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2009-09-17(Thu)

「性悪猫」復刊ちゃくちゃくと

9月17日(木)

夕べは12時過ぎに寝る。目が醒めたら6時前だった。このパターンがだいたい定着か。それでも眠れなくて困る、ということはなくなったので助かる。そのままとろとろして8時半ころ起きる。今日も穏やかな晴れ、本当にいい季節だ。

朝は食欲なく、アイスオレで済ませて薬だけを飲む。新聞を取ってきてゆっくり読み、10時過ぎに着替えて買い物に出る。スーパーに行き、まず文具売り場でプリンタのハガキ大用紙を100枚買い、総菜などを買ってすぐに帰宅。

4月に三津子・やまだ紫が倒れたあと、彼女の大学の教え子たちが、皆で千羽鶴を折ってくれたのを、講師の小川先生が届けて下さった(「 連れ合いが倒れた 14 」)。それはもちろん病室に飾り、最後まで、天に昇る時も彼女と一緒だった。
俺は学生さんたちに直接、会って御礼を述べねばならないのは重々承知していたものの、とてもたくさんの人の前に出られる状態ではなかった。とにかく彼女の死を受け入れねばならないことと、それを乗り越えて生きて行かねばならぬこと…つまりは自分のことだけで精一杯だった。

本当に恥ずかしいし、申し訳なかったと思っている。

四十九日、納骨、百か日…と日々過ぎて行く中、こちらの気持ちもようやくホンの少しだけど余裕が出てきた。そうしたらもう大学は夏休みに入っていたので、御礼状にポストカードを添えたものを作って、休み明けに学生さんたちに渡して貰うように大学へ預けた。
その際、千羽鶴を折ってくれたのは「やまだゼミの学生を中心に20名くらいです」と伺っていたので、20セットと少しをお送りしたのだが、先日休み明けに小川先生が配って下さる際、学生に聞いたところ実は百人以上の学生さんが折ってくれたことが判明した。
もちろんゼミの学生さんが中心にたくさん折ってくれたのは言うまでもないのだが「一羽だけでも」という学生さんも居て、結局百人以上になったのだという。
小川先生もそのことを聞いて、代表で呼びかけてくれた学生数名だけにとりあえず渡して下さり、残りの学生さんたちの分を作ってもらえないか、という連絡をいただいた。
なので、昨日でこのところの仕事も一段落したのでハガキを買いに行って、御礼状を印刷することにした。
一応110セット作ることにし、五月に身内や友人知人に発送した彼女の密葬の連絡を入れた封筒に、ポストカードと、印刷した御礼状に直筆の署名を入れながら、納めていく。
お昼は買って来たレンジで暖めるだけというラーメンを食べ、それからまた作業。110セットと少しのセットを作って梱包し、小川先生あてに発送の準備を終えたら2時過ぎだった。

その後宅配便で、小学館クリエイティブの川村さんから、三津子の写真が返却されてきたのを確かに受領。
前にも書いたが、今回復刊していただく三冊「性悪猫」「しんきらり」「ゆらりうす色」には、著者の写真としてそれぞれの作品を描いていた頃の彼女を載せてもらうことを提案した。川村さんも「それはいいですね」と賛同して下さったので、アルバムから3枚選んでお送りしたわけだ。ちなみに「性悪猫」に掲載されるのは78〜80年ころ、彼女が子どもたちと一緒に外で写した写真だ。

小学館クリエイティブ版「性悪猫」はA5判並製、164ページ(うちカラー4P)、定価1470円、10月23日ころ発売予定、ということ。
収録作品は青林堂版「性悪猫」〜ちくま文庫版「新編・性悪猫」〜筑摩書房「やまだ紫作品集5巻」の一連の「性悪猫」に準拠しているが、
・青林堂版のカラーイラストを復活させたこと
・「性悪猫」発表以前に描いていたと思われる猫の細密画などを掲載するイラストギャラリー
・「長ぐつ はかない ねこ」の単行本未収録作品2本
を、今回復刊の「特典」としました! 解説はもちろん、中野晴行さんです。
持ってた人はもう一冊、持ってない人は必ず、買ってください(笑)。

自分がはじめて「性悪猫」に触れたのは、青林堂版のハードカバー(業界的には上製本)だった。
確か初版ではなく、とにかく自分は高校時代だったと思うから、出版されてから数年後だろう。漫画家になろうと思っていたので、劇画から少女漫画まで、とにかく貪るように何でも漫画というだけで読みあさっていた時代だ。
今思えばなぜあれほど時間があったのか不思議なくらい、本を読み、音楽を聴き、バンドもやり、漫画も読み、描いていたと思う。余談ながら親父の遺品だった「世界文学大系」を全巻読破したのもその頃だ。
「性悪猫」は、はじめて「ガロ」で読んだ人はその時の、あるいは連載ごとに一連の作品で、また単行本で出逢った人はその一冊で、文庫は文庫で、作品集は…と、それぞれの年代ではじめて出逢った人たちがそれぞれ、いる。
「ガロ」にはじめて発表されたのは79年(2/3合併号、つまり執筆は78年暮れ)で、連載は80年まで続いた。青林堂版の単行本初版発行は1980年8月。
つまり、この作品との出会いの時代というか、年代の幅は今回の復刊でもう30年になるのだ。
今の若い読者がもし、はじめて今回の小学館クリエイティブ版「性悪猫」に出逢ったとしても、きっとそこには30年前から延々と続いてきた、「感動」という人々の連なりの中にまた一人、加わることになると確信している。

30年前に発表された「性悪猫」に、俺が出逢ったのは27年前。「日向」の一節に涙がぽろぽろとこぼれたのを、昨日のように思い出す。それから数年後に、まさかその作者と一緒に暮らすことになるとは、もちろんまだ夢にも思わなかった頃だけど、それからもずっとずっと、自分にとっては「宝物」のような作品だ。
その後自分は漫画家にザセツし「ガロ」の編集者になるわけだけど、そうなってからも、よけいにこの作品は自分だけの「宝物」ではなく、漫画界の、いやそんな狭い世界にはおさまらない「宝」であると強く思うようになった。

ちくま文庫版「新編・性悪猫」が出たのは1990年で、「性悪猫」収録の「やまだ紫作品集」全5巻が完結したのは1992年の6月だ。けれど文庫版はその後も毎年数千部ずつ、地道に売れ続け、再版されていった。文庫だけで数年後の11刷の段階で5万部を軽く超えていたから、青林堂版と全部合わせれば10万部は超えていると思う。だからその後も「ベストセラーにならずとも名作」というかたちで、ずっと読み継がれる名作だと思っていた。
しかし残念ながら筑摩書房の判断は「売れ行きの悪いものは出さない」というものに変わり、そしてここ十年ほどは「品切れ」のままほったらかしにされた。
この素晴らしい作品を、十年もの間、読者の目に触れる機会を奪ったということは、俺にとって、いや日本の漫画界にとって犯罪にも近い行為だと思っている。
けれど、他ならぬ筑摩書房の編集担当であった青木さん〜評論家の中野晴行さん〜小学館クリエイティブの川村さんというつながりで、彼女の死後、異例とも言える速さで復刊が決まった(「 やまだ作品復刊決定・初出調査のお願い 」)。

何度も何度も書いている通り、この珠玉の作品を後世に残し、伝えることが俺の最大の望みだったので、詳しくは言わないが、それを大前提として話を進めていただいた。俺が個人的な欲を出すことや、編集に口を出すようなことはしたくないし、すべきでもないことは承知している。そして、いよいよもう大詰めに近くなってきていると聞いた。
自分は原稿や原画を整理し、用意して整えただけで何もしていないが、今から新しい「性悪猫」のどこで、また新たな感動が自分にわき起こるのか、楽しみで仕方が無い。
十代には十代の、二十代には二十代の…と、いい作品は同じ人間が何度読み返しても、その都度新しい感動がある。
この作品には時に泣かされ、時にほっこりと暖かい気持ちにさせてもらい、時には背中を押すように励まされた。
恐らく、これを描いた彼女がもうこの世にいなくなってしまった今読めば、どこを読んでも俺は泣くに決まっている。けれども、俺にとってはそれもまた、この作品による「新たな感動」の一つなのだと思う。
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コメント

2冊もっていますが、また買います^^

2冊目は古本屋で発見し、自分のものにしないでどーする!と買ってしまいました。
これは友達に貸し出し用と見せびらかし用です。

次のは読んで飾っておきます♪

楽しみです。

もう手放した懐かしい、あの作品にまた遇えるんですね。
偶然ここを発見し、悲しい出来事の全てを読ませていただきました。
ご心痛、ご苦労、何も言う立場にありません。ただただ、また必ず手に入れて二度と放したくない。それだけです。
本当にご苦労様です。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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