水と氷入りのお茶、線香を立てて祈る。しおれた花を取り、花瓶の水を入れ換える。「すかしユリ」は長持ちだ。時間差でつぼみが次々に花を咲かせてくれるので、こちらも気持ちがいい。
朝は野菜スープと冷水で薬を飲む。その後MLBを見て一休みした後でパソコンへ向かう。昼に冷凍ご飯を温めてレトルトの中華丼をかけて食おう…という時に埼玉に住むゆうちゃんから電話。
このところブログの更新がないからどうしたかというのと、まあ身内の話。ゆうちゃんとの電話を切った後、平塚に住むももちゃんとも話した。

その後はこのところ原画・原稿整理と平行して行っている、三津子・やまだ紫の全作品リストにとりかかる。「COM」はほぼ終了し、「ガロ」は90年代まではほぼ終了しているが、逆に復刊以降の詳細なデータがないので逆に新しい方が困難。
リストは掲載雑誌と版元、年月号、作品タイトルとページ数などの他、掲載誌の何頁からどう掲載されたか、なども解る範囲で記載している。もちろん不明なものも多く、特に「ガロ」時代の「ガロ以外の作品」が極めて困難だ。
例えば過去の作品集でも、「初出一覧」で収録した何という作品が「どこから出た何という雑誌の何年何月号に掲載された」とキチンと記載されている場合はいいが、「初出一覧」とうたいながら全く初出が不明なものも多い。これは作った編集者の性格の問題だと思う。
「編集者は偏執狂でもある」というのが昔から俺の持論なのだが、別に冗談ではなく、その作家の本を作る場合はその作家に惚れこんで全てを知りたくなるし、全てを網羅したくなる。もちろん作品のよしあしを判断したりするから収録作品が決まるわけだけど、こういうリストなどの作成は、「記録魔」である自分にとってはやり甲斐のある作業ではある。
けれど最終的には「これで完璧」というものが出来ないこともまた、解っている。原稿や原画は散逸されたものも多いし、返却された原稿に「何という雑誌の何年何月号掲載」と記載されている方が稀だ。ヘタをすると単行本未収録作の中には、「何という雑誌にいつ頃掲載されたのか不明」というものもある。

そんなこんなで原稿の箱や袋を取り出してきて、開けては新たに封筒に詳細を記入して入れ直し、リストに掲載ということを繰り返すが、途中途中で必ずこういう「不明」点が多々出てきて、作業が止まる。
ネットという便利なものがあるから、今は相当助かってはいるが、それでもwikipediaなどの記載には、実は間違いも多い。引越を何度かするうち、俺たちは二人ともかなりの数の雑誌を捨てた。いや、捨てざるを得なかった。「ガロ」のバックナンバーはもちろん、その他の貴重な掲載誌や、学生時代に読んだものなどは、ほとんど失った。
やまだ紫の掲載誌はそれでも死守してあったと思い込んでいたが、いつの間にか「あったはずのもの」が無くなっている。ひょっとしたら99年の蓮根から舟渡への引っ越し(4tショートトラック一台が廃棄物で満タンになった)の際、もう嫌になって「いらない、いらない!」と半泣きで捨てたものの中にあったのかも知れない。けれどもう遅い。

また不明点が出て手が止まったので、二階の本棚から持って来た「コミックアゲイン」を元に作品リストを修正する。
これは俺が上京した頃に、自分で買ったものだ。「AGAIN」としてB5判だった頃の数冊とA5判になってからの創刊号から3〜4冊はあったはずだが、A5のものはなぜか2号しかない。こういうものがたくさんある。(それでも大友克洋のあの伝説の作品『危ない生徒会長』が収録された「AGAIN」休刊号はちゃんと持っている。)

持って来た「アゲイン」に、やまだ紫の「アイエル」が掲載されていた。三津子が十代から「COM」初期時代に描いたスケッチやラフ、イラストを集めて構成したものだ。それに自らが「過去の絵柄」について解説風のエッセイを付け加えたものが8P。
これがのちに河出パーソナルコミックス『空におちる』に掲載されたというわけだ。ちなみに河出版では「アゲイン」版にさらに自分へのツッコミのような文が追加されている。

『空におちる』といえば、ここに「COM」時代の「あれはわたしの」がリメイクされて載っている。「コミックセブンティーン」に掲載されたもので、もちろん、過去の自分の作品を自分でリメイクしているのだから全く問題はない。
双方を改めて読み返してみると、やはりテーマが「母子の愛」であることが解る。主人公のチヨ(千代子)は働いている母と離れて暮らしていた間に、すっかり「おばあちゃん子」になついてしまった。母親はそのことを引け目に思いつつ、しかし娘を愛する気持ちをうまく伝えられず、ぎくしゃくしている。
母親はある日、チヨの気を引こうと人形を買って帰ってくる。もちろんチヨは大喜びし、一緒に寝ると言って布団に入る。おばあちゃんが電気を消すと、チヨは思わず暗闇の中で、もらったばかりのお人形の顔を潰してしまう…。
チヨはすぐ泣きながらおばあちゃんを呼び、祖母はお湯に漬けたり空気を入れたりして何とか人形を救おうとするが、それを見て母親は「もういい!」といって人形を潰す。チヨが「おばあちゃん」ばかりを頼りにするのに嫉妬したのだ。
そのことで、祖母と母親がちょっとした言い合いになる、そしてそれを聞いていたチヨは「おかあさんをいじめないで!」…。
「COM」版では祖母が母親に本を投げつけ、母親は思わずざぶとんを祖母に投げ返す場面だ。
「セブンティーン」版では祖母がみかんを投げると、それが火鉢の上の薬缶にあたる。
「ざぶとん」には伏線があり、それは両バージョンに共通していて、チヨの心に開いた穴を埋めるフタ、寒い心を温める分身だと言っている。「あれは わたしの…」と。
「セブンティーン」はおそらく1984年、「COM」は1969年発表なので、15年を経て絵柄も変化しページ数も24から21へと落とされて、その分シャープになっている。
現実の「三津子」はやはり祖母に優しく育てられたお婆ちゃん娘で、作品にも出てくるように家の手伝いをよくさせられていた。買い物もよく任され、料理が上手になったのも、この頃から手伝わされていたからだと言っていた。
ちなみに母が人形を買って帰って来た時に、チヨは「COM」版ではすりこぎとすり鉢で何かをさせられており(ヤマイモだろうか、あるいはゴマだろうか)、「セブンティーン」版では枝豆かさやえんどうの下処理をさせられている。
いずれにしても、「チヨ(千代子)」は間違いなく「三津子」であり、この家事の手伝いの様子などもおそらくは実生活の描写だろう。ただそれは、「日常をそのまま作品化する」という安直な意味で言うのではない。だいたい、現実の家族構成とは違う。
作品で描かれているのは
「娘にうまく愛情を伝えられないい母親」と
「母にストレートに愛して欲しい娘」の、母娘の心情だ。
三津子からは、この頃の現実の話はよく聞いている。それに彼女自身がエッセイやインタビューでこれまでけっこう語っているから、今は置いておく。
だがよく「私小説作家」とか「わたし漫画」などと簡単に作家や作品をククる大馬鹿者がいるので何度でも言うけれども、「そんなわけねえだろ、ちょっとはアタマ使え」と思う。
リアルな心情描写、キャラクタ造形や台詞、ストーリー構成の作品を読み、「これはきっと実話なんだなァ」と思える、その単細胞が信じられない。
何より作家に失礼だろう。
この「あれはわたしの」という佳作もいいが、『鳳仙花』所載の初期やまだ紫作品はどれも、実にこういった味わい深いものが多い。
これもまた繰り返すが、まだ21・22歳の娘がこれだけのドラマをたった一人で作り、描いたのだということに改めて驚くと共に、深い感銘を受ける。
『鳳仙花』にいくつか当時の作品や残っている詩画などを収めて、自費出版でもいいから出したいと思う。

作業に没頭していると、夕方「明青」のおかあさんからメールが入る。俺は二階の書棚で調べ物をしたり、その後リストを作るのでパソコンに向かったりで気が付かず、あっと思って返信を打ってるところで家に電話が入ったわけ。このところ、ホントに携帯を見なくなった。いつもメールでのやりとりは9割方三津子とだったから…。
やはりブログの更新がないので心配していただき、いやはや申し訳ない限り。冗談抜きで「東京の息子にメールが届く〜」じゃないが、朝起きたらポットをつかう年寄りが「生きている」という知らせを遠くの息子にメールするようなシステムを導入した方がいいのではと思った。
ただ、こうして心配して下さる方の「俺が生きている」ということの目安にも、このブログはなっている。

そういえば、もの凄い発見があった。
原稿を出していると、主婦の友社の今はなき「GALS LIFE(ギャルズライフ)」の封筒が出て来た。「わたしの青い星」と書いてある。
中を改めると、32頁もの漫画原稿だった。
タイトルにはアオリと作者名、そしてタイトルは「描き字屋さん」がちゃんと描かれたものが貼られている(昔はパソコンやデジタル入稿でのCG加工などもちろん無かった)。
当然ノンブルとネームも写植が全頁貼られていて、キチンと全頁にトレーシングペーパーがかけてあり、縮小率や白抜きの指示などは全てそこに書かれている。
当然ながら完全に、それもかなりちゃんとしたプロの編集さんの仕事だ。そしてこれまた当然ながら、これは商業誌に掲載されたものに間違いない。
なぜそんな当たり前のことを書いているかというと、作家名が
「九月(ながつき)三津子」
となっているのだ。
三津子はもちろんやまだ紫の本名だ。
しかもタイトル頁のアオリは
「愛とやさしさあふれるユニークなSFロマン珠玉作!」
である。つまりSFで、少女漫画だ。

発見した原稿
絵柄は掲載誌を考慮してか、あるいは編集さんからの依頼からか少女漫画風になってはいるが、「やまだ紫」のものに間違いない。内容も、突飛で頓珍漢なSFではなく、とてもハートフルでいい作品だ。
しかも出てくる惑星名が「プロキシマ」とか、一時流行った「浦島効果」も使われていて、彼女の実はSF(というより宇宙、星)好きとも合致する内容である。
「ギャルズライフ 9月号」までは、この几帳面な編集さんのお陰で解った。けれど、ネットでその後いくらあちこち検索しても、それ以上の情報が出て来ない。

1時間近く探した挙げ句、少女漫画ファンで詳細なリストなども記録されている方のサイトを発見したので、非礼を承知でメールで伺ってみた。時代的には70年代の後半だと自信を持って言い切れるが、年号の特定は出来ない。ご存知だといいなあ、と思いつつ今日はそこで作業をやめる。

性格上、こういった作業を始めると気が付くと4時間5時間が平気で経過している。腕や腰はガチガチになり、目はしょぼしょぼだ。健康な人でもしんどいと思う。実際癌患者である自分はもうちょっとペースを落としたいところだが、
俺が生きているうちに完成させる
ためには、頑張るしかないだろう。

その後三津子にキムチとカクテキ、あと麻婆豆腐を作ったのを分けて陰膳。よく考えたら全部辛いものだったと反省。
下痢も治ってお疲れ様で三津子の写真に乾杯をし、ビールを飲みつつ、NHKで都議選の開票特報を見る。すぐ大河に変わったので続きを民放を見て、44年ぶりの自民の「大敗」が決定的。まあ予想通りといえばそうなのだが、投票率の低さ=今回も50%程度という割に、やはり厳しい審判が下されたのだな、と思った。それにしてもこのご時世、まだ一票を行使しない「納税者」が多いということに驚く。
都議選の大勢判明直前まで、中国の医療制度のドキュメンタリを見ていた。「民間」の大病院が金にあかせて多角経営によるコンツェルンを形成しようと目論んで、貧乏人は徹夜で並ばせ、金持ちにはホテル並の病棟を増やそうと画策していた。
何が共産主義だと思った。これからこの国はきっと大変なことになっていくだろう。よその国のことと思って呑気に構えるのもいいが、隣の国でもある。そして世界中にもの凄い数の「華僑」が散らばっている国でもある。通常、(チベットやウイグルの例を見るまでもなく)こういった「外から自国を見ている人」たちは、比較的冷静かつ客観的に祖国を眺めることが出来るので、民主化を叫んだり、国の政府に圧力をかける動きを起こすものだが、中国に関しては元々が「中華」思想なのでどうしようもないらしい。

自民党は複数人区では3番目4番目などへ滑り込むので後半になると盛り返すだろうが、過半数割れは確実。上に上がってすぐ電気を消し、12時過ぎには寝る。


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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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