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2005-04-09(Sat)

岡田史子さんが亡くなった

 今朝の読売新聞物故欄を見て驚く。岡田史子さんの死亡記事があった。今月3日に心不全でとのこと、まだ55歳の若さだ。「近年は筆を断っていた」とある。
 岡田さんは高校在学中の1967年に「COM」でデビューし、天才少女と言われた人だ。その絵柄から少女漫画に分類されているけれど、作風は幻想的なもの、詩的なものが多く、哲学的とさえ言われた。もう十年くらい前になるが、一時四方田犬彦さんの尽力などもあって、作品集が再刊行された(「岡田史子作品集」NTT出版)。オリジナルのサンコミック版は入手困難だったので嬉しかった。またあのまんだらけからは未発表作品が限定発売されるなど、「マス・コミック」しか知らぬ人たちにとっては無名かも知れぬが、その評価は依然高い。
 少女漫画といえば王道の恋愛もの、ラブコメだったりスポーツものだったりという時代、岡田さんの「COM」からのデビュー、そして独自の作風で作品世界を確立した創作活動は、少女漫画界にも少なからぬ影響を与えた。「ガラス玉」「ピグマリオン」が代表作と言われるが、実はたくさんの素晴らしい小編を遺している。それにしてもまだ55歳の若さで…と思うと悔しい。
 わが連れ合いであるやまだ紫は同じく「COM」でデビュー、紙面への登場は数年遅かったものの、当時はよく比較されたという。絵柄で言うとやまだ作品より岡田作品の方が少女漫画寄り。そして同じく独特の作風を築くが、岡田作品の方が形而上学的印象が強いか。やまだ作品は人の内面をよくモノローグで描いており、岡田作品は同様の作品もあるがやはり作家の精神世界が難解に描かれている感を持つ。
【ちなみによくやまだ紫に近藤ようこ、杉浦日向子を加えて「ガロ三人娘」として語られた時期があったが、世代的にもキャリアもやまだ紫は一世代上、そして近藤・杉浦お二人ともやまだのアシスタントをしていた経験があるから、俺は三人を人まとめに「娘」呼ばわりは無神経だと思っていた。】

「ガロ」では優れた女流のさきがけとしてつりたくにこさんもいたが(膠原病で夭折)、「COM」の岡田史子さんも逝ってしまわれた。
 つりたさんがジョン・レノンだとすれば岡田さんはジョージ・ハリスンか。となるとやまだ紫にはポールばりに長生きをしつつ現役でいてもらいたい。(<何の喩えだ、じゃあリンゴは誰よ??)
 …岡田史子さんに、合掌。
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コメント

あのころ....

時期ハズレのコメントですみません。実は最近大量にアノ頃の漫画が出てきたのです。(今日はすてきなコーラ、ハロードク、白いトロイカ、グラナダの聖母とか読みました)矢代まさこさんとあすなひろしさんの作品も白い霧の物語とか聖者の行進とか、ようこシリーズまでありました。

それもコミック本でなくて本をバラしたかたちですから、当時に気持ちが戻ってしまうのですね。岡田史子さんのCOMとファニィに書かれた作品を読むと.....憂鬱な、身の置場のないような、アタマがひんやりツメタイのにカラダもココロも余熱に炙られているような感覚が思い出されてならないのです。

岡田史子さんが西谷祥子さんのファンでもあったこと、(石森 水野 大島 たしか矢代さんの作品も好きだった)アシスタントもしてたらしいこと あまり書かれていません。

.....わたしは岡田さんが棄ててしまったという少女まんが....見たかった。書くって身を売ることに等しいと思う、魂は売らないで。最初のガラス玉で岡田さんはあとにひけなくなってしまったのではないか....と思うことがあります。

  なにかを切り捨ててもいいじゃないか.....ぐちゃぐちゃになっても制約のなかで書きつづけてほしかった....ひとに伝えようとしてほしかった.....岡田さんの人生がひとつのものがたりとしてもね.....同世代としてしみじみ思います。


はじめまして。

コメントありがとうございます。
津野さんはガロと別マほぼ同時というところが凄いところですよね。当時確か上京を勧められたそうですが、地元の生活の方がお好きということでそのままマイペースでの創作を選択されたということを伺った記憶があります。
それにしても長井さんも南さんや渡辺さんもそうですが、川崎ゆきおさんや蛭子さんを当時(三十年前)デビューさせたことって凄いですよね…
その後ヘタウマブームとか不条理漫画が流行ったりと、メジャーの「漫画」という枠も拡がって今に至ってますが。

あすなさんの追悼サイトは本当に素晴らしいと思います。できれば、「追悼」じゃなかったらどんなに良かったか、とも…。

お返事ありがとうございます

白取さん、はじめまして。

岡田史子さんについては亡くなる前に作品集がきちんと出揃っているので、マンガ好きで読んでない方は伝説のまま葬られないようにとにかく読んでみてほしいです。有名なマンガ家でも昔の作品が古書店へ行かないと見つからない状況にあってはとても恵まれているといえますが、それでもいつ品切れになるかわかりませんので。
あすなひろしさんの時はいろいろご縁があってお会いした時にはもうガンが見つかって半年もたたぬ間にかなり進行していて、あっけなく亡くなられてからそれが水野さんに伝わって訃報を出した時点でとにかく単行本がみな品切れ絶版になっていましたから書店で追悼フェアもできないわけで再販もされないのかと唖然としておりました。70年代にジャンルを問わずに活躍していたにもかかわらず、主に60年代の少女マンガファンと70年代の少年マンガファンがほとんどお互いつながりがなく全く個々に伝説化していたことがわかってびっくりしたくらいですから、高橋さんが追悼サイトを立ち上げて選集を出版するという英断がなければ今頃どうなっていたのか、と思います。

森下裕美さんはガロにデビューした年に少年ジャンプでもデビューして連載も一度していて、あの少年アシベも、もとはといえばガロに掲載した4コマの作品(名前を失念しました)の中の一エピソードから始まったのを覚えています。
津野裕子さんの「マンガマスター」でのインタビューによるとガロとほぼ同時期に別冊マーガレットでもデビューはしていて、僕は別マのほうのデビュー作を覚えていないので驚いたのですが(デビュー作以降描いていないのでしょう)、私が津野さんのすばらしさを少女マンガ好きの知人友人に訴えても同人誌によくいるタイプくらいの反応しか得られなかったのが、つい最近になって少女マンガファンの中からこんな作家がいたのかという声が聞こえたりして複雑な思いです。
昔ながらのガロの愛好者にとってこれらの女性作家の評判はそれほど芳しいものではなかったような印象もありましたが、森下さんや津野さんの例を見てもやはりガロの先見の明というか、ジャンルを問わず才能ある作家をデビューさせた長井勝一さんは本当に偉大だったと思わずにはいられません。

コメントありがとうございます

>龍騎さん
そうです、当時の「ガロ」に普通の書評より大きめに枠を取って書いたのを記憶してますが…よく覚えてましたね!もう十何年前かな。

>lacoさん
はじめまして。
森下さんも「ガロ」出身だということを知らないファンも多いですね、「少年アシベ」ブレイク後は。
森下裕美「少年」入選1982年4月号
松本充代「糸口」入選1982年6月号
津野裕子「冷蔵庫」入選1986年5月号
という感じですので、読み始めた頃というのは80年代前半ではないかと。
いや、自分も物忘れが最近ひどくて(笑)、ローリングクレイドルさんの労作「ガロ・クロニクル」(未完成版)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~rolling/Garo%20chronicle.htm#1980" target=_blank>http://www5e.biglobe.ne.jp/~rolling/Garo%20chronicle.htm#1980
を参照しつつ、です。
岡田史子さんが「従来の少女漫画という枠からはみ出す」という意味では、「COM」亡き後の「ガロ」の果たした役割は大きかったでしょうね。もっとも「ガロ」は従来の「漫画」という枠からはみ出す、というよりそんな枠など最初から存在しないかのような雑誌でしたが。(ごく初期は、貸本漫画や劇画の流れも汲んでましたが、佐々木マキさんの登場は衝撃的だったと思います。もちろん自分も後追いですが…)

>natunohi69さん
私も「やまだ派」でした(笑)。
実はやまだに直接岡田さんの訃報を伝えたところ、やはり驚いていました。
自分が「当時比較されたりしたでしょ」と聞くと、
「自分はそういう意識は全然なかったんだけど、岡田さんの方は年も下だったせいもあるのか、こちらを意識してた様子はあった」と言っていました。何かの集まりの時、話しかけては来なかったものの、自分を見る視線を時折痛いほど感じた、とも言っていました。
そのあたりの「時代」とか「空気」とか、後の世代では全然体験できない、何かこう悔しいというかうらやましいというか、そんな憧れみたいなものも感じますね…。
いや、つりたさんがジョン、岡田さんがジョージ、やまだ紫がポール…というのは単に順番的に喩えただけで作風とか人柄とか全く無関係です、変な喩えでスミマセン(笑)。ただ自分で言っといてアレですが、岡田さんややまだはともかく、でもつりたさんは確かにジョンぽいかも…女性作家なのに「無頼」な雰囲気を感じました。
つりたさんといえば、昔長井翁に、
「水木さんたちと何かの集まりの時にさあ、つりたさんもいたんだよ。つりたさんはホラ、何ての、ホットパンツっての? 太ももが出てるのはいててさ。水木さんがそれをチラチラチラチラ見てるんだよな」
って話を聞いたことがあります。さすが(?)水木さんだな、と思いました。
(二重投稿分は削除しておきました、gooは12時前後は激重ですね…迷惑です。)

二重投稿すみません。

すみません。gooが、かなり、こみあっていたようでなんとか投稿しようとしたら結果的に二重投稿になってしまいました。ご面倒でしょうが、先に投稿した2005-04-10 00:01:57の方を削除いただければ幸いですが・・・
本当にすみません。

岡田、やまだ両先生の時代。

確かに『COM』読者の間で岡田、やまだ両先生の作品が比較された時期がありましたね。しかしヨイショするわけではないのですが私は断然「やまだ先生派」でした。なぜって確かに岡田先生の描く作品は素晴らしかったけれどあの登場人物の<眼>が怖かったのです。あの何も見ていない空洞のような<眼>が。それに比べるとやまだ先生のお描きになる猫の<眼>はしっかりと世界や自己を見つめていてはるかに共感できました。岡田先生は確かに天才だと思うし亡くなったばかりの時にこんなことをコメントするのは失礼かと存じますがどこか『行っちゃっている』作家(私は何故か尾崎豊を連想するのですが)に思えて無批判に教祖化するのは危険だと思うのです。

つりたくにこ先生がジョン・レノンだとは言いえて妙ですね。1970年12月の『ガロ』増刊『つりたくにこ特集号』は今でも私の本棚の大事な一冊です。『彼等』以後の作品をもっともっと読みたかったです。

ガロ三人娘という言葉は今手元にある私が在籍していた当時の某雑誌の『「ガロ」編集長』出版記念パーティーの取材写真でやまだ先生を中心にした三先生のスナップショットのキャプションにもついていますし、私もその言葉を使用したことがあります。無知と無神経をお詫びいたします。

岡田先生のご冥福を祈りつつ。

いろいろと忘れることが多いです

はじめまして。
岡田さんの訃報を知ったもののそこからつりたくにこさんの名前が出てこなくて、自分でも物忘れがひどくなったと思います。
やまだ紫さんもCOM出身だったのはガロを読み始めた頃は当然知っていましたが、こちらもいつの間にかうっかり忘れておりました。読み始めた頃というのが森下裕美さんがデビューしたあと、松本充代さんが活躍し、津野裕子さんがそのあとデビューしましたから、80年代の後半くらいだと思いますが、岡田さん以降の少女まんがをはみ出す女性作家の流れはもしかするとガロが担うところもけっこうあったのでしょうか。

ショックです。。。

NTT出版から出た「岡田史子作品集」は当時ガロの書評で読んで、すぐに買いました。(たしか書評は白取さんだったような。囲みで少し大きく扱っていたような。。。記憶チ違いだったらすいません。)
まだ55才ですか、早すぎますね。。。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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