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2009-10-10(Sat)

ちっちゃいおばあちゃん

10月10日(土)

今日は曾祖母の命日。
夕べは1時前に寝て、朝方何度か目が醒めて、9時ころまで起きられなかった。朝のことを済ませた後、郵便局でエクスパックを買う用事もあったので、着替えて自転車でスーパーへ行く。ちゃんとマスクも忘れず装着。
帽子、メガネ、マスクなので外見上変質者度が高まっているが、秋晴れの朝10時、郵便局の隣は交番。警官がチラっとこちらを見たような気がしたが、気にせず自転車を停めて郵便局でエクスパックを買って出る。
スーパーでは例によって今日明日のものと、三津子とおばあちゃんに甘いもの、そして花を買って戻る。

ばあちゃんは「ぼたもち」が好きだったから、ばあちゃんにはあんこのお萩、三津子にはきな粉のものを一つずつ買った。三津子はきな粉が好きだったから、ちょうど二色のお萩があったので良かった。

ひいばあちゃん=つまり俺の曾祖母は、物心ついた時から小学生の頃まで母親同然に可愛がってもらい、ほんとうに良く面倒を見てもらった。
母親が幸福な結婚からわずか数年で父を病気で亡くした後、赤ん坊の俺と幼稚園の兄の面倒を、ひいばあちゃんが一手に引き受けてくれた。
その当時俺には同じ函館市内の少しだけ離れたところに祖父=母の父一家が居たが、後妻をもらい、母にとって異母妹になる俺の叔母さん夫婦の一家と同居していた。もっともそういう事情は後年、大人になって聞いたことで、母にとってはそこはもはや「実家」でも何でもなく、居心地の悪い場所だったらしい。
俺はそんなことは知らなかったので、祖父にずっと書道を習いに行っていた。その後妻は「大きいおばあちゃん」で、我が家にいた曾祖母は「ちっちゃいおばあちゃん」と言い分けていた。

「ちっちゃいおばあちゃん」は、明治生まれで和服が好きな、小柄なおばあちゃんだった。俺が小学校から帰ってくるとすぐバケツに水を汲んできて、足を洗ってくれた。常に足を綺麗にしておくということは健康の基本、ということらしかったが、俺はもちろん小さかったので、何の疑問もなく従っていた。
福井の出身で、越前や若狭のタレントや歌手をひいきにしていた。料理がとびきりうまい、優しいおばあちゃんだった。

おばあちゃんは俺が小学校4年か5年、数えで米寿のお祝いをした後、癌だということが判った。当時俺たち兄弟には本当の病気は聞かされなかったと思う。母によると、おばあちゃんは我が家でしゃんとして変わらずに暮らしていたが、祖父と後妻=大きいばあちゃんたちが本人に「癌だ」ということを教えてしまったという。
ちっちゃいばあちゃんはそれがショックで、寝たきりになってしまった。そうなると母親は仕事があるので介護が出来ない。責任を感じたのかそうではないのか、最後は祖父の家へ引き取られて、そこで亡くなった。
ひ孫である俺の中学校の制服姿が見たいと言って楽しみにしていたのに、見ることなく逝った。大人になってから、母親から「あれは無神経すぎる、祖父と後妻が命を縮めたようなものだ」と聞いた。激しい怒りと、自分が子どもだったことで何も出来なかった無念さとで、ばあちゃんに済まないと思った。

そんなこともあって、成人してから俺は祖父の家族とは疎遠になった。一度だけ、「ガロ」に入って働くようになって、祖父の葬儀に出向いたきり、もう二十年以上交流はないままだ。その後妻だった「大きいばあちゃん」も、しばらく前に亡くなった。もう遺恨も何も無い。

先日お袋が上洛した時に、ちょっとおばあちゃんの話になった。「あんたは本当に可愛がられた」と言っていた。自分もそう思っている。多少の悪さをしても、きつく叱られたことはなかった。ただ躾に関してはビシッと、それこそ泣かされるほど叩き込まれた。食前の挨拶、箸の持ち方、食べ物への感謝、目上の人への礼儀…、「明治の女」の躾は厳しかった。
でも、今はそのことに感謝している、もちろん。

当たり前のことだけども、人はその人生、必ず誰かのお世話にならないと生きていけない。その人が自分の身内で、愛してくれたという幸福に感謝しなければいけない。
ひいばあちゃんに守られ、母親に助けてもらい、三津子にずっと愛されてきた。俺は常に誰かに守られ、愛して貰えたのだから、こんなに幸せな人生はないではないか。
誰かに必要とされている、愛されている。
この「実感」が不幸にしてない人たちが、自殺をしたり、捨て鉢になって他人を傷つけたりする。自分もこの先何年持つか、という状態になり、病気を得て愛する連れあいを失った今さらながら、それでも、こうして生かされてきた幸福に感謝しなければならないと思う。

季節のうつろい、高価ではなくともささやかな旬の食べ物。懸命に咲く草花、道ばたの苔。一緒に人生の幸福を語り合う連れ合いが居ないことは死ぬほどに辛いことだが、今俺がこうしていることにも何かしら意味があるのだろう。
意味のない生など、ないのだから。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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