--------(--)

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-11-23(Mon)

入院25日目・やまだ紫作品の復刊に思う

11月23日(月・祝)

6時半、夜勤ナースに起こされてバイタル。血圧は上が90と低く、脈拍は80から90台と早い。だがこれが白血病を患っている俺の正常値だ。
外は曇り、夕べ寝付きが悪かったせいかもの凄く眠かった。
7時過ぎに病院の下へ降りて、販売機でホットコーヒーを買って戻った。今日も祝日なので病院内は静かなもの。コーヒーをすすりながらTwitterをしたり。8時の朝食でコーヒーにパック牛乳を入れてカフェオレにしてパンとサラダ、パイナップルを完食。
9時過ぎになってもオキシコンチン(痛み止めのモルヒネ)が来ないので、日勤のナースに貰おうと病室を出る。するとちょうどこちらへ来たところで、薬を貰ってプリンペラン(吐き気止め)と一緒に飲む。9時半からはシャワー、疱疹の傷痕に軟膏塗ってもらい、ガーゼ交換。疱疹は背中が一番治りが遅く、痛みも強い。背中ゆえに一人では軟膏もガーゼ交換も難しい。腹部だけだったら一人で出来るのになあ、と情けない。
髪を乾かして着替えてすぐ、ポータブルHDDと使わないタオル、洗濯物などの袋を持って一時外出。「一時帰宅」もこれで最後、明日は退院だ。それなのにこんなに痛くてモルヒネで抑えているような状態でいいのか。

外は晴れており、暖かい。
タクシーで家の前のコンビにまで行き、昼のサンドイッチと晩の弁当を買ってマンションへ帰った。シマもユキも床暖房の上で寝ていた。
まずは着替えてHDDをメインのノートPCに接続し、データを受けて仕事をしてしまう。ルーティンの仕事を終えた後は、しばらく新規の仕事のことで試行錯誤。
その間にサンドイッチで昼食。

それから立て続けに「明青」のおかあさんと、元出版社の社長で昔からお世話になっているSさんから、やまだ紫復刊第二弾「しんきらり」が届いたと、御礼の電話をいただく。
明青の渡辺さんご夫妻には、本当に今回の入院ではお世話になりっぱなし。こちらが御礼を言わなければいけない。ご挨拶にうかがいたいが、まずは自分が退院しなければ始まらない。

その後、Sさんとは少し長く話した。

やまだ紫という作家の業績は、もっと漫画界の内側から大きく評価されるべきだ、という話。
また今回の復刊事業もメディアが積極的に紹介に動かないというのも、おかしな話だろうと。俺も今のところキチンと紹介してくれたメディアを知らないし、共同通信がコラム配信という形で地方紙へ配信してくれた程度だと話すと、「それはおかしい」という。俺もおかしいと思う。

女性誌などからもっともっと紹介されるべきだろうし、例えば「しんきらり」はまだ「ジェンダー」なんて言葉も誰も使わなかった時代に、女性解放や男女同権と拳を突き上げ声を出していた人たちの一部から、高い評価を受けたものだ。
もちろん本人はそういった「女性解放」という強い調子や意識で描いたわけではなく、「主婦」とひと言で片付けられる存在にも当然感情はあり、実はけっこう大変な労働をしているのあり、「家庭」や「夫婦」「親子」といった当たり前のことも、ドラマになり得るのだ…という今なら当然のことを淡々と静かに描いただけだ。

そう、やまだ紫というひとはいつだって静かに、しかし毅然と、凛として自分の「こう思う」ということ、正しいと思うことを描いてきたし、言い続けてきた。それだけに、もっとセンセーショナルに、もっとエキセントリックに同じことを言う人に比べればコマーシャル的には不遇だったとも言える。
「時代と寝る」という言葉があるが、本人が一番嫌ったことだった。

「たくさん売れればいいと思うよ。でもそれを前提に作品を創ることは、卑しいと思う。別段非難する筋合いもないけど、わたしはそれをしたくないだけ」…彼女の言葉は印象に残るものが多すぎる。特に、失って、公私ともにその存在の大きさがゆえ、喪失感も大きすぎる。
ブログで連載しようと思って、録音した言葉もたくさん残っている。いずれ発表したいが、まだ俺は彼女の声を聞くと、冷静でいられない。あの穏やかで、優しい口調を思い出しただけで涙が出る。

出版の世界では大先輩でもあるSさんとは、共通の認識がたくさんあった。

例えば、大学での漫画教育の話。
こんにち大学で内外の文学を研究するのは当たり前だ。マンガも表現として確立して久しいわけだし、文学と単純に優劣をつけられるものではないことは常識だろう。そしてマンガ学部を持つ大学も出来た。学科としてマンガを教える大学も次々と続き、今後その流れは拡大するだろう。
ところがその現場では、相変わらず基礎的な技法や技巧を教えることに重きを置き、肝心な「作家性」の涵養をおろそかにしているところが多いのだ。

せっかく四年もの間高度な「専門教育」を受けられるというのに、アシスタント養成講座や同人誌作りみたいなものを中心にやっていていいのか?

オリジナリティ=個性、作家性をどうやって教え育成していくのか、それをどうやって作品というかたちに昇華させるのか、その部分こそ、これからの大学における漫画教育にもっとも重要だと思う。
それには基本的な絵画技法やデッサン、漫画における独特な表現や技巧を習得するのは当然として、座学でいいから、さまざまなジャンルの「名作」を強制的にでも読ませて何かを学び取らせる「教養講座」をもっと重要視すべきだ。
ただ名作といっても、商業的に成功したものやビッグネームの作品だけを読ませていては駄目だ。
劇画や「ガロ」系、少女漫画からエロまで、4コマやカートゥーンも含めて多彩な日本漫画の広がりを体験させて欲しい。もちろん、漫画に限らず文学や映画・映像なども含めた優れた表現を教養として学ぶこともいいだろう。(何度も同じことを書いているが

自分と全く違うタッチ、筆致の作家の模写も絶対に勉強になる。好きな作家の絵ばかり真似をしていたり、得意な構図ばかり描いていては何も進歩しない。これは身をもって体験していることだし、俺の師匠であり「ガロ」編集長であった長井さんも、漫画家の卵たちに模写を第一に勧めていたものだ。

漫画だからと(最近ではタブレットも含め)ペンばかり握っていないで、水彩や油彩など違う技法に触れるのも刺激になるだろう。やまだは実際、大学で「チョークアート」を取り入れて、学生たちに好評だった。

そして、学んだ者はそれらを全く無視してもいいのだ。問題は「知っているか・知らないか」だ。その上で自分は何を使って何をどう表現するかなので、結果的に漫画という手段を選ばなくてもいいとさえ思う。
しかしその人が漫画を自己表現として選んだのなら、「他の誰でもない自分という作家」を目指すのは当然だと思う。
確かにきれい事を並べても、メシが食えなければ仕方が無い。だからといってコマーシャルな、商業的に成功した「誰かのもの」を真似て、楽しいだろうか? メシが食えれば楽しくなくてもいいか? 楽しい部分は勝手に同人誌で補完するからいいのか? だったら大学なんか要らねえだろうし、もはや「作家」ではない。そういう人はそういう世界で勝手にやればよろしい、文句を言うつもりも筋合いも何もない。軽蔑もしないし尊敬もしない。それだけの話だ。

日本の漫画がこれだけ世界に誇る「文化」「表現」として確立されたのは、何も資本の力で強引に売ったから、というだけではない。表現として面白いから、独自だったから、優れているからだろう。
その表現としての日本漫画=MANGAをここまでにしたのは、ビッグネームたちの「商業的に成功した作品」だけの力ではない。「表現の裾野」を拡げた数多くの、本当にたくさんの先達がさまざまなジャンルで頑張ってきたからじゃないのか。
「売れる・売れない」だけで作品を「いい・悪い」と評価するんなら、「ナントカ漫画賞」は全て廃止してオリコン1位に賞をやりゃあいい。「今年一番売れたので一番優秀な作品デス」でいいだろう。
今現在、漫画業界で、漫画の内側でメシを食ってる批評家や研究者、漫画読みと言われる人たちで、今回のやまだ紫の復刊事業に関して公にキチンと評価をした人がどれくらい居るのか?
知っている限りでは、片手で足りるたった数人だ。
作家が死んで、その訃報を聞いて慌てて「凄い人でした」と言う。そういう愚かな「言論人」を、俺は今まで嫌というほど見てきた。カネを払って好き・嫌いでモノを語れる一般消費者ならともかく、もはや「知らないということは罪」だと思う。

Sさんとはそういうような話をした。
それでも、評価してくださる人がいる限り、いや、今はいなくなったとしても、彼女の作品を後の世代に伝える義務が、俺にはある。漫画に関わった「内側の人間」として、その責任がある。
コマーシャルな漫画は黙っていてもたくさんの人に読まれる。だがその陰で、素晴らしい作家、作品がひっそりと誰にも知られずに消えていく。
やまだ紫の作品はそうして消えて行っていいものでは断じて、ない。

午後は仕事休みに「ミヤネ屋」を下らぬと思いつつも笑いながらダラダラ見て、相撲。だんだん病院に帰る時間が迫ってくる。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

コメント

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新記事
カテゴリ
最新コメント
最新トラックバック
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

広告
アフィリエイト・SEO対策
検索フォーム
プロフィール

シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

シンプルアーカイブ
リンク
RSSリンクの表示
QRコード
QR
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。