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2009-11-03(Tue)

入院5日目 夜、激痛で死を感じる

11月3日(火) つづき

消灯後にベッド脇のライトだけをつけて「虹の話」をノートPCで打ち込んだ。半身を起こしてベッド上に渡したテーブルに置いたPCに正対してキーボードを打つのは久しぶりで、軽快。幸い痛みもロキソニンで我慢できそうだ…。そう思って終わってノートをぱたんと閉じた瞬間。

右足の付け根にかつてないほどの激痛が走った。
「激痛」という言葉では全然足りない。これまで経験した最も強い痛みを凌駕するような、それこそ経験したことのないほどの超弩級の激痛だ。
あえて表現するなら、まず右足の付け根、鼠蹊部の上あたりで小型の局地核弾頭が爆発したかのような熱さにも似た痛みが突然きた。焼けたハンダゴテをズブズブと突き立てられたというか、いや、内部でそれがはじけたというか、まさしく「ドカーン!」と爆発が起こった感じ。
これまで自分は癌宣告以来4年半の間に、かなりの痛みを経験してきた。
抗癌剤治療をするために奥歯を一日に4本ずつ抜かれた時。癌細胞の検査のための骨髄穿刺(マルク)の痛み。胆石発作の痛み。その切除手術後の痛み。今回の帯状疱疹の激痛の連続。
そしてこの時の痛みだが、正直、これまで経験したあらゆる痛みの中でも群を抜いて痛かった。
そしてその強烈な痛みの「波」が、じわじわじわと上半身へ上がってくる。
「う、うわわわ」と悲鳴に似た声が思わず病室に響く。何だコレは、一瞬で汗がドッと噴き出て、右手でベッド脇のパイプにしがみつく。その手がガタガタと震える。その間も痛みはじわじわ…と伝って肋骨の下へ上がってきた。

痛い、
痛い、
う、
わ、
これが、心臓へ達したら、
…きっと、
俺は、
し、死んでしまう!

「数秒後に死ぬ」と本気で思った。
よく「死ぬ死ぬ」とか「死ぬほど何なにだ」とか言うが、この時は本気だった。
ベッド脇のパイプを折れんばかりに握りしめていた右手を引きはがし、左の顔の横にぶら下がっていたナースコールに震える手を伸ばす。届け。届いた。押した。

スピーカから夜勤のナースの「はいどうされましたー?」という穏やかな声が聞こえる。
「い、痛くて、い、た、み、が…」と言うと「お待ちくださーい」という声。
その間にも猛烈な痛みは上がってくる。
あの、核爆弾が破裂し、衝撃波が放射状に拡大していく映像。右足の付け根で爆発が起こり、猛烈な痛みの波が徐々に心臓に迫ってくるイメージ。
死ぬ!

…幸い、痛みは肋骨で止まった。
けれど、右側の足の付け根から胸のあたりまで、つまり疱疹で神経がやられた部分全体が炎に包まれたように痛い。(今こうして記録していても=12/11午後、あの時の恐怖を思い出すと心臓が縮む思いがする)
夜勤ナースのHさんが「どうされました?」と笑顔で入って来た。
説明しようとするが、声が出せない。息も絶え絶えという感じで、「も、ものスゴイ痛みが来て…が、我慢しようとしたんですが…で、できません…」と言うと「ソセゴン使います?」と言われる。
つい数十分前、Hさんに消灯の前に「今日はソセゴンやめてロキソニンで我慢してみようと思うんです。副作用もありますから」などと言ったばかりなのに、脂汗を垂らして痛みを訴え、「お、お願いします」と言っている自分が恥ずかしい。けれどこの痛みに耐えられるはずがない。
というより、ソセゴンで収まるのかと思うほどの激烈な痛みだ。
すぐにHさんがソセゴンを持って来て、点滴ルートにつないでくれた。俺は「すいませんね、もう要らないって言ったんですが…」と言うと「いいえ、我慢しなくていいんですよ」と言い、「これで大丈夫ですからね、眠れますよ」と言ってくれる。
灯りを消して貰い、Hさんが出て行った後はただひたすら痛みが薄れることを祈りつつ、ベッド上で目を閉じていた。自然と懺悔と祈りの言葉が駆け巡る。
三津子や仏様に今までの自分の生き方を謝り、赦しを請う。「ごめんなさい、本当にごめんなさい」
夢ではなく、映像として怖い顔をした不動明王か閻魔大王のような形相をした法衣姿の仏か神かが、
「オマエは本当に懲りない人間だ。何度言っても自分を改めようとせず、更正の機会を失っている。いつまでそれを続ける、いつまでその生活を続ける!」
と言い、俺に鞭をあてるのだ。それがしなって体に当たるたびに、疱疹部全体に激烈な痛みが走る。全身があまりの痛みに反動で脈打つほどの痛み。よく見ると、その横には口に手をあてて、「もう許してあげて」という格好でおろおろしている三津子が居る。ああ、ごめんなさい。俺はダメな、不完全な、未熟でどうしようもない人間です、お許し下さい。
笑われるかも知れないが、本当にその映像が見えた。俺はひたすら謝り、赦しを請うた。もう一回、チャンスを下さい。

数分か数十分か、ひたすらそう思って目を閉じ痛みに耐え続けていると、ホンの少し痛みが薄らいだ。
目を開けた。薄暗い病室の中。点滴はもう4分の1以下。ゆっくり右手だけを注意深く動かし、傍らの充電器にセットされている携帯を押す。時計で確認すると40分経っていた。時間の感覚が全然無かった。俺は一瞬どこに行っていたのだろう。
とにかくこれがウィルスの断末魔だったらいいのだが…。汗びっしょりだったが、まだ普段よりずっと痛い。それでもさっきの痛みに比べれば屁でもない。本当に死ぬかと思った。痛みで死ぬことってあるのか解らないが、これまでで一番「死」を本当に間近で感じた。
1時間ほどで点滴が落ちきった頃には通常レベルまで痛みが下がり、これで寝られるかもと思った。そう思ったら、びっしょりと濡れたパジャマが今度は寒い。点滴を外す時に布団を持って来てもらおうかと思ったが、足元に畳んであった布団を「暑いから使わない」と言って持ってってもらったのがこの日の日中。それをまた持って来いというのも…と思って黙っていた。何よりあの猛烈な痛みがおさまったことで、とにかくホッとした。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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