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2009-11-03(Tue)

入院5日目

11月3日(火)

夕べは枕元に隣の談話室の声がずっと響いてた上、とっくに消灯時間が過ぎているのにテレビまでつけ始めた。せっかく導眠剤を飲んで電気を消して寝に入っているのに、全く寝られない。ナースたちも詰め所の真ん前なのに、ここはけっこう規律がゆるく、誰も注意しないようす。就寝前の痛み止めが効き始め、暑くてたまらなかったのも枕の下に入れたアイスノンでやっと眠れそうになってきたのに…と思い、たまらず夜勤のナースが来た時に訴える。
ナースは「あ、すみません、すぐ注意しますから!」と言って出ていき、やめさせてくれた。こっちは動けないので、仕方が無い。ちょっとやそっとのこと、みんな何らかの事情で入院し不自由な生活を送っているんだから、大目にみたい。実際そうしているが、いくら何でも図に乗りすぎという患者グループが一部にいるのも確か。結局は眠れたのは12時を廻ってからだった。

朝は4時半か5時ころには尿意と痛みで目が醒めてしまう。とりあえず何とか痛みをこらえつつトイレへ行くが、濃い嫌な色。もっと水分採った方がいいのか、いや点滴をずっと入れてるし、腎臓に逆に負担をかけるだろうか…と考えつつそろりそろりと壁の手すりづたいに戻る。
ベッドにまず登り、戻ってすぐに貰ってあったロキソニンを飲む。そこから体を倒すのが大変な重労働のうえ、激痛を伴う。治るんかこれ…、と不安。
仰向けになりフウウと深い息をついてやれやれと思ったら、ナースが入って来て「さっき白取さんの後ろ姿を見たら、背中に染みがあったように見えたんですけど」と言うので、せっかく寝たがまた体を起こして見てもらう。
するとやはりパジャマの背中に傷からしみ出た血とリンパ液、アズノール軟膏の混ざった染みが出来ていた。ガーゼ交換するのは大事なので、とりあえず今あてているガーゼの上にもう一枚充ててもらって、パジャマの替えをもらって着替える。
とにかく自分は今感染が一番怖いので、こういう対策は迅速でキッチリしているから、その面では安心だ。しかし3Lのパジャマ(腹部が脾臓で肥大している上にガーゼを巻いているので、3L以下だとウエストが食い込んで痛い)がなく、XLしかないという。小さいよりはマシなのでそれに着替えたが、ヤンキースのサバシアみたいにダブダブで、ヒップホップの人みたい。
その時、左手の点滴ルートが痛くなってきたというと、抜いてくれた。

今日の日勤担当はI君。若くて元気な男性ナースで、老人病棟のご婦人がたに人気だ。バイタルの後7時から朝食の8時まで、少しウトウト。
朝食は食パンに小さなコッペパン、キャベツサラダ、小パック牛乳にバナナ一本。バナナは食欲がない時に備えて備蓄しておく。
窓の外はいい天気で、青空にゆっくりと白い雲が動いている。
9時から抗ウィルス剤の点滴を持って来て、左手首のルートを手首に近い別なところへ開け直してくれる。スムースに落ちて、痛みもないので安心した。考えてみれば昔と違いソフトな針とはいえ、四六時中静脈に針が入っているというのは気分のいいことではない。もう何度も何度もやってるので慣れたが。
とにかく動けないので、10時ころまでベッドでじっと点滴が落ちるのを待つ。脇のテレビも朝のワイドショーが終わると何も見るものはない。

すると、明青のおかあさんから「今タクシー乗りました」と携帯に電話が入った。これから病室へ来て、猫の餌のことなどをお願いすることになっている。
10時半ころ、朝の点滴ルート開けの時にシーツに血が垂れたので、I君にシーツ交換をして貰っていると、おかあさんが病室に来てくれた。
おかあさんは「大丈夫? 大変やねえ」と心配して下さるが、その時は幸い痛み止めが効いていて多少楽だったので、「こんなことに」とチラッとガーゼをめくったり。もっともさすがに出血したひどいところまでは見せられなかったが。
それからI君が出て行ったあと、ベッド脇に座っていただいて、マンションの部屋の見取り図をメモ用紙に書き、ご飯と水の場所、トイレの位置などを説明して、三津子が持ち歩いていた合い鍵のキーホルダーをお預けする。
最初俺は「ご飯と水だけ替えていただければ、猫のトイレは匂いもキツいし飼っている人でも大変なことなので、何日かいっぺん強い痛み止め打ってもらって、自分がやって帰ってきますから」と言ったのだが、おかあさんは「うんうん、いいからいいから。とにかくまず行ってみるしね」と、これからご主人と買い物などもあるからというので、すぐに出て行かれた。
明青さんのおかあさんは、夏に娘二人とお店へお邪魔した際(「娘たちと明青さんへ行く」)に、
「奥さんはね、ほんまにいっつもいっつも白取さんのことを心配してはったんよ。
だからね、もう白取さん一人なんやし、もし何かあったら私らが飛んでいくし、お嬢さんたちにもすぐ連絡しますしね」
と言って、二人の連絡先まで書き留めていただいていた。
今回の入院でも、当初俺に連絡がつかないので、二人と連絡を取り合って下さったり、本当に「有り難い」では済まないくらい、申し訳なく、そして感謝している。自分が倒れてしまったら、頼る人は他にいない。

その後、I君が来てシャワーの段取りを話す。今日は午後だと3時〜4時が空いてるというので、そうしてもらう。で「抗ウィルス剤の点滴が落ちてから、痛み止め(強いソセゴンというやつ)を落として行きましょう」ということになった。
その後昼食を挟み、ワイドショーを見て点滴が落ちるまで待っていたが、途中でハタと気付いた。
抗ウィルス剤の点滴は毎日3回、朝9時からと昼2時から、そして夜9時からだ。この2時からの抗ウィルス剤はもうすぐ終わりそうだが、時計を見ると2時25分。次の痛み止めソセゴンは小さいとはいえ、落とす時間が足りなくないか…?。
2時半過ぎに抗ウィルス剤が落ちたのでナースコールをするとI君が来て「はい、じゃあシャワー行きましょうか」とさわやかな笑顔で言うが、俺が「痛み止め…」というと「アッ!」。やはり忘れていたらしい。
入浴時間は他の患者さんの希望などと照らし合わせ、毎朝ナースがシャワー室前のホワイトボードに「何時から何時だれそれさん」と書き込んでいく。なので午後からはたいていびっしり埋まっていて変更はきかない。
俺が「何だったら病室で生食(生理食塩水)で傷だけ洗っても…」というと「いや、大丈夫です!今から落とします」と言ってソセゴン点滴に交換。
「少し早めに落としますけど大丈夫ですか?」と言うので「え? あ、はあ」と答えて落としてもらうが、ポトッ、ポトッ、と落ちるのがトトトトトトトという感じで落ちていく。「どうですか、痛みとかないですか」と言うので「大丈夫です」と答える。「じゃあ落ちたらすぐ呼んで下さいね」と言って、交換用のガーゼや軟膏などを用意して去って行った。
何と15分でソセゴンの点滴は終わり、ナースコールする。
点滴を外して貰って身を起こすと頭がボーッとする。「どうしました?ご気分悪いですか?」と言うので「いえ、大丈夫です。ちょっとぼーっとしますけど」と言う。点滴ルートを塗れないようビニール袋とテープでガードしてもらい、「歩けます?」というので、「何とか」と答えて立ち上がる。
まあ朦朧とか目眩がするとかいうほどではない、ただ頭がふわふわするようだ。幸い痛みも弱まったので、そのままバスタオルと小タオルなど風呂道具を持って浴室へ。
I君はパイプ椅子を立ててガーゼ交換の道具を置き、「転んだりすると大変なのでお背中流しましょうか」と言ってくれるが、若い女性に洗って貰うのでさえお断りしているのに、若い男性にアレとかソレなどを洗ってもらうのはアレなので、丁寧にお断りした。彼は「気をつけて下さいね、終わったら呼んで下さい」と言って出ていった。

痛み止めが消えているとはいえ、シャワーはしんどい。普段と違ってまず頭を洗い、慎重にややぬる目のお湯を首から廻すように傷の上を洗う。それから柔らかいタオルにボディソープを沁ませて泡立て、全身を洗う。前屈みで足の方を洗うのが一番痛い。右鼠蹊部あたりの傷がふさがる形になるので激痛が走る。
とにかく何とかシャワーを終えてナースコールをすると、I君ではなく入院初日に俺のひどい状態をデジカメで撮影したUさんと、もう一人の若いナースが来た。I君は別な患者で手がふさがっているというので、そのまま二人にガーゼ交換をしてもらう。
こっちはいい年したオッサンが半ケツ状態でオムツ一丁だが、もう羞恥心など捨てた。二人は俺のガーゼ交換は初めてなので、こちらが「拡げたガーゼにアズノールをまんべんなく塗ってもらって、被せてもらってます」とか指示してやってもらう。かなりアズノールは厚めに塗ってくれた。厚めくらいじゃないと、乾いてくっついたら剥がすのは地獄だから助かる。
それから二人が交換した汚れ物を持って出ていき、俺はパジャマに着替えて風呂道具を持って病室へ戻る。点滴ルートのカバーを外しに来てくれるはずなのでベッド上に座ってしばらく待っていたが、誰も来ない。だんだん中が汗で蒸れてくる。点滴ルートを止めているテープまで浮きかかったきたので、まずいと思って詰め所へ行くが、誰もいない。入口でうろうろしていると中年男性のナースが来たので「あのコレ…」というと「あー、はいはい」と言って病室へ一緒に戻り、ハサミで切って外してくれ、出て行った。
袋が取れてホッとした…ってオイ、ルートから伸びた管がプランプランしているYO!
普通はそのプランプランした管を二つ三つ折りにして輪ゴムで束ね、それを手首と一緒にネットでリストバンドのように包んで終わりなのだ。なのでベッド上にある外したネットを使って何とか一人でやろうとすが、管を束ねて輪ゴムで止めるのがまず無理。
仕方なくまた詰め所まで歩き、入口で再びうろうろしていると、さっきのUさんが戻ってきた。なので「あのこれ…」と言うと「ああ! ごめんなさい」と言って見てくれるが、ビニールの中の湿気と汗でルートがぶかぶかに浮いてしまったので、奥へ通されて、ルートを入れ直すことになる。
I君も戻ってきたので、彼に一回外して貰い、再び針を入れて、新しいテープで固定。ネットまでやってもらった。やれやれ、である。

病室に戻って今度こそホッと一息ついていると、おかあさんから電話が入った。
ご主人と買い物などのついでに、一緒にマンションへ行ってくれたという。猫のご飯や水は替えていただき、今まさしく猫トイレの前にいるけどどうしたらいいか、とのこと。
うちの猫トイレは箱形で、猫は入口をくぐって中に入り、用を足す。引き出し状の床は網目になっていて、消臭の直径4〜5mmくらいの玉状の「猫砂」が敷いてあって、その下がさらにもう一段引き出しになっている。
つまり猫たちは一番上の引き出しに敷かれた玉の上で用を足す。尿は下へ通り、下の引き出しに敷かれた尿取りシートに吸収される。便は玉の部分に溜まるので、時おり便だけをすくって取れば、尿取りシートは厚手のものなので、数日は交換不要というものだ。
ただその仕組みを説明するのは難しかったが、おかあさんは理解されたようで、
「うんうん大丈夫、じゃあやっておくし。あと何かあったらまた電話します〜」と言って下さる。
ご主人…おかあさんは「旦那様」と呼んでいるが、ベランダの植木に水までやって下さったというので、恐縮しきり。いやありきたりだけど、本当に有り難いです。
それから、お袋や子どもたちにもメールで報告。俺はともかく猫たちは誰かが世話をしなければ飢えてしまうし、トイレだって綺麗にしないと可哀想だ。本当に助かった。

その後、家の心配が一つ減ったので安心して、夜まで大人しく過ごす。というより大人しくしているしかないのだが。ソセゴンが切れてくると疱疹部の表面が焼けるように痛み出し、内部からは神経の痛みか、時おりナイフで切られるような激痛が走る。ただこの日は夕方から大人しくしていたら、表面の痛み以外は落ち着いていたので、寝る前のソセゴンはやめて、ロキソニンで我慢してみると夜勤のナースに伝えて寝ることにした。
毎日様子を見に来ていただく医師団のうち、男性のN先生の方が痛み止めについては主導しているようだが、その際ソセゴンは強い薬なのであまり常用はお奨め出来ないと言われていた。なので、出来るだけ我慢しようという試み。

そうして消灯前にベッドの背をゆっくり起こし、よりかかる格好でノートPCをあけ、昨日の「虹の奇跡」(「入院4日目 奇跡を見た」)を記録しておこうと打ち始める。
どうしても、あのことは記録しておきたかった。もちろんこのようにメモ書きでもいいのだが、退院したらテキストにするから、同じことだ。そう思って、キーボードを叩く。正対して打つとやはり当たり前だが速い。幸い痛みもそれほどでもないようだ、今日は調子がいい! そう思ってノートPCを閉じた。

つづく
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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