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2009-07-15(Wed)

「初盆」に花をいただく

7月15日(水)

ゆうべは11時過ぎに二階へ上がり、テレビをつけて横になった。とにかく部屋が暑い。一階がクーラーが効いていたので、階段を上がっていくと余計に上へ行くに従って熱が籠もっているのが解る。しばらくは暑くて寝られたものではない。
テレビのニュースは夕方から民放、NHK、さらに夜とはしごしているので、ほとんど主要なものは既報、あとはそれぞれのニュースショーごとの小さな特集だったり特ダネだったりに興味があるが、それらがあまり面白そうじゃないと、もう消すしかない。
この日もいったん消したが、眠れなかったので、テレビにつながっている古いDVDレコーダに何かが入ってるので再生してみたら、マイケル・シェンカーのアルバムを発表年代順にmp3にして入れたCD-Rだった。
「Armed and ready」から始まる80年代のハードロックの「神」の旋律は若い頃を思い出し、思わず体でリズムを刻んでしまうが、これは眠る時には全くふさわしくない。
それでも目を閉じて聞いていたらいつの間にかうとうとしてしまい、結局すぐに消した。

朝は6時前に目が醒め、それから変な夢を見て8時半に起きる。朝のことを済ませてゴミ袋を出しがてら、下に新聞を取りに行く。セミがじわじわと鳴き始め、外は快晴といっていい天気。青空に比叡山がくっきり見える。合掌。

部屋に戻ってパソコンに向かいメールチェックし、昨日の細井さんへの御礼の返信。すると背後でまだつけていないテレビが突然ついたのでドキッとしたが、よく考えたら昨日のうちにMLBオールスターゲームを「視聴予約」しておいたのだった。
なのでテレビの前に行き、華やかなフィールドにイチローが呼ばれて飛び出していく、その次はジーター…という影像を見ていると、三津子のお姉さんから電話。
先日電話で子供たちが来た時のことを話したが、その時お姉さんは親戚の法事があってよく話せなかったので、改めていろいろ話した。
東京は昨日梅雨明け、こっちも真夏のような青空に緑が映えるいい天気だ。暑くなりそうですね、と話し、お互い体に気をつけましょう、ばーちゃん(三津子の母)によろしくと伝えて切る。

その後買い物があるので、暑くなる前にと思い、着替えて外に出る。自転車のタイヤの空気が減っていたので、空気入れで入れて、スーパーへ行くが、もうこの時点でむちゃくちゃ暑かった。
あまりの暑さにそのまま外に履いて出られる半ズボンを2980円で買う。文具売り場で切れていたセロファンテープの換え、原画整理用に一枚ものの原画や原稿が入れられるA3のクリアファイル2冊、B4のを1冊買う。
帰りはコンビニに寄って夕飯の弁当と明日のサンドイッチとおにぎり。もの凄い暑さと日射しで、これでも関西は梅雨明けじゃないのかと思うが、まだ宣言はなし。
自転車置き場に戻って荷物を持ち、エントランスまで出てポストを除くと、封書が2通。一通は三津子が通っていたK医院からで、もう一通は東京でお世話になっていた福音館書店のFさんからだった。
家へ帰るとクーラーが涼しい…と思ったらそうでもない。それほど今日は外が暑いのか。着替えてジーンズを洗濯機に放り込み、手紙を開ける。

K先生からは、三津子が亡くなった後の診察予約の時間、あえて別の患者で埋めず、「愛のかたち」を読み返して下さったとあった。ブログも見ていただいていたそうだ。愛する人を失った心痛はじゅうぶん理解して下さっており、睡眠が不足しないよう、睡眠薬を服用してでも眠るように、とのこと。
Fさんからは、預かっていた原稿があるのでお返しにあがりたい、その時にお花でも手向けたいとのこと。ずっと以前からのお付き合いかと思っていたが、やまだ紫が福音館の月刊誌「母の友」で『やま猫の宝箱』を連載したのが初対面だそうで、93年のこと。
お二人とも訃報への返事が送れたのは申し訳ないと書いてくださるが、その分ショックが大きかったということも伝わってきた。
三津子にも見せて、小ダンスの前に添えた。
神田ぱんさんからお花をいただいきました
その後花屋さんから電話があって、東京のWさんからお届けがあるが居るかというので、居ると伝える。しばらくして、神田ぱんさん(筆名)から「初盆だから」と花が届いた。綺麗なユリなどのアレンジで、思わず三津子に見せて合掌。
こういう綺麗な花を見せて三津子の写真を見ると、いつも涙が出る。生きている時に、俺から彼女に花を贈ったことなんかあったっけ、と。「綺麗だね」と話しかけ、心から有り難いと思うと同時に、彼女に済まなかったと思い、辛くもなる。
自分が今、毎日彼女に花を飾り陰膳をあげたり水や茶を添え手を合わせるのは、もちろん彼女の供養のためだ。でも、ある意味そういう馬鹿野郎だった自分の贖罪という意味もある。
済まない、申し訳ない、ごめんなさい。
そしてこんなクズ人間と一緒に居てくれて本当にありがとう。それでも君を愛していたし、今もこれからも愛している。それだけは許して欲しい…。

気を取り直して仕事をしていると夕方、電話が鳴った。出ると「明青」のおかあさん。「ちょっと聞きたいんやけど」というので何事かと思ったら、ネットで電話番号から住所は調べられるかというので、会社ならともかく個人だと恐らく公開する人はほぼいないので、検索でも出て来ないでしょうね、というと「やっぱりねえ…、諦めかけたんやけど、一回白取さん聞いてみてからにしようと思って」とのこと。
すぐ電話は切ったが、よく考えたら、きっと昨日今日とまたブログ更新がないので、様子見に電話してくれたのかも知れない。
(というわけで、今日=7月16日に一気に空白の十日分ほどを更新中)

もう7時近くになった。外は青空と西日が綺麗なグラデーションになっている。東山は西日を受けて緑が薄い黄色のフィルタをかけたようになっている。
「長月三津子」名義の「わたしの青い星」について教えて下さった偽野つみれさんと漫棚通信の細井さんや、メールで「読みたいなあ」と言っていたゆうちゃん、花に「いつか『わたしの青い星』を読みたいです」と添えてくれた神田ぱんさんたちだけにでも何とかと思って、原稿をスキャンしてみる。

だがスキャナはA4までで、漫画の原稿はB4大。やはり版面がギリギリ入る程度で、タチキリなどが出るともうダメだ。コンビニでコピーを取るとかしかないが、こんな貴重な原稿、しかもトレペや写植が脱落するおそれがあるものを外に持ち出すのは怖い。なので仕方なく断念。デジカメで撮ってみるかとも思うが、白抜きのセリフはトレペ上だし、悩ましい。
やまだ紫の「COM」時代の作品を集めた『鳳仙花』はもちろん絶版だが、ほんとうに素晴らしい作品集だ。「性悪猫」や「しんきらり」だけの作家ではない、彼女の作家としての凄みは、これら初期の作品からすでに十二分に発揮されている。
これらに未収録の作品やこの「わたしの青い星」なども加えて、どうにかして一冊に復刻したい。自費ででも何とかしたいと思うが、もうちょっと頑張らねば…。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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