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2009-07-30(Thu)

連れ合うひと

7月30日(木)

夕べは11時過ぎにレンドルミン飲んで床に就いたのに、2時過ぎまで寝られず、ようやく寝たと思ったらすぐ朝。足元になぜかシマがいて気になって目が醒め、朦朧としていたら今度はユキがにゃあにゃあ鳴いて起こされた。時計を見たら8時前。
「ユキちゃんちょっと早いよ」と声をかけるが平気でにゃあにゃあと鳴く。
結局そのまま8時すぎに起きる。外はいい天気になっている。青空に白い雲。暑くなりそうな気配。

朝は調子が悪く、カップ麺で簡単に済ませた。
ところでこの「どん兵衛」の「鴨だしそば」というのはなかなか関東の人には溜まらない味に仕上がっている。けれど関西人にはこの濃い目の醤油味が馴染めないのだろうか、冬に少しの間コンビニで見かけた後は、どこへ行っても置かなくなった。

今日は仕事をほとんど休み、10時過ぎに自転車でスーパーへ買い物に行った後は、ネットでニュースやあちこちのサイトを見たり、本を読んでだらだらと過ごす。
台所の流しにある蛍光灯が寿命で点滅を繰り返すようになったので、蛍光管を買った。我が家では引っ越してからほぼ2年間、24時間ついていた。蛍光灯は点滅を繰り返すようになるととたんに電気代がかかる仕組みになっているから、早めに取り替えた。
買い物は三津子にひまわりを2本と、あとは今日の夕飯に弁当と総菜類、野菜を入れて炒めるだけのレトルトおかずとか。
そういえばついこの間、お袋から電話があって話していた時に、俺が普通に掃除洗濯や料理をするというのを聞いて驚いていた。別に三津子が亡くなったからというのではなく、上京してしばらくは自炊をしていたし、団地で一緒に暮らすようになってからも普通に「言われれば」だが手伝いはしていた。
子供たちが独立して二人だけになってからも、お互いが助け合うのは当たり前だと何の疑問もなく思っていた。フェミニズムがどうだとか、そういう堅苦しい思想やポーズとか、そんな次元の話ではない。
顔を洗ったり歯を磨いたりする時にそれほど手順や決まりをいちいち考えたりはしない、それと似ている。普段から夫婦で自然に役割分担が出来上がるのが自然だと思うし、「話し合い」や「取り決め」などせずともそれが呼吸をするのと同じような感覚になるのが、連れ合いだと思う。
片方が病気をすれば日常の家事はもう片方が思いやる、動ける方が動ける時に動く。当たり前だ。
確かに三津子は、自分が病気で入院がちになって、俺の包丁さばきが上達していくことを、複雑な思いで見ていたようだ。エッセイでもそのことを「申し訳ない」と書いていたと思う。
「申し訳ない」と思われるのは辛い。もっと早くからいろいろと助けてあげられたら良かった、と思っている。若い頃、会社から帰ってきて、確かにへとへとに疲れていたが、彼女は冷えた缶ビールとコップをくれ、笑顔で夕飯の用意をしてくれた。
俺が外で働いている間も自分だって仕事をしながら家事をこなしてくれているのは知っている。そこへわざわざ考えを巡らせなくても、考えなくても、そんなことは当たり前の話ではないか。そして、8時になると子供たちを子供部屋へ「はいはい、これからは『大人の時間〜』と移動させて、お互いに「お疲れ様」と改めて晩酌をしたものだ。

そういえば最近「AERA」の記事で、専業主婦が無償で家事を行うのはおかしい、家事も労働だ…というので夫から弁当代を徴収したり、「夫婦生活」さえ料金を取るという
「本当かどうか疑わしいが、何年も前からまことしやかに伝えられるネタ話」
をまた、掲載していた。
ネットでも袋だたきにされているが、これはもちろんいわゆる「釣り」というわけだろう。「夫婦の間のことなんだから金で解決することを二人が良しとすれば、周囲がとやかく言うことじゃない」…という「物わかりのいい意見」も見られるが、問題はそういう「夫婦が家庭内で納得していればいいだけのこと」を「マスコミ」がさも進歩的なようにで、見習うべき例であるかのように取り上げることの愚にある。
夫婦は愛し合い、お互い求め合って一緒になったはず。四半世紀近くも一緒にいれば、その関係は性愛を超え(超えなくてもいいが)、やがてお互いが自己の体の一部のようになってくる。相手が病気をすれば自分も苦しいし、その痛みも自分のものとなる。小さな諍いやケンカはしても、一番深いところで「心」「精神」がつながっていることはお互いに解っているから、塞ぎきれないほどの亀裂は生じない、生じる前に「自分たちの体を自分たちで守る」免疫力のごとき力が働いて、治す。
そうは言っても、俺はそこまで完璧に彼女を守ってあげることは出来なかった。
三津子は、自分のことと俺を同じこととするどころか、自分よりも俺のことを常に気にかけ心配し、優先してくれた。人間、何だかんだいっても究極、ほんとうの極限のところでは結局「自分」なのではないか。
聖人や映画のヒーローみたいな生き方は、なかなか凡人には難しいと思う。
日常、かなりのところでそれに近いいたわりをお互いに持つことは微笑ましく、実際そうありたいと思って生きてきた。けれど、彼女のように自分の命を賭してまでも相手を守る、愛するということを貫いたひとを、俺は他に知らない。いや、彼女に幸運にも愛されたおかげで、俺はそういう人が実際にいるのだということを知った。そしてそんな価値が自分にあるのか、今でも毎日疑問に思っている。
ほんとうに、人間とは弱く、脆く、不完全で、利己的で、欺瞞に充ち満ちた存在だと思う。日々、自分の未熟で傲慢で無知でカスのような生き様を恥じている。
ただそれは彼女の無償の愛に対してであって、俺は、人を陥れたり、騙したりして、人の不幸の上に利益を得ようとしたことはないし、その意味では我ながら「ちゃんと生きた」自負はある。
だが三津子の自己犠牲と愛、そして「やまだ紫」という偉大な才能の前では、俺なんか鼻くソ以下のゴミみたいな人間だと思うだけだ。
だから、彼女の素晴らしい作品を後世に伝えるためなら何でもする。たくさんの方に「あんまり頑張らないで、お体を大切に」と言っていただくのは本当に有り難く嬉しい、でも俺の「体」なぞ、今となっては半分ヌケガラのようなものに過ぎない。
魂が、半分もぎ取られたから。
むき出しでダラダラと血か体液が流れ出て行くのをじっと見ているのが辛いので、何かをしていないといられないだけなのだ。
その「弱さ」「脆さ」を自覚しているから、情けない。


夕方。
昨日ポストを見に行くと、冊子小包が一つ入っていた。
山本ふみこさんからだった。
山本さんはやまだ紫最後の単行本となった『愛のかたち』をPHPさんにつないで下さった、編集者・エッセイストの方だ。
入っていたのは「mom」というイオンのイオンクレジットサービスの会員向けの雑誌で、山本さんが連載エッセイを書かれているものだった。
三津子の死後に「お二人のことを少し書かせていただきます」と言われていたのだが、やまだ紫の訃報について書いていただいた。心にじんと来る、一文だった。

俺にもう「連れ合うひと」はいない。そのことが寂しくて悲しくて、心が痛くて仕方がない。だが、目には見えないだけなのだ、それは彼女が倒れてからの、あの辛い日々に他ならぬ三津子が教えてくれたことだったじゃないか。
読んでから、三津子の霊前に置いて合掌した。

それにつけ、やまだ紫という作家を悼む記事や論評が、
まったく、漫画界から聞かれないこと
がほんとうに信じられない。

やはり「マス」で売れるものイコール良い作品ということなのかと、改めて絶望感を覚える…というより唖然としているというのが正直なところだ。
日本が今世界に漫画だアニメだゲームだ…と騒いでいるが、それらは全く別世界の話。
やまだ紫という作家は生前からそうだったが、漫画界よりもむしろ、詩や短歌など他の分野からの心に沁みる追悼が多く寄せられていて、追悼の記事もこうした婦人誌が多い。
それらの書き手の多くは編集者やライターとして表現に関わってこられた「女性」ばかりだ。
それでも、彼女の作品を正当に評価し、後世に残したいという方と共に、その仕事を全うしたい。いや、絶対にさせる。

夕方、こないだ「ちょっとまずい兆候」があったとここで書いたら、ゆうちゃんが「大丈夫?」と電話してきてくれたので、このところ疲れていただけだから大丈夫だと話す。

実際のところは俺には時間がないと、気ばかりがあせっている。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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