--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-08-07(Fri)

映画二本、そしてゴキブリ

8月7日(金)

夕べは11時前までニュースを見て寝室へ上がった。
朝は4時ころ目が醒めたが、そのまま強引に眠る。結果7時過ぎまで、割合寝られた方だ。
起きたのは8時過ぎ、今日もうす曇り。

朝のことを済ませて、仕事を片付ける。ペットボトルのコーヒーミルクとサンドイッチ。その後は「のりピー」旦那覚醒剤所持逮捕、現場に呼び出されそこから「失踪」したのりピーが今日になって自宅のガサで所持と使用の疑いで逮捕状出る、という一連のニュースを見たり。
午後、三津子のアルバムと写真の未整理の束をもう一度見直して『性悪猫』や『しんきらり』当時のものを何とか見つけた。こないだ出しておいた数枚とで、何とか3冊の「著者写真」(近影、ではない)になりそうだ。
とにかく写真の年代特定が意外と難しい。アルバムに整理されて年代が書き込んであったり、日付を写し込んであれば別だが、そうでないと、もう推測するしかない。
このパーティは恐らくこの時のだから何年ころか、これは同じ服とメガネだからたぶん同年のもの…と推理していくつかの写真を並べた。
写真を見ていくと、やはり90年に膵炎を胃炎と誤診されたことが、彼女の寿命を色々な意味で大きく縮めたのだと解る。その後の写真ではふくよかさも、健康そうな佇まいというか、「気配」が変わってしまった。
膵炎は本人が若い頃からお酒や油ものが好きだったせいもあるが、もし最初の急性膵炎を起こした初期段階で手を打てていれば、予後がずいぶん変わっただろう。それが慢性膵炎〜ランゲルハンス島の機能障害、その後十年で腎臓にも影響を及ぼすなど、いいことは一つもない。
当時医者たちは皆「そんなことはあり得ない」と俺たちの「推理」を一笑に付していたものだが、ずいぶん後になって「そういうことはあるかも知れない」に変わった。プロのくせに気付くのが遅すぎる、それに「患者が今訴えていること」をもっと真剣に考えるべきだっただろうとつくづく思う。
済んでしまったこととはいえ、本当に病院と医師には裏切られたことの方が数知れず、多い。
彼女はその後更年期も重なって、病気がちになった。吐血や下血をするたびにげっそりと痩せ、それが戻ったかな、という頃にまた何らかの病気をする、その繰り返しだったような気がする。

彼女は病気、病気…で、その後鬱になり酒へ傾いたこともあったが、それこそ元にあるのは「誤診」とそれによる相次ぐ病気、挙げ句は腎臓摘出手術による絶え間ない「激痛地獄」があったからだ。
つまりそれらは結局彼女の「自業自得」ではないのだ。
そういう中でようやく安寧の日々が訪れた京都生活だっただけに、もう少しふたり、一緒に居たかった…。

その後は6時ころから三津子にお酒とお膳をあげて、DVDで未見だった『硫黄島からの手紙』『父親たちの星条旗』を続けて見る。
どっと疲れた。
映画としての出来・不出来で言えば、確かに『硫黄島…』の方が遥かにいい出来映えだったが、イーストウッドが2006年に、あの戦争を日米双方の視点から描いた、描いておいた、ということは非常に重要なことだったと思う。つまり二本で一本なのだろう。
演技云々で言えば『硫黄島』の渡辺健は安心して見ていられたし、脇にあまり有名どころを使わなかったのも幸いした。「西中佐」の伊原剛志は型にはまっていたとはいえ、あの時代の「アメリカを知る」日本軍人という体(てい)はちゃんと出せていたと思う。それと憲兵くずれの「清水」役、加瀬亮の演技はとても自然で、「投降させてくれ」と泣く場面ではヨダレの糸が月明かりに光るところなど、悲痛さが伝わるいい演技だった。
さて「嵐」の二宮君だが、頑張っていた、とても頑張っていたと思うが、残念ながら「あの時代の日本人」にはとても見えなかった。軍人に見える・見えない、ではない。どうしても「あの時代の人」に見えないのだ。口調や姿かたちということもあるし、たたずまい、全てが「現代の人」なのだ。
当時戦争も末期は職業軍人を除けばたいていは赤紙で引っ張られた民間人ばかりで、当然前職を持ち普通の暮らしをしていた人たちだ。だからナチュラルな口調で楽に話す感じは悪くはない。
…が、そこが逆に見ていて最大の欠点でもあった。まずあんな口調で「昭和の男」は喋らない。若者であろうが、妻を持ちパン屋として独立し、子をなしたところで戦地へ来た、という人間の語り口ではない。
設定がもの凄く若い父親だったとしても、昭和19年当時、まあ19歳か20歳で結婚して招集された若者だとしよう、だとしても、留学していたか山の中に隠れていたのでもない限り、逆に「少国民」として徹底した軍国教育にさらされていたはずだ。そうでなければ、例えば左翼運動にかぶれた学徒動員の大学生ということも考えられるしあの厭世観はそんな感じに見えなくもない、彼の設定はパン屋であって「アカ」ではない。
階級章も二つ星ということは一等兵、つまり練兵され戦地へ送られて一年程度という、ほぼ新兵に近い兵士である。昭和期の場合、一つ星、いわゆる二等兵というのは訓練中の新兵=初年兵で、基本的に戦地に居るのは二つ星以上と思っていい。それがあれだけ、末端の兵士同士とはいえ、厭世観丸出しの不良国民のような態度をしていたら、戦争をする前に分隊長や下士官に殴り殺されているだろう。
兵士が数名いれば必ず下士官がついている。この下士官がたいていの場合は兵士たちのお目付役で、戦争開始時から居る場合もあり、戦争前からの職業軍人の場合もある。
俺の爺さんも帝国陸軍の上等兵として南方戦線へ行ったし、大叔父さんも主計軍曹としてだが、やはり戦地へ赴いている。だがその孫の世代で、もう俺の年だ。二宮君は当然「戦争の時大人だった『昭和の男』」というものに身近に接していないだろう。
兵卒として南洋に赴いた祖父の方は、上等兵つまり「三つ星」で、つまりは消耗品としての一兵卒だ。「突撃」と言われれば三八式(歩兵銃)を持って機関銃に突っ込まされ、態度が気に入らないと言う理由で意味なく上官に殴られることは日常。それでも兵隊同士ではフランクな話をしたが、そこに士官でも来ようものなら、リラックスしていた全員が直立不動になって迎えねばならなかった時代だ。
もしそれが高級将校だったら、さらに将軍だったら。
恐らく足が震えたと思う。一兵卒にとって、佐官や将官というのは雲の上の人に等しい存在だ。日常接する上官といえばせいぜいが軍曹どのぐらいまで、たまに尉官が来れば緊張するという案配だろう。こういうところが米軍とは全く違う。
上官によって、その小隊なり中隊の雰囲気ががらりと変わったそうだ。例えば嫌な古参の下士官が居て、日常兵士をガンガン殴る。それを士官学校出たての少尉どのは止められず見てみぬふり。何せ部下とはいえ自分の親父くらいの年齢の下士官だ。しかし大尉どのがそれを知るとその下士官を呼びつけ、逆に朗々と説教を兵士たちに聞こえるように行う…。
または中隊長殿(階級は尉官だと思われる)が恐ろしく嫌な職業軍人で、とにかくやたらと兵士を将棋の駒のように動かしたがり、消耗品としか考えていない。なので虫ケラのような扱いだ。けれども直属の上官である下士官(曹長や軍曹、伍長など)がいい人で、「まあ適当に言うこと聞いてるように見せようや」と言って庇ってくれた、という話…。
帝国陸軍、と一口で言っても末端ではさまざまな「人」がおりその集団として分隊や小隊があり、構成されていた。だから色々な人間が居たのは、もちろん事実である。
けれども総体としての帝国陸軍、というより「昭和の軍人さん」たちは、厭世気分あり負け戦と知っての無力感あり、逆に皇軍としてお国のために死ぬ名誉意識満々の人ありの中、最後までほぼ「日本軍」としての統率は取れていた。このことは何より「玉砕」という不幸が多かったこと、戦った英米軍の証言、さらには戦地から帰還した生き残りの人たちの証言からも常識だ。
例えば旧大日本帝国における陸軍と海軍の対立は有名なところではあるが、いくら何でも「将官」に佐官が、ましてや尉官が「休め」と言われる前に直立不動を守らないという場面はあり得るはずもない。
栗林中将はそういう意味ではフランクなお人柄であったと聞くが、それは将軍側からの話であって、だからといって一兵卒や下士官が「休め」と言われたとしてもリラックスなど、将軍の前では絶対にあり得ない。ましてや言われてもいないのに最初から力を抜いて接している、という光景は全くあり得ないし、あってはならない光景だ。
「バロン西」中佐の副官が、最後まで彼の上官つまり西中佐に接していた態度が一番違和感がなく、彼は副官ゆえに忠誠心に厚かったことを考慮しても、その他の「兵士」の態度はずいぶん米国式のように思われた。
もっと言えば応召される時に近所の婦人会…まあ「愛国婦人会」と読めたが、たすき掛けのご婦人が数人来るわけだけど、あの「字」はないだろう。識字率は今より低かったとはいえ、ほとんどの人が普通に毛筆で文字を書くことが出来、ましてやたすきに文字を書く場合はそれなりの心得のある人に依頼するはずだ。そういうことはごく普通の成り行きだろう。あんな「いかにも油性マジックで殴り書き」みたいなひどい字のタスキなど、金輪際見たことがない。
これまでたくさん見た「戦争映画」はフィクションだ、それは置いておくとしても、たくさんのノンフィクションのフィルム、写真集、その他どれを見てもまずあり得ない。まあ米国人のイーストウッドにそこまで望んではいけないのだろう。
こういうことは「重箱の隅」だから、逆に言えばそういう部分をつっつきまわすほど、大筋では良く出来た映画だったと言えるかも知れない。

数年前に、この硫黄島での戦いが映画化される、それも今や「巨匠」となったイーストウッドで日米双方の視点で…となった時に、当時の生存兵のインタビューなどが放送されたことがあった。
あれによると、硫黄島守備隊の戦いはすさまじい消耗戦で、というより、洞窟の中には水が溜まり、得体の知れぬ虫が湧き、死体はすぐに腐敗し悪臭を放ち、そして飢えのあまりその死肉さえ喰らうような想像を絶するものであったという。
この映画ではそういう場面まではもちろん、敢えて描かれていない。主題はそういう「戦争の悲惨さ」をことさらに「浮き彫りにすること」ではない、からだ。
だから硫黄島の戦闘を実際に戦った生存者の方からすれば、「こんなもんじゃなかった」と言われるかも知れないが、これは「映画」だ。そして、その「映画」であるがゆえに「訴えられること」がある。イーストウッドがもう一本、『父親たちの星条旗』を同時に制作したことでも、その意味がわかる。
「戦争」を善悪、敵味方…といった単純で不毛な描き方をするのではなく、敵にも味方にもそれぞれ守るべきもの…国や家族がおり、当然ながらそれでも戦わねばならないことが、戦争の不幸であり、簡単に「じゃあ戦争だ」「そういう事言うんだったら武力行使でいいじゃん」みたいな短絡的な思考に待ったをかける意味を持っている。

『父親たちの…』の方は、あの歴史的なスクープ…擂鉢山に星条旗を掲げた兵士たちが英雄視され、戦時国債を売るためにセールスマンとして全米を行脚させられていったという「実話」を背景に、やはり同じ戦場での「攻める側」の不幸も描いている。そして「勝てば官軍」という嫌な言葉があるが、敗戦後しばらくは日本社会が手のひらを返して米国礼賛、民主主義万歳となり、アメリカが「次の戦争」へ向かう際の補給基地となって特需に沸いた…という歴史へとつながっていることも考えさせられる。
3人の「英雄」の中で「インディアン」の兵士の苦悩、没落ぶりを執拗に追いかけていたが、あのあたりがこの映画を今一つ盛り上がりに欠けさせた要因かも知れない。なので、二本を同時に見ると、どうしても『硫黄島からの手紙』つまり日本側守備隊の戦いの方が印象に残らざるを得ず、映画としての評価もそうならざるを得ない。
それにしても、イーストウッド。この人の名は、21世紀では優れた「映画監督」としてずっと語り継がれていくのだろう。俺たちは「ダーティ・ハリー」や「荒鷲の要塞」みたいな時期の俳優のイーストウッドも大好きなのだが。


そんなこんなで映画を見ていると、後半、ユキが何か俺の仕事部屋の方であらぬ方向を見ているので、何だろう…と思って注意深く見ていると、何とサササッとゴキブリが横切った。
ユキは耳が聞こえないから、箱の間などへ逃げ込まれるとお手上げで、ただじっと引っ込んだところにうずくまって見張っている。

俺は北海道で18年間暮らしたが、ただの一度もゴキブリという昆虫を見たことがなかった。読んでいた漫画でも小説でも映像でも、その邪悪な容姿と異常に素早い動き、さらに強靱な生命力の「お噂はかねがね」知ってはいた。

19で最初に住んだ上北沢の部屋は、真っ黒で大きい、5cmくらいのタガメのようなゴキブリが夜中になるとゴミ袋のあたりで嫌な音を立てる部屋だった。何度か発狂しそうになったことがあるが、それでも見つけるたびに箒で外へ叩き出したりした。とても素手ではおろか、分厚い軍手をしていても触ることなど到底無理だった。

次に引っ越した柏の部屋も、出た。ちょっと色の薄い、それでも3cmは普通にある首すじに白い線のある奴らだった。あそこも多かった。
一度カップ麺の空いたのでダイスのようにカパッと蓋をしてつかまえたことがあった。中でカサカサと這い回る音がして、その感触がカップごしに手に伝わるだけで冷や汗がドッと流れ、鳥肌が立った。そーっとそのまま玄関までカップを浮かさぬように移動し、玄関の扉を開けると、思い切りカップを滑らせて外へソイツを吹っ飛ばした。
暗かった夜の柏の奥地、あっちこっちまだ緑がいっぱいあった闇にゴキブリは飛んで行った。すぐドアを閉めてなぜか鍵をかけて、手を中性洗剤で死ぬほど洗った。触ってもいないのに。

次に住んだのは巣鴨の1Kのマンションだった。もう、青林堂に勤めていた頃だ。ここは比較的少なかったから助かったが、一度寝ている時に無意識でつかまえたらしく、朝起きたら手のひらに動くものがおり、指の間から触覚が二本出ていた時には、心臓が止まる思いをした。いや、一回止まったかも知れない。
もちろんもう「握ってしまっている」ので、そのまま窓を開けて、思い切りあらぬ方角へ投げ捨てた。たたきつぶすとそれなりの汁なり内容物が飛び散ったりするし、そんな事態になったらもう二度とその場所に座ったり触れたりすることが出来なくなるから、殺さずに出て行っていただくしかなかったのだ。
結局その巣鴨の部屋に居たのはほんの少しで、三津子と交際をするようになってからは、よく団地へお邪魔し、結局引き払うことになった。

そして移った団地は…。
いや本当によく出た。参った。何で13階にまでコイツらは登ってくるのか、じっとしていてくれるなら問い詰めたかった。いや、じっとしてられても逆に恐ろしいが。
一度、夏の夕暮れに団地のベランダから外…といっても向かいの団地の窓窓窓…が見えるだけだったが、見ていると、何かがこちらへ向かって飛んでくるのが見えた。何だろう、と思って見ていると、すぐ近くまで来た時に奴だということが解った。「ひぃぃ」と男のくせに変な声を出して窓をぴしゃりと閉めた。台所側は網戸になっていたが、そっちも閉めた。その場に誰が居たんだったか、もう覚えていない。

…ともかく、それほど俺はゴキブリが苦手なのである。

団地の後に仕事場として借りて、結局生活も移した蓮根のマンションは、大きくても1cm以内の茶色い色をした、小型のゴキブリがわらわらと無数に沸くところだった。何かの整理していた箱を開けるといるし、何かをよければいるし、ちょっと置いていた食べ物にはいる…、というので本当に往生した。「お前はキリストか?」と思った。いやそれは今思いついた嘘ですが。

最後に引っ越したマンションは新築だったのに、引越の荷物にまぎれていた小ゴキらに一時、席巻されてしまった。猫たちがいたのでなかなか出来なかったが、何度かの「バルサン」で全滅作戦には成功したが、とにかく、俺は18まで見たことのなかった「未知の生物」に、いまだに背筋が凍り付く。
今はさすがに昔ほどではないものの、素手で触ったり新聞でたたきつぶしたりは無理だ。だって汁が出るし…。
なので、実は秘密兵器を持っている。
従来ヤブ蚊や蠅が飛ぶ時に対峙するために買ったものだが、ラケット型で金属線が張り巡らせてあるもので、単三乾電池2本で動作する。動作といってもボタンを押すだけで、その金網に電流が流れるだけだ。
実は人間でも乾電池の電流というのはけっこうバカにならないものだが、小さな蚊や蠅にとっては即死に近いことになる。なのでブーンときたらスイッチを入れて、ラケットをそれらに向かって金魚すくいかゆるいサーブのように上下させれば、だいたいは感電して逝ってくれる。微弱なスタンガンみたいなものか。
とにかくそれを握りしめ、ユキが睨んでいるあたりをこちらもじっと待機しているが、全く出て来ない。
仕方なく止めていた映画のDVDをまた見始めるが、気が気ではない。12時過ぎには映画も終わったので寝ることにしたが、その間に猫の餌やゴミ袋をあさったりするのだろうか、と気になる。たが出て来ない以上、待っていても仕方が無い。そのまま寝る。

それにしても、確かにこの付近でゴキブリは路上でも何度かみかけたことがある。ゴミ捨て場の箱を開けたら、真っ黒で5cmはあろうかという巨大な奴(本当です)が蓋の内側にいて、度肝を抜かれたこともあった。エレベータを待っていて、何かの気配を感じて目を凝らしたら、背後の鉄製の扉と壁の隙間に奴が居たこともあった。夜、夫婦で帰って来た路上を横切られたこともある。
それでも、この部屋に越してきてから、部屋の中に出たことは一度も無かったのに。
三津子、とうとう出たよ…。何とかしてくれよ…。
男のくせに弱音が出る。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。