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2009-07-18(Sat)

台所の掃除

7月18日(土)

夕べはブログをアップしたあと、6時頃から三津子の写真と晩酌。飲みながら写真に話しかけているうち、何気なく冷蔵庫へ何かを取りに行って、一番上の段に置いたままの箱に目が行く。
また泣いてしまった。
その青い小箱は、今年のバレンタイン・デーに三津子が「これ、一応ね。」と言ってくれたチョコレートだ。これがあの人からの、最後のチョコレートになった。賞味期限は過ぎたかも知れない。でも捨てられるわけがない。
俺みたいな人間と一緒になってくれて、愛してくれて本当にありがとう。これまでもそうだったし、今俺が生きていられるのだって全部君のおかげだ。それなのに君が居てくれないなんて。
だったら板橋でもいい、あなたが笑顔で隣に居てくれさえするのなら、もう京都じゃなくてもいい、どんなところでもいい。寂しい、本当に寂しくて仕方がないよ三津子。
今日は俺の誕生日だ。もう44のオッサンだよ。君が守ってくれたお陰だよ。せめて、今日ぐらいは出て来てくれないか、それとも俺には見えないけど居てくれるのか。二人でどちらかが先に死んでも、解るように側に出て来よう、知らせようって約束し合ったじゃないか。
頼む、もう一度君と会いたい。誕生日くらい…。自分でも、いつまでもグジグジするなと思う、解ってはいるのだけど、これまで生きてきた中でこれほどの深い悲しみ、強い孤独感を感じたことはない。たぶん今後も無いだろう。
夜は、辛く、寂しい。
これなら寝る寸前まで仕事なりなんなりに没頭した方がましだ。でもそれは恐らく、俺の体にとって良いことではないだろう。だとしたら、そういうことをするのは、俺の命が少しでも長らえるように祈ってくれていた三津子に申し訳ない。「6時になったら仕事はおわり」。その代わり、そこからの夜が長く、辛い。

その後、寝たのは12時ころだったか。
朝方3時ころに目が醒めてしまい、フラフラと下へ降りて、三津子がもらっていたハルシオンの残りを一錠飲んで、ベッドに戻る。
もう、レンドルミン2錠では全く効かなくなった。必ず夜中、それも早朝に目が醒め、その後は朦朧として浅い眠りと覚醒を繰り返す。だから起きる時にはぐったり疲れていることが多い。
心療内科のK先生が手紙で、愛する人を亡くしたという「強いストレス」下にいるのだから、睡眠薬を飲んででもちゃんと寝た方がいいということを書いて下さった。
人間が受ける最も強いストレスが、愛する配偶者の死だ。このことが俺のくすぶっている癌に障らないかと、こないだの電話でお袋は心配していた。
人間は寝ることによって、体をリセットすることが出来る。単に休ませるという意味だけではなく、「修復」も行われるという。それは体も、心もだ。
だから「眠れない」ということは薬ででも解決した方がいい、と俺も思う。

その後何度か目が醒めたような気がするが、次にはっきり目が醒めたのは9時だった。やっぱりレンドルミン2錠では足りなかったようだ。いったん中断した眠りを再開させることが難しい。そこへ1時間程度で血中最高濃度に達するというハルシオンは、中断した眠りにも有効なのだろうか。
こういった安定剤や導眠剤は、昔は依存性や副作用が指摘されたが、今は本当に良くなっていると聞いている。アルコールとの併用はもちろんNGに決まっているが、一日の終わりに多少のアルコールを「写真と差し向かい」で摂取すること、そして薬で安眠を得ること、どちらも今の俺にとっては大変に重要なことだ。

今朝はうす曇り、比叡山の山頂はややかすんでいた。
朝のことを済ませて、花を活け換える。イズミヤで買った黄色い「すかしユリ」はぽとぽと、と残っていた花が落ちてもう花が2輪になっている。神田ぱんさんからいただいたアレンジの白いユリはまだ生き生きしているので、花瓶にすかしユリと一緒に活け換えた。アレンジの残りの花や緑は、花瓶とガラスの小瓶などに活け換えた。
その後昨日コンビニで買ったタマゴハムドッグとペットボトルの小岩井ミルクコーヒーで朝食。新聞を取って戻る。
しばらくすると荷物が届いた。見るとお袋からで、たらこと生ハム、クリームチーズ、あとは三津子が載った昔の新聞や雑誌の切り抜きが入っていた。
たらこはたっぷり入ったパックが2つもあって食べきれない。俺が先日電話で話した時に「たらこはいいから筋子を送って」と言ったのを間違えた、とその後の電話で聞いた。明青さんに料理で使っていただこう。
切り抜きの入った袋をあけてみると、ほとんどはこちらで持っているものだったが、懐かしいものもあったので、しばらく読みふける。
そんなことんなでもう2時。外は日が射したり曇ったり。
その後リビングのテレビにパソコンの画面を出力し、ネットのニュース等を見た後、ゴミ袋がっぱいになったのでゴミ袋に開け、ついでに縛って下に捨てる。戻ってきて手を洗い、台所を何気なく眺めていて、発作的に掃除を始める。
この部屋の台所は夫婦二人で居た時からちょこちょこ掃除はしていたので、それほど汚れてはいない。料理は三津子がメインで俺が補助、洗い物は気が付いた方で、食洗機の操作は俺。それからキッチン全体の掃除は俺がやっていた。そう決めたわけではなく、元々俺は掃除が好きなのと、自然に役割分担が出来ていた。
ちょこちょこ掃除はしていたといっても、隅の方に手つかずで積んであった箱類なんかもあって、これを機会に要らないものは捨てる。
三津子が食欲のない朝、何かしら「胃に入れなきゃ」と言って買ってあったコンビニのカップスープの箱。開けてあるのも入れて2種類ずつ4箱。シリアルの手つかずの袋が1つ。もう賞味期限が来ているのは捨てる。シリアルも、俺は食べないな…と思うが、あの人が手に取って買ったと思うと、そんな袋もの一つにも何となく執着が沸いて困る。二人で買い物をしていた、何気ない日常が蘇る。
キチンと輪ゴムで縛っている使いさしのパン粉や小麦粉、唐揚げ粉…この先俺が一人で使うことなんてあるのだろうか。二人でグラタンをベシャメルから作り、オーブンで焼いて食べたりしたけど、もうやらないだろう。
にんじんとたまねぎの掻き揚げも、活きのいいエビをサッと素揚げにして塩レモンで熱々で…何もかも、二人だったから「美味しいね」と言い合って食べた。そのために買ったものは、一人ではもう作らないし、作れない。作ったところで一緒に食べて笑い合う三津子はいないから、面白くも楽しくもない。
部屋に居る時はしょっちゅう、無意識で三津子に声を出して話しかけている。この間はエレベータを待っている時に「今日も暑いね」と思わず一人で喋ってしまい、あせった。外でこれがクセになると、完全に危ない人に見られるだろう。
小一時間かけ、壁は重曹クリーナーで磨き、油汚れはアルコールで、シンク周りはハイター系の泡洗剤で綺麗にしていく。それらを終えて最後はいよいよ油で汚れたレンジフィルターの交換だが、さすがに力尽きたので、5時半過ぎにやめた。
「あなたもうそれくらいにして」と、いつも彼女が頃合いを見て言ってくれていた。仕事にしろ掃除にしろ、時間を忘れて没頭する習性の俺に「体にさわるから」と休符を入れてくれた。
5時半になったらそろそろ「オワリの支度」、6時になったら「仕事はおしまい」。京都に来てからは、そんな感じでお互いが暗黙のルールを作っていた。

一日中家にいると、時間の感覚が無くなる。一人になると余計にそうだ。腕時計をする習慣がすっかりなくなって、こないだから携帯を持たずに出ることが多くなったことに気付いた。
誰のために時間を気にするのか、誰のために体や健康に気をつけるのか、誰のために生きるのか…と考えると、虚しい。虚しいが彼女によって守られ生かされている以上、投げやりに生きることはしたくない、してはいけない。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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