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2009-08-31(Mon)

上野昂志さんから手紙をいただいた

8月31日(月)

朝方、三津子の夢をまた見た。
いま、この記録をつけているのはもう夕方なので細部まで覚えていない。夢の中で、小さな部屋みたいなところにいる。俺は三津子と並んで壁によりかかって座っている。上半身だけ向き合って、髪を撫でて「チュッ」という感じで軽いキスをした(笑)。三津子も笑っていた。
髪にウエーブがかかって、フチのあるメガネをしていたから、十年以上前の感じだったろうか。(後で確認したら中央公論社『Blue Sky』の文庫版(1996年)の時あたりの彼女だった)
俺はいまだに彼女に釣り合う人間ではなく、そして彼女には謝らねばいけないこと、感謝しなければいけないことばかりだ。毎朝、いつでもそれを思い続けている。それでも、彼女はこうして夢に出て来てくれ、ちゃんと愛し合っていたということを伝えてくれた。嬉しかった。

9時前に起きて、朝のことを済ませ、すぐに朝刊を取りに行く。
読売の一面は「民主308 政権交代」という号外のような大きな活字と、鳩山代表の笑顔だった。テレビをつけて自民党敗戦の弁や民主党勝利の映像などを各局はしごして見る。
朝はペットボトルのミルクコーヒーだけでザイロリック錠を飲む。
その後、2時前に今日が31日だったことに気付いて、慌てて着替えをして出る。市民税と府民税の「第2期分」の納付期限が今日なのだ。税金は期限を過ぎると延滞金がつくし、払わないわけにはいかないものだ。着替えて納付書を持って玄関まで行くと、出かける気配を察知したユキが玄関までついてくる。
ユキはいつもそうするように、俺が外へ出るとしばらくドアの前で待ち、一定時間以上戻ってこないと、泣きながらどこかで回り出すのだろう。そう思いつつ「すぐ帰ってくるからね」と声をかけて出る。

外は朝と違ってうっすら曇ってきた。
歩いて近くの交差点にある銀行まで行くと、ATMにズラリと10人以上人が並び、例によってずっと振込をしている人、通帳を何枚も持って何やらやっている人やら、それをイライラした表情で待つ人々。その光景を見て、すぐにきびすを返す。
そのまま交差点を渡り、スーパーの横にあるATMでお金を下ろして郵便局へ行き、若い男の職員に税金の納付に来たと言うと、待ち時間はないのですぐですよと言われて、住所氏名と金額の紙を一枚書かされて、番号札を取って一旦座る。すぐに呼ばれてお金を支払い、数分待っておつりと領収書を貰って出た。
あのまま銀行で並んでいたら、きっとまだお金を引き出せてもいなかっただろうな、と思いつつコンビニで買い物をし、スーパーの花屋で三津子の花を買う。それから総菜類を買って帰宅。

ポストには、上野昂志さんからの手紙が届いていた。
(このところ、残暑見舞いにたくさんの人からハガキや手紙をいただき、感謝しております。)
部屋に戻るとユキが案の定、仕事部屋のプリンタの横に上がって自分の尻尾をくわえて「うわあ、うわぁああ!」と泣きながらくるくる廻っている。凄い声だ。「帰ってきたよ」と視界に入り知らせると、「にゃーん!」と普通の声になって降りてきた。耳が聞こえないというのは不幸だが、可愛い。
買って来たものをしまって着替えて花を活けて、上野さんの手紙を読む。

上野さんは日本ジャーナリスト専門学校の副校長だと思っていたら校長になられていた。やまださんの訃報を聞いても何も出来ず申し訳なかったとのこと。
上野さんはもちろん評論家として活躍されているが、何度もここでも書いている通り、俺を教職へ導いて下さった恩人でもあり、何より、「ガロ」の草創期からの大先輩である。夫婦ともどもお世話になっていた方で、ここ数年は詳しくは書けないが、専門学校の仕事に追われて大変なご様子だ。こちらこそ、何も出来なくて申し訳ないと思います。

1996年。当時から専任講師だた上野さんに、「来年度、ジャナ専の編集科にマンガ編集専攻コースを作るから講師に来てくれないか」と上野さんに誘っていただいた。そして翌年春から2005年の夏に白血病宣告を受けて「休職」するまで、ずっとジャナ専で教壇に立たせて頂いた。
ジャナ専というのは出版業界にたくさんの人材を輩出してきた名門校だ。
確かに専門学校というところを、大学受験に失敗したやる気のない人間の受け皿と考える学生、大学合格までのつなぎという学生もいた。しかし明確に「好きな出版、編集と関わりたい」「本が好きだから、企画や編集をやりたい」という目的を持った子がたくさんいて、そういう子たちが即戦力として2年間で見違えるほど逞しくなって巣立っていったのを、たくさん見て知っている。
出版業界へ行けなくても、少なくとも通って勉強になった、良かったと言ってくれた子もたくさんいる。
どんな学校だって、それこそ偏差値の高い一流大学でもバカはいるし、優秀で真面目な子もいる。専門学校だって、割合的にはともかく、真面目に目的意識と夢を持った学生はたくさんいた。ジャナ専はその中でも、歴史があり、講師陣も単なる客寄せで有名人にすがるようなこともせず、業界でちゃんと実績のある人たちが多い。
「マンガ編集コース」は結局、数年後に編集者専攻科に統合された。ただマンガ編集に特化したことは、時代を早く読み過ぎただけで、むしろ正しかったと思う。
大手のマンガ編集のシステムも、「ガロ」という弱小零細版元も両方知っている人間にすれば、システマチックでルーティン的な「編集」という業務だけではなく、もっと即戦力でもあり、かつ「編集魂」みたいなものを持った人間を育てる場は、これからの時代こそ、絶対に必要だと今でも思っている。
本当は、だからジャナ専でずっと講師はやっていたかった。
病気になって「休職」したままなのが口惜しいし、そういう意味では誘っていただいた上野さんには申し訳ない気持ちで一杯です。
時代は大学でマンガ学部が出来るところまで進んだ。しかしマンガ編集者養成に特化したところは残念ながら、未だにない。ジャナ専ではマンガ編集だけではなく、もちろん編集現場論、卒業制作、雑誌研究、流通現場論などなど色々な講座を持つことが出来たが、今さらながらマンガ編集専攻に特化した講座の必要性を思う。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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