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2009-09-18(Fri)

インターフォン交換

9月18日(金)

夕べは気が付いたらソファでウトウトしていて、慌ててテレビを消して寝室へ上がって寝た、12時半ころだったか。朝はユキが5時前からにゃあにゃあ鳴いて起こすので往生した。その後は全然寝られず7時ころまで悶々としたあと、うすーくレム睡眠に入り、起きたのは9時過ぎ。
ユキが起こそうとしていたのは、カリカリ(乾燥エサ)がなくなっていたからで、「お腹が空いた」ということだったらしい。ごめんごめん、と言いながらカリカリを足して水も取り替えてやる。
こっちの朝は昨日買っておいたジューシーハムサンドとペットボトルの小岩井コーヒーミルク。
俺は一つ何かにはまると、それを食い倒したり飲み倒して飽きる…というクセがある(笑)。今はセブンイレブンのジューシーハムサンドにはまっているが、これはマヨネーズがトロリと確かにジューシーで、本当に家庭で作ったサンドイッチのようにおいしい。

朝、こうしてご飯を食べるとしばらくすると下痢。一回か二回。これがだいたい、毎日のデフォルトとなっているサイクル。昼はその日によって食べたり食べなかったり。ただ朝ちゃんと食べると、人間の体はちゃんと昼に腹が減るようになっているし、そうすると夕方もそれなりの時間に腹が減る。
入院して規則正しい早寝早起きを強制されて、三度三度決まった時間にご飯を食べさせられると、そういうサイクルが定着して実に健康的になったりする。それが退院するとだんだんとズレたり、いい加減になったりするのは経験のある人ならお判りだろう。

そう思って、ちょうど4年前に自分が退院した頃のブログを読み返した。「無治療で様子見」という所見に変わっていき、退院していくあたりだ(2005年9月)。
当時は「連れ合い」と書いていた三津子が、俺が退院した後、11月に吐血して入院したりしている。
進行が遅く無治療で自宅へ戻れたとはいえ、俺の抱える白血病という病気がいかに「連れ合い」である彼女にもストレスだったかがよく解るし、本当に辛い思いをさせたなあ…と思うと悲しい。
彼女自身もここ十年ほどは病気の連続で苦しかったろう、けれど踏ん張って来れたのは連れ合う相手がいたからだ。俺自身もそうだった。
今はもう、その彼女が居てくれないと思うと、ともすれば踏ん張っても仕方が無いと思いがちになる。だが自分にも母親がまだ健在でおり、三津子の愛した子どもや孫たち「家族」や身内もいる、そして友人や知人含め心配してくれる人たちがたくさんいる。しみじみと、この4年間無事であることと、応援して下さった皆さんへの感謝の気持ちを再認識した。

その後、今日はうちのインターフォンの交換日なので、インターフォン周辺を片付ける。インターフォンの下には三津子の遺影や花、遺品を収めた小ダンス、壁面の棚にはご先祖様の写真などがあったので、それらを作業のために全部いったん移動させる。
うちは猫の毛も含めたホコリが多いので、これを機会にそのあたりを掃除。三津子の遺影はいったんソファの彼女が座っていた定位置に立てて置いた。
テレビを観つつ待っていると、1時ころ交換の作業員が2人来る。ユキが例によって興味深そうについてまわっているが、「気にせずやってください」と言って作業してもらう。
幸いユキはすぐにつまらなそうに窓ぎわの日溜まりに転がって大人しくなったし、俺も作業をじっと見ていても仕方が無いので、仕事部屋でパソコンに向かって仕事をする。
うちはメゾネット=「2階」にもインターフォンが付いているので、作業員は上担当のおじさんと下の若い二人がそれぞれ、古いインターフォンを外した後、壁の奥から出した配線をいろいろいじって新しいのをはめ込んだりしていた。
40分ほどで電動工具の音がやんだので、ちょっと様子を見に行くと、もう作業自体はほぼ完了しており、そのうち「じゃあテストをします」ということで、2階との通話を試す。できない。作業員は「あれ?」という感じでまた配線を少しいじった後、通話テストOK。次は玄関ドアのインターフォンとの呼び出しと通話テストもOKで、あとは下のオートロックのテストだけということになり、二人は引き上げ体勢に入る。
その後先に降りたおじさんの方が下から呼び出しをし、モニタに映像が無事に映るのと、会話・解錠が出来ることを確認して終了。
作業の間1階のリビングはクーラーが効いていたが、2階は窓を全開にしていただけでは暑かったらしく、2階担当のおじさんは汗だくだった。
なので若い方の作業員がテストを終えて引き上げる際、冷蔵庫で冷えていた缶コーヒーを2本、「上の方暑かったみたいなんでどうぞ」と言って渡した。

今度のインターフォンは最新式で、何とビデオカメラはタッチパネル式のカラー液晶だ。誰かが訪ねてきて部屋番号で呼び出されると、その映像がはっきり部屋から確認出来る。しかもハンズフリーで会話が出来て、解錠ボタンも軽快になった。呼び出し音もタッチパネル操作でメニューを呼び出して変更可能。
前のインターフォンは古く受話器を取る方式のもので、もちろんモニタなど付いてなかった。しかも接触が悪かったらしく、呼び出し音が途切れがちというか割れるというか、時々
「ふんがふんがひんがほんが…」とマヌケな音を出したりして、三津子とよく顔を見合わせて吹き出したものだ。それがこんな最新式になるとはねえ…と遺影を元に戻しながら話しかける。取り替え工事のために周辺を片付けておいた線香立て、写真類や花、小物などを順番に戻していく。

その後「のりP」保釈と記者会見の映像、ニュースなどを見て夕方は6時ころから晩酌。「女優」だなあ、と感心。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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