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2009-08-16(Sun)

五山送り火

8月16日(火)

夕べは寝る前にロヒプノールを1錠飲んだ。お陰で途中目が醒めることもほぼ無く、朝7時過ぎまでぐっすり。ロヒプノールは持続時間が長いので、12時ころ寝たせいか、7時ころにはまだ若干朦朧とする。しばらくベッド上で朦朧としたままで、結局9時過ぎに起きた。
今日もいい天気で、送り火も順調に行われるだろう。比叡山に合掌。
今日は時間のかかる作業があったのだが、お盆の最後の日だし、明日にしようということにして、先日整理した三津子の化粧品や香水で使えそうなやつを梱包したのと、ゆうちゃんが「持ってない」と言っていたエッセイ集『東京ノスタルジア』と『満天星みた』の2冊を同梱。小箱に余裕があったので、クローゼットから夏物の綺麗なアロハを出す。これは洗ったら縮んだのか、とても大人の女性が着られるサイズではないが、ゆうちゃんの娘ならちょうどいいだろうと思い、赤い薄手のジージャンと一緒に畳んで入れて、宅急便で送る。

それやこれやでもう3時過ぎ。
今日は寿司の出前を頼んだ。本当は明青さんに料理を頼むつもりだったのにアレコレで忘れていて、ハッと気付いたら2日前だった。明青さんは毎年お料理をたくさん依頼される。どう考えても2日前に送り火の日の料理を頼むのは暴力だ。でも頼んだら無理をして作って下さるかも知れない。その、「無理」を通すことが俺には出来ない。
なので寿司にしたわけだが、今晩はそれで一杯やりながら、送り火をまた「二人で」見ようと思う。
夕方まで時間があったので、買っておいた中古DVDでゲイリー・ムーアを聞く。見終わると5時過ぎだった。

送り火は8時からだから、うちもそろそろ三津子に酒を出して灯籠をつけようと思い、用意をする。
6時近くになって宅配の寿司と茶碗蒸しが届いたので、三津子と晩酌を始める。7時半から京都テレビでは毎年恒例の五山送り火生中継番組もつける。
そうして8時少し前から部屋の電気を消し、送り火中継のテレビ画面と、灯籠の明かりだけにして待つ。三津子の写真の額と、ぐいのみの日本酒を持って南側のベランダへ出て、デジカメのムービーをまわそうか…という瞬間、東山に「大」の文字がぼーっと浮かび上がってきた。あちこちの窓にも人影が見える。誰かが遠くで拍手をしているのが聞こえた。
写真の三津子にも見せて、ぐいのみに「大文字」を映して飲む。去年もこれを二人でやったよね、「これで一年無病息災だ」って言ったのにね…、と話しかける。

しばらく見て、二階へそのまま上がった。寝室の和室は真っ暗だが、そのままベランダへ出る。二階の寝室は熱がこもっていて蒸し暑いが、北側のベランダへ出たら風がさあっと通って気持ちがいい。確か去年もそうだった。
ユキが後をついてきて、ベランダに出せとにゃあにゃあ鳴く。けれどいったん出すと耳が聞こえないので、呼び戻すのが大変だから、可哀想だがガラス戸は閉めた。そうして今度は北東にあたる方角になった大文字を見る。
今年はお隣の角部屋のUさんは娘さんと二人で、じっと並んで見つめていた。お盆が開けたら引っ越されるそうだから、荷造りなど大変だと思うが、いっとき心が安まる光景だろうと思う。
ベランダで三津子の額を写真に撮ったが、ユキが「出せ」とガラス戸の向こうで立ち上がって鳴く。余りにうるさいのでちょっと抱いて出してやるが、今度は離せ下ろせと「うわあにゃあぎゃあ」と鳴くので、結局また部屋の中に入れた。
その時Uさんたちがこちらに気付いたので、「どうもすいません」と軽く会釈をする。ユキを戻そうとしていると奥さんが「ユキちゃんや(笑)」という声が聞こえた。こないだ玄関で少し立ち話をした際、ユキがさんざん甘えたのを思い出した。

それからは松ヶ崎の「妙」「法」がほぼ同時に、しかも一瞬で浮かび上がった。思わず「おお」と声が出る。
送り火の「火床」は五山全て方法が異なるという(by京都テレビ)から、火のつきかた=つまり文字の浮かび上がり方というか、速度も各々違うのだ。
去年、二人でここで座って酒を飲みながら眺めた二文字。
三津子の写真を脇に置き、俺もガラス戸のへりに腰掛けて、写真に乾杯をして、しばらくじっと眺める。今度は北西の方角に舟形が浮かんだ。ぐるりと右手斜め後方に大文字、真正面に法,少し左に妙、そして北西つまり左前方に舟形。
デジカメの画面で撮ると画角の都合で遠く映っているが、肉眼で見るともの凄く近い。特に「法」は松ヶ崎だから、すぐそこのようだ。
ベランダに出たユキ背後ではユキが余りにうるさいので一回自由に出してやると、静かに出て来たはいいが、すぐに西隣の今は誰もいない方のベランダへ、柵の下をくぐって行ってしまった。普通にてくてく歩いて呑気なもんだが、そのまま歩いて端の死角まで行ってしまったらどうしようかとひやひやする。何せ呼ぼうが手を叩こうが耳が聞こえないので、見えなくなったらもうどうしようもない。
そうだ、首輪にヒモでもつけておけば良かった…と思ったらすぐにくるりとこちらを向いたので、手をくるくると廻して誘導するとこちらへ戻ってきた。何とかそのまままた寝室へ戻すことが出来た。その頃にはもう真西の遠くに、文字はさすがに読み取れないものの、「左大文字」の灯りが平面に見えた。

去年もそう思ったが、やっぱりここは凄い場所だ。
大文字から妙・法、舟形までがはっきり見えて、さらに左大文字も平面ながら火が見える。鳥居はさすがに無理だけど、こんな場所は市内でもそうはない。だいたい五山全てをクリアに見られる場所はないのだから、最も素晴らしい場所の一つであることは間違いない。
それを見届けてから、下へ降りて、もう一度、消えかかっている東山の大文字を見て、一年の無事を感謝した。

去年二人で見て、「これで一年安心ね」と言って笑った三津子は逝ってしまった。彼女はきっとあの火に向かって、自分ではなく俺の無事を祈ったに違いない。そういう人だった。
だから今俺がこうして生きていられるのは、あなたのお陰です。ありがとう。
写真と乾杯
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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