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2009-10-24(Sat)

前門の痛み後門の痒さ

10月24日(土)

早朝暗いうちに、なぜかユキがにゃあにゃあと鳴いて起こす。俺は元々暑がりなのと、マンションの上階は熱が籠もるせいもあろう、今でも寝室ではベッドの上で全く何もかけずに寝ている。
この晩は予報でちょっと冷えると言っていたが、日中は晴れて室温は25度を超えていたし、京都は昼夜で寒暖の差が激しいとはいえ、寝る時は何も無しで快適だった。目が冷めてみるとちょっと小寒いかな、という感じ。
どうやらユキはあんな毛皮を着ているくせに、寒くなって寄ってきたらしい。横に畳んであったタオルケットを掛け布団のように薄く広げて入るように誘うと、中に入ってゴロゴロ言っている。ユキもシマも猫としては短毛だが、シマはアメショーの雑種で、みっしりと毛が密集しているが、ユキは何の雑種だか知らぬがシマに比べると体毛は短くて薄い。なのでその分寒がりなのかも知れない。
そんなこんなで早朝から起こされて、また薄く眠るのだが、結局8時前に起きる。本当に年寄りのような生活サイクルだ。

朝のもろもろを済ませて、帯状疱疹には軟膏を塗り込む。まだ触ると痛いが、治りかけのせいか赤黒く解りやすくなったことで、思ったより広範囲に疱疹が出来ていたことが解りやすくなっている。背中の方は痛みよりかゆみが強くなりつつあり、腹、鼠蹊部の集団の方はまだけっこう強く痛む。つまり背中はかゆくて全面は痛い。いずれにせよベルトをして外へ出て、重いものを下げて帰って来ることは今日も無理っぽい。
朝は昨日コンビニで買ってあったソーセージドッグを食べて、とりあえず下に新聞を取りに行きたいと思ったが短パンにTシャツで外に出るのを別な住人に見つかるとアレな人かと思われかねない。かといってジーンズを履くと腰の部分があたって痛い。逡巡したが結局、今日は土曜だったことに気付き、無難な昼前あたりに速効で取って戻った。

その後は仕事を休み休み。昼過ぎに何か食べないとと思うが、もうレトルトもインスタントも食べ飽きた。かといって買い物にも行けず、しばし思案した結果結局またカップ麺。情けないし食べたくもないが仕方がない。
東京に居た頃、連れ合いの三津子が病気で伏せっていて自分も具合が悪い時に、SEIYUのネットスーパーがもの凄く重宝した。本当に、スーパーで「これとこれと…」と買い物をするようにオーダーしたものが、スーパーの袋に入れられて、冷たいものはちゃんと冷たいまま、玄関口まで持って来てくれた。あれがどれほど病人夫婦には有り難かったことか。
最近はそういうサービスも増え、さらに関西に来てからもいくつかそういうサービスを実施しているスーパーもあることは知ったが、うちはどこの配達エリアからも外れている。これからの季節、大型スーパーへ行くことで、いらぬ感染リスクを回避することも出来るし、病人や老人などには需要があると思うが。デフレで粗利も少ないスーパーも、配達料を徴収できるというのは案外魅力的なようにも思える。
そういえば一応生協にも加入しているのだが、カタログを見て一週間とかずっと後の食い物なんか今から想像つくか? という感じ。今日、明日のものを「これにしよう」という感覚とはほど遠いから、結局一度も利用していない。実在する店舗で品物をチョイスするというより、生協はカタログからお取り寄せを選ぶという感覚なので、個人、一人暮らし、少量欲しいような人は利用しにくいと思う。

そういうわけで夕食は結局思案した結果、今度は宅配ピザにした。理由は簡単、ここ二年近く食べていないからだ。京都へ来て宅配ピザを取ったことは記憶にない。一度くらいあったかも知れないが、基本的に夫婦二人で暮らしていた時は「宅配ピザが食べたい」と思ったことはないと思う。おいしい総菜屋さんがすぐ近くにあるし、おいしいお店もたくさん知っていた。それに何より家で二人でちゃちゃっと作って食べるのも、美味しいし楽しかった。宅配ピザの入り込む隙は無かったと記憶している。
注文して30分ほどでピザの小さいサイズとシーザーサラダ、あとクーポンでチキンとポテトみたいなのがアツアツで届いた。三津子の陰膳もそれらで急ごしらえをして、何だか申し訳ない感じがする。でも買い物に行けないので仕方が無い、許してね、と謝る。

さて野球。
その間、パ・リーグのCSは日ハムが楽天を下して優勝を決めた。岩隈がリリーフで出て来たのにも驚いたが、その岩隈がスレッジに渾身のストレートを3ランHRされたのにも驚いた。さらに驚いたのは、日ハムの優勝セレモニーと観客への挨拶の後で、右翼スタンドの一握りの楽天ファンへ野村監督以下楽天の選手たちが挨拶へ行ったところに日ハムの選手たちが駆け寄り、2チームの選手がノムさんが胴上げをしたことだった。
先日発売の「週刊文春」では「ノムさんは選手たちから総スカンを食っており、いなくなってくれることを全員が願っている」さらに「回顧ウンヌンも元々の既定路線にも関わらずパフォーマンスでゴネたように見せているだけ」、という記事が掲載されていた。つまり、選手たちが野村監督の胴上げのために一丸となっているのではなく、ただひたすらに「反野村」で結束しているに過ぎないのだ、という論調だった。
しかし、この日の試合を含め、映像を実際に生で見ている限り、この記事は正しくないことがよく解る。一部の「反野村分子」はそりゃあ居るだろう、そういう選手かスタッフのリークや、鬱憤晴らしのようなものから膨らませたのではないか。
野村克也というひとの「人格」は、昔から見てれば「選手としては超一流、監督としては一流」であるのは認めるが、人間的に、人格的にどうかと言われれば現実に付き合った人しか解るまい。そして確かに、そういう部分では疑問な点が多いと思われがちなひとではある。
若い頃、あのサッチーとの不倫騒動でサッチー取るか南海取るかで辞めろ辞めないみたいな騒動になったことも有名な話。
選手としての「成績」「経歴」は決してONに引けを取らないのに、人気、扱いがまるで違うことを僻むような言動がいつしか逆に注目されるという皮肉。では「なぜ扱いがまるで違うのか」、それはひとえに選手や監督や野球人としてということ以前の問題であることに、本人自身知ってか知らずか、パラドックスとでも言うしかない現象が事実だった。
まあそういう色々はあったが、今回のクライマックスシリーに関しては、あの球団をここまでよく叩き上げ、本当によく戦ったと思うし、別段ノムさんにも楽天という球団にも強い思い入れはないが、応援したくなる何かがあった。俺の実家の母親は熱烈な日ハムファンで、この不景気の中ハムだけが救いなどと言うほどである。けれど俺はそれ以前に「野球」が好きなので、面白い試合やいい選手、いいプレーが見れればどこでもいい。実際、シーズン後半からここまでの楽天の戦いぶりは、野球というスポーツ、ゲームの面白さに溢れていたと思った。面白かった。
さらに、あくまでテレビ画面に映し出されるベンチの様子、選手たちの表情や態度を見ている限りは、「文春」の報道のように全員が揃ってノムさんを嫌っており、とっとと出てってくれなどと思っているわけがないと思う。
まあ野球というのはこのようにやっても面白いが見ていても面白いものだ。チーム対チームという集団の対戦ゲームなのに、投手対打者という個々の対決が基軸となっている。それなのに「全員野球」とか、連携プレー、チームプレイがあり、ベンチワークがある。
さらに試合の制限時間が区切られていない分、独特の「試合時間の流れ」があって、その緊張と弛緩の波が、何となく心地良いものに思えるのだ。サッカーの場合は緊張と弛緩の振幅が大きく、かつ時間が区切られてためにその波の間隔も狭い。つまりノコギリの刃のようなグラフを連想するとよく解る。野球の場合は、海の水面の波のような形で、時に大きく盛り上がり、時には凪のような穏やかな水面があるような印象か。自分にはやはり野球の波形の方が合っていると思った。

その後、皿やフォーク、タバスコや三津子の酒とお茶などの用意を整えていざピザを食べよう…としたところに立て続けに荷物の配達と、別に集荷が来る。何やかやで20分ほど経過。冷めかかったピザを一人で食うほど虚しい行為もそうはないな、と思いつつかじる。陰膳に分けたが三津子にも申し訳ない気持ちだ。とにかくもう帯状疱疹が治らないとどうしようもない。
朝シャワーをしたりしても、湯船にお湯を張って「ああ〜!」と浸かる心地よさへのフラストレーションが溜まる。それも、まだシャワーの湯が痛いくらいだからちょっと怖くて無理だ。部屋の掃除も床のワックス掛けもやりたい。二階の本の整理もちょっとずつやりたいし、終えていない書類手続きに動かねばならないこともいくつかある。だがもう何もかもがこの帯状疱疹のせいでメチャクチャだ。
幸いネクタイを締めて毎日電車に乗って通うという仕事ではなかったことが救いだけど、逆に元の病気がなければそういう仕事だってやれるわけだ。病気は本当に嫌なものだ。



夜になって、「性悪猫」の「ガロ」掲載部分の初出などでお世話になった、漫棚通信の細井さんから、Amazonからお送りした本が届いたと御礼のメールがある。さっそくブログでもご紹介いただき、(復刊やまだ紫 漫棚通信ブログ版)、感謝申し上げます。

細井さんは、やまだ紫の研ぎ澄まされた「ことば」に改めて感嘆されている。
自分もまさしくその「ことば」に、高校時代に衝撃を受けた一人だ。その彼女独特の言語感覚、鋭敏な感性が紡ぎ出す「ことば」が、年月が経っても常に輝きを失わずに時代時代の人の心をとらえるのだと思う。

「やまだ紫」以前の「山田三津子」は文学少女だった。色々な小説や詩に触れ、自らも詩作に励みまがら、花や草木、虫、道ばたの苔などをじっと観察して絵も描いていた。
進学するにあたって、大学も文学部にするか美術系にするか悩んだそうだ。結局「詩では食べていくの難しそうだし」と言って美術系の大学を受けたものの、基礎デッサン力不足で落とされている。そんなもので個性の煌めきを発見できるのかはなはだ疑問な選考基準ではある気がするが、漫画界にとってはその方が良かった。
余計な「基礎デッサン」「絵画技法」などで叩かれず、自由な創作の結果「やまだ紫」の誕生が早まったとも言えるからだ。
「COM」掲載の一連の作品は、今の女子大生ほどの年齢で発表されているのだから、もの凄いことだと改めて感動する。とにかく「鳳仙花」から今回復刻された「性悪猫」を挟んで、「鈍たちとやま猫」「はなびらながれ」までの、初期の作品も素晴らしいものがたくさんある。
これらも何とかして復刻したいと思っている。

俺の愛する連れ合い・山田三津子は亡くなってしまったが、
「やまだ紫」は、漫画界に絶対に必要な人である、

と確信している。
そんな思いも、細井さんへの返信でお伝えする。


既報の通り、本当にたくさんの人に謹呈せねばならないのだけど、元の部数が少ないこと、復刊という性格上新しい読者の人に一人でも多く手に取っていただくことを優先させていただき、贈呈分は編集に協力いただいた方以外はごく限られた身内にとどめさせていただきました。この場を借りて改めてお詫び申し上げます。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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