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2009-09-21(Mon)

生きるという苦行

9月21日(月)

今朝は6時過ぎに一度目が醒めたがそのまま強引に薄く寝続け、9時過ぎに起きる。
今日もいい天気で、昨日より若干雲が多いだけで綺麗な青空の秋晴れだ。
下へ降りて朝のことを済ませて、朝飯…と思ったがあまり食欲がない。冷えていた缶コーヒーで薬だけ飲み、しばらくして仕事をする。
仕事に集中しているとあっという間に昼を過ぎ、さすがに空腹になる。冷凍してあったご飯、たっぷりオトコの一膳分の量をレンジで暖め、その間に熱湯でボイルするハンバーグを温めて、解凍しておいた筋子を少し切った。
それを食べつつテレビをつけると、「ひるおび!」でB級グルメグランプリの様子だかをやっていた。どこかの焼きそばがうまそうで、この映像を空腹状態で見なくて良かったと思いつつ、ご飯を食べながら見る。
こちらが食べ終わる頃に次のコーナーとかで、おカマのIKKOと彦麻呂が築地をグルメリポート…というのでイヤな予感がしたが、時すでに遅し。CM前のコーナー紹介の映像を一瞬だけ目にしてしまった。

この彦麻呂とかいう下品なタレントが、口いっぱいに丼ものをほおばり、大きく口を開けてその中途半端な咀嚼物を見せながら大声で喋る映像。慌てて目を逸らしたがもう遅かった。
何やら海産物らしい赤いものと、白い大量のご飯つぶが口蓋の上側にびっしり貼り付いた、汚ならしい、どうしようもない映像がアップで画面一杯に映し出されたものを一瞬だけ、見てしまった。
すぐに目を逸らしてチャンネルを変えるが、人が飯を食う時間帯に、なぜ他人の咀嚼物を、その口中の映像を見せられねばならないのか、理解に苦しむ
いや「理解に苦しむ」というより、猛烈に腹が立った。
病人にとっての「一食」というのはけっこう大切だし、食欲がないのに義務感で食べている人もいるのだ。それを小汚い、いや大いに汚らしい口中映像で食欲を失せさせるというのは、放送免許を剥奪してもいいとさえ思った。
とにかく以前も書いたことがある(「 メディアについて思うこと 2 」)が、この手の「口内咀嚼物公開映像」(こう書いているだけで吐き気がする)、放送コードで禁止にして貰いたい。百歩、いや五千万歩くらい譲って、せめて「これから不快な口内映像を交えたグルメロケ映像が流れますので、それらを見ても平気だという鈍感な人以外はじゅうぶんご注意下さい」とテロップを出してから、放映しろ。
以前から、俺たち夫婦はこの手の下品な映像とタレントが大嫌いで、もちろん見る(見せられてしまう)たびに慌てて目を逸らしつつリモコンを手にしたことは数知れない。
いつの間にか普通になってしまった、箸もロクに持てない「カリスマ料理人」だとか、まともに話せない「アナウンサー」だの言い出したらキリのないテレビの劣化ぶりは今さら書くまでもないこと。
「昔はこうだった」と書くと「今はそんな時代じゃない」と必ず言われるのだけど、時代が変わっても許されること、許していいことと悪いことがあるだろう。
食事の時間帯に下の話題は放送しない。(もちろんタレントの汚い口の中もだ)
タレントはともかくアナウンサーくらいは鼻濁音くらい正確に話す(外来語のガスでさえ『nガス』と言うアナウンサーは多い)。
こういうことは常識だと思っていたが、もはや崩れ去って久しい。「言葉遣い」や目上の人への態度などは、時代によって常識というものも変わるのだろうから、それはそれでいいが、テレビというマスメディアは映像+音声という最強のかたちでその導く「方向」を自由に変えることが出来るし、「幅」も広げることが可能だ。
女の子が「大きい」を「デカい」とか「おいしい」を「うまい」というのはもう当たり前らしく誰も気にしないようで、それは気にする人が古いと言われれば、もう仕方のないこと。
けれどお笑いやネタでもないのに、目上の人や先輩へ無礼な態度を取るのは「人として」どうかと思うし、明らかに言葉を誤用していたりすることを「時代」のせいにして容認するのはおかしなことだと思うのだが…。

今に始まったことではない、これまでもテレビにいちいち腹を立てていたら憤死してしまうので笑って見過ごして、いや敢えて意識的に見過ごしてきたことが多かった。
けれども、ここ十年ほどのテレビの制作現場の「劣化」ぶりはひどすぎる。報道もCMもドラマも、バラエティも、本当にひどい。このあたりの話は、INTER BEEにやまだ紫が招かれた際、テレビマン・ユニオンの今野さんと少しだけ話をさせていただいた記憶があるが、とにかくテレビ局の社員はスポンサーの顔色を伺い、広告代理店と大手タレント事務所と三位一体で金を廻すことしか考えていない。報道にしても構造的には同じことなので、「事実を正確に」とか「偏重なき報道」や「権力の監視」など期待してもムダなのだろう。
そこへ来て、常識だのモラルだの言っても虚しいだけである。


夕方、ニュースというか「報道バラエティ」番組を見ていたら、連れ合いと死に別れた人たちのサークルの様子をレポートしていた。
人生最大のストレスである「愛する配偶者の死」をどうやって乗り越えるか、これは遺された者の大きな問題ではあるが、同じ体験をした人同士が語り合い、慰め合い、体験を共有することで癒しとする集まりだという。
皆が定期的に集まって会合を持ったり、旅行に出かけたりしているという。なるほど確かにたった一人残された者は引きこもりがちになり、これまで喜びも悲しみも共に語り合い、分かち合ってきた存在の喪失が、そのこと=孤独によっていつまでも乗り越えられないこともあると思う。
そう、今の自分のように。
しかしレポートで放送されていたサークルは、いわゆる「高齢者」の方々のもので、しかも遺された人のほとんどが「健康なご老人」ばかりだ。
つまり、連れ合いに先立たれた悲しい「気持ち」さえ何とか立て直すことが出来れば、そしいてその気持ちを「外」に向けることが出来さえすれば、同じ体験を共有する人たちと集まり語り合い出かけたりすることが出来る。

自分の場合は自分自身も重篤な病いに冒されているため、そういう集まりがあっても恐らくは参加できぬし、だいたい二人で居た時から不特定多数の人が集まるような場所には注意をしていたくらいだから、結局俺はこうして一人、喪失感、孤独感と向き合うしかない。
それには、自分で言うのも何だが、恐ろしく強靱な精神力を必要とする。毎日がこの喪失感、孤独感、虚無感との戦いだと言ってもいい。自分が癌という病を抱え、唯一の支えであった最愛のひとを先に失い、見知らぬ土地でたった一人になる。
こう、現況という「事実」を記しただけで、客観的にも「大変なことだな」と思う自分がいる、つまり客観視している自分がいるお陰で何とか生きている。
三津子の死後、本当に、よく死なずに今まで生きて来られたと、自分で自分に感心している。
健康でさえあれば、新しく何かのサークルに参加したり、何かスポーツに打ち込むなり、新しいことをチャレンジし人脈を広げたりという様々な可能性がある。あとは気持ちの問題だけだ。
悲しみは歳月が徐々に癒してくれるし、他の新しい何かに自らを忙殺、集中させることで「わざと忘れる」ことも出来る。
俺の場合は連れ合いを失った悲しみから何とか気持ちを立て直したところで、今度は病気の自分という現実と向き合い、結果行動が制限される。
そして、自分の「生きるモチベーションとは何か」を自らに問い直す日々が続く。これまでは辛いことがあっても、何があっても何をされても言われても、三津子の笑顔と存在そのものさえあれば、頑張って耐えて来ることが出来た。

それはもう、ない。

けれど彼女は、俺の命が一日でも長らえることを常に願い、祈ってくれていた。俺が逆に彼女のことをそう祈っていたように。だから、俺が生きることがすなわち彼女の願いであった、と思うしかない。そう思うしか、俺にはもう生きて行くための「理由づけ」がない。
同じこと、つまり彼女が一日でも長く俺の側に居てくれることを、俺は毎日、毎晩祈っていたのに、彼女は俺の前から居なくなってしまった。
では彼女の願いと俺の願いの差は何だったのだろう。
二人一緒に死のう、そう何度言い話し合ったことか、そんなに人生うまくいかないこともわかっていた。それでも、お互い本当にそう思い願って生きてきたはずなのに、今、現実は違う。
やること、やらねばならないことがあるうちはいい。彼女の作品を遺し伝えること、あとは俺たちを心配して見守り励ましてくれる人たちのために、生きることか…。
気持ちの建て直しを、日々、毎日、瞬間瞬間行いながら、生きる「理由付け」を無理矢理自分に納得させながら生きる。
これは辛いことだ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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