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2009-07-13(Mon)

「九月三津子」作品の掲載年わかる

7月13日(月)

今朝はユキがうるさく、6時前から暴れて起こされる。何とか寝たり醒めたりで8時ころ起きて、猫たちのご飯と水を先にして、それから洗顔やらを済ませ、三津子に冷たい水と氷入りのウーロン茶をあげ、線香を立てて祈る。

今日は朝から薄曇りで日射しがあるが、比叡山の山頂はちょっと雲がかかっていた。お姉さんによると関東では今日が初盆だそうだが、知らなかった。ちょうど花もしおれたのが増えてきたので、買いに出よう。
いつものようにまずシャワーを浴びてから、髪を乾かしつつMLB、ボストン対カンザスシティを見る。それから10時前に着替えて外へ出ると、エレベータ前でお隣のUさんと会い、そのまま下へ降りてしばらく立ち話。
自転車でコンビニへ寄ってからショッピングセンターまで行き、10時開店ゆえ1分ほど待たされて入店。地下食品売り場で今日明日のものを買い、マクドでクオーターパウンドのセットをテイクアウト。カートを押してぐるりいったん売り場を廻るが花屋がないので、仕方なく外へ出る。

駐輪場まで行って自転車にまたがると、もう青空に白い雲という真夏のような天気で、実際まだ10時過ぎだというのに暑い暑い。帰り道にある別のスーパーの裏口に自転車を停め、荷物はそのままで花屋へ寄る。このスーパーの花屋は裏口からすぐにあるのだ。
今日は「すかし百合」の黄色いのがあったのと、もう一種類ピンク色の花とあわせて買う。猛暑になりそうな気配の中、ヒイコラ漕いでマンションへ着き、荷物を持ってポストから新聞を取って部屋へ戻るとやはり大汗。
すぐ冷凍食品などを冷蔵庫にしまい、着替え、MLBを見ながらクオーターパウンドを食べ、それから花瓶に花を整える。

先日(三津子の)お姉さんに聞いたところ、今日は新盆らしい。亡くなった次の年という認識があったのと、京都では8月で、毎年それで「五山送り火」が16日と決まっているから、うっかり忘れるところだった。
けれどもそういう節目節目が何であれ、毎日彼女を思い、手を合わせる。花を添え、自分が食べるものを少し分けて、夜は差し向かいで晩酌をする。何日経とうが彼女のことを忘れることなどあり得ないし、愛する思いが変わることもない。何となく、それでいいよね? と彼女に問いかける自分がいる。

やまだ紫=九月(ながつき)三津子「わたしの青い星」、「GALS LIFE」1978年8月号掲載作品メールを見ると、昨日発見した三津子の「変名」によるSF少女漫画(昨日の日記)の情報をご存知かどうか訪ねた方から、メールが届いていた。
Cafe Tsumireの管理人、偽野つみれさんで、何と『ぱふ』のバックナンバー(1979年2月3月合併号)の
「1978年度少女マンガ作品リスト(雑誌別)」を調べて下さり、間違いなく『GALS LIFE』1978年9月号掲載作品に、九月三津子『わたしの青い星』の記載があると教えていただいた。

偽野さんによると『GALS LIFE』はこの号が創刊号ということで、
もしかすると創刊記念で編集者の方に特別に依頼された
作品なのかもしれませんね(真相はわかりませんが)。

とのことだった。
なるほど、そういうことはあり得ることだし、現実に彼女が変名で発表した原稿が手元に存在している。それが資料で裏付けられた。他の数年、長月・やまだどちらの名義でも発表はないようなので、恐らくこれだけだろうけれども、もっと詳しく調べたい場合はと、国際こども図書館でバックナンバーを調べる方法も教えていただいた。
偽野つみれ様、本当にありがとうございました。

今日も作業は続く。

やまだ紫は、実は少女漫画に「挑戦」したことがあると、『アイエル』の中で述べている。(『アイエル』はやまだ自身が過去のイラストやスケッチなどを解説風エッセイで構成したもの)
もともと子供の頃は人並みに少女漫画は読んだが、白土三平やの貸本漫画、「ガロ」などへと興味は移り、漫画を描こうと開眼したのは「COM」の岡田史子の作品を見てからだと、語っている( やまだ紫、「COM」との出会い )。
絵が好きで、漫画を描こうと思った時に、女性は少女漫画へ行くのが普通だった。だから実は少女漫画誌へも投稿したことがあったが、それこそ「漫画の様式」を全く知らなかったために「ケンもホロロ」だったそうだ。
彼女は『アイエル』で十代後半、ほとんど少女漫画を読んでいなかったと語っている。少女漫画を「挫折した」とも言っていた。あの独特の大きなお星様だらけの目、異常に長い手足、マネキンのような美形ばかりという「世界」が、どうしても自分には描けなかったという。
それでも何とかかんとか作品を仕上げて「マーガレット」や「セブンティーン」へ持ち込みをした結果が、「ケンもホロロ」である。

それでも「COM」は才能を認めて採用してくれた。
おかげで「やまだ紫」は、誕生することが出来た。
だから彼女を少女漫画誌が採用してくれなくて、本当に良かったと思う。
ちなみに、『アイエル』でこの頃のことを述懐したのは1984年の『コミックアゲイン』だ(のち『空におちる』へ収録)。この時彼女は
「先日、かつてラブコールを送り、ザセツしたトコロのひとつ「セブンテティーン」から原稿の依頼を頂いた」
と書いている。少女漫画をザセツした経緯からお断りしようとしたが、熱心に依頼されて断れず、引き受けたそうだ。
少女漫画に挑戦してザセツしたのが恐らくは1968年ころ。
ザセツしたはずの少女漫画誌から依頼が来たのが1984年ころと思われる。
昨日発見した「GALS LIFE」にSF少女漫画を「変名」で執筆したのは1978年。
ちなみに『アイエル』ではこの「九月三津子」のことに全く触れていない。変名にしたくらいだから、恐らく「ヘンシューさんに頼まれてコトワレきれず」描いたのかも知れない。(九月=長月は彼女の誕生月)
それでも「GALS LIFE」の『わたしの青い星』は実に素晴らしい作品で、少女漫画としても当時なら絵柄も全く問題なかったと思う。彼女がそれを全く忘れていたのか、あるいは変名にしたくらいだから、「少女漫画」を描いたことを隠したかったのだろうか。
ザセツした「セブンティーン」に発表された作品は、もう「しんきらり」後期のやまだ紫の絵柄で、しかも内容も全く少女漫画ではない。「やまだ紫」として、堂々と媒体に関係なく自分の世界を描いている。(「あれはわたしの(リメイク)」「小さいぐみの木」)
今発作的に思い出したが、「セブンティーン」に発表した「あれはわたしの」について昨日の日記で書いたばかりだった。その後にこの変名による「少女漫画」を発見したのも、何か彼女の見えざる手、意志が働いている気がしてならない。

自分は日記ソフトを常に起動させていて、何かの作業の合間や思い立った時に時系列にだらだらと記述している。記述は自動保存されるので楽なのだ。
その順で行くと、全く別のことで調べ物をしていて「あれはわたしの」に言及し、「COM」時代と「セブンティーン」版を比較したりしたのだけど、それから何時間か後に新たに開けた箱から出て来た「わたしの青い星」から少女漫画について述べる彼女の『アイエル』にまたぶつかる。
ひとりの偉大な作家について本気で調べようと思うと、こうして「偏執狂」になる。
これは、今後も大変だろうな、と思う。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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