--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-07-17(Fri)

癌宣告から1433日目の誕生日。

7月17日(金)

44歳の誕生日。

病気になってからは、一日一日生きているだけで有り難いと思う。誕生日も、その積み重ねの一日でしかない。けれど「2005年の夏」からもう4年。あの頃、「今」が自分にあるとはあまり想像出来なかった。
この4年の間に京都へ転居し、そして5月に最愛の人を失った。このことも、あの夏にはこれっぽっちも想像しなかったことだ。
一人になったことは辛く悲しすぎる、けれど生かされていることには素直に感謝したい。この命は彼女が命がけで守ってくれたのだから、頑張って生きねばならない。

夕べは12時ころには寝たと思うが、2時過ぎからきっかり1時間おきに目が醒め、結局そのまま7時前に起きた。寝て起きたばかりなのに、全く体が休まっていないように思うほどぐったりと疲れた。
比叡山はガスっている。また今年も誕生日を迎えられたことを感謝し合掌する。
今日は祇園祭のクライマックス、山鉾巡行の日だ。夜のうちに雨が降ったらしく、ベランダが濡れているが、雨は上がったようす。
昨日は宵山で、ニュースによれば宵々々山から四条通はずいぶん観光客で賑わっていたらしい。
俺たちは去年、巡行が始まったあたりから京都テレビの中継を見ていたが、「やっぱり近くで見たいね」と言ってタクシーを飛ばし、通行止めの御池通手前ギリギリまで行った。
先頭の長刀鉾からほとんどが過ぎてしまった後だったが、山や鉾が豪快に直角に向きを変える「辻回し」も見られて、楽しかった。観光客は「四条河原町」に集中して早くから場所を取ってひしめき合っているため、病人にはきついし、ゆっくり見られない。
でも実はそこから少し上がった「河原町御池」でも西への「辻回し」が見られる。こちらも混んではいたが、じゅうぶん近くで見ることができた。
三津子と二人で御池の地下をくぐり、河原町から山・鉾をすぐ近くで見上げて、途中でもらったうちわで扇ぎながら「綺麗だねえ」と声をあげた。「来年は宵山来て、もっと近くで見ようよ」と話した。暑い日だった。その後、思わずクーラーに誘われて二人でパチンコ屋に入った。
その日の夜はふたりで家の近くの「みよじ」という和食ダイニングへ行った。普段はカウンタ6、7席だけの小さな店だが、大将は静岡出身で、京都三大旅館の一つで十年修行をしたという腕前だ。我が家から歩いて1分という場所なので、文字通り贅沢な「ダイニング」がわりだ。
そこで、俺が「いやー実は今日誕生日なんですよ」と話すと、大将が「えっ、それはおめでとうございます!」と言ってくれて、静岡の酒『花の舞』をいただいた。純米酒特有のさわやかでやさしい甘口の酒で、こういう日本酒を飲むと、日本人で良かったと思う。

実はこの『花の舞』はこの直前、二人で静岡へ出かけた時に、初めて出逢っていた。
三津子が大学の仕事で静岡へ出張するという日、「帰り観光でもしようよ」と言われて一緒に出かけた。体調も良かったので、その日はビジネスホテルに泊まって、翌日は浜名湖の舘山寺温泉の旅館を予約しておいた。
その旅館での夕食時、「何か地元のおいしいお酒はありますか?」と聞いて勧められたのが『花の舞』だった。
つまり去年の俺の誕生日のほんの一週間ほど前、二人の旅行先の浜松で初めて出逢った酒が、「誕生日プレゼントです」と近所の店のカウンタに置かれるという「偶然」。
二人で顔を見合わせて「これって、こないだの…」「すごい偶然だねえ!」と驚いた。その日から三津子はこの酒を愛飲するようになった。

あれからもう一年が経つ。

今、逝ってしまった三津子に毎晩あげているのが、この『花の舞』だ。いくつか種類があるが、彼女が好んだのは青い瓶の、一番安いもの。ラベルには彼女の大好きだった桜の花が舞っている。ごくたまにだけど、自分も冷蔵庫で冷やしたこの酒を飲むことがあった。逝ってしまったあの人のように、やさしい味わいの酒だと思う。
本当に、去年の誕生日からもう一年が経ってしまった。いや、たった一年しか経っていないのだが、隣に居るべき人はもう居ない。

朝のことを済ませてから、8時前に着替えて外に出る。
昨日のうちに暑中見舞いをくれた方に返事を書いてあったので、そのハガキを持ってコンビニへ行き、50円切手20枚と朝食のおにぎり、ウーロン茶のペットボトルを買う。その袋をぶら下げたまま、踏切を越えたところにあるポストの前まで行き、立ったままハガキに切手を貼る。ちょうど上がっている雨のしずくがポストに少し溜まっていたので切手をハガキに次々に貼り、投函。そのままマンションに戻る。

しばらくしてドアフォンが鳴り「ゆうパック」を持ってきたというので受け取ると、ももちゃんからの誕生日プレゼントだった。
開けてみると「甚平」で、思わず笑ってしまう。
実は何年か前にも一度貰ったことがあって、その時俺は度付きサングラスにメッシュ長髪に口ひげで、着たら三津子に「ヤクザ」と言われた。今ならもう大丈夫だろうか。そうでもないのか。

その後お袋からも電話があって、途中今度はゆうちゃんから花が届いた。
三津子、俺も頑張って生きねばならないなあ。

それからお昼に塩ジャケを焼いたのでお茶漬けを食べ、テレビを眺めていると、明青のおかあさんからメール。
「お誕生日おめでとうございます」と絵文字入りでお祝いメッセージをいただき、来週お店の休みの日にまた焼き肉へ行きましょう、というお誘い。もちろん「ぜひ」と返信。
買い物に出て2〜3日分の食べ物を買ったらあとは引きこもりという生活を察して、こうしてお誘いを下さるのだなあ。ありがたいなあ、と三津子の写真に話しかける。君の人徳だよね。本当に、頑張って生きねばならないなあ。

1時半ころ仕事をしていると、今度は和食割烹「浦」の女将さんから電話がある。「浦」さんは二人でちょこちょこ伺っていた、徒歩5分ほどのお店。「メール読んでくらはりました?」というので携帯を見ると、「たまには外に出てお茶でもどうですか」と入っていた。
最近携帯はテレビの脇の充電器に起きっぱなしで、かつマナーモード。一服してテレビを眺めている時は気が付くが、仕事部屋に居るとほとんど気が付かない。
「晩ご飯にとおかずも持って来ましたから」と言われて、慌てて着替えて下に降りる。
浦さんは車で来られ、じゃこご飯とおかずをいただいてしまう。申し訳ないです。「店のランチが終わったので、ご飯食べはりました?」と言われるが、俺はお昼にお茶漬けを食べてしまったところなので、ご飯が食べられてお茶だけでもいいところで、ということにする。
俺が引きこもっていると察して、「無理にでも引っ張り出さな思て」と誘って下さったのだ。
俺は三津子が生きていた時に一緒に行ったところはとっさに思いつかなかったので、行き先は女将さんにお任せした。
車を走らせながら、浦さんは「先生、痩せはったんちゃいますか、ちゃんと食べてはりますか?」と聞かれるので、「あの直後はほとんど食べられなかったんで痩せたんですが、最近は戻ってきたんですよ」と話す。色々な方が心配して下さる、申し訳ないのと有り難いのとで、じんとくる。

車が着いたのは北山通りの「S」だった。隣が大きな回転寿司の店で、そちらは夫婦で夕方たまに出かけた店だが、「S」の方は入ったことはなかった。
駐車場に車を入れて、女将さんには気にせずお昼をとってもらい、俺はアイスオレだけにする。
浦さんは「先生いろいろ物知りやから、お聞きしたいことがいっぱいあって」と言われるが、俺なんか浅学非才の極み(?)のようなこざかしい男だ。編集者という職業上、どんな人とお会いしてもそれなりに「世間話」が出来るというレベルで、44年も生きてきたというのに何も成していない、本当にしょうもない人間だと思う。
浦さんは三津子、やまだ紫という素晴らしいひとと「一緒にいる俺」を見て下さっていたので、買いかぶっておられるのだと思う。

聞かれるままにとりとめのない話をするのだけど、やはり話が三津子のことになると、気持ちが不安定になる。衆目環境で目頭を抑えるのはまずいと思い、気持ちを立て直すのに必死な場面もあった。

それでも先日娘たちと三人で明青さんに出かけたきり、外で誰かと何かを食べたり飲んだりということは一切なかった。久々の「世間」の雰囲気はとても賑やかに思える。いい気分転換になった。
2時過ぎ、浦さんにはマンション近くの踏切まで送っていただき、ご主人にくれぐれもよろしくと挨拶をして別れる。


それにしても、明青さんにしても浦さんにしても、京都でいい出会いがあって、有り難い限りだ。
本当に、三津子のお陰だと感謝するしかない。
彼女のためにも、頑張って生きねばならないな、と思う。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

Unknown

長生きしてください。
それがご供養だとおもいます。
外道は、ほっておけばいいでしょう。真理って変わらないし世の中それほどバカや外道ばかりじゃないですから。
希望も含めて。

わかります。

人として、悲しい人たちが平気でいい顔をして渡って行く世の中。それが普通だと開き直る異常な人種。
当たり前のことを当たり前だと、正しいことを正しい、間違っていることを間違っていると言う方がだまされ嘲笑われる。そんな勢力がかっ歩する方が間違っていると思います。
紫先生の作品を昔から愛読させて頂いて、その作品を愛する感性を持つ人ならば、思いは同じです。
白取さんのおことばをそのまま引用させていただきます。
裁きは必ず、下されます。

どうかご自愛くださいますように。

お誕生日おめでとう

ここ、二ヶ月色々とあり
心中お察ししつつも・・・

お誕生日おめでとうございます。

ありがとうございます。

皆さん、コメントありがとうございます。
普通は44回目の誕生日なんか、オッサン
にとっちゃどうでもいいかも知れませんし、
自分も病気をするまではそんなだったと
思います。
でも亡き妻が守ってくれた命。必死で、
命をかけて寄り添ってくれた彼女の愛に
報いることが、生きて行くことだと思っ
ています。
97年の「ガロ」崩壊から、本当に個人的
にもいろいろと傷付けられ、最悪の目に
遭ってきましたが、それでも変わらずに
支えてきてくれ、正論を貫いてくれたの
は妻の三津子、そして作家であるやまだ紫
でした。
その恩に報いるためにも、自分の仕事を
全うして、出来うる限り生きる
ことで、
恩返しをしたいと思います。
この俺に「早く死ね」と思って嫌がらせ
をする勢力がいまだに存在しています。
自分たちに何かやましいことが大いにあ
るからでしょう。
もう、そんなことはどうでもいいんです、
本音を言えば。
ゲスに関わればその次元に自分が墜ちる。
それは、亡くなったやまだ紫にも失礼な
ことでしょう。彼女はずっと一貫して、
間違っていることは間違っていると言い
続けてくれた、そして俺と共に
居てくれ
た。それだけで充分です。
今は純粋に、こうして誕生日を祝って下さ
る方々、応援して下さる方々と共に生き
ていきたい、そう思います。

あ・・

あ・・・すみません。
大事な一言を忘れてしまいました!

お誕生日、おめでとうございます。

はじめまして

こんにちは。はじめまして。

今日は珍しく時間ができたので、ランダム巡りをしていました。
で・・ここに来ました。

私も今、4つの病気と闘病中です。

そして、以前は、京都に住んでいました。
大徳寺の近くの紫野という所に
住んでいました。

そして、そして、「花の舞」の会社のある静岡県に住んでいます。

そして、そして、そして、字は違いますが
私の姉と亡くなられた奥様(?)と、同じ名前です。

そして・・・・
白取さんは、私の主人と1歳しか違いません。
(主人の方が1つ上です。)

・・・そんな訳で、思わずコメントしてしまいました。


これからも時々訪問させて頂こうと思います。

よろしくお願いします。

おめでとうございます。

重大な病を得られた後のお誕生日はこれまでもお迎えになるたびに感慨を深められたこととお察しいたします。
今年はその上、お一人になられたこと。お祝いの言葉を申し上げることも憚りかけました。
けれどもご自身で記されておられるように、今白取さんは紫先生とともにおられるのです。
これまでと何ら変わらずに先生とお二人での、お誕生日をお迎えになったのです、おめでとうございますと申し上げます。

やまだ紫先生の大切な作品をまた出版される目途がついたという記事、嬉しく拝見しました。漫画界の財産とも言える素晴らしい作品の数々を遺して下さるためのご尽力、頭が下がります。単にお連れ合いであるという理由からではないこと、重々存じております。
本来ならば、「漫画は世界に誇る文化である」というこの国が国家的に保護すべき遺産、常に官のやる事は藪睨みですね。
白取様のお誕生日、紫先生の本の出版、二重に嬉しいですね。

ニュース映像で拝見しますと、京都では今日は暑さが少し和らいだそうですね。これからが夏本番ですから、お体くれぐれもご自愛下さいますように。

待ってました。

更新されてコメ欄が出るのを。
お誕生日おめでとうございます。
やまだ紫先生と共に、一日でも長く、生きてください。紫先生と微笑む白取さんのちょっとはにかむような笑顔が続く日を心からお祈りします。

遅くなりましたが、紫先生の作品がまた出版されるとの報せも、おめでとうございます。
必ず買います。手元にあるものは子孫に伝えますよ!
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。