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2009-07-28(Tue)

診察日・原稿は東京へ

7月28日(火)

昨日は寝る前、どうにも腹が張って一日便も出なかったせいか苦しかった。朝から掃除だ何だと働いたせいか、両腕に痺れのような痛みもあって、やっぱり病人は無理しちゃいかんなあと思った。
夕方5時ころ小学館クリエイティブのKさんを見送ったあとは、ビールの代わりにオレンジジュースやお茶、水などの水分を多めに採った。昼間だらだらと汗を出して掃除をし、シャワーを浴び、水分不足の上にビールしか飲んでいなかった。ビールは水分補給というよりは利尿作用があるので、実は逆効果。ゆえに夕べは11時ころ同眠剤を飲み、早めに2階へ上がって休むことにした。

しかし一仕事というか一段落区切りがついたこと、やまだ紫の代表作である3冊が年内に出せそうだというメドがついたことが嬉しくて、気持ちが高揚してしまったのか眠れない。暗い中、
全部、あなたの人徳と遺した素晴らしい作品の賜だよ。俺はそのホンのちょっとの手伝いをさせてもらってるだけだし、そのことを誇りに思う…。
結局1時近くまで眠れなかった。

今朝目が醒めると7時ころだった。
今日は十週間ぶりの自分の診察日だ。
外は薄曇り、比叡山頂はひとかたまりの雲に隠れている。予報では午後から雨が降るというので、折りたたみ傘を用意しておいた。
朝はペットボトルのミルクコーヒーを飲むと、しばらくしてようやく便が出たので、ホッとする。夕べから続いていた腹の張りもおさまったが、昨日夕方からの水分補給が過ぎたのか、逆に下痢を2回。やれやれ、やっぱり「特急」か。
京大病院の診察予約時間は10時10分。採血は1時間前が目安だから、8時45分ころに支度をして出た。

道路を向かい側へ渡ってタクシーで病院まで。960円。東京に居た頃より、往復してもまだ安い。
すぐ自動受付機で連絡端末を受け取って、二階の採血受付へ行くと、なぜか長蛇の列だ。前の父娘らしい二人連れも「おかしいなあ、いつもこんなんあらへんのになあ」と顔を見合わせている。9時5分前くらいには並んでいたと思うが、俺もこれじゃいったいどれくらい待たされるんだろうと戦々恐々。
しかし5分くらいでじわじわ列も進み、番号はA-174。AかBかは採血カウンタの違いで、174人目ということで、いつもと比べてそれほど多くはない。何でこんな行列だったんだろうと不思議な気持ちで座って待つと、けっこう早く数字が移動して、採血室の中の待合へ移動。そこで4〜5分待って順番が来て、採血が終わると9時10分台だった。
まあ診察予約時間まで1時間あるから、結果も間に合うだろうと思い、同じフロアの血液・腫瘍内科の外待合に座る。それからまた下痢でトイレへ行く。

それからずっとひたすら待ち、10時10分になっても端末は「病院内でお待ち下さい」のまま微動だにしない。普通は診察時間が近づくと「外待合へ」になり「中待合へ」となり、最後は「診察室へ」と、その都度バイブレータと音と共に連絡表示が変わっていく。
延々30分過ぎてようやく「外待合へ」となるが「もう居るし…」と思いつつ、近くでゲヘンガホンとマスクもせずに咳をしているオバハンが居たので、離れている採血受付の方の椅子へ移動。
吹き抜けの病院メイン受付のフロアを見下ろしてひたすら待つ。大画面のテレビではNHKの「まほろば総体」(?)の開会式の様子を写しており、皆それをぼーっと眺めている。
1時間近く経ったところで「中待合へ」となったので、診察室前の廊下の椅子へ移動。I先生の診察室の前の椅子は埋まっていたので、奥隣の診察室前に座って待つ。ちょうど一人患者が出て行き、入れ違いに一人入ったところで、次かな、次だといいなあと思いつつ待っているとその人が15分近く経って出て行き、それから数分で「診察室へお入り下さい」と手元の端末が鳴った。11時15分か20分だったか。

I先生は「お変わりありませんか」と言われるので「ないですが連れが亡くなった後は不眠が多くて…」と訴える。今は処方していただいたレンドルミンを1錠ではなく2錠飲んでいると伝えるが、今後そうして、それ以上別なものを増やさない方がいいということになる。
採血の結果も変わりはないということだったが、血液中のリンパ球の割合などが細かく出るのを待っていたが間に合わなかったとのこと。でも他の所見では変化なしということで一安心。その後ベッドでいつものように脾臓の大きさも測って貰うが、変わりないということ。良かった。
このところ「ビールが好きなものでちょっと尿酸値が…」と告げると、「ああ、夏はおいしいですもんねえ」と笑われてしまう。でも尿酸値が上がるのはこの病気の傾向でもあるそうだ。今はザイロリック錠で抑えており、副作用も出ていないから「このまま薬を飲み続けていきましょう」ということ。心配していたγの値は140と高めだったが、これはビールのせいだろう(笑)。
最後に「今は慢性の骨髄性白血病にはいい薬があるそうですね」と言うと、
「そうですね、あれはもう10年ほど前から使われて効果をあげてるんですが、白取さんのタイプにはまだ…。」とのこと、それは俺もよく知っている。
「でも、もう時間の問題だと思いますよ」と言われる。確かにここ10年15年の医学の進歩はそれ以前とは比較にならぬスピードで、新薬も次々と開発されている。白血病についても各国が分担でゲノム解析を行っていて、たしか「慢性リンパ性白血病」はスペインの担当じゃなかったか、何かで読んだ記憶がある(スペイン…シエスタ…ワイン…と思うが頑張っていただきたい)。
「それまで病気が大人しくしてくれればいいんですけどね」と言うと、先生も「そういうことですね」と笑顔で言われる。とにかく今のところは俺の癌も大人しくしているようなので、次も10週間後でいいでしょうということで、次回は10月6日の同じ時間ということになった。

御礼を言って診察室を出て、心の中で
「三津子、ありがとう。また進行が無かったよ」と報告する。報告というより、彼女が守ってくれているのだ。有り難い。俺にはまだやることが残っている、それまではちょっとだけ待っていてよ。
いずれすぐ、逢いに行く。でもまだ、ダメだ。

それから下へ降りて会計に並び、10分足らずで2千いくらと金額が端末に表示されて支払いを自動精算機で終えた。
朝から何も食べておらず、下痢ばかりでさすがにお腹が空いたので、病院のレストランで醤油ラーメンを…と思ったらちょうどお昼前で客が並んでいるのが見えた。どこか外でというのも一人じゃつまらんし、何かを食うと大量に発汗するから、ここで済ませておこうと思いドトールでレタスドッグと黒糖ミルクコーヒーを食べた。

食べながら、三津子が脳死状態にある間、ここでレタスドッグを食べたことを思い出した(連れ合いが倒れた 17 )。彼女が元気だった頃だって、お互いの診察日にはお互い相手を待って、醤油ラーメンを二人で「おいしいね」と食べたこと(京大病院の「醤油ラーメン」 )も、今はすっかり大きな囲いが出来た癌研究棟の基礎工事を何十分も眺めていたことなども思い出す。でも泣かなかった。
食べ終えてすぐタクシー乗り場へ行くと、雨がぽつぽつ降ってきた。傘があるのでそのままうちの近くのスーパーへ向かって貰う。道々、やっぱり彼女と一緒に入った店、歩いた道を見ていると、濃密な京都での一年半の記憶や思い出が蘇る。でも、泣かなかった。

スーパーで来客用のスリッパ、俺の室内用サンダルがいかれたので新しいのと、ご飯を冷凍してそのままレンジで解凍出来るパックなどを買う。今までは薄手のビニール小分け袋で冷凍していたが、あれはレンジで解凍するともの凄い大きさに膨らんで破裂するのだ。どうでもいいが。
それから食品売り場で今日の晩、明日の日中のもの、総菜などを買い、花屋でバラを2束と小さな蘭の一種…名前を忘れた花を買い、歩いてマンションへ帰る。両手に荷物を持っていたが、幸い雨は上がっていたので助かった。
途中マンションの隣の調剤薬局に処方箋を渡して「後で取りに来てもいいですか」というと快諾してくれる。

部屋に戻ると汗だくだった。
冷凍食品や野菜などを冷蔵庫へしまって、花を花瓶に活け、三津子に手を合わせる。
「ありがとう、君のおかげでまだこうして進行なく生きていられるよ」
それから隣の薬局へ降りて薬を受け取って戻った。
宅急便のに原稿を入れた大箱を取りに来てくれるよう頼み、一息ついたらまた下痢。

詳しくは書きたくないが、ちょっとまずい傾向があった。
今は猫たちの世話も俺しか出来ないし、三津子の本のことも原稿や原画の整理も、とにかく俺じゃなきゃダメなことばかりだ。
きっと、ここ数日自分でも無理をしすぎたと思う、だから疲れが出たんだろう。だって俺、癌患者だしな…。
怖い、という気持ちよりまずい、やばい、もうちょっと待ってくれ、という思いが強い。まだ死ぬわけにはいかない、もうちょっと、三津子のためにやることがある。それまでしばらく猶予を下さい。午後1時50分


そのあと、思潮社さんに電話をして「専務の小田さんはいらっしゃいますか」と告げる。小田康之さんは思ったより声の若い方で、こちらがやまだ紫の夫というと、小田久郎さんから話は聞いているとのこと。
『樹のうえで…』はかつて思潮社が出していた「ラ・メール」での連載作ということもあるし、ぜひにと言っていただく。
筑摩書房から出た版は、ずっと「品切れ」のまま放置されていたのでやむなくCD−ROM化をしたが、その時に描き下ろしたものがカラー作品であるのと、近年短歌誌「コスモス」さんに連載した同じ形式の詩画作品が20本ほどあるので、それらを増補すれば以前買って下さった方も再び手に取っていただけるのではと言うと、それはぜひ、と言っていただいた。
現場と話してこちらへ来ていただくなり、詳細は相談の上ご連絡しますと言っていただく。
良かった。話している途中で有り難さで少し涙が出そうになって声が震えて困った。でも本当に良かった。
電話のあとは、今日は休むことにしてソファに転がる。


午後2時51分、たった今ヤマト運輸が三津子の原稿を収めた大箱を預かって行った。
彼女の名作、入魂の原稿。『性悪猫』『しんきらり』『ゆらりうす色』…。
原稿が東京へ向かった、いや、帰って行った。
しばらくはまた本になりかたちになる日を待つ。
写真に手を合わせ、「送ったよ」と報告。
俺はまだ「死ぬ準備」も完了していない、原稿の整理も単行本の話も進めなければ。
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コメント

Unknown

訃報で初めてやまだ先生の存在を知った者です。
この度はやまだ先生の作品が出版されるとのことでおめでとうございます。
白取さんのブログでどうしてもやまだ作品を読んでみたくなり、
オークションなどでパート主婦の私でも買える値段のものをぽつぽつと買って読んでいます。
しんきらりや性悪猫などは出ていても高値で
売られておりどうしたものかと思っておりました。
私のような新規(?)の読者が一つでも多くやまだ先生の作品を読むことができるようになることを、願っています。
おからだ、ご自愛ください。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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