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2009-08-15(Sat)

朝の本棚

8月15日(土)

前の日働いて(?)疲れたせいか比較的よく寝られて、目が醒めると7時頃。その後もうとうとを繰り返して8時半ころ起きる。
起きるというより、何かがフと気になって、ベッドの脇にごろりと落ちるように降りて、座ったまま西側壁面の本棚をじっと見た。
この本棚は「二階」(メゾネットの和室)を寝室にするために二人で大量の本が入った段ボール箱を片付ける時に、幅を測って壁面に入れたものだ。
東側壁面には背の低い本棚を並べて、ゆくゆくはそこに豪徳寺の招き猫を飾ろうと話し合った。招き猫たちはまだ梱包をほどかれずに、しまったままだが。
二階を寝室にする前まで、玄関の脇にある狭い洋室に二人で寝ていた。四畳半よりも若干狭く、ドアもなぜか内側に開くのでどう測っても普通のベッドが入れられず、仕方なく当座しのぎに折り畳み式のベッドを2つ並べてキチキチで寝ていた。
ところが、今はもう引っ越されたが、西側のお隣さんには幼い女の子が二人いて、毎朝保育園へ行く時にそれはそれはもの凄い声で騒いでいた。俺たちは毎朝、その「騒音」で叩き起こされるのが日常だった。
けれど二階の和室には山のような本の段ボール箱が、引越の時そのままにずっと積まれていたし、それらを整理するのは病人二人には重労働だった。
しかし我慢を続けるのは体に良くないと意を決し、去年の秋ころに本棚をまず買って、それから二人で毎日こつこつ、本の箱を開けては手当たり次第に棚に突っ込んでいった。そして、最後に便利屋さんを呼んでベッド二つを二階へ上げてもらい、ようやく「寝室」が二階の和室となったわけだ。

朝起きて見ているこちら側…西側の2つの本棚は、反対側のものと違い、ガラス戸と手前にスライド式の棚のついたもの。これらは二人で比較的大事な本を入れようと並べたのだけど、結局最後は箱を開けることを優先したので、あまり統一性のないままになっていた。
三津子が亡くなってしまってから、この二つの本棚の上段部分、ガラス戸のついているところには、全て彼女の本を整理して並べた。その下半分はそれぞれ、お互いがランダムに突っ込んだままになっている。
三津子が入れた部分の本をじっと眺めていたら、吉原幸子さんと井坂洋子さんの詩集、河野裕子さんの歌集がまとまって全面に並んでいることに気付いた。それらを改めて判型や著者別に入れ直す。それからどうでもいいような文庫や思いつきで買った本などは出して、比較的彼女も思い入れがあると思われる本を整理して、入れ直した。

そうしていたら、横部分の比較的大判の本を差し込む棚に、アルバムかスクラップブックのようなものが2冊ささっているのを発見した。もちろん三津子がそうしたものだ。
取り出して見ると、1つは次女のゆうちゃんが小学生の頃、俺が「漫画が面白いから描いてみれば」と言ったらいくつか描いたギャグ漫画と、当時の親子のメモのやりとりみたいなものだった。
もう一つは彼女のスクラップブックで、猫の水洗トイレの記事とか、興味があった記事や資料を入れた風情のものだ。

そこに、97年の「ガロクーデター事件」当時の『創』のコピーが入っていた。俺が入れたものではもちろん、ない。これは掲載誌を持っているはずだが、今のところ見つかっていない。
事件当時は篠田編集長が自ら取材に来てくれた。
他のメディアがほとんど憶測や片方=つまりクーデター側の言い分と、想像や勝手なシナリオでこちらに取材もせずにいた中、ジャーナリストとして「正しい」と思った。
篠田さんはこちらの話も聞いた結果、クーデター組の首班であるTと、残った青林堂・ツァイト側で事情を知る俺の双方に「その日のこと」「そこに至った過程」を書くように依頼された。そして『創』誌には、Tと俺の文章が続けて掲載された。
三津子、いややまだ紫は当時から一貫してTらの「やり口」を卑怯で汚いことだと、批判してきた。同調する人は多かったのに、表だってそれを言える人はほとんど無かった。
「正しいと思うこと」を堂々と顔と名前を出して言うこと、その難しさは理解できるが、俺としてはたくさんの人に傷つけられ、失望させられた中で、彼女の存在は公私ともに本当に有り難かった。
その記事のコピーをベッド脇にあぐらをかいて久しぶりに読んでみると、やはり、俺は当時から今に至るまで全く主張も「事実」として語っていることも、ブレていないことが解った。何も間違ったことは言っていないし、少なくとも俺にとっては「真実」とは言わぬが、見聞し体験した「事実」を記述している、と思った。

三津子はこれを俺に見せたかったのだ、今。

なるほど、俺は彼女を失い、いっときはもう「せけんなどどうでもいい」と思った。
はっきり言うと、まあ「死にたい」という心境だった。
彼女の居ない世界で一人生きて行くということが、どうしても想像出来ず、そして自分には出来ないと思った。
しかし俺が白血病を患い、彼女はその俺の命が一日でも長く続くことを願っていた。自分も健康ではないのに、常に俺たちはお互いにお互いの体を心配してきた。
だから、その俺が「死にたい」と思うことは、何よりも一番彼女を悲しませることだと、俺は理性で自分を立て直した。
まず、彼女の心に応えて頑張って生きること。そして彼女の優れた作品を後世に伝え、遺す作業をすること。自分には役割がある、それまでは死ねないと悟った。
だから、「ガロ」のクーデター事件や過去の日記などは、俺にとってもうどうでも良く、実際に97年からずっと開示してきた俺の日記つまりクーデター事件当時の詳細を含む日記や、当時の状況をリアルタイムで実況し続けた掲示板のログも、全てリンクを切った。
もう、人を憎んだり、怒ったりしたくなかったからだ。
でも、彼女は「それは違うよ」と言っている。俺は何も根拠もなく怒ったのではない、俺は間違ったことはしていないと言ってくれている。正しいと思い過ごしてきた日常の記録を抹消してしまうということは、俺たち二人が過ごした日々の否定になる。

リビングへ降りたら9時をまわっていた。
それから改めて洗顔ほか朝のことを済ませ、おにぎりで朝ご飯。今日も外は青空に白い雲。明日はもう盆の終わり、五山送り火だ。東山の大文字を見ると、何やらもう文字にそって火を灯す準備が整えられている。毎年、ああいう人たちは偉いな、それをただ「わあ」「綺麗」とか言って見ている人たちは、あれを真夏のさなかに斜面を駆け回って支度をし、時間通りにちゃんと点火する人たちの伝統を守る心と、信心にもちゃんと感謝してあげて欲しい。
京都のまちの人たちはもちろん知っているが、何かただの花火のような「イベント」と思っている人もいるらしい。まあそう思う人たちには、それだけのことなのだろうけど。

今年の「送り火」は、三津子の初盆になってしまった。あれら五山に灯される壮大な送り火が、我が家の「送り火」にもなる。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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