--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-10-01(Thu)

高取英さんと明青さんへ

10月1日(木)

もう10月だ。朝7時目が醒め、8時に起きる。うす曇り、比叡山は中腹から白い煙のような雲に覆われていた。朝のもろもろを済ませ、朝食は昨日買ってあったジューシーハムサンド。飽きないのかと自分でも感心する。今日は晴れるという予報通り、雲は薄く青空が透けて見える。
仕事をするのに仕事部屋へ行くが、ノートPCに向かっていると少し暑いくらい。細かい作業を終えたのでリビングへ移動して、ベランダの窓を全開にして風を入れる。もう青空になっていた。
ユキちゃん白猫のユキは毎晩俺の隣、つまり三津子がいつも寝ていたベッドの上で寝る。ベッドの上には三津子が使っていたボア毛布を畳んであり、ユキはそれを自分の寝床にしている。朝は俺が起きると気配で一緒に起きてくる。俺がリビングに居るとソファの背で丸くなり、俺が仕事部屋に移動すると気付いて仕事部屋の床にペタ、と寝たり日のあたる窓際に寝たりする。そこからリビングへ移動すると、またついてくる。いつも視界に入っていないと寂しいらしい。
シマの方は相変わらず一日のほとんどを2階の寝室で過ごし、時々ギシギシっと階段を降りてきてご飯を食べたり水を飲んだり、あるいはまっすぐ俺の顔を見ながら甘えに来たりする。
ただ俺が下でテレビに向かって思わず何かを突っ込んだり、笑ったりする声が聞こえると、必ず階段を降りてこちらへ来る。シマは極端な人見知りだから、本当の来客があれば上へ上がって隠れてしまい、絶対に降りては来ない。下に居る俺が「話して」たり「笑って」いたりするのを聞いて降りてくるということは、来客だと思ったら降りては来ないのだから、ひょっとして三津子が帰ってきたと思って降りてくるのかも知れない。
こちらの目をまっすぐに見ながらすたすたと向かってくるシマを見ると、何だか期待を裏切ったというか、一人で済まないな、とさえ思ってしまう。それでもソファをポンと叩くと「ヨイショ」と乗っかってうずくまって喉を鳴らすのが可愛い。

一休みして、ネットでニュースを読んだりしたあと、自分のブログのアクセス解析を何気なく見る。参照された記事を確認したりしているうちに、三津子の四十九日前後の日記にあたってしまい、自分で読み続けているうちに声をあげて泣いてしまった。
その寸前まで一休みにネットを見て大笑いしていたのに、直後に自分の日記を読んで、声をあげて泣いている。誰かが見ていたら、頭がおかしくなったとしか思われないだろう。
「連れ合い」が居なくなってから、こんなに時間も経った、季節も変わった。しかし悲しみや寂しさ、何とも言えぬ喪失感・虚無感が消えることはない。
自分でも情緒不安定だと思うし、鬱状態になっても不思議はないとも思う。自分が今置かれている境遇は一人で耐えて行ける状態ではないと自分で思うし、それは「二人で支え合って来た」日々の支えを失ったのだから当然だとも思う。
何とか平静を保っている(のかどうか解らないが)のは、こうして「記録する」ことでようやく、という感じだ。つまりはこうした理屈で感情を抑えこんでいるのだから、常に抑圧されている状況下にある。
だから時々抑圧を解放せねばならず、情動失禁のような状態が起きるのだろう。
もし俺がこういった性癖つまり「記録魔」を持たず、他に自己相対化の手段を持たなかったとしたら、白血病に冒され、最愛の妻を先に失った今、自分が置かれている状態=抑圧に押し潰されているはずだ。
変な言い回しだけど、絶対に生きていけない自信すらある。


夕方、やまだ紫の代表作の復刊を進めていただいている、小クリ(=小学館クリエイティブ;すいません自分の中で略称がこれに定着しました)の川村さんから電話があった。
『ゆらりうす色』に併せて収録する『Second-Hand Love』は巻頭カラーの原稿と1色の原稿2種類ありますが、カラーを使うのでいいですか、ということ。
『Second-Hand Love』(セコハン・ラブ)は季刊誌「コミックばく」(日本文芸社)に1986年春号から4回に渡って連載された中編だ。連載1回目は巻頭4Cでのスタートだったが、後にちくま文庫版「ゆらりうす色」に収録するにあたり、モノクロに描き直されている。
「雑誌の初出以外ではもう見られないものですから、カラーがいいですね」と話し、川村さんも「そうですよね、そう思いまして」とのことで、雑誌に掲載されたかたち、つまり4Cの方を収録することになる。
ちゃくちゃくと、年内の3冊復刊に向けて動いているし、こういう形でこちらにもキチンとケアをしながら進めていただいているのは、本当に有り難いことだ。



今日は夕方、京都精華大学で講義を終えた高取英さんとお会いする約束をした日なので、6時過ぎに頃合いを見て高取さんに電話をすると、ちょうどタクシーに乗ったというところ。なので下鴨高木町へ向かってもらい、着替えて出る。
待ち合わせの信号で待っていると、向かい側にタクシーが停まって高取さんが降りて違う方向へ向かうのが見えたので、慌てて電話しながら信号を渡って声をかけ、無事合流。赤信号を待って「明青」さんへ。

「寺山修司の世界」カウンタの奥にある3人テーブルのカウンタをとってもらったので、そこで差し向かい。
高取さんに「生でいいですよね?」と聞くと、何とはもうずいぶん前から酒を医師から止められているというのでビックリ。いやだって「ガロ」時代に高取さんとはけっこう酒の席でもお会いしていたので、すっかり飲む人だと思っていたので失礼しました。
ウーロン茶とビールで乾杯。持って行った小さな三津子の写真にはいつものように、小さな日本酒をもらう。まずは高取さんが執筆や編集にも協力した文藝別冊「寺山修司の世界」をいただいた。
それからは旬のカツオ叩き、イカ刺し、さんま塩焼き、野菜の掻き揚げなどで一杯…ていうか俺だけグイグイ生を飲む。その後〆に高取さんが「ひじきご飯の卵とじ」を食べる間も、俺は生を7杯か8杯飲んだか(笑)。病人なのに飲み過ぎである。

その間、共通の漫画家さんや編集者の話題、色々と面白い話や懐かしい話を山ほど楽しんだ。業界では大先輩なのに、昔と変わりなく接していただいて、楽しい時間だった。
10時過ぎにお開きにして、下まで降りてくれた明青のおかあさんと一緒にタクシーを見送る。その後路上でおかあさんと10分以上立ち話。おかあさんはこないだのビヤホールへ行った時のことをあんまり覚えていないと言うので、思わず笑ってしまった。昼間のビールは効きますからねえ。俺もあんまり覚えてないので問題ないです。嘘ですが。

それからコンビニで買い物をして、ゆっくり歩いてマンションまで帰る。
?野橋の上を歩いていて、やっぱり三津子のことを思い出す。いつか明青さんから二人で歩いて帰った時、三津子が酔っぱらって俺の腕にぶら下がりながら、夜空を見上げて「ほら、お月さんがまん丸だよ」とにこにこ笑っていたっけ。
郵便物を取ってマンションに着くと10時半ころだった。着替えていると、どこからともなくユキが出迎えに来る。眉間に皺を寄せて「アンタ遅かったじゃないの!」という顔をしている。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。