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2009-11-02(Mon)

入院4日目 奇跡を見た

11月2日(月) 入院4日目

痛みの中必死で持って来ておいたUMPC(非力だが小さく、割合軽い)を、ベッドの背を立ててようやく打てるようになった。だが長時間作業は無理で、記録を休みつつ途切れ途切れにするのみ。それも痛み止めが効いている間しか出来ない。

この日「奇跡」を見た。

朝方4時ころには痛み止めが切れて、やはり体表部の傷の痛みと内部の神経のビクビクッとする嫌な感覚で目が覚める。神経痛と体の体表部の痛みのダブル攻撃はキツい。気持ちが沈むし、萎える。折れそうになる。
思えば三津子も、病を得てからはこういう事の連続であった。辛かったろう、苦しかったろう。自分の身に置き換わってようやく、ほんとうの辛さが文字通り体感出来る。
何より点滴はおろか入院さえ一度もしたことのなかった俺が、2005年に白血病を宣告されてから、彼女の苦痛を追体験するようなこと…体にメスが入ったり、腹部が膨満してしまったり、体力が落ちたり、こうして腹部の神経痛になったり…が続いている。俺たちはよく一心同体だと言っていたが、本当に同じようなことになってしまった。
そのままぼうっと寝ようと試みるがダメ。しかも痛みが強くなっていく。「絶え間なく痛い」のは辛い。
どうしよう、ロキソニン頼もうか…と迷ってるうちに軽くうとうとを繰り返し、5時半ころになった。もう今から薬貰って寝ようとしても、6時にはどうせ起床時間となる。しかも病院の朝は忙しいし、その上今日は月曜だ。
結局痛みはそのまま我慢していると、6時になるやナースコールがすぐ横のナースステーションでひっきりなしに鳴りはじめ、病院内がザワつき始めた。一日、一週間の始まりの喧噪。
こちらは6過ぎに検温と血圧測定に来たナースに、ロキソニンをついでにお願いした。病院では我慢強い人、控えめな人は損をする…ということは三津子を看病してきた経験でわかってはいるが、やはり自分もついつい「今忙しそうだし」「これくらいで呼ぶのは…」と遠慮してしまう。

昨日、今朝は8時から採血だから朝食はそれまで食べるなとのことだったので、8時ちょっとにベッドに渡してあるテーブルに届いた朝食を前に我慢する。パンといり卵、オレンジと牛乳小パックなどのトレイを前に「おあずけ」状態。結局忙しかったらしく、採血担当のナースが来たのはさらに30分後だった。
試験管4本血を採られ、終わってすぐ朝飯を食べる。この病院は朝食が特別に言わない限りパンなのだが、日替わりで暖かいものが出てくる。もっとも暖かかったのだろうがすでにビニール袋の中で蒸れてぶよぶよになっているが。その食パンにりんごジャムをまんべんなく垂らして食べる。朝食は完食。

その後今日の担当のナースが来るが、今日もN本さんだった。この人が丁寧かつてきぱきとしていて、一番安心する。バイタルのあと今日も9時から抗ウィルス剤の点滴開始。(よく点滴点滴、というが病院ではこれは「注射」の一つになる。静脈へ直接長く投与する注射、静注と言ったりする)これは1時間ちょいで終わる感じで、入院直後から一日三度欠かさず投入されている。俺の体内のウィルスを駆逐するには、これくらいやらなきゃ駄目なのだ。

それから今日の予定を相談。シャワーは11時からと午後からとどっちにしますか、というので今日は午後にしてもらった。傷を洗う意味もあるシャワーは、この体だと重労働で終わるとへとへとだ。なるべく後にしたいというのが本音。
N本さんは「じゃあお昼のあと、2時からの抗ウィルス剤点滴を早めに落として、続けて強い痛み止め(ソセゴン)を落として、3時半からシャワーにしましょう」ということにしてくれる。痛み止めの強いが効いていないと、とても疱疹部の糜爛を洗浄することなど不可能だ。実際はそれでも激痛なのだが。

その後は痛み止め(ロキソニン)が効いている間に、UMPCにe-mobileで夕べのうちにデータを落としておいた仕事をやろうと試みる。こんな状態で殺生だが、仕事に穴はあけられない。他人にも頼めない。とにかくやっつけるが、マシンの非力さより通信の遅さがしんどい。
何せベッドの右脇にあるテレビ台の下のトレイにマシンを置いてあるので、そこに正対して作業をすることが出来ない。体をねじったりひねったりすると激痛に襲われるから、体はベッド上に仰向けに寝たまま、小型のモバイル用マウスをぎゅーっと延ばし、斜めに首だけを傾げて画面を見ながらの作業なので、汗だくだ。
ただこの日の作業はファイル変換や転送といったキーボードをさほど使わないものなので、何とかかんとか昼をはさんで終えられた。痛みと姿勢を変えられない中でだったので、へっとへと。

昼飯はちらし寿司だった。お吸い物と忘れたが何かついていたが、まずいのはもう解っている。ちらしの上には固そうなうなぎの蒲焼きがほんの一切れ乗っかっている。食ってみると案の定、うなぎは固く皮はゴムのよう。うなぎだけは関東のように蒸して焼かないとダメだろう。3口ほどでとても食えず、お吸い物だけで諦める。もともと朝食も遅れたしそんなに腹も減ってなかった。
それからすぐに下の売店へそろそろ歩きながら行く。痛いが足が萎えないようにという意味と、病室ばかりだと気が滅入るからだ。その辺のお年寄りよりさらに遅い速度でじりじりと壁の手すり伝いに歩く。一歩一歩が拷問のようだ。伸びた髪を束ねる髪留めとお茶のペットボトルの大きいの、夕飯までつなぎがいる場合に備えてマドレーヌの小さいのを一つ。帰りはその荷物の重さが体にきつい。
6階の病棟に戻ってくると、もう疱疹部分というか右腹部から足の付け根までが激しく痛み出した。まずいまずいとつたい歩きをしながら部屋に戻り、ベッドに横になる。疲れた。そしてどこもかしこも痛い。辛い、しんどいキツい苦しい。

戻るとすぐにN本さんが来て、午後の点滴開始。
抗ウィルス剤が入ると、いつも右足の付け根のあたりの、内部がもぞもぞと変な感覚に襲われる。中に虫でもいてうごめいているような、気持ちの悪い嫌な感じだ。これが突然前触れもなく始まると「ううっ!」と声が出て体がビクンと跳ね上がるほど。神経痛の一種なのか。こんなので社会復帰出来るのだろうか。
ケロイド状になってしまった右の背中から腹部、腰にかけての疱疹部分は、疱疹による皮膚の糜爛(びらん)と水疱が破けたり潰れたりした「外傷」なので、常に必ず痛みがある。表面は重度のやけどがただれたようなものだ。常にビリビリと激痛が全体にある中、時おりスッ、スッとランダムにカミソリで切られるような強い痛みに襲われる。さらに突然、MAXに近い猛烈な強い痛みがあると思わず「ヅウッ!」とか声が出る。
それら体表部の痛みとは別に、ウィルスによって破壊・傷つけられたのだろう、体の内側が痛む「神経痛」もあって、さらにそれは痛みと虫がうごめくような「もの凄く嫌な感じ」も加わる。
こんな拷問があったら、きっと誰でも何でもすぐに白状すると思う。

点滴が落ちるのをぼーっと眺め、それから窓の外を見る。

今日は午前中もこうして空を見ていた。そうするしかないから。
大文字山から吉田山のこんもりした緑の奥に比叡山の裾野が重なる。もっともベッドの位置からはその間しか見えないが、雲がけっこうな速度で流れていく。比叡山の左手から大文字山の方へ動いていく。

三津子、お互い二人で生きていた頃はよく、どちらかが先に逝ったら、必ず相手のところへ来てお互いを守ろう、そしてそのことを解るように知らせようと話し合っていたね。
今まで君は色々なサインをくれたけど、はっきり君の姿をもう一度見たいよ…。
「病院で幽霊」なんか怪談そのものだけど、それが君なんだとしたら、俺はむしろそれでもいい、歯磨きの鏡に背後に立ってたって驚かない。夜中にベッドの上に浮いていても構わない。抱きしめたい。逢いたい。
雲が君のかたちにならないか。せめて何かの文字やサインを示してくれないか…。
そう思って眺めていたが、結局午後はいつの間にか曇ってきたと思ったらけっこうな強さの雨になった。「ひょおお」という音がするので、ちょうど入ってきた掃除のおばさんに
「あれ風の音ですか?」と聞くと「あ、そうですねえ。何やら雨もけっこう降ってますわ」と言われた。その後しばらくすると同じおばさんに「これから窓の掃除しますんで、カーテン閉めた方がいいでしょう」とのことで、カーテンも閉められた。ここの窓はもちろん中からは開けられないが、よく見ると鳥の糞の飛び散ったのがついていてけっこう汚れていたので、掃除はいいタイミングだと思った。何せこちらは窓を眺めているしかないから、綺麗に超したことはない。

俺の個室は今ナースステーションの真横、談話スペースの裏、という最悪な場所だが、眺めはすこぶるいい部屋だ。東を向いているので大文字山〜吉田山〜比叡山が見渡せる。もっともそれら全てを見渡すには窓際まで立って行かねばならない。ベッドからはその一部分しか見えないが、吉田山の背景に比叡山の稜線があり、青空に雲が流れる光景はヘタなテレビよりも和むものだ。

それにしても、朝の鎮痛剤ロキソニンはもう切れたので、ベッドの上で姿勢を変えるのもしんどい。体を起こすのさえ、もの凄い「苦闘」だ。ベッド上で体を起こし、さらに体勢を変えてサンダルを履き、立ち上がる…というこれだけで重労働になる。なのでテレビもあまりつけず、ただじっとしていることが多い。考えること、思いは三津子にばかり向かう。
抗ウィルス剤が落ちきり、一回別なナースが来て外して出て行った後、ナースのN本さんが来てシャワー前の強い痛み止めソセゴンを続けて落としてくれた。小さいので30分くらいで半分以上入る。これが効き始めると、皮膚の焼けるような切られるような激痛が多少弱まり、内部の神経の嫌な痛みも緩和される。これがないとシャワーで疱疹のケロイドを流し洗うなんてことはとても出来ない。

3時前に予定通り鎮痛剤も終了し、いったん点滴を外してもらい、シャワー室に行く支度。鎮痛剤が効いている間だけが「勝負」だ。よいしょと体を起こし、いったん支度をしに出て行ったナースを見送った後、こちらはシャンプーとボディソープ、かかとをこする軽石とタオルの入ったビニール袋、バスタオルを準備。てきぱきとしているように感じるかも知れないが、これでも普段の数分の一の速度だろう。
支度を終えてナースを待つ間にふう、と一息ついてから窓へ歩く。
カーテンを閉め切っているのは嫌いなのだ。
窓ガラス清掃があるというので閉められていたカーテンをシャッと一気に開けて、息を呑んだ。

虹だ!

それも右手は大文字山のふもとの寺の三重か四重の塔を出発点に、比叡山をバックに左手は町中に落ちるまで全部が見える。





虹 右端
虹 中央
虹 左端


ああ、「虹の橋」だ…

ベッドにふせっていたら視野角度的に見えなかったし、気づかなかったろう。
痛み止めが効いていなかったら、例え気づいても窓までは行けなかったと思う。
そして何よりあのままシャワーに出かけていたら見られなかっただろう。
まさに今しかない、このタイミングで…。

そうか、三津子、「君」だね。
「あなた、頑張って」
そう言っている声が心の中で確かに聞こえた。

はっきりと、わかる「サイン」がこれなんだね。ベッド脇に置いてある、彼女の小さな写真を思わず振り返るが涙でゆがむ。写真の手前にある携帯を手に取って窓際まで戻り、写真を撮った。鎮痛剤のお陰で動きも少し楽だ。まさしく「今しかない」というタイミングの完璧な虹。何枚か写真に収める。
凄い凄い凄い、こんなの生まれて初めて見たよ。虹の始まりから、終わりまで、それが街中、しかも京都の俺が入院しているこの部屋から全てが、今、見られるなんて…。感動で震えるほどだ。
戻ってきたN本さんが背後で「うわー!虹!」と大声を出した。平静を装い、鼻をすすりながら「凄いでしょう、端から端まで見えますよ」と窓際に誘うと「ほんまやー、こんなん初めてやわ−」と言ったあと「みんなに教えてこよ」と踵を返して走り出て行った。
その間にも何枚か撮影した。携帯のカメラなので、どうしても綺麗に取れない。「今ここで見えている光景の凄さ」が切り取れないのがもどかしい。
だけどもういい、ありがとう三津子。心折らず、何とか耐えてみせる。頑張るよ。
それからすぐN本さんが戻ってきて、「患者さんもみんな見てましたわ〜」と言って、また窓の外を見る。こんな「奇跡」を目の当たりにすることは、普通の人でも嬉しいだろうし、俺にとっては何よりも特別なことだ。
俺が「これで治りますね」というと「ほんまですね!」と言われる。そして「さ、じゃあ行きましょうか」と促され、シャワー室へ向かった。
着替え中にタオルの小さいのを忘れたので取ってきて貰うと、「虹もう消えてましたわー」と言っていた。やはりホンの一瞬の「奇跡」だった。

いろいろ準備を終えて、今日は出血の具合を報告するためにガーゼを外したのを持ち、いったんN本さんは出て行った。外したガーゼのそこここには血膿のひどい汚れがついている。俺は紙おむつを脱いでゴミ用に持って来た袋に入れて口を縛る。入院初日に生理食塩水で傷を洗浄された時に、履いてきた下着のトランクスはビショビショになってしまったので、履き替えさせられたオムツだ。
この年でオムツ…ということも心が折れそうになる要因の、たくさんあるものの一つだが、もう洗濯ものが溜まって結局後で大変になることや、そもそも着替えを取りに行ったり買い物をすることもしんどい今、使い捨ての紙おむつがどれだけ助かっているかと、前向きに考えることにしている。というより、もはや体裁もプライドもヘチマもない。
それにしても疱疹部分全体がひどく痛い。ぬるめの湯で弱くとはいえ、シャワーで流せているのは強力な鎮痛剤が効いているお陰だ。一通り洗い終え、疱疹ケロイド以外の体をそっと拭いて、替えのオムツを鼠蹊部まで挙げた状態でナースコール。
N本さんが来てくれて、ガーゼで疱疹部分を軽く押さえるように水滴をとってもらい、さらにアズノール軟膏をヘラでまんべんなく塗って薄くのばした大きいガーゼで疱疹部分全体を覆ってもらう。アズノールが薄かったり塗りもれた箇所があると、そこにケロイドがくっついてしまって剥がす時に大変なことになる。

「ああ、背中はずいぶん良くなりましたねー」と言ってもらって、こちらもホッとした。軟膏を塗ったガーゼでつぎはぎのように疱疹部分をまんべんなく覆ってもらい、テープでずれないように固定し、オムツを上にあげ、パジャマを着て終了。
いつもながら看護婦さんって重労働だ、大変だなあ、と思う。それにこんな作業工程は自分一人ではとても無理だったし、そもそも点滴治療が必要なほど弱っていたという自覚もなく、ほっといたらウィルスは増長し傷は雑菌に感染して化膿し、苦痛に転げ回った挙げ句動くことも出来ずに死んでいたかも知れない…。
N本さんにお礼を言っていったん廊下の手すりをつたいながら部屋に戻り、テープが足りなかったガーゼ部分を補強してもらって終了。すぐ洗濯室でドライヤをして髪を乾かして戻る。

ゆうちゃんに携帯で、撮った写真と虹のことをメールすると、すぐに「凄いね」と返信。
とにかくソセゴンが効いている間が勝負なので、今日の「奇跡」を記録しておこうと、UMPCをベッド上のテーブルへ移動させ、ベッドの背を起こして正対して記録。それがこの文章だ。
キーボードが小さいので打ちにくいが、脇にあるのを右手だけで斜めに打つのよりははかどる。
今、この記録をつけ終えて夕方の5時25分。雲が低く垂れ込めているので夕焼けもなく、もう夜のような暗さになった。東山は黒くなり、比叡山は雲の奥に見えない。

有り難い、感動の体験だった。

生きる希望を貰った。ありがとう、三津子。
君のために、もうちょっと我慢して生きてみるよ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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