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2009-07-29(Wed)

神の見えざる手

7月29日(水)

夕べは12時過ぎには眠れたが、朝方4時過ぎにまた目が醒めた。寝ようとしても寝られない。下へ降りてレンドルミンをもう1錠飲み、すぐにベッドに戻る。その後5時過ぎあたりから何とかうとうとする。

途中、一度だけリアルな夢を見た。

いや、夢なのか何なのか、俺は夢の中でも同じようにベッドに寝ていて、ふと枕元に目をやると、東京で使っていた大型ブラウン管テレビを置いている場所に、三津子が立っていた。
思わず大きな声で「みつこー!!!!」と叫んだ。
実際に声を出したかどうか定かではない。ただそれで、はっきりと目が醒めた。
怖いとか悲鳴などではなく、もちろん、とうとう出て来てくれた、来てくれたんだという喜びと、嬉しさしかなかった。自分では大声外はもう明るく、時計を見ると7時ころだったか。

彼女が立っていた…はずの場所には元通り大型テレビが置いてあって、その上には不要なコード類を突っ込んだ箱が積んである。
三津子はそれらを置いてある脇にある、押し入れ部分が出っ張っている壁にちょっと寄りかかるようにして立っていた。そしてこちらをじっと見ていた。
笑っているわけでもなく、かといって怒っているようでもなく、ただこちらを見ていた。
上はフリースの白に雪の結晶模様のやつで、下はやはり赤のフリースでパンタロン型のだった。倒れた時の服装(白地に花柄、下は茶だった)ではないが、あの頃よく着ていた、ユニクロの冬物の室内着だ。
なぜか顔のあたりがぼーっと赤というかオレンジっぽく光っているように見えたのを記憶している。
もちろん俺は「大声を出した」のだけど、喉の感じから、どうやら俺が現実に声を発したわけではないらしかった。
だから今のは夢なのだ、と悟った。それでも嬉しかった。
夢ならばすぐに忘れてしまう。なので、ベッドに寝たまま、立っていた場所、表情、服、色などを反芻した。そういえば髪型が違った。10年ほど前のショートカットでパーマが少し伸びたような感じ。しかし着ていた服がつい最近のフリースというのが不思議だった。
とにかく忘れぬよう、覚えておこう…としているうちにまた寝てしまい、8時半ころにユキがベッドに上がってきて起こされるまで寝た。
今日は薄曇りながら比叡山頂はよく見えた。合掌。

朝のことを済ませて、下へ新聞を取りに行って戻る。
その後、昨日スーパーで買っておいたオムライスをレンジで温め、食べながら新聞を読む。

読売はこのところ、記事というか囲みで「マンガ50年」という特集を連載していて、劇画のあたりはけっこう面白かったが、このところは「ジャンプ」として『少年ジャンプ』について。
その中で漫画家の次原隆二氏が新潮社「コミックバンチ」で80年代前半の『ジャンプ』編集の現場をモデルに『リーダム』という連載をしていると紹介されていた。彼自身「よろしくメカドック」という作品(82年)で『ジャンプ』に連載していた漫画家であるが、堂々と
「マンガはマンガ家と編集者のコンビネーションでできるもの」
と述べているので、やはり「メジャー」「マス」の方らしいな、と思った。

俺の師匠である長井勝一翁は
「漫画ってのは絵とお話(ストーリー)の両方があって成り立つんだからよ、それを一人でやっちまう漫画家は小説家より絵描きより偉いっちゃ偉いんだよな」

と話してくれた。
この耳で確かに聞いているし、覚えている。
俺は今でもそう思っているし、たった一人で、「無」から「作品」へと昇華させる素晴らしい作家が「漫画家」であると理解して生きてきた。だからそういう人を俺は小説家や写真家や画家や詩人や音楽家と同じように「作家」と呼ぶ。「漫画家」も「作家」だと思う。
編集者の「助言」というのは確かに必要だが、俺の了解では、それは作家に「求められれば」の話である。調べ物をして欲しいと言われれば走り回り、どうも展開に詰まったと相談されればアドバイスはする。(もちろん「ガロ」なので、アシスタントをしろと言われればした)
こうしたらどうか、こうしてもいいんじゃないか。でも最終的にはそれらは「作家が決めること」だろう。
作家が世に問うことは「作品」という自分の「作家性」の発露としてのものしか、ない。
自分で自分の「作品」のことを「解説」したり「弁解」する人もいるが、そういうことは「あまりしたくない」という人が「ガロ」には多かったように思う。
当然取材などで聞かれれば仕方なく答えるが、例えば、やまだ紫はいつも
「何でいっつもいっつも、
『あなたにとって漫画って何ですか』とか
『あなたのなになにという作品はなにを言いたいんですか』とか、考えもなしに聞いてくるんだろう」

と言っていた。
「(そういう質問をされるたびに)うんざりする、作品読んでよ! って思う」
とも。
一読して幼児から大人までが、それこそコマを追っていくだけでその全てを「理解できる」ような作品は、それはそれで存在意義はあるだろう。
けれども「表現」とはそういう直裁なものだけではもちろん、ないだろう。
であれば「この作家はこの作品で何を言わんとしているのか」を考えることは、読み手にとって一つの愉しみであり喜びである。そしてそれは必ずしも作家の言いたいことと一致せずとも良いのだと思う。当たり前のことだ。
だから聞くとすれば、「私はこう受け取りましたが」という自分なりの解釈を述べるのが礼儀というものだろう。

「作家」とは作品を生み出す才能ある人間のことで、「編集者」とは単にそれを世に送り出すお手伝いをする人間だ。場合によってはサポーター、プロデューサー的なこともするだろう。でも基本的に作家が一番偉いのであって、編集者がオラオラと前に出るものではない。縁の下の力持ちでしかないし、それでいいと思っている。
実際プロの現場では小説でも漫画でも何でも「名作」の「作家名」は世間に知られるが、では担当編集者はと聞かれてもそうそう出てくるものではなかろう。
「メジャー」の世界ではしばしば、「名物編集者」として担当が有名になる場合もあるが、それは作家の側が「この人にお世話になりました」と言ってくれる結果であれば、喜びだと思う。でも自分から「俺が俺が」と出てくる編集にはロクな野郎はいねえじゃねえか、と昔から思う。(ただ取材や記事に関しては、責任の所在という意味で編集者であっても「署名記事」にすべきだということも、持論ではあるが)

「超」のつく大手の、「ド」がつくメジャーの、「マス」がつくコミックの世界では、当然ながら何度も何度も言ってきているように、「商売」「銭・金」「市場原理主義」という価値観優先になることは、幼児じゃないんだから嫌というぐらい承知している。
ただ「漫画家」と名乗るなら、一人で素晴らしい作品を世に送りだそうと思うのではなかろうか。自分が自分であるという煌めく個性と作品の輝きを目指すのではなかろうか。
でも世の中はそんなきれい事だけで食っていけるほど、甘くはない。ゼニカネのために平気で「編集者」の言いなりに不必要なパンチラを描かされたり主人公の名前を変えさせられたり話の筋そのものを変えられたり突然無理矢理打ち切られたり…を受け入れることも、それは全く否定しない。
ただ俺はそれを「作家」と呼ばないだけだ。個人的な価値観の話です。

たとえば編集者が「俺の言うことを聞け」「俺がオマエを育ててやる」「言う通りにしてれば売ってやる」「アンケート下がってるぞ!」「もっと読者にサービスしろや!」とマンガ屋の頭を押さえつけてブンブン振り回そうが、それでも「わかりました!」と出来る人がいるのを、俺は本当に凄いと思う。
尊敬するとかきれい事は言わない。尊敬は出来ないが、俺には絶対に出来ないという意味において、驚嘆する。だって普通、そんなことされたらそいつボコボコにして、以後商売で漫画描くのを辞める、俺なら。
「ガロ者」だから。
おなじ記事中、『ジャンプ』黄金期の名物編集者だった西村さんが
「新人賞で落選した原稿を、夜中に編集部員がコツコツと呼んでいた」と話しているが、この人は
「売れないマンガなど存在しないと同じ。売れるマンガこそいいマンガなのだ」と公言し憚らず、『ジャンプ』の黄金時代を作り上げた人ではなかったか。
いや、それはだからそれでいい。だが過剰なという言葉では追いつかぬほどの「アンケート至上主義」=「市場原理主義の極み」のような体勢で、いったいどれだけの才能が「人気がないから」ダメ作家、「売れないから」駄作、という理由で消えていったのか、俺はそっちへどうしても思いが行ってしまいます。
新人賞落選作を編集部員がコツコツ読む…それはどこの編集だって当たり前にやっていることだと思う。俺たちも、「ガロ」の毎月の入選作をどれにするか、毎日何通、日によっては何十と来る作品に目を通してましたよ。(「ガロ」の実売部数を考えたら、それは大変な投稿作数です)ことさらに自慢することでもない。
俺たちは「見たことのない個性の輝き」を探すために投稿や持ち込みの作品をコツコツ読んでいたが、「取りこぼした砂金が爪の間や服の縫い目に残ってないか」血眼になり金金カネカネ、ってことだって、別にそれはそれでよかろう。そのことを別に美談とか綺麗なことだと言わなければ、の話だが。
記事の結びは「アンケート至上主義が生んだ異様な熱気。それは(中略)やがてマンガ雑誌史上最高の発行部数653万部へと押し上げていく」となっている。そうですか。

『アサヒグラフ』…それにしても漫画といえば「マス」のコミックにしか目を向けない悪癖って、もう無くなったのかな。いや、かえって30年40年前の方が、新聞や週刊誌などの「マスコミ」様の中にも「いい漫画を取り上げてやる!」という気骨ある記者がいて、「ガロ」や「COM」を取り上げたり、作家を紹介してくれたよなあ…と思う。

そういえば先日、『アサヒグラフ』のバックナンバーの見出しに「新進マンガ家 やまだ紫の世界」とある号を発見した。1982年、4月23日号だ。単行本は『鳳仙花』『性悪猫』『鈍たちとやま猫』、そして『しんきらり』が出版されたばかり。凄みのある女流作家として注目された頃だ。
『しんきらり』を読んで、よく「世のオトコたちが震えあがった」という評判を聞かされたものだ。本人は「こっちから見たら当たり前のことを描いただけなのに」と言っていた。本当に、男って結婚した途端に無神経になるものだとも。いや、結婚する前も、している間も、ひょっとしたら終わった後も、女が基本的に男とは違う生き物であり、当然ながら女は妻であり母にもなるという「現実」に目を向けないだけなのかも知れない。
この『アサヒグラフ』では、後に『はなびらながれ』に収録される「烈風」という作品と、モノクロながら彼女の写真がずいぶんグラビアとして使われている。もちろん彼女はまだ若く、髪は長くてメガネはずいぶん大きい。
この「特集」内には、齋藤愼爾さんがやまだ紫へのインタビューを元に構成された文章を掲載されている。
先日、小学館クリエイティブのKさんが我が家へ来られた際、『しんきらり』の復刊について話していた時、この『アサヒグラフ』のことを思い出してお見せした。

Kさんは頁をめくると、
「ええっ、齋藤さんが書かれてるじゃないですか! つい一週間ほど前にお会いしたばっかりなんですよ。美空ひばりについてようやく本を出せたよ、って言われて一緒に飲んだんです」
と驚いていた。そして
「これ、『しんきらり』に載せませんか? 齋藤さんなら承諾していただけると思いますし」ということになった。
俺も、それは新しく手に取っていただける読者の方に、いいプレゼントになると思った。

ほら、「偶然」なんてない。
彼女の作品は、後世に残されるべきものとして、もう「神の見えざる手」によってことが動いている。
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確かに、やまだ先生の作品は後世に伝えれるべきだとおもいますが、それも白取さんが頑張って下さることもあります。体調管理に気をつけてくださいね。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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