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2009-10-25(Sun)

コンビニへ行く(のも命がけ)

10月25日(日)

夕べは薬を飲んでいったん寝室へ上がり、しばらくしてテレビを消して寝に入ってから日中の仕事で重大なやり残しに気付いた。起きて作業をして、終えたら1時前だったか。再度寝られるかな、と思ったが割合スゥッと寝られた。

今朝は早朝にシマに起こされる。小寒かったのか甘えたいだけなのか、ゴロゴロ言いながら右の脇の下で丸くなり、腕に時おりググッと爪をたてる。こっちもふかふかで暖かいが爪は凶悪。しばらくそのままウトウトすると、今度はユキがにゃあにゃあ大声で鳴く。どうやらご飯をくれと言って起こそうとしているらしい。8時前だった。
そのまま起きて朝のもろもろを済ませて、食欲がなくそのままPCも起こし(スリープ状態から文字通り、起こす)、少しだけ作業をする。どこでも出来て、出勤もない仕事はありがたいが、その分休みもないといえば無い。日常の仕事と休みのメリハリも無くなってくる。
連れの三津子が居た頃は「はいもう今日は終わり!」とかよく言われた。強制終了である。そう言わないと、俺はしごとが終わるまで、いつまでも集中してしまう癖があるからだ。
今は自分一人になってしまったが、病気になってから、意識的に自分で休憩をちょくちょく入れるようになった。というより、そんなに根を詰めて同じ作業をし続けられなくなってしまった。(とはいえ、ついつい立て込んでくると5〜6時間ブッ通しでモニタと向かいっぱなしということはよくある)

11時前、井坂洋子さんから電話があった。井坂さんはもちろん、詩人で、三津子=やまだ紫の親友である。「『性悪猫』が届いた、とてもいい本になっていて良かった」という感想をいただく。
その後本の進行の話、俺の帯状疱疹の話、向こうやこちらの猫の話などなど、小一時間ほど長電話になってしまう。
井坂さんちの猫は数年前に三毛が逝き、今は20歳の高齢猫がかなり弱ってきているそうだ。水もちょっとしか飲まず、エサも食べられないことの方が多いという。その猫と仲の良かった三毛が死んだのが10月の27日だったそうで、ひょっとしたらその日に迎えにくるかも知れない、と言っていた。20年とは猫にとっては大変な年齢で、人間なら百歳以上にもなろうかというくらいか。
それほどの時間を一緒に暮らしたどうぶつは、もはや「ペット」などではなく、大切な家族だし、ヘタな遠くの親戚よりも大切な存在であったりする。うちの場合、一番長生きだったのは17〜18歳くらいだったので、20年は立派ですよ、と慰めにならないことを伝える。辛いだろうな、「家族」を見送るのは・・・。

その後、昼過ぎに何か食わんと…と思うがもうカップ麺もレトルトも嫌だ。とにかく生野菜が食いたい。着替えて外へ出たいが、今日はちょっと足の付け根が昨日より痛い。仕方なく冷凍庫を探すと、「横浜あんかけラーメン」が見つかった。前にも書いたが、三津子が生前買っておいたものだ。
さっそく作って、彼女にも分けて、食べる。うーんやはり美味。

それからは、少し薦められたり送ってこられた漫画をいくつか読む。感想はやめておく。
もうけなしたり「クソだ」と断罪するようなことはあまり書きたくない。そのかわり絶賛したいものがあれば褒めたたえたい。それはたとえ成年コミックであろうが、差別はしたくない。

「ガロ」時代からずっとずっと、一社に限らないが、給料だけでは食えないので、色々なバイトをやった。版下製作やデザイン、似顔絵、イラスト、漫画も描いた。一番お世話になったのはエロ本業界だった。本当は「やまだ紫の夫」という手前、あんまり、いかがなものか、どうだろう、とは思いつつ、結局一番途切れなかったのがエロ関係の仕事だった。エロに不況無し。
そういえば発作的に思い出したのだが、いつだったかパソコンで何かを説明しなきゃならない時に、三津子と当時同居していた長女のももちゃんがモニタを囲み、そこへエロ写真が大写しになったことがあった。
慌てて閉じたが、それは某写真集をネット版に落とし込むという仕事で、ポジを高解像度で取り込んで、フォトショで汚れを取り画像補正をしていく…というものだった。たしか当時納品はMOだったと思う。
何とも気まずい感じが3人の間に漂ったと思うが、すぐに「プッ」と全員が吹き出した。
まあそういう失敗もあったが、エロ本にAVを見てそれをイラストと文章で紹介するというもの(4Cなんかギャラが良かった)や、ヘアヌード写真集紹介、成年コミック評、その他本当にあちこちでお世話になりました。
最近ではそういう仕事(定期のもの)はなくなったが、データを処理したり、あまり興味のない分野のことを黙々と作業をしたり、ずっと「自分の意見、考え」が反映されない仕事をこなすというのはけっこうしんどいことだと思う。
元々クリエイティブな仕事がやりたかったから普通の道から外れたわけだし、編集というのはその意味ではいつもいつも「違う、新しいもの」と向き合う仕事で、しかもそれをどう世の中へ発していくかのお手伝いだ。だから常に多方面にアンテナを立て、どん欲にニュースでも何でも新しいモノに目を向け、かつ旧き良きものも押さえておかねばならなかったから、あちこちの(自分の中の)引き出しを埋めるのに精一杯の日々だった。自分の十代半ばから三十代前半くらいまでは、もうひたすら、自分がスカスカの人間であることを必死で埋めようとする日々だったと思う。

今はもう、余計なことはしないし、しなくていいと思っている。もうこれ以上自分の器は大きくはならないし、引き出しに入れておいたはずのものは、いつしか無くなっていたり、手に取ったら崩れたりするようになった。必死で埋めたはずのものが一方でサラサラと漏れたり崩れて無くなったりしている、そしてその速度が速まっている気がする。
もう無理矢理に見たくもないものを見たくないし、読みたくないものを読ませられたくもない。仕事は仕事で、割り切ってやれればそれでいい。出来ないことは出来ない。

夕方5時前、夜をどうしようか出前サイトなどを見ているが、宅配の寿司やピザくらい。あとはちょっと離れたところのファミレスくらいで、どうにもならない。痛み止めが効いているのか、買い物に行けるんちゃうか!?と思って着替えて降りてみるが、歩き出すととてもスーパーまでは無理。
着替えていた時は自転車に乗ってスーパーまで行けそうな勢いだったのに、エレベータを降りたところでもう無理だと解った。ベルトをしていないとはいえ、ペダルを漕ぐ運動で疱疹が擦れないわけがない。
結局向かいのコンビニまでそろそろ歩き、サラダやサンドイッチ、ご飯のおかずになりそうな冷凍ものなどをちょろっと買ってすぐ戻る。いったいいつになったら完治するのやら。
6時過ぎから買って来たもので夕食。三津子と軽く一杯。帯状疱疹時の飲酒は誰もが「薦めない」はずだが、これくらい許してくれよ、という感じ。

その後は母親や三津子のお姉さんと少し電話で話したり。
やまだ紫の代表作がこれほど早く復刊できたのは、俺の力ではない。
彼女の作品の力だし、人徳だし、後世に伝え残すべきものという認識に値するだけの優れたものを、正当に評価していただいた結果だと思う、
俺などその末端でちょこっと手伝いをしたに過ぎない。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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