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2009-10-30(Fri)

帯状疱疹悪化で一発入院

10月30日(金)

★注★ここから入院中の記録は、手書きでそこらの紙や薬の空き袋に書いたメモから起こし、記憶を頼りに書き加えています。痛み止めが効いてる時しか書けず、しかも動けない状態が続いたのでノートも買えず、途中まではそんな状態でした。

朝、前の日にヒイコラ貼り替えたガーゼを見ると、一部貼り付いていたので、軟膏を塗って貼り替えるためにそっと剥がす。…そっと剥がしたのに、腹部の疱疹が破れたところの皮膚がベリッとガーゼと一緒に剥離。思わず悲鳴が漏れる。
それでも地獄のような痛みに耐えながら軟膏を小さなガーゼを拡げて伸ばし、疱疹のケロイドにパッチワークのように貼りあわせて行く。
とてもジーンズは履けないので、ゆるいひらひらの室内着のズボンをそっと履いて、上着を着て外へ出る。もう、歩くのさえ必死。

道路を渡る力がなく、そのまま出たところでタクシーを拾って病院へ向かって貰う。車中、常に前の座席に両手でつかまり腰を座席に充てないように浮かしているのがキツかった。ちょっとした段差やブレーキなどの揺れにも激痛。
病院へ着き、すぐに再来受付機で手続き、血液内科の待合室へ。とにかくじっとしていも激痛が絶え間なく襲ってくるので、前屈みでひたすら耐える。
そのうち中待合へ呼ばれたのでそろそろ歩いていくと、それを見たナースが診察室前の中待合ではなく処置室で休んでいるように言われたので、助かった。ホッとして、手前のベッドに横になると、カーテンを閉めてくれたので、じっと待つ。
それにしても横になっても痛いものは痛い。我慢していると、まず別な中年の看護婦が来て「どういう具合ですか?」と言うので、帯状疱疹が悪化して…とズボンをめくると、看護婦が思わず「うわ!」と言って引くのが解る。「こんなになるまで我慢してたんですか?」と言うので色々言い分はあったが、結果的にはその通りなので「…はい…」と力なく答える。
先生が来るまでしばらく待ってと言われ、再び横になっていると、主治医である血液・腫瘍内科のI先生と看護婦が一人、それから先ほどの看護婦と3人でベッドに来た。
先生は「見せて貰えますか」というので先ほどと同じようにめくって見せると、「うわあ…」と言って「白取さんね、これもう入院です。今からすぐ」とのこと。
こちらはまさか入院までは考えておらず、「え?」と聞き返すが、皆の表情を見ると「オマエこの症状で帰れるとでも?」と顔に書いてあったので、また大人しく「…わかりました」と観念。

うちのこと、猫のご飯や水はどうしよう…。それに入院の荷物も何も一切ない。それどころか今日は財布だけ、携帯すら持って来てないし…。色々ぐるぐる考えたが、すぐにI先生が戻ってきて、「これからね、抗ウィルス剤を点滴しますからね」と言って寝ている俺の左手首静脈にブスリと点滴用の針を刺し、ルート確保。そしてすぐに抗ウィルス薬ゾビラックスを解かした生食(生理食塩水)が接続された。もうこれで観念するしかない。
俺は帯状疱疹と自分で解った日…16日から、数日おきに撮影しておいたデジカメの画像に日付や症状の説明を加えてプリントしておいたワードの文章数枚を渡す。先生はそれをパラパラと見て、「これは明らかに悪化してますね」とのこと。

それからベッドの上に膝を折って立つように言われ、家で貼ってきたガーゼを注意深く剥がされる。貼ったばかりなのでくっついてはいないが、やはり筆舌に尽くしがたい痛さ。
さらに右腹部の、家でバリッと剥がしてしまったところは赤く真皮がむき出しになって、血とリンパ液が浸潤している。
全体が露わになったところで改めて、先生やナースたちが「これはひどい…」という様子。とりあえず新しい大きなガーゼで改めて傷の部分をカバーして貰うが、家のものとは違ってかなり大きいガーゼで、しかも厚みがあってちょっと安心。
処置の間「痛みはどうですか」と聞かれたので、「絶え間なくひどく痛いです…」と答えると、「とにかくお部屋を今用意してますから、もうちょっとお待ち下さい、それから病棟へ行きましょう」と言われる。

カーテンが閉められ、点滴が落ちるのをじっと見ていると、数分で最初のナースが来て「お部屋の用意が出来ましたから、病棟へ行きましょう」と言われる。「歩けますか」というので「無理です…」と言うと車椅子を用意してくれ、腰から腹にかけて疱疹があるというと、腰が当たらないように、車椅子の背もたれにタオルを畳んでかけてくれ、首の下、背中あたりまで寄っかかれるようにしてくれて助かった。

車椅子を押してもらい、去年胆嚢切除で入院し、半年前は連れ合いの三津子を見送った南病棟を左に通り過ぎる。「病棟はね、北病棟の6階になりますからね」と言われ「南じゃないんですね」と言うとナースは「そうですね、北はだいぶ、いやちょっとマシですからね」と笑う。南病棟のボロさは笑い話のレベルなので、南というと皆同情するくらいだ。今回俺は血液内科=略して血内(ケツナイ)の患者なので、北6という病棟へ入院することになる。

北病棟6階のエレベータを出て扉を左へくぐると、抜けたところがナースステーション。病棟では「詰め所」と呼んでいた。後で知ったのだが、本格的な血内の患者…例えば白血病や悪性リンパ腫で苛烈な治療をしているような人の病室は7階が主で、この6回は「老人科」と共同だという。しかもほとんどが老人の患者で、糖尿など既往症の治療のために長期入院していたりする人も多いという。なので敢えて外来語ではなく「詰め所」と言ったりしているのかな、とぼんやり考えた。

俺の部屋はナースステーションの真横で、けっこう広い一人部屋だった。
俺の場合は子どもの頃にやった水疱瘡=ヘルペスウィルスが免疫力低下によって暴れ出したわけで、つまりは感染症の患者だ。なので老人や血液の病気の患者に万が一院内感染があってはいけないので、入室は制限され、ナースや医師もいちいち透明ビニールの使い捨て手袋とエプロンをかけてから入ってくる体勢。
そういうのを説明を受けたり見たりしていると、凄い重症かつ重病患者になった気分…て重症なんだった、俺。

しばらく左を下に横になって落ち着いていると、I先生とチームの男性Dr.N先生、女性Dr.のN先生3人が病棟のナースたちと一緒に入って来た。俺は半身を起こすように言われ、必死の思いで激痛に耐えながら体を起こす。I先生はこれこれこうでと他の人たちに説明をし、とりあえずは疱疹の糜爛部分の処置をすることとなった。
まずズボンを脱ぎ、ベッドに腰掛ける状態で半ケツ状態までトランクスを下げて、医師たちに背中を向ける格好で座る。先ほど処置室で被せてあったガーゼを剥がすと、やはり皆一様に「う…」「わ…」というリアクション。
さすがに「こりゃひでえ!」とは言わないが、恐らくそういう風に思われているのだろう、ということが伝わってくる。
俺は思わず「すいません、こんなことで痛みもあって3、4日お風呂にも入ってないもので…」と謝るが、そういう問題じゃないという雰囲気。
ナースが申し訳なさそうに「あの、すみませんね、まず患部の写真を撮りますんで…」と言って、デジカメで数枚、背中や腹など疱疹部分を撮影していく。
I先生は「とにかくまず傷のところを洗浄しましょう、それから皮膚科の先生を呼んでありますから、所見を伺いますからね」と優しく言われる。

そのまま、男性N・女性Nの二人の先生が俺に近付いてきて、「じゃあまず洗浄しますね…」と言って生食(生理食塩水)の点滴容器から直接チューブで、ダーッと洗うようにして疱疹部分に水をかけていく。これだけでも痛いこと痛いこと、フッと息がかかっただけでも痛いのだ。
「うぐぐぐ…」と言うと「痛いですか?」と聞かれるので「はい、凄く…」と正直に答える。男性N先生の方は「あー、こりゃ水疱を潰さないと駄目だな…」と言ってナースに何事か指示をすると、注射針と小型のピストン式の注射器が来る。針の太さを「えーと何号かな」と言いつつどれかを接続し、おもむろに俺の背中の水疱へブツリと刺した。
俺は足の裏とか、長く歩くとよく水疱が出来たりしたものだけど、そういう時は水疱に縫い針を熱して消毒したものをプスリと刺して、自分でよく水を抜いたりした。水疱は水疱が出来ているから激烈に痛いので、水疱自体を潰す=中の水を抜くのが一番いい。
思ったほどの激痛ではなかったものの、やはり猛烈に痛い。「うぐぐぐぐ…」と振り絞るような声が、我慢しても出てしまう。「痛いですか?」と再び聞かれるので、「もの凄く…」と言うと「じゃああれ、落としながらやりましょうか」と言ってナースに何かを指示。間もなく来たのが、ソセゴンという薬の点滴。(ちなみに病院では点滴のことを「注射」という)
「これは強い痛み止めで、すぐ効いて来ますからね」と言われ、抗ウィルス剤の点滴をいったん外し、ルートに痛み止めを接続して落とす。「少し早めに落としちゃおうか」との指示で、ポタポタポタと落ちていく。
10分ほど様子を見る間、世間話ではないが、ここまでの経過などを話したりしていると、皮膚科の先生が病室に入ってきた。
T先生というフランクな感じの先生で、「あっこれはひどいね。あーー、水疱も…」と言って患部を見回し、「とにかく表面は清潔に、よく洗ってね。あとここまでひどいと、痕は残ると思うよ」と言われる。
痕が残ってもいいが、とにかくこの激烈な痛みがいったいいつまで続くのかが解らない。
「どれくらい…」と聞くとT先生は入院加療期間のことと思ったのか「そうねえ、点滴は一週間。あと傷が治るまでは二週間から一ヶ月近くかかりますよ」と言われる。「そんなに…」と思わず声が出るが、病室の鏡で改めて自分の疱疹部分を見渡して、自分でも客観的に「これはもう駄目かもわからんね」と思ったほどなので観念した。
皮膚科の先生は外来の途中だったらしく、バタバタと慌ただしく出て行ったが、こちらはその間にだんだん痛みが軽くなってきた。というか、鈍く感じられなくなったという感じ。ソセゴンの効き目か。

男性N先生が「どうですか?」というので「効いてきたみたいです」と言うと、改めて水疱にブスリと注射針が刺さり「これどうですか?」と言うので「大丈夫です」と答える。
それからうまいこと真皮に当たらないよう、慎重に角度をつけて水疱へ針を入れて、中の血膿をポンプによって手作業で吸い出していく。体をちょっとひねって様子を見ようとするが、そうするとさすがにソセゴンでも激痛が来るので、大人しくしていた。
大小十数カ所に出来た水疱を一つ一つ、注射針で中の血膿を吸い出す作業が、途中女医のN先生に代わりながら続けられ、一通り終わった後、二人はナースにチューブの「アズノール」という青い軟膏(火傷の時によく処方される、アレ)を大きいガーゼにまんべんなく厚く塗ったものを用意し、それを疱疹部分全体に被せるようにして貼り付けて行くよう指示。
女医N先生は俺が渡しておいた疱疹の経過報告と写真の出力を手に、「これお借りしてもいいですか?カルテに取り込みますので」と言われたので、「あ、お渡しするために出してきたものですからどうぞ」と答える。
一番大きなガーゼを畳んだものが2枚と、尻たぶまで伸びた疱疹のところに中くらいの1枚、さらにヘソのあたりに1枚、つぎはぎでテープで貼り付けられて、とりあえず終了。
終わったはいいが生食で傷全体を流されたので、トランクスや床までびしょびしょだ。ナース(Uさん)が「換えの下着とかありますか?」と聞くので「いえ、今日は入院すると思わなかったので、何にもないんです」と言うと「じゃあご家族の方に連絡して…」というので、これこれこうで一人だと話す。
Uさんは気の毒そうに「じゃあ一応病棟に紙おむつがありますけど、それを履いておきますか?」と言われたので、もう仕方なく「お願いします」と答える。下の売店にトランクスは売ってるというが、今の体ではとても買いには行けないし、毎日履き替えて行っても洗濯も出来ないから、いっそのこと使い捨てのオムツに割り切った方が楽だ。何しろ身内もいない、たった一人なので、買い物も洗濯をしてくれる人もいないのだ。
間もなく「一番大きいのがLサイズだったんですが…」と持って来てくれた。しかしそれでも脾臓が腫れて膨満している腹に、さらにガーゼが厚く巻かれているので苦しい。結局締め付けるところを2箇所くらい切ってもらって、オムツ生活に入る。
ナースに片足を支えてもらいつつ、「生まれて初めてですよ、こんなオムツなんて…」と言うがよく考えたら生まれてしばらくは紙ではないがオムツをしていたのだな、とどうでもいい事を考える。
とにかく後は安静にしているしかないということだし、実際痛み止めがなければじっとしていても痛いので、動けない。そのままゆっくりベッドに仰向けになると、背中の脊髄のあたりの水疱痕が痛いが、何とか体重をかけられた。このところ左を下にしてばかりだったので、仰向けになったのは久しぶりだ。
痛み止めもあり、すぐに眠気が襲ってきた。しかし何かとナースが出入りしたりナースコールのメロディがすぐ横で鳴り響くのと、ソセゴンが切れると絶え間ない痛みが襲ってきて、結局寝られなかった。
猫たちのこと、家のことが気がかりだが、携帯を持って出なかったので何もできない。観念してただ、ベッドの上で大人しくしている。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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