--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-08-03(Mon)

「主人」

8月3日(月)

夕べは8時ころトイレに立ったら外で「バン」という音が何度かする。何だろうと思ってトイレから出て玄関を開けると、何と松ヶ崎の方から花火が上がっていた。デジカメを持って上へ行き、北側のベランダから撮影しつつ見る。8時から、たった10分ほどの「花火大会」。地蔵盆か何かで子供たちに見せるためのものだろうか、ずいぶん小規模だから地域のものだろうが、すぐ近くだったので綺麗だった。
寝たのは10時半過ぎと早かった。なので3時ころ一度目が醒めるが、そのまま寝続け、浅くだが7時ころまで、最近では割合よく寝られたほう。
今日は朝から晴天。比叡山に合掌。暑くなりそうだ。
ユキはベッドの足元に外を向けて置いた折りたたみ椅子にいて、外を見ながら寝たり起きたりしていたらしい。そのためもあって、眠りがあまり寸断されなかったようでもある。

下へ降りて朝のことを済ませて、仕事をする。
午後も仕事をしたり、リビングのテレビにPCモニタを出力して音楽をかけて、ここ数日のブログを更新したり、夕方は三津子の作品リストを補足したりしていた。
6時過ぎに晩酌の支度をしていつものように写真の前へ氷入りのウーロン茶を差し替え、ぐいのみに冷えた純米「花の舞」を注いで、「先に飲んでてね」と声をかけて簡単なつまみを用意する。
三津子には小皿に梅干し、金時豆、らっきょうを突き出し風に。
そういえば牛肉を冷凍してあったな、と思い出したので解凍し、すりこぎで軽く叩いてから塩コショウ、ガーリックパウダをよくすり込む。それから熱したフライパンにバターを放り込んで、肉の両面をこんがり焼く。赤ワインと醤油をほんの少し垂らして蓋をし、火はすぐ止める。これで中はほどよくレアに仕上がる。
一口大に切ってから、ほんの少しのだしつゆをかけ、テーブルに持って行って三津子と乾杯。肉はおろしにんにくとわさびで食べる。
う、うまい。
580円のステーキ肉が極上肉のようだ。三津子にももちろん切り分けたものを添えた。お疲れさんの「夫婦で晩酌」。
その後、テレビではなくPCのモニタで彼女の年譜を見ていて、いったん押し入れにしまっておいたアルバムの箱を取り出し、彼女の若い頃のアルバムを見る。若い彼女は当たり前だが健康的で、ぴちぴちとしている。友達と団体でどこかへ旅行したような写真もあって、楽しそうだ。
その中に「昭和46年・夏のスナップ」と書かれた自画像があった。自画像といってもペン画の簡単なイラストで、当時の実際の彼女の方が可愛い。彼女の自画像というのは、意外に少ない。若い頃ならともかく、俺と出会った頃には「もう自分は若くない」とじゅうぶん自覚していて、自画像をまともに描いたのを見たことがない。だからこれはとても貴重なものだ。
昭和46年=1971年といえば、やまだ紫が「ガロ」に入選を果たした年。

今年、10月から小学館クリエイティブさんより復刊される予定の『性悪猫』『しんきらり』『ゆらりうす色』には、それぞれそれらを描いた当時に近い彼女の写真を著者像として掲載したらどうか、というアイディアを出させていただいた。
この「自画像」は「ガロ」に入選後、しばらく作品を描かなくなった頃だから、これは使えない。
他のアルバムには、どこかの公園でももちゃんとゆうちゃんをしゃがませて、その横にしゃがんで微笑む三津子の写真があった。上のももちゃんでも3〜4歳だろうか。ということは1976〜77年頃か、三津子がまだ20代後半で、いわゆる「休筆期間」がそろそろ開けようかという頃。
だとしたら、彼女はこの頃夫の暴力、浮気で絶望の淵にいたはずだ。けれども写真の三津子はおだやかに微笑んでおり、幸せな母親の表情そのものだ。子供たちも表情を作ることなく、自然に微笑んでいる。
これは不幸のどん底にいる母親の顔ではない。
暴力や浮気に日々悩まされ苦悩している女の顔ではない。

つまり、彼女は少なくともゆうちゃんの出産時には「もう夫の浮気があった」と言っていたが、完全に別居するのは1981年になってからだ。そしてその年の9月に前夫と別居し離婚協議に入るが、彼女自身は78年に「復帰」してからは立て続けに素晴らしい作品を発表し、多忙のさなかにあった。なので完全に離婚が成立するのはさらに数年が経った、1983年7月18日。奇しくも俺の18歳の誕生日の翌日のことだ。

「FULL-HOUSE」前に発見したミニコミ誌「FULL-HOUSE」に「やまだ紫インタビュー」が掲載されたのは、完全別居をする直前の1981年5月号だから、インタビュー自体が行われたのは、きっとその年の4月あたりだろう。
その中で彼女は夫のことを「あんまり帰ってこない」と話しているが、写真の表情や語り口は明るい。インタビュアはやまだ紫という作家よりも、その私生活に興味津々という風情だ。
恐らく前夫の知り合いか何かかも知れないが、とても馴れ馴れしいし、作品のことにはあまり興味がなさそうで、Oとの夫婦生活のことばかりを聞こうとしているフシさえ伺える。友人として、「最近うまくいってないらしい妻」の様子を伺いに来た、という感じだろうか。
三津子は明るいし、その「あんまり帰って来ない夫」がたまに帰ると連絡があれば、「ちゃんとやさしくしてあげなきゃって思うんだけど、めんど臭いって感じが先に立っちゃって…」と言っている。また俺が話でしか知らない、かつて団地で飼っていた猫のコキは、
主人が拾ってきたの、コレ。」と話し、夫を「ロマンチストですよ」と持ち上げている。最後には「anan」の取材を受けたときのことを話し、「主人のために」夜食のおにぎりを握ったが作りすぎてスタッフにもあげた、と話している。
1981年。三津子32歳と半年。「結婚生活」は破綻状態にあったとはいえ9年が経過し、漫画を再び描き出してから3年目。あの名作、「しんきらり」の連載はまだ3回目までしか発表されていない時期のインタビュー。
内容はたいしたものではなく「雑談」のようなものに終始しているものの、はっきりと解ることは、この頃にはもう夫婦は離婚へ向けて崩壊していたということだ。もう長く「半別居状態」にあり、夫婦の愛はとうに冷め、それでも帰って来れば「主人」だからと淡々とご飯は作る。自分は自分で誰はばかることもなく、漫画を描けている。確かに、気持ちはもうバラバラになっているようだ。さばさばしている、という感じもする。

彼女は二十歳前、カントリーのバンドを組んでヴォーカルをやったと言っていた。そこでウッドベースを弾いていたのが「Kちゃん」と愛称で呼んでいた、前夫のOだ。二人はやがて恋愛をし、交際を経て1971年に彼女が23歳の時に結婚をする。25、26と立て続けに出産するが、26の時…ゆうちゃんの出産時、愛する夫であった「Kちゃん」はすでに浮気をしていたことを、本人が知る。それでも幼い赤ん坊を二人抱えて「離婚する」ことは、まだ出来なかった。
彼女は「結婚直後から」夫の暴力と不実に悩まされたというのは「嘘」で、少なくとも25歳くらいまでは、円満な夫婦生活が続いたと思う。その後に「夫の浮気」という決定的な事実を知り、その瞬間から気持ちが離れていったのだろう。
長野に住んでおられる、彼女の親友の丸山さんは、三津子の結婚生活の末期をよくご存知だ。確かに、浮気と暴力でひどい目に逢っていると、三津子から「よく聞かされた」と話しておられたから、「嘘」というのは言い過ぎかも知れない。
けれど彼女にしてみれば、前の夫との結婚生活の後半は、前半の幸福だった時間を覆い隠してなお余りあるほど「振り返りたくもない不幸」だったのだろう。

「やまだ紫インタビュー」その後「広告会社に勤務」していたという前夫・Oは「仕事が忙しい」あるいは「出張」という口実でたびたび家を空けるようになり、ついには家に帰ることの方が少なくなるという、逆転生活になっていく。
彼女はその間、我慢し続けていた。子供たちがまだ幼すぎたから、彼女は漫画も描けず、ただ夫の不実に耐えるしかなかった。そして30歳のころ、1978年になってようやく、漫画を描きはじめた。
「復帰作」は既報の通り漫画史的に言われていた「ガロ」ではなく、長月三津子名で発表した「ギャルズライフ」であった。同年暮れには「ガロ」にも復帰し、翌年から本格的に「ガロ」で連載を開始するのが、あの『性悪猫』シリーズなのだ…。
この間も、すれ違ったままの夫婦生活は続いていた。
先の「FULL-HOUSE」のインタビューは81年の春。単行本『性悪猫』『鳳仙花』の2冊がすでに世に出ていて、下のゆうちゃんが小学校に上がる年だ。インタビュー中、その日が「ゆうちゃんの卒園式だった」と言っているが、つまりそれは二人で行ってきたわけで、父親の姿はもうない。
それでもインタビュー中、彼女は「外に向かって」は「主人」という言葉を使って子供の父親を立てる発言をしている。
彼女は俺のことを「主人」と言ったことは恐らく一度もないと思う。俺は早いうちから彼女に
「自分の夫のことを『主人』って言う人がよくいるけど、あれ妻の側から言うのを聞くと卑屈な感じがするのは俺だけかな」と話したことがある。彼女はその時「そうだよね、何か主従関係がアンモクのうちにあるような感じだね」と言っていた。
その言葉を、彼女はインタビュー中何度も使っている。もちろん、俺と知り合う数年前だが。
心はとうに離れ、生活自体もほとんど別居状態、つまり心身ともに離れてしまった相手に「主人」という言葉を使ったのは、彼女の優しさなのか、それとも単なる体裁だったのだろうか。
いずれにしても、1981年のこのミニコミ誌の他愛のないインタビュー(失礼)は、いろいろなことを考えさせてくれる。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。