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2009-09-02(Wed)

中野晴行さん、筑摩書房青木さんと飲む

9月2日(水)

夕べは12時過ぎに寝た。
一度醒めて何か夢を見た記憶があったが、再び寝たら思い出せなくなっていた。7時過ぎに目が醒め、8時前には下に降りて朝のもろもろを済ませる。
百合と紫の花を活けた花瓶は小さめのものだが、一晩で水が一滴も無くなっていてビックリ、たっぷり入れてやる。朝はペットボトルのコーヒーだけで、新聞を取ってきて読む。コーヒーを飲むと大が出る、出たら空腹になる(人間って…ミもフタもない生き物)ことは解っていたので、トイレへ行った後、さて何にしようかと思案。
三津子が生きていた頃は、お互い相手がいるので「何にする?」とか「どこか食べに行く?」という相談をしたものだが、一人になるとどうもいい加減になってしまうので、彼女にも食べてもらうつもりで、久々にナスとトマトのパスタを作ることにした。
別段難しいパスタソースではないので、よく作って食べて貰ったメニューだ。
まず大鍋にパスタを茹でるための湯を沸かしつつ、下ごしらえをする。
ホールトマトの缶を二つ開けて網の上に出し、マッシャーで濾して種を取る。塊も少し欲しいので3つ4つは残しておいて、大きめに切っておく。それから茄子を2本輪切りにしておいて、玉葱とベーコン、ニンニクをみじん切り。
パスタを茹でる湯には塩とオリーブオイルを入れておきつつ、茹で時間を考えて、フライパンにオリーブオイルを敷き、ニンニク、玉葱の順に炒めていく。
最後にベーコンを加えて軽く塩コショウしたら、先ほどのホールトマトを濾したジュースを足し、ブイヨンを少々加えて味を見る。甘みが弱く酸味が強いので、ほんの少しのトマトケチャップと蜂蜜、瓶のソース(果汁の多い甘めの揚げ物用ソース)を少量足す。
それを弱火にしてとろとろ、水分が半分近くなるまで煮る間、沸騰した大鍋にパスタを投入。くっつかないように混ぜつつ、フライパンもかき回す。茄子がいい感じにしんなりしてきて、トマトソースも水分が飛んできて、ふつふつ沸いている。
最後にパスタのゆで汁を少量足してから軽く味を塩コショウで調えて、小鍋に一回分のソースを取り分ける。湯切りをしたパスタをソースへ投入して絡め、トングでひねるように皿に盛りつけ。
最後に瓶入りバジルをちょこっと散らして完成。
三津子の分ももちろん小皿に盛りつけて、一緒に食べる気分。
ナスとトマトのパスタ
うーんなかなかうまい。どうですか、作りたくなったでしょう。

作るのに数十分かかったのに、食べ終えるたらたった十分弱。食べ終えてすぐに洗い物を済ませ、食休みにテレビを見たあと仕事をしていると、1時半ころ電話。

この日記でも書いたことのある、筑摩書房の「Aさん」=青木さんからだった。

今日の夕方、俺が中野晴行さんと会うということを聞いたそうで、自分も「ぜひやまださんにお線香をあげたい」とのこと。わざわざこちらまで向かうというのだ。
そもそも中野さんにやまだ紫復刊の話をつないでくれたのが、この青木さんだ。中野さんがいなければ小学館クリエイティブからの復刊がこれほど早く進むことはなかった。
なのでこちらとしては、青木さんさえ良ければぜひ、とお話する。
中野さんの方は精華大での講義を終えてからになるので、「明青」さんへ行くのはおそらく7時前というと、では6時ころ自宅の方へ伺うようにします、ということになった。

その後、夕方に備えて少しリビングの片付けをして、ダスキンモップで床をなで回す。とにかくうちは猫の毛が凄く、綿埃状になった毛玉があちらこちらにわだかまっているので、ダスキンが一番日常的には楽にそれらを取れるのだ。
もちろん定期的に掃除機をかけて床を拭き掃除・ワックスがけをするが、こないだギックリをやったので、今日は軽めの掃除に留める。
それから「重労働」が猫のトイレ掃除。ゴミ箱を椅子がわりにして座ってやるようになってから、ずいぶん楽にはなったが、体を常に折り曲げる体勢は腫れた脾臓にはしんどい。

俺一人だと普段から散らかしようがないので、掃除もすぐ終わった。
というと三津子がまるで「散らかす人」のように聞こえて申し訳ないが、家族なら皆が知っている通り、彼女は「自分の手の届く範囲」に日常使うものを並べたり積んだりする癖があった。なので急な来客時にはそれらをまずエイコラとどこかへ運んで隠したりしてから、やおら掃除をしなければならなかった。
といっても、彼女の「自分が日常使うもの」の多くは化粧品と本を除けば、注射針や注射器、大量の処方薬と市販薬の箱、袋類だった。
確かに団地に住んでいた頃から本や雑誌を周辺に積む癖はあったものの、ここ数年はとにかく病気関連のものが多かったのが、可哀想だった。
「掃除が一人になって楽」というのは、「彼女が居るべきところに居なくなってしまった」ということでもあるから、寂しい。「もう、こんなところにまた本積んで」と小言を言ったり、お客さんが来ると言っては二人で慌ててそこらのものを別な部屋へ移動したことも、今では懐かしく愛おしい「日常の記憶」である。

5時過ぎ、中野さんから電話で講義が終わったと連絡が入る。
「青木さんが急遽こちらへ来られるということになりましたが、ご存知でしたか?」と聞くと「今日白取さんと会うよ、という話をしましたから」とのことだった。
青木さんは前から「やまださんのご焼香に一度ぜひ伺いたい」と話して下さっていたそうだ。中野さんと青木さんは旧知の間柄なので、中野さんが京都に居り、俺と会うというタイミングでと思われたそうだ。
「だそうだ」というか、中野さんは「そういう話をしたような気がするけど、その時酔っぱらっていたので…」と笑っていた。
とにかく青木さんが6時ころに来られると伝えると、中野さんも「じゃあぼくもそのタイミングで伺います」ということになった。中野さんはもちろん京都に土地勘もあるので、叡電で向かうとのこと。

その後6時前、中野さんが先に到着され、少し最近のマンガの状況について雑談をしていると、20分ほどして青木さんがマンションに到着した。
挨拶もそこそこに、玄関から三津子の遺影の前へ案内し、焼香をしていただいた。青木さんは線香を立てた後、三津子の遺影の前で正座をして、じっと合掌をされた。それからしばらく今年の春に白浜へ行った時の、ニッコリと微笑む彼女の写真を見ておられたが、その目は充血していた。
中野さんが「彼は(編集者としての)スタートからだったからね…」と言うと、青木さんは無言で頷いた。編集者と作家としての関わりはもちろん、俺よりも青木さんの方が長い。

それからソファに座っていただいて、3人でいろいろ話をする。
青木さんとは俺もお会いするのは何年ぶりだろう。ひょっとしたら彼女の個展『やま猫展?』を池袋PARCOでやった時、つまり十年ぶりかも知れませんね、と話す。
青木さんは大和書房時代にやまだ紫の『満天星みた』(1985)を担当され、筑摩書房へ移籍した後も、ずっと文庫や作品集の実務を担当していただいた担当編集者だ。『満天星みた』に収録されているエッセイなどは、まだ俺が彼女が知り合う前のもので、その本が出る頃にはもう、実は俺たちは団地でほぼ同居状態だった。
だから俺と三津子が有り体にいうと「付き合っている」頃、まさしく『満天星みた』が進行しており、青木さんとはその後も何度かお会いしていたが、そういえばもう十年もご無沙汰していたのだ。

三津子・やまだ紫の本を「品切れ」にし、彼女を侮辱し続けたのはこの人ではない。青木さんはやまだ作品のファンであったし、人間としても、彼女と通じ合うところがある人だ。それは、彼女がもういなくなってしまった今、連れ合いであった俺が一番良く解っている。
俺が「やまだ紫の死」の報せを筑摩書房へ報告する時、青木さんにするしかなかった。筑摩の重役だったMという人間には、どうしても彼女が死んだということを「冷静に伝えられる自信」がなかった。
怒りで何を言うか解らなかった。
なので前にも書いたように、俺も断腸の思いで青木さんに彼女の全著作を「品切れ」から「絶版」にして貰うように連絡した。
出版業界外の人はこの違いを知らないと思うが、「品切れ・重版未定」というのはもう本は切れたが重版をいつするか決めていないということで、契約書を交わしていない場合(交わさないことは多い)、著者の許可がなくても「そらきた!」と重版をかけることが出来てしまう。作家が死ぬと突然、それまで知らん顔をしていたくせに葬式商売をすることが出来る。
「絶版」は著者側から申し入れると、もう版元はその本を出すことが出来なくなる。出版業界は体質が古く、いまだに出版契約書を交わさないことも多い。よく「版権を引き上げる」「版権を移す」とか言うが、「版権」なんか口約束の世界だ。
作家の側から版元に「絶版を申し入れる」ことは、「よその版元からそれらを出すから」という場合、あるいは「もうオタクから本は出さない!」という絶縁の意味合いが多い。
今回の場合ももちろん、やまだ紫作品を長年品切れ状態で放置するという「無礼」をもう許さないという、「絶縁」宣言である。

青木さんにとってその報せはとてもとても、辛いことだったと思う。俺も「その節は申し訳ありませんでした」と直接頭を下げることが出来て、良かった。
ただ、その頃の話…Mという男の非情な態度と、そして彼女の作品を「残すに値しない」と評価した無礼を思い出すと、どうしても彼女の悔しさを思い出す。
そして涙が出る。
十年近くも彼女の大切な大切な、日本の漫画界にとっても宝物のような作品を
「売れねえから」
という理由でほったらかしにしておいた奴を、俺は生きている限り、いや死んでからも、絶対に、許さない。


…そういう「辛い話」はともかく、中野さんは漫画論も含めてお話も面白い人なので、7時頃、そろそろ「明青」さんに行って一杯やりましょう、ということで腰を上げる。
徐々に暗くなっていく道を、話しながらつらつらと高木町へ向かった。
明青さんは長いカウンタの一番奥の、出っ張りになっている「ボックス席」を取っておいてくれた。
本当に久しぶりで、ご無沙汰してしまって申し訳ない限り。

まず絶品の生ビールで乾杯、三津子には写真の前に日本酒の小さいぐいのみを置いてもらった。はもの落としと炙り、旬のさんまの刺身、おろしとダシで食べる柔らかくて絶品の地鶏フライなどなど、お二人も舌鼓。
中野さんは青木さんとけっこう一緒に仕事をされているそうで、その関係もあり、今回の復刊の話をこれだけ早く繋げていただけた。
話は尽きず面白く、あっという間に青木さんは新幹線の最終に乗る時間になって、タクシーを呼んで貰い、お別れとなった。
中野さんとはそれから二人で、途中から日本酒に切り替えてしばらく飲む。気が付いたら閉店時間で、おかあさんに「そろそろ…」と言われてこれまた申し訳ない限り。
中野さんは明日も精華大の集中講義があるので、タクシーでホテルへ帰るのを見送った。それから路上でおかあさんとちょっとだけ立ち話。
本当は一人でまたここへ通えればいいんだけどなあ、と思う。でもいつもいつも、隣に居た人がいない。「おいしいね」と言い合い、笑い合う人がいないのは辛い。まだ、乗り越えられていない。ただこうして旧知の人と少人数で楽しい酒が飲めるのは、本当に有り難い。
おかあさんに御礼を言い、そのままゆっくり歩いて帰宅。途中コンビニで明日の朝用にサンドイッチと、週刊誌を4冊(文春新潮ポスト現代)も買ってしまった。酔っぱらっているのだな、と帰ってきて週刊誌を眺めて思った。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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