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2009-07-24(Fri)

原稿整理つづく

7月24日(金)

もう夜8時前になった。

今朝、目が醒めたのは5時過ぎ。それからまた8時半に起きるまで朦朧。今日はいい天気だった。

午後はずっと仕事をしていた。
復刊予定の3冊『性悪猫』『しんきらり』『ゆらりうす色』の原稿は何とか箱から探して出してあるのだが、まだそれ以前の原稿や原画の整理を終えていなかったので、整理できていない。
個人的には『性悪猫』は青林堂版のオリジナルが口絵も入っていて、A5判という判型と上製本という作りも一番いいと思う。だが布クロスはもう不可能だし、それに頁数も少ない。
それでも布クロス上製、厚い本文用紙…というスタイルは当時の青林堂だから出来た造本だ。見返しに散りばめられた猫のイラストといい、本当に丁寧に作られ愛蔵にふさわしい名作の体をなしていると思う。
僭越を承知で言えば、本文の最後のあの名作「おひさまいっこあれば」に見開きで奥付というのはちょっと…とは思う、でも素晴らしい本だと思う。
ちくま文庫『新編 性悪猫』はその意味でボリュームはあるが、文庫という大きさはともかく青林堂版の読後感、余韻に比べると薄まった感じがある。けれど本としての読み応えはある。
『やまだ紫作品集5巻』はその上に青林堂版『鈍たちとやま猫』を合本したので、これはもう『性悪猫』ではない。しかも本の最後は酔っぱらって描いた「たま」の知久さんとの下ネタ満載の「ヘタウマ絵しりとり」なので、余韻もヘチマもあったものではない。
これは別に編集が悪いとかそういうことではなく、あれには「影」として俺も参加しているし、やまだは「悪ノリ」していたのだ。

俺としては個人的にはやっぱり思い入れのある青林堂版で再発して欲しいという希望はあるが、カバーの油彩画はもう失われた。カバーを変えて、青林堂版に同時期の猫マンガを加えて新・新編とするかどうか、悩ましい。
乱暴な合本のようなものにはして欲しくないし、かといってざっくりと削るとなると、青林堂版をお持ちの方がまた手に取るメリットはない。それに削られた作品を今後出せる保証もないから、難しい…というわけで、詳細は版元さんと相談しましょうということになっている。

いずれにせよ原稿は整理しなければならないので、『作品集5』と書いてある原稿の入った手提げ袋を納戸から出して、順番に取り出しつつ原稿の枚数を確認し、新しい封筒に作品ごとに入れ直し、作品名、頁数、判明している限り初出や収録単行本名などを書き入れていく。

ちくま文庫の「新編」のトップに収録された「出口」(8P)は元々青林堂版の『性悪猫』にはもちろん収録されておらず、青林堂版『はなびらながれ』に収録されていたものだ。これを文庫にあたってなぜトップに持って来たのかちょっと意味がわからないが、おそらく猫が出てくるからであろう。
青林堂版の収録順に原稿を確認し一作一作整理していくが、あの「COM」の誌画作品が原型の一枚作品「日向」が欠けていた。手提げ袋には、Kちゃんの字で「日向 抜け」と書いてある。Kちゃんというのは次女のゆうちゃんの友達で、アルバイトで一度原画の整理を手伝ってくれたことがあり、その時のものだろう。やまだの漫画のアシスタントをしてくれたこともある。
文庫収録時点で一枚欠けていたのか、青林堂版の返却時に欠けたのかは不明。とにかく青林堂版は「日向」一枚以外は全て揃っていた。トレーシングペーパーを原画の幅より大きくかけてある作品も多く、そういうものは封筒を切って2枚貼り合わせ、大判封筒を作って入れ直す。けっこうな手間と時間がかかるが、原稿を束でぼこっと手提げ袋へ入れておくよりはいいだろう。

あと「長ぐつ はかない ねこ」はちくま文庫版『新編』にあたって「猫の手帖」3P連載ものを7編つなげて、扉絵を一枚描き加えたものだ。つまりそれぞれが独立した3P作品で、収録時にタイトルを改めてつけてある。「ガロ」連載の『性悪猫』や『しんきらり』もその方式=連載時個別タイトルなしで、これが連作でない限り初出掲載誌の確定を難しくしている。
これら「猫の手帖」作品も、初出が81年から82年の連載作品ということしか判らず、詳しい月号が不明。こういう作品はリストを作っていても、本当に困る。「猫の手帖」はもう存在しないから、バックナンバーがなければもう調査のしようもない。版元が倒産してしまえば調査の難易度が大きく上がる。
20年以上前のバックナンバーを全て揃えている奇特な人っているのだろうか。…まあ事実上無理、ということだ。
従って「まとめて一本」扱いという、つまりは文庫版のくくりのまま整理するほかない。
初出の正確な記載は本当に大事だと思う。

ただ文庫版にも作品集にも収録されていない、つまりは「未収録」と思しき同連載の3P作品が2本入っていた。これは今回新に収録してもいいかも知れない。こういう発見は嬉しいが、途中ネットで検索したり、封筒の切り貼りもあるのでけっこうな時間が経つ。
ここですっかり夜になってしまったのでやめることにした。
やっぱり気が付いたらアッという間に4,5時間が経っている。

休憩して「週刊文春」を読んだら、ちょっと嫌な記事を見た。
慢性骨髄性白血病にはいい薬が出来たということで、従来のインターフェロンに比べて生存率がぐっと上がったという記事。一見いい情報のように思えるし、まあそれはそうなんだけれど、俺の場合は「慢性リンパ性」だから病気の「型」が違う。
この病気は「白血病」とひとくくりに勘違いしている人が多いが、型が違えば全く効く薬が違うし、そもそも「型」というかタイプも厳密に分類すればもの凄く細かく別れるのだ。
記事では薬によって生存率も「7年生存率」がインターフェロンの36%から86%に飛躍的に上がったと書いてある。確かけっこう前に見つかった薬のはずだが、そうか、7年生存率のデータが確定したということは十年ほど前から使われていたわけだ。
しかし、そうは言ってもつまりは服用から7年経てばやっぱり「生・死の問題」なわけで、それはまあ俺も同じ道程を歩んでいるわけだ、ただし薬なしで。
なので発病、というか俺は病気の発覚からもう丸4年が経っているので、どう考えても俺の余命は長くてもあと4〜5年というところだろう。
でも当初、「あと一年持たない」と言われ、その時に「あと10年生きられるようにしてあげる」言われたら歓喜していたと思う。
それが4年経ってあと4〜5年だと思えば、別に怖れることはもうないのかも知れない。

それに俺が一番怖れていたのは、俺が死ぬことではない。
最愛の連れ合いである三津子を遺して、先に死ぬことだった。
それも、彼女が逝ってしまったので、もう心配しなくてもいい。あとはあの世で再会出来ることを祈るだけだ。

今現在一番心配なのは、とにかくやまだ紫の作品の整理と、作品を後世に伝承する準備を終えておくことだ。単に遺品の整理、原稿の箱を保管するだけなら子供たちに任せることも出来るが、作品の管理というのは初出も含めたリストの把握、そのための掲載誌の管理や推理など、付帯する作業が山ほどある。出版や編集に明るく、しかも連れ合いであったという俺以外に誰が出来るか。
よく「なんでも鑑定団」ではないが、オリジナルの原画と複製の差でさえ素人にはなかなか判らないものらしい。もっとも最近の複製技術は相当高いので俺でも高度な美術品の複製なら判らないが、やまだの時代のものなら紙焼きか原画かぐらいはすぐ判る。4C(一般で言う「カラーグラビア」)なんか網点があるから判らない方がおかしい。
なのでどれが大切でどれがそれほど重要ではないか、という判別がすぐに出来る。写植の脱落やトレペがけなど、ノウハウは編集者なら了解しているから、とにかく俺がまだ元気で動けるうちにやっておかねばならないのだ。
そういうことを終えてしまえば、あとはゆっくり身辺を整理していけばいい。
とにかく文春の記事を読んで、自分があと何十年も生きられるわけではないという「現実」に改めて気付かされた。知ってはいたが、日常あまり考えないようにしていただけだが。

何のために生きるか。それは愛するひとのためだろう。
その人がもう死んでしまったので、以前ほど生というものに執着がなくなった。でもまだ死ぬわけにはいかない。やることが山積なのだ。
そして俺しか作業をやる人間はいないのだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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