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2009-08-08(Sat)

ゴキブリ退治、原稿整理。

8月8日(土)

夕べ夜中2時半ころ、「コーン、コーン」と柔らかいもので金属を叩く音で目が醒めた。何だろう、三津子かい? と思って半身起こすが、しばらく無音。
俺たちは大きなベッドはいずれ買おうということで、引越後のままずっと折り畳みの簡易ベッドで寝ていた。この折り畳みベッドのマット部分は固くて二人とも体が痛いので、その上にさらにマットレスと敷き布団を敷いて寝ている。金属音はベッドの足を叩く音だ。
ハッと気付いた。
ゴ、ゴキブリがいる。
それを追って猫が手を出し、ベッドに当たって音を立てたのだと、すぐに解った。
電気をつけると、案の定枕元からユキが「にゃーん」といつもように鳴きながら出て来た。こいつの猫パンチの音だったようだ。
と、いうことは、
「奴」はこの部屋に上がってきたわけだ。

すぐに枕元のテーブル上に置いてあるLEDの小型ハンドライトのボタンを押し、ベッドの下に光を入れる。しばらく探索するが、見えない。しかし確実に「奴」は居る、そう思って下に置いてきた「電気ラケット」を握りしめて、すぐに戻る。
明るいと身を隠すだろうと思い、いったん電気を消す。そしてしばらくベッドの上で目を凝らしてじっとしていると、「カサ…」と音がした。どこだ。見えない。
足元の窓際にいたユキが何かを追うような動きをした。居た! ササササと凄い速さで、本棚の脇あたりから反対側の本棚を目指し、ベッドの下へ入った。すぐ電気をつけてベッドの下を覗き込むが、もう見えない。
下の三津子の仕事机の椅子で寝ていたシマが何事かと上がってきたので、シマの「耳」とユキの「目」に頼る。
じっとしていると、シマがベッドの足元、すなわちベランダ側に目を向けた。ユキが何かを発見した。カーテンだ。そう思ってラケットを持ってベッド上を移動し、カーテンのひだを見ると、
居た!
寝る前に見たのと同じ、茶色く首筋に白い線のある、3〜4cm大の奴。スス、スススとカーテンを上へ登ってくるので、狙いを定めてスイッチを押しながらラケットを被せるように当てる。
薄暗い中、ゴキの体のあちこちからパチッ、パチッと白い火花が見える。普通、蚊くらいならこれでお陀仏なのだが、こいつの場合はラケットを浮かそうとすると、動き出す。
1分以上スイッチを押したまま宛て続け、抑えたままスイッチを離してみると、まだ動こうとする。なので再び強めに抑えて、スイッチを押し続けた。何分か続けていると、いい加減動かなくなったが、こいつらの生命力は油断ならねえ。
なので、そのままラケットで上から抑える格好でカーテンの下までずらし、握りの部分に本を2冊重しに置いて抑え、もう一本の大きいラケットを取りに下へ降りる。うちは蚊の大嫌いな三津子のために「一人1本」電気ラケットを持っていたのだ。
それを持ってすぐ取って返し、ラケット2本で挟むようにしてゴキブリを持って下へ降りる。だって触れないし。
そうして北大路側のベランダに捨てて、バケツの水で流すと排水溝へ落ちていった。やれやれ、大捕物であった…って普通は新聞か何かで叩いて終わりなんだろうが…。
もう3時をまわっていたので、レンドルミンを1錠飲み、寝室へ上がり、7時ころまで熟睡。

起きたのは8時頃、今日は少し曇っているが晴れそうな気配。

朝のことを済ませて、何を食べようかとおもったが、とりあえずDVDの返却もあるので、着替えて自転車でポストに投函。そのまま通りを下っていつもとは違うコンビニへ入る。たまには違う店へ入らないと、飽きてしまう。
おにぎり、サンドイッチ、キムチ、糖質0とかいう缶コーヒーなどを買ってすぐ戻る。戻りは北大路に向かってゆるく登りになっており、ちょっと膝がしんどかった。
帰って来て新聞を読みながらサンドイッチとペットボトルのミルクコーヒー。外はいつの間にか晴れて青空。風もないようで、もくもくとした夏の雲もじっと動かない。いかにも暑そうだ。

午前中は調べ物などをして、昼過ぎにおにぎりを食べ、それからは原稿の整理の残りにかかる。
もうそろそろラストスパートだ。今日は筑摩の作品集でいう1と4の原稿の整理。初収録でいうと『鈍たちとやま猫』『はなびらながれ』『空におちる』などで、年代も画風もばらけている。
その中からなぜか、『鳳仙花』所載の描き下ろし「落花生」のタイトル画が出て来た。
こないだ未発表や未完成の古い原稿の中から、紛失されたと思われていた当時のオリジナルのタイトルページが出て来たばかりだったが、続いて『鳳仙花』時に「紛失したので」描き下ろしたのに、それがまた「紛失された」と思われた二枚目のタイトル画だ。
ややこしいが、つまり、これで「落花生」は描かれた当時のタイトルページと本文、さらに『鳳仙花』収録時に描かれたタイトルページが全て揃った、というわけ。
その他、初出が相変わらず不明な作品もけっこうある。特に『鈍たち…』に初収録のもので、「ガロ」発表ではない作品はもうお手上げである。
あと「セブンティーン」掲載、としか解らなかった一作で、「COM」時代のセルフカバーというかリメイク作品「あれは わたしの」が、原稿を一枚一枚見ていくと、柱にアオリが貼ってあり、それを白い印画紙でカバーしてある。
アオリというのは商業誌には付き物の、柱にある宣伝文句などのことだ。(余談だが新人編集者になると、商業誌の場合こういうアオリをけっこう書かされるが、その人のセンスが出るので面白い。)
透かしてみると
「コミックSTは偶数月18日発売です!次号は2月18日発売」と書いてあるのが読める。
つまり、これが掲載されたのはその前の偶数月だから12月18日号ということだけは解った。そう思って最後まで原稿の枚数を確認するうち、今度は別のページのアオリで
「…85年2月からの科学万博に出展します」みたいなものが読めた。
ということはこの作品の初出はその前年、「コミックセブンティーン」1984(昭和59)年の12月18日号掲載、ということが判明。
いやはや、「ガロ」時代から実は商業誌のアオリを、綺麗な作家の原稿には余計なモノだ、とずっと思っていた。なのであまり好きじゃなかったのだが、こうして役に立つのだなあと改めて感心。

しかしその他の「佐和子叔母」や「小さいぐみの木」は、それぞれ「スピリッツ」「セブンティーン」としか初出が解らない。よってその後の収録単行本にも、そうとしか書けないから、もはや「初出不明」というしかない。だいたいの年代として同時期、84〜85年という推測しか出来ない。

それにしても、こうしてほぼ全作品を彼女の死後に生原稿というかたちで一枚一枚見ていくと、初期のつたない画力ながら個性ある絵柄と、すでに「やまだ紫」としてしっかり確立された作家性、そして中期にいくと画力が一気に高い次元へ上り詰め、後期に至る間にその線がどんどん省略されていく課程が解る。
その意味で、筑摩書房の作品集は時代が時系列ではなく、あえて作品の内容や傾向で分けてあるため、例えば「敏江さんの日記」(85年)の次に突然「やるせない頃」(恐らく70年代後半)が並んだりすると、絵柄的には唐突というか違和感を覚えるだろう。

作品集『鳳仙花』は彼女本人が「未熟だ」「恥ずかしい」と謙遜していた作品群ではあるが、その描かれている世界は「やまだ紫」の世界そのものだ。
なのでやはりそこ(70年代)から1980年つまり『鈍たちとやま猫』(青林堂版)にまとめられたあたりの画風と作風のものを、ぜひ一冊に復刊したいという気持ちが強くなる。
本当にいい作品ばかりで、「ガロ」だけではなく後に「アサヒグラフ」「奇想天外」「WINGS」などから女性誌まで、幅広い媒体にその才能をも広げていく前駆的な段階だ。
例えば恐らくは最初の結婚時、母との別れの場面を描いた「夜の坂道」、逆に全くのフィクションなのに見事にリアリティを持って描きあげる「やるせない頃」など、名作「しんきらり」を連載しならが、よくもここまで高いレベルでの短編を発表し続けられたかと、作家としての凄さを感じる時代だ。
かと思えば「夏休み」(「ガロ」1980年10月号)のように、たった6ページながら日常の一瞬を切り取ってぞくりとさせられる小編もある。
ちなみにこの「夏休み」は、タクシー乗り場で子連れの一行の一員としてガヤガヤやっているところへ、通りかかった「アベック」の若い女が「やあねえ、あんな中年にはなりたくない」みたいな悪態をついて通り過ぎる。
それを耳にした主人公(…恐らくは三津子)が無言で睨み付け、心の中で「おい小娘」と「テレパシー」を送るのだが、この時の「顔」が凄い。何もそんな怖い顔をせずとも、というほど怖い。
あの「顔」とこの小さな話が、俺は彼女らしくて大好きだ。この作品を描いた時の彼女は、まだ32歳。「おい小娘」って。
「COM」で入選以後高いレベルの作品を次々と発表したときの彼女はまだ「たったの」22、3歳だった。24歳から出産育児のために休筆をやむなくされ、30歳で「復帰」するまでの間、彼女の中にいったいどれほどの「思い」があったのか。何度もここに書いているように、それはそれはさまざまな「思い」がマグマのように渦巻き、熟成され、そして噴火したのだろう。
作品リストをこつこつ作っていっても、彼女の30代の作品は質、量ともに大変なものだ。その後半に俺は同居することとなったけれども、あの団地で、子供2人と猫3匹で、別居と離婚を挟み、あれだけの作品を彼女は描き続けた。そう思うと、あまりの壮絶さに「驚嘆する」などという安直な表現では失礼にさえ思えるほどだ。

今はもうそれから20年以上が経った。
社会でも世間でもいいが、漫画という「表現」いや漫画家という「職業」にさえ理解があって当然、「女性」「離婚」「母子家庭」だってもう、珍しくもないし引け目でもない。だから、今の若い人たちが、あの時代に、彼女のような状況で必死に「漫画という表現」で「立つということ」が、どれほど壮絶なことだったか想像するのは難しいだろう。
そのことを加味して読まずとも、彼女の作品が高みにあることは間違いないが、時代性を考えてみると、その凄さはその辺の凡庸な作家など足元にも及ばないことが解る。

「好き・嫌い」でしかものを評価できないということは、消費者つまり読者の勝手だし、自由だ。
けれども漫画を一つの表現として理解し、もし研究したり評論をしようと考える人間なら、女流とわざわざ銘打たずとも、「やまだ紫」という作家の偉大さに気付かないのなら、それは「馬鹿」だということを、はっきり言っておきたい。

もっと言えば、あの時代に個人的にも彼女の世話になった人がずいぶん居たと思う。彼女はいつも他者に優しく誠実に接してきたはずだ。彼女はそういう「だれそれに世話をやいた」ということを他の第三者にあまり言わなかった。けれど実際俺はそういう人間をずいぶんたくさん知っているし、夫なので直接彼女の口から聞いたこともある。もちろん彼女の日記にも残っている。

そういう人たちで、
彼女の死
に対し
何の追悼の気持ちも持たず、
へらへらと暮らしている連中
がいる。

裁きは必ず訪れるというのに、「恥を知れ」と思う。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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