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2005-04-10(Sun)

岡田史子さんが亡くなった 追記

 それにしても改めて漫画というのは素晴らしい「表現」だな、と思う。
 ストーリーと、絵。この「両輪」で紡ぎ上げる作家の世界、宇宙。(「漫画ってのはお話と絵、この両方が高いレベルで融合したものなんだよ」というのは我が師・長井勝一翁の言葉だ)
伊藤剛さんなんかのブログを見て最新のマンガについて語られているのを見ると、いまの自分ではもはや処理不可能という感じで、ただ自分の守備範囲については伝えていく必要があるなと痛感しています。ad-lib-comic-diary - 岡田史子さん逝去より】
 確かに自分がもっとも漫画を、それもエロ劇画から少女漫画までむさぼるように読みふけったのはもう20年以上も前のこと。それ以降も、マス・マイナーを問わず、漫画は世に送り出され続けている。かつて米沢嘉博さんの仕事場にお邪魔した際、氏が「自分のところにはコミケの同人誌からメジャーなコミック雑誌、単行本からありとあらゆる漫画が集まってくるけど、全部読むなんて物理的に不可能ですよ」と語っておられたのを思い出す。
 自分がそれでもマスのコミックを極力読むようにはしているのは、単に職業意識からと言っていい。編集者だということ、それから学校でコミック雑誌研究という講座も持っているから、最低限の「勉強」はしとかないとという意味だ。これは面白い! というものは数えるほどしかない。(最近のマス・コミックでは『げんしけん』が面白い)
 漫画は、その絵柄の独自性だけでも、話の独創性だけでも、どちらかだけが突出していてもバランスが取れないと思う。絵が物凄く好きな作家でも、話がボロカスだと作品集を買って傍に置いておきたい、とは思えない。お話が好きでも絵柄が好みでない場合も同様。漫画って難しい。
 最近のマス・コミックの世界では、もちろん次々と新たな作家が発掘され、作品が送り出されている。相変わらず聞けば編集が主導権を握って「描かせている」ことも多い。絵柄は作家や流行で多少の変化はあるものの、ストーリーは別段「この作家じゃなくては描けない」というものではない作品が多いのは、そういうところに原因があるのだろうか。

 岡田史子も、もちろんつりたくにこもやまだ紫も、高野史子も岡崎京子も、彼女たちの「あの絵」で「あのお話」じゃないと絶対にダメだ。亜流が後からわらわらと沸いて来て、先達の切り拓いた道をホイホイと要領よく歩いて行こうとしても、我々の世代は「オリジナルの偉大さ」を語り継ぐ義務があるのでは、といつもながら強く思う。
 以前、あすなひろしさんのことでも同じことを述べたが、「死んでからでは、遅い」。偉大な才能が亡くなって、その才能を知る人がその死を悼む。そうして初めて、その才能に触れる人が出る。名作はそうして語り継がれていく…、消えてしまうよりはいいが、その作家が生きているうちに、才能を知る人がキチッと評価を明確にしておかねば、と痛切に思った。
 誰かがどこかでサブカルチャーとは、マスが取り上げない「いいもの」を評価する声をあげることというような主旨のことを書いていた。(あいまいな出典で申し訳ないが)その通りだと思う。もうこんな時代になっちまったら、メインとサブの違いなんて「マスであるか・そうでないか」でしかないような気がするからだ。
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コメント

どなたかが

「声を挙げることはいいが、声が大きいことは困る」というようなこを書いていたそうですが、誰もデカい声でがなりたてろ、とは言ってませんよ。
それにこれまでも「声のデカいヤツ」に対して疑問を呈してきてますし。声のデカいことというのは、マスメディアなどで一方的に「事実」ではなく「自分の考え・主張・意見」を真実であるかのように喧伝する輩のことです。
例えば過去に「戦後漫画は全て手塚治虫の影響下にある、というようなことをしたり顔で語る向きがマスコミでは多い」ことに、じゃあ水木しげるは?という疑問も呈しました。
「TV」が公器だとか、ジャーナリズムだとか勘違いしている人にとって、その「デカい声」は絶対のものになりがちです。芸能人の発言や行動がスタンダードになってしまうとか、間違っていてもTVで言えば主張が通ってしまいがちであるとか、その間違いに反論しようにも、同じボリューム(つまりデカい声)で反論する場はほとんどの場合与えられないとか、そういう問題点は十分認識している上で、の話です。

時代の空気

永島慎二さんの「フーテン」とかつげ忠男さんの一連の風が吹きすさぶ風景とか、挙げたらキリがないですなあ…。俺もちょっと後の世代なので、「あの頃の新宿はさあ」なんて10歳くらい上の人に言われると「いいなあ」と思いますよ(笑)。いいんだか悪いんだか本当のところはわからないけど。
70年つうと5歳っすからね(笑)俺。しかも北海道(笑)。どうせえ、つうんだか。「COM」の廃刊が奇しくも『カムイ伝』終了の1971年。俺小学校1年生っすよ。厨房どころの騒ぎじゃない。って何の騒ぎだか…。ただ、あえて言わせてもらうと、同時代を過ごした過度の思い入れがない分、客観的冷静に「いいとこ取り」が出来るのも後の世代のいいところかと。
そういう意味においては、俺らがちょうど青春期に思い入れのあった作品、いい作品なんかを後の世代に多少個人的感情・時代の記憶などを加味しつつも伝えていくこともアリなのだなあ、と思います。
トシですなあ…。

なるほど!

今はやっているマスのコミックに関しては、ネット時代になって余計にリアルタイムで語れる人がたくさんいるわけですしね。
昔の優れた作品、漫画家さんのことは知っている世代が今の世代に教えてあげないと、なかなかこの情報の洪水の中では探し当てることが難しいでしょうし・・・
自分はガロやその周辺に触れたのが遅かったもので、それ以前のものに関しては逆行するのが大変でした。当時、二十年くらい前だと、それでもガロのバックナンバーは今ほど高騰していなかったと記憶しております。どこかの古書店では60年代後半のガロが一冊300円で積んでいたのを見ました・・・
COMはもっと入手困難でしたね。それにつけても、ガロやCOMの全盛時代、70年前後の時代の空気は、生まれたてのぼくにはその匂いさえわからないという悔しさがあるなあ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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