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2009-10-21(Wed)

「性悪猫」届く

10月21日(水)

夕べは11時ころ寝室へ上がり、1時前には寝られた。しかしユキがずっと足元にいたので、どうにも熟睡できず、朝は7時前に起きてしまう。朦朧としてソファに転がるが眠れず、結局そのまま洗顔ほか朝のことを済ませる。
そういえば昨日も動けずにいたので新聞も取ってなかったし、DVDも返していないままだから、次が来ない。送られてきた各種支払い票もある。幸い疱疹の痛みは内部の鈍痛が治まりつつあり、ほぼ足の付け根と表面の疱疹部にとどまってきたので、またベルトをせずにジーンズを履き、ワイシャツを着て出る。
まずポストにDVDを返却し、コンビニでお金をおろして支払いを済ませる。税金やらガス代。税金は待った無し、滞納すると金利までつけられる恐ろしいものだ、まあ義務なのだが。
それからサンドイッチ、昼のパンなどを買って戻るが、やはりまだ歩くのはゆっくりじゃないとしんどい。どうにも右半身がやはりおかしい。これはウィルスが神経を傷つけたためらしいので、仕方がないのだろう。だがもうそろそろ相手も息も絶え絶えという感じだから、あと数日で治るだろう。あとは後遺症=神経痛が残らなければいいのだが。何しろフと冷静に考えると自分はとんでもない重病人で、だいたいの人が病名を明かすと「ああ、お気の毒に」という顔をされるのだ。

その後サンドイッチをカフェオレで食べつつ朝のニュースワイドを見ていると、認知症の南田洋子がくも膜下出血で倒れたと、夫である長門裕之が報告の会見をしていた。
ああ、あの様子だと彼は全てをもう理解しているのだな、ということが解った。
「今呼吸をさせられているだけ」「一生分のキスをしました」「彼女がいなくなったらどうすればいいのか今は解らない」「ただ今は洋子の死を待つだけという時間」これらの言葉で、洋子さんがもはや脳死か、それに近い状況であることが推察される。
恐らくというか、当然もう彼は洋子さんの脳のCTを見て医師から説明を受けているだろう。それを見た上で、絞り出すようにああいう言葉を出していた。
マスコミはマイクを差し出しながら「奇跡が起こるといいですね」と悲痛な声を作って言うが、長門は「奇跡?」と一瞬反駁しかかり「…そうですね…」といくつか短い言葉を付け加えた。

半年前の自分と同じ心境だろう。
奇跡が望める状況と、そうじゃない状況がある。

脳内で出血が起こる、それは突然起こるから、以前に持病があった、何らかの兆候があり検査をして注意していたりしていても、起こってしまってから「対処を考える」しかない。
出血の部位を調べ、まず血を止め、血を取り除く、それも出来る限り脳の神経を傷つけず、かつ迅速に。
それでもその部分に何らかの機能障害が残る可能性は高いし、そもそも救命できるかどうかも保証はない。全ては神のみぞ知る、だ。
つまり、奥さんが倒れ、病院へ搬送した、緊急手術をした、結果医師は夫に状況を説明した、その上での会見なわけだから、「奇跡が起こるかどうか」の可能性は長門さん自身が一番よく解っているだろう。それでも善意(?)かどうか知らぬが「奇跡を」とマイクを差し出す人らに、「そんなものはもう起きません」と気色ばむわけにもいかない。
長門夫妻の場合、もちろん長く芸能界で「おしどり夫婦」として知られ…と言われるが、ある年代以上の人は良く知っているように、夫の長門裕之さんの艶福家ぶりと、それを洋子夫人が許すのか耐えるのか、とにかくそういう夫婦像の方が有名であった。

俺たち夫婦も三津子が元気だった頃、認知症になった洋子さんをマスコミに公開する夫の映像を見た。
巷間「ここまでするか」「ボケた妻まで売るのか」などという批判もあったと思う。

でもそれは違う、と俺は今思う。

長門さんは、今、進行形で愛する妻洋子が洋子でなくなっていく姿を、そしてそれに寄り添う自分の姿を、一分一秒でも長く残したかったのだろう、そしてそれを一人でも多くの人に見てもらいたかったのだろう。自分の若い頃の贖罪の意味もあろう。けれどそんなことだけで、献身的な介護は無理だ。
やはり自分も年を取り、長年連れ添った「愛妻」に、今こそほんとうの心からの愛を捧げているのだろう。それを公開し残しておくことで、これまでの妻への「不義理」を埋めようとしている。そうしなければ、しないうちに先に逝かれてからでは、残された自分は後悔と自責の念で生きて行けなくなってしまう。
俺の場合は連れ合いであった三津子に、ひどい不義理をしたことはほとんど無いと断言できるが、やっぱり「ああしてやったらよかった」「あの時こうしていれば」という後悔、反省、自責の気持ちに押し潰されそうになる。今でももちろん、毎日感じている。
仮に100%全身全霊でお互いを愛し愛された、その幸福感の中にあった夫婦だったとしても、であれば、なおさらその片方を失うことは自分の半身を引き裂かれるように辛いことだと思う。
愛する人がただ生かされて肉体がそこにある、というだけの状態。
その人が死ぬことを、待たねばならないという残酷な時間。辛いだろう。
(10/22追記・南田洋子さんが倒れられたのは17日だったそうだ。そして実は昨日、上の日記を記入した直後に亡くなられた。長門さんの舞台の直前だったそうで、それはきっと洋子さんからのメッセージであったろう。役者は舞台を続けろという。合掌)


その後はひたすら仕事。
今日の仕事は厄介なのに加え、もし自分が死んだ場合に備えて、代わりにやって貰える人向けに手順を逐一画像切り出し、説明文書き、ペースト…とやりながらなので、通常の10倍ほどの時間と手間がかかってしんどい。でもワイヤレスキーボードにしておいて良かった。

復刊「性悪猫」来る3時ころ、作業をしていると、荷物の配達だという。出て受け取ると、懐かしい日販(出版取次)の箱だ。小クリからで、すぐに「性悪猫」だと解った。開けると、著者分の十部が入っていた。
すぐに取り出して、三津子の写真に添えて線香をあげ、手を合わせた。

「三津子、とうとう本が出来たよ。嬉しいね…」

遺影も笑っているようだった。
仕事の作業を中断して、さっそく開いて見る。真っ先に、あの青林堂版に入っていた優しい口絵が飛び込んできた。それを見たらもう駄目だ、涙がとめどなく流れてくる。
自分がはじめてこの作品と出逢った時の、あの時の感動がまた蘇ってくる。いったい何度、人生の節目節目で泣かされてきたことだろう。そして今、彼女を失った自分が、新しい「喜び」の涙を流している。
京都は今日一日、朝から穏やかな秋晴れで青空がひろがっている。ベランダはずっと網戸にして開けてあるので、車の騒音やどこかの工事の音、叡電の踏切やかすかに聞こえるつたないピアノの音…。西に傾きつつある柔らかく暖かい陽射しがベランダを照らしている。猫たちが日溜まりに転がっている。
そして俺の手には、新しい「性悪猫」がある。彼女の遺した素晴らしい作品が再び、手の中にある。合掌。

その後は仕事の続きを終え、身内に送る算段。何せびっこをひきながら室内を歩くので、時々蹴つまづいたりしてしんどいが、仕方が無い。
二人の子どもたち、お姉さんにも送る送ったとメールでやりとり。
夜はお祝いに一杯やりたいが、このところスーパーまで買い物にも行けずにいるので、あるもので済ませる。三津子、申し訳ない。こんな時に帯状疱疹なんて。

陰膳テレビでは、プロ野球が両リーグ共にクライマックス・シリーズ2ndステージが始まった。BSで日ハム対楽天を見る。自分は北海道出身なので当然日ハム応援…ではない。野球というスポーツをやるのも見るのも好きだったので、いい試合、面白い試合が見たいだけだ。どう考えても楽天の戦いぶりに興味がある。
試合は楽天優位に進み、9回裏、3点差で満塁。スレッジが逆転満塁HRで日ハムが勝つという劇的な勝利だった。この試合は面白かった、野球というスポーツの醍醐味に溢れ、見応えもあった。
巨人対中日は、ゴンザレスが早々に5点を失い、結局それを引きずる形で巨人が負けてアドバンテージを失い、1−1のタイとなったのを楽天の試合の合間にチラチラ見る。

10時、三津子の遺影の前に積んだ「性悪猫」を再び手に取る。立ったまま、やはり一作一作、一語一語噛みしめるように読んでしまう。
もう30年近く前だ。若い頃、同じように書店で手に取った青林堂版で、不覚にも書店で涙が出てしまった時のように、やはり泣けてしまうな…。
でもこの作家を知ることが出来て良かった。この作品に出会えたことを喜びたい。そして、その人と愛し合えたということに、ほんとうに、心から感謝したい。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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