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2009-07-14(Tue)

今日はひと休み

7月14日(火)

夕べは12時過ぎに寝る。朝は5時過ぎに目が醒め、その後とろとろしていると6時ころまたユキがベッドの足元に載って来て起こされる。結局寝たり醒めたりで8時過ぎに起きる。
外は晴れていて、比叡山の山頂がよく見える。
下へ降りていつものようにテーブルを片付けて三津子の茶と水を取り替え、線香を立てて祈る。それから食洗機、朝は昨日コンビニで買ったおにぎり2つと水。
MLBはオールスター休みで何も見るものがないので、昨日録画しておいた日本人メジャーリーガーの特集を見る。

一息ついてメールを見ると、「漫棚通信」の細井さんから、自分も78年の「だっくす」を調べてみたら、12月号「今月の登場」という欄に、

やまだ紫(むらさき)
先日、だっくす編集室を訪ねて来てくださった。
ギャルズライフ創刊に「わたしの青い星」、
ガロ12月号に「ときどき陽溜りで」を発表。
サインをねだったら生まれて2回目、と悩んでらした。

という記述があったそうだ。
これで本人が「わたしの青い星」を描いたことがはっきり裏付けられたわけで、さらに、香月千成子氏による「COMの時代をふりかえる」という記事中、

さて、やまだ紫。“GALS LIFE”創刊号のわたしの青い星はこの人である。

という記述もあったという。

それにしても、なぜ彼女はペンネームを変えたのだろう。その後一度も使用していないし、彼女の口からも聞いた覚えがない。
またその号には彼女が「となりのヒロミさん」というタイトルの漫画も描いていて、細井さんによれば

1作=1ページという形式で、6作
ぼうし(5コマ)
密室(8コマ)
会話(6コマ)
世間のくち(7コマ)
秋刀魚(6コマ)
注射(5コマ)
あと、4コママンガが2本
しかえし・やおや
計7ページです。
「となりのヒロミさん」というタイトルが
二か所に出てきていますので、
他誌に描いたものを流用したものでしょうか。

とのこと。

この漫画は「だっくす」12月号の目次になぜか掲載されていないそうだから、ひょっとしたら「何か描いて欲しい」と言われて再録したものかも知れない。
「再録〜?」と思う人もいるかも知れないが、昔は割とそういうことは頻繁にあったのだ。「ガロ」でも初期の貸本漫画の再録とは別に、新作を依頼した作家さんに新作は無理だけど、「これ●年前にどこそこに載ったやつでよければ」と普通に言われて掲載したということもあった。まあ、おおらかということだろうか。
「ガロ」の場合は原稿料を出せなくなっていたから再録でも仕方がない。当時の「だっくす」がやまだ紫にどういう依頼をしたのかも不明なので、まあ関係者が証言してくれないともう解らない。

細井さん、どうもありがとうございました。

その後昼は昨日買っておいたざるそば。麺がくっついてるので流水でほぐしてから食べる。それからポストを見に外へ出ると、セミが今年初めて「じわじわじわ」と鳴いているのを聞いた。もう、本格的な夏か。
三津子が倒れた、あの寒い夜からまだ2ヶ月半。今ではセミが鳴いている…。
今日は関東甲信越で梅雨明けしたそうで、京都もちょっと外に出ただけでも汗ばむほど。梅雨明けしたかと思われるほど、青空に白い雲がぽっかりという天気だ。

このところオーバーワークで両腕が痺れてきたので、今日はリスト作成と画稿整理を休むことにする。
午後からBSで相撲、4時過ぎからは地上波NHKに切り替えて見る。BSの解像度と地デジのハイビジョン画質の差には、こうして相撲を切り替えて見るといつもながら驚かされる。

それにしても、白鵬、朝青龍と続けて土俵入りを見ると、白鵬には「うまくなったなあ」という感想、朝には「どんどん我流になっていくなあ」という感想。
朝の土俵入りの下手糞さ加減というか「美しく無さ」は前からずっと気になっていたが、ここにきて、例えばシコの前に両手を左右に広げるところの形や、手指がバラバラなところがますます「モンゴル風」に変化してきている。あの、相撲の前の「踊り」の所作だ。どういう動作を美しいと感じるか、思うかは民族や文化によって違うので、モンゴル相撲の戦いの踊りを否定するとかそういう幼稚なことではない。日本の相撲の横綱が土俵入りをする、そういう形の話。
前々から(朝青龍注射疑惑と最近の大相撲)朝の土俵入りは、明らかに所作に含まれる意味を知らずに型だけを慌てて覚えた風情があると思って来たが、先の上半身の「形」から手先への注意の無さ、ハエが手を摺るようなしぐさ、両手のひらをパカッと開くところの雑さ、体が常に上下に動くところ、場所ごとにどんどんひどくなってきている。
それに比べて白鵬は実に丁寧で、風格すら出て来た。
個人的な「好き・嫌い」で見ているのではない。日本人でも不知火型はともすればマヌケになりがち(旭富士、二代目若乃花)なのだが、40年くらい見て来て少ない実例ながら、白鵬が一番うまいと思う。
雲龍では好き好きがあろうが、やはり千代の富士だった。シコの際の足の高さ、せり上がりの前、グイと体を低く落とし、鋭い目線で正面を見据えたままゆっくりとせり上がっていく様は、まさしく「伝統の美」を感じさせた。
ここで相撲とは神事ではなく、江戸時代の異形を嗤う見せ物だったとかいう人もいるが、それはそれ、確かに現代の相撲も「興行」である以上見せ物であることは否定しない。けれどそこに神道由来のさまざまな所作や作法、「かたち」が組み合わさっていることも、否定してはいけない。
京都も千年の都と言っているが、では千年前の建物や町並みが残っているかと言ったら、ほぼ皆無だ。千本釈迦堂以外は応仁の乱で全て焼かれているし、その後も何度も火災や戦乱で貴重な建物や寺社が失われては再建されている。この「昔のものではないけれど、出来る限り再建し伝承する」ということが枢要で、現代の相撲だってそういうことだと思う。
それにしても、このまま日本人の横綱が「候補」すら現れないようなら、本当に復活させた「伝統」すら失われかねないと思う。白鵬とて結局はモンゴル人、日馬富士も親思いで素行はいいと言われているが、それは朝青龍という「反面教師」を見ているからだろう。
そういえば相撲漫画「ああ播磨灘」が『コミックモーニング』に連載されていたのをリアルタイムで読んでいたが、朝青龍が現れた時は漫画が現実になったかと思った。まあ、播磨灘はそれでも「日本人」であったが。
結び前はその朝青龍に日本人では若手有望株の豪栄道が挑む。立ち会いは朝が左から「かちあげ」ならぬ肘で「エルボー」。

これは「反則」だ。

豪栄道は逆にそれに耐えたことで前褌を取ることが出来たが、投げで体勢を崩すに留まり、あっさり土俵から突き飛ばされた。それにしても、この朝の「反則」に、解説の北の富士だけは「あれは…かちあげじゃないね」とちゃんと言っていたが、アナウンサーはスルー。明かに反則というより「ケンカ」なわけだが、朝の「強さ」の秘密は実はここにある。
要するにメンタリティがヤンキーとかヤクザと同じで、「オラオラ」であり「てめぇブッ殺す」であり「強けりゃ何してもいいだろコラ」であり「相手への敬意? 知るかアホンダラ!」なのである。まあこういう「相撲」とは対極にある映像を見せられるにつけ、何とかしろよ日本相撲協会…と思うが、もうどうしようもない。
「力こそ全て」「強い奴が弱者を踏みにじる」「礼節なんか知ったことか」的な悪役に喝采を送る「物わかりのいい人」を演ずる知識人・相撲通もいるが、そういう連中が今声を挙げなかったことの「大罪」は、おそらくそう時間を待たずに、この日本社会のモラルや安全性が崩壊していくことで思い知らされることになるだろう。
ボクシングの亀田一家は、そのモラル意識のかけらもない「解りやすい憎まれるべき言動」(例=こういう感じ)によって叩かれ、スポイルされることで、彼ら自身の意識改革を促した。
もちろん本気かどうかは疑わしいものの、結果としてそれがメディアを通じて映像として出たわけだ。それは社会にとっても、彼ら何も知らぬ「子供」たちの将来にとっても良かったと思う。相撲にはそれをはっきりと指摘する人間が、内部に居ないというところが問題だ。
このまま行くと、大変なことになるよ、この国。
まあ病人の遺言とでも思ってくれれば良い。

その後、このところ野菜が不足してるなと思って、キャベツ、にんじん、ピーマン、しめじの乱切りと少量の豚バラ肉で野菜炒めを作る。
豚肉は日本酒でもんで塩コショウで下味をつけ、先に炒めたところへ野菜を投入。頃合いを見て中華スープにショウガとニンニクを足しておいたのを加え、塩コショウ、醤油で味を調えて完成。白飯が合ういい味。その他は昨日買っておいた総菜の茄子の煮浸しとポテトサラダ。ついでにもやし炒めも作った。
それらを三津子に陰膳をして、食べながらビールを飲む。野菜炒めを作っている時に、フとそういえばまだ彼女と知り合う前は、よくこうして野菜炒めやチャーハンを自分で作ったなあ、と思い出す。でもその時はせいぜい塩コショウと仕上げの鍋肌醤油くらいしか知らず、今一つ深みに欠けた味だった。
中華の鶏ガラスープを入れるとか、料理によっては和風ダシを使うとか、そういうことは全部三津子から教わった。今ではフライパンの返しだって、自分で言うのも何だがけっこうな腕前だと思う。それだけに、「おいしいよ」と言ってくれる人がいない寂しさがつのるのだけど。
あの人が病気で入退院していた頃、俺がけっこう頑張って料理をしていた時があった。たいていはたいしたものではなく、炒めたり煮込んだり、まあ男の素人料理だったが、彼女はいつもすまなそうで、でも嬉しそうだった。
多少の味のばらつきはともかく、いつも「おいしいよ」と言って食べてくれ、そして時々最後には「あなたにこんなことさせて申し訳ない」と言って泣いたこともあった。

俺が若くて団地で一緒に暮らし始めた頃は、危なっかしい手つきで洗い物をすることさえ、笑いながら写真に撮ったりしていた。俺にしてみれば一人暮らしの時は自分で自炊をしたり洗濯をしていたから当然のことで、何がそんなに珍しく、そして嬉しいのか良く理解できなかったものだ。
でも彼女にしてみれば、俺が「家事を手伝う男」であることが嬉しくて仕方が無かった様子だった。今にしてみれば、そう思う。

最近、彼女が逝ってしまってからデジカメの画像データを整理していた時、俺が知らない間にこっそり彼女が俺を撮影した写真がいくつかあることに気付いた。
台所で洗い物をしていたり、買って来た刺身を切っていたり、あるいは乾燥ヒレをトングを使って網焼きしてひれ酒を作っていたりする他愛もない写真だが、俺はそれを撮られたことに気付いていなかったものがほとんどだった。俺は自分のような不細工な男が写真を撮られるなんてゾッとすると昔から思っていて、今でも自分が写真を撮られるのが嫌いだ。
彼女がカメラを構えてくれても、「俺はいいよ」と言ってたいがい断ってきた。それゆえ、彼女はフラッシュをオフにして、俺に気付かれぬよう「こっそり」撮ったのだろう。なぜそこまでしてこっそり撮ったかと言えば、それはやっぱり「家事を普通にする男」が嬉しかったのだと思う。
洗濯物が乾けば普通に二人でベランダに出て、あ・うんの呼吸で取り入れてはテレビを見ながら畳む。メシの支度も晩酌の支度も、二人で打ち合わせも無しにてきぱきと整える。
そういうことがもう当たり前でずっと暮らしてきたと自分では思っていたけれど、彼女は死の直前まで、そのことをきっと嬉しいと感じてくれていたのだろう。
彼女が最初どういう結婚生活、夫婦生活をしていたかは知らないし、今はもう知りたいと思うこともない。それなりに愛し合って交際し、それなりに蜜月があり、暴力や不実はあっても二人の子をなした結婚生活だから、それを全否定するつもりは、もうない。
けれど、少なくとも、仲良く二人で家事を普通に分担するような関係ではなかったのだろうということは、こうしたことからもよく解る。
人それぞれ価値観が違い、夫婦観も男女観も違うだろう。だから何が正しいとかどういうスタイルが理想だとか、つまらぬことはどうでもいい。
ただ俺たちは、長年一緒に暮らすことで、お互いがお互いを普通に気遣い思いやることを「日常」にしただけの話だ。

7時ころ、まだ明るいベランダにユキを抱いて出た。
北大路を行き交う車や人、自転車にユキは視線をその都度動かして興味深げに見ている。時折何が怖いのか、抱かれている俺の胸にギュッと手を握って爪をたてる。それでも体はぐにゃりと力を抜いて預けている。
三津子が生きていた頃は、こうしていつも猫たちのどちらかをベランダに抱いて連れ出して、外を見せていたっけ。
団地の13階は向かいもただの団地の壁面だったし、だいたいこっそり飼っていたから出すのは気が引けた。その次のマンションとは名ばかりのアパートは3階で、片方の窓は電車が数メートル先を轟音と共に通り過ぎ、反対側はせせこましい家々の隙間が見えるだけだった。
東京で暮らした最後のマンションも3階だったが、その環境の劣悪さはこれまでで最悪と言っていいほどだった。
京都に来てからのこの住まいが、これまでで人間にも猫にも、最高の住まいだ。

西に傾きつつある日射しを受け、東山や吉田山の綺麗な緑を見ていると、隣に三津子が居ないことが、本当に悲しく辛く、寂しいと身に染みる。たった一年半。この素晴らしい場所で暮らしたのは、本当に短い期間だった。
でも、この短い最後の一年半が、二人にとっても本当に幸福な時間と場所であったとしみじみと思う。感謝したい。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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