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2009-08-19(Wed)

思わぬ再会と、出会い

8月19日(水)

夕べは12時前に寝室へ上がり、1時ころまで色々考えて眠れなかった。朝方は7時ころ目が醒めたが、割合その間はちゃんと寝られた。
その後8時過ぎに起きて朝のことを済ませる。
いただいた花のアレンジを台所でしおれた花を取り、固い給水スポンジのような土台から別の小さな土台を切って、以前取っておいた丸い籠に入れて活け換えていく。こんな作業はもう慣れっこだが、三津子が亡くなる前は一度もしたことなどなかった。少し小さめの籠に花が再び綺麗にアレンジされると気持ちが良い。
だが、男が花をいじるのが愛する妻を失ってから…などというのは、余りに遅すぎる。

洗い物をし、ベランダで苔などに水をやるが、今日も薄い雲がかかっている程度で青空が見えるいい天気だ。朝ご飯を食べて食後は茶を飲み、ザイロリック錠も忘れずに飲む。
お隣のUさんが今日引越のはずだが、予定通り玄関ドアの向こうでそれらしい動きの気配と音がする。暑い中大変だな…と思ったがそういえば一昨年俺たちが越してきたのも9月だった。

その後12時前に携帯に着信があったので見ると、元・ツァイトでお世話になった「さっくりジョン」ことFさんからだった。自分のパソコン歴はもうだいたい15年以上になるが、プログラムやシステムの世界はド素人同然。
90年代、WEB上で動く掲示板のcgiとか、perlなどで何かトラブルや不具合があると彼がアッという間に「さっくり」直してくれるので、いつの間にか「さっくりジョン」というハンドルネームになってしまい、通称化した。
「ガロ」のクーデターでツァイトも倒産し、Fさんも苦労をしたと思う。それでもそれから数年は、ツァイトや掲示板の仲間たちと「オフ会」と称して飲み会をよくやった。
三津子もFさんのことは「ジョンさん」と呼んでいた。思い切り日本人だが。
すぐにかけ直すと、何と今京都に居るというのでビックリ。聞くと遅いお盆休みを郷里の和歌山で過ごして、車で父方のお墓がある福井へ行く途中だそうだ。考えてみれば、ジョンさんいやFさんとはメールや電話ではやりとりはあったが、会って話すのは何年ぶりだろう。
「お昼でもどうかと思って」と言ってくれたのに、まさしくこちらは朝昼兼用のご飯を食べたばかり。じゃあお昼を食べて、12時半ころこちらへ来る、ということになった。

それからちょこっと片付けてソファの猫の毛を取っていると、12時半ちょいにドアフォンが鳴り、Fさんが来る。
本当にもう6〜7年ぶりとかになるか、メガネをかけて髪をほんの少し染めている以外はほとんど変わりがない。おみやげにと、和歌山の梅うどんと梅干しをいただいてしまう。ごちそうさまです。
それから三津子の写真の前に線香を立てて、手を合わせて貰った。
Fさんは写真に手を合わせるとその瞬間少し声を詰まらせて、じっと目を閉じて祈ってくれた。それを見ていたら俺もジンときた。
みんなで焼き鳥屋行ったり、カラオケ行ったり、浮間公園でめいめいが作った梅酒を持ち寄ったり、いろいろ楽しかったことを思い出す。
それから、Fさんや旧知の人たちの近況などの話もする。
なんと言っても、97年の「ガロ」クーデター事件前後の話だが、Fさんは俺と同様に、一部始終を見てきた人でもある。
そのFさんも、「あの事件の当時さあ、『みんながおかしかった』とかさ、『何かちょっと昔の切ない事件』みたいな回想(こちらを参照下さい)されるのってアタマ来るよなあ」と憤る。
思わずこちらも「ねえ、俺らどんだけ苦労させられたか、って」と、今だから笑って言えるが、当時は、本当に本当に筆舌に尽くしがたい辛苦を俺たちは与えられたのだ。
そして、俺がずっと一貫してあの「事件」について嘘いつわりを述べていないことの、Fさんも「生き証人」である。

記憶というのは脳内変換される。時間が経つとあたかも外傷が塞がれ傷が癒えるかのように、記憶は自分にとって優しいものになる。そうしないと、人間の精神は壊れるか、生きていられないからだ。いや、生きて行けるズ太い、無神経な連中もたくさんいるが、とにかくそういう意味でも俺のこの「記録魔」ぶりは有益であると確信している。

とにかく本当に久しぶりなのだが、全くブランクも感じず、楽しく話した。できれば泊まってって貰って一杯やりたかったのだが、今日中に福井へ行ってお墓を掃除して、それから仕事があるので関東まで帰るという。
残念だったけど、Fさんは「また来ますよ!」と言って2時ころ帰って行った。俺は下に新聞を取りに行きがてら一緒に降りて、オートロックなので自動ドアの前で見送った。
思いがけず旧友というか旧知の知人に会えて嬉しかった。Fさんは俺より年長なので旧友というのはどうかと思うが、「あの事件」を共に戦った戦友の一人という意識があるのだ。




その後上へ新聞と郵便物を取って戻ってくると、精華大からの封筒があり、何だろうと開けてみたら中にさらに封筒が入っている。
大学へ届いた俺宛の手紙の転送らしい。

差出人を見たら、千葉大作君のお母さんからだった。

便箋二枚に手書きで、最近ネットを始めたら、俺のブログを発見し、やまだ紫が千葉君の冊子を配ったこと…など、そして、そのやまだが死んだことを知った、ということだった。そして俺の心中を察し、体に気をつけてという気遣いもいただいた。
母子ふたり、夢に向かって送り出した息子を殺人という理不尽な事件で失ったお母さん。いまだ犯人は捕まらず事件は未解決のままだ。
三津子の生前、俺たち夫婦も大作君の優しい笑顔を思い、お母さんの心中を察して涙が出たものだ。そのお母さんが、今はやまだを失った俺に手紙を下さった。香典も入っていた。
こちらこそ、有り難くて涙が出た。
手紙と香典を三津子の霊前に供え、すぐに便箋を取り出して返信を書く。どうにもとりとめがなく長くなってしまったが、それでも、こちらがどういう思いで大作君の事件を思っていたか、やまだがどういう人間だったかを伝える。
今は天国でやまだと二人、好きだった漫画の話をしていることだろうということ。そしてお母さんも大作君と共にあり、俺もやまだと共にある、つまりは皆つながっているのだとお伝えする。

犯人逮捕にご協力ください 0120-230-663
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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