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2009-11-27(Fri)

皮膚科受診、夜は打ち上げ

11月27日(金)

夕べは11時ころ二階へ。9時のオキシコンチンと一緒にレンドルミンも忘れず飲んだ。12時前には消灯し、しばらくユキが出入りし下で鳴き歩いた後布団に入ってきて、それからすぐに寝られた。ユキは俺の布団で一緒に、シマは下の床暖房の上で、というのが定位置になったらしい。
今朝は8時前までぐっすり寝た。ユキは一度夜中出て行ったがすぐ戻ってきて、それからずっと布団の中にいて一緒に寝ていた。

朝のことを済ませるが、今日は三津子のお茶は熱いほうじ茶を淹れた。彼女は冷たいお茶が好きで、冬でもお酒のチェイサーは氷のたっぷり入ったウーロン茶だったのでずっとそうしてきたが、さすがに冬の朝イチ、たまには熱いお茶がいいだろう。
朝、冷蔵庫の製氷引き出しから氷をグラスにガラリガラリとスコップで入れて、そこに冷たいお茶をペットボトルから注ぎ、氷のカランカランという音を立てながらソファに戻ってくる。そんな彼女の日常の映像が、今でもつい昨日のことのように浮かぶ。浮かぶたびに涙が出る。
今朝のほうじ茶は、柳桜園で二人で買って来たものだ。柳桜園を知ったのはもう何年も前、二人でまだ東京に居た頃だ。ここのグリーンティの紹介をテレビで偶然見て、取り寄せた。最初はたしか「清涼糖抹茶」と言ったと思う。夏はこれを冷たい水に溶かすだけで、うっすら甘い緑茶が楽しめる逸品だった。それから親戚や三津子の友人に送ったりしたっけ。京都に二人で引っ越してからは、河原町や三条に出た時、散歩がてら店まで歩いて行って店頭で買い求めた。その時に香りがいいので、一緒に買って来たのが今日のほうじ茶だ。茶筒を開けると今も香ばしくていい香りがする。
外はうっすら曇りにところどころ青い空。気温もこれからは徐々に上がって行くようだ。

今日は退院後、京大の皮膚科に経過を見せに行く日。朝はどうしようか、食べずに受診後、病院のドトールでレタスドッグを食べようかとも考えたが、それだとせっかく規則正しく戻った朝8時昼12時という食事の時間が崩れる。なので冷凍のトーストを焼いてバターを塗り、ペットボトルのミルクコーヒーにした。入院中の朝食は基本パンだったけど、病室に来るのは暖かいはいいがふにゃふにゃのものばかり。カリッとしたトーストなど望むべくもなく、マーガリンはついたことがあるがバターは皆無。久々に香ばしいバタートーストがうまい。

その後9時半ころ支度して出る。ずいぶん暖かい。タクシーですぐ病院へ着いたので、自動再来受付をし、お知らせ端末を持ってまず病院内の郵便局へ行く。こないだの入院費の支払いだが、まずATMでお金をおろしてから用紙で支払う。つくづく健康が羨ましい。
領収書を貰って地下へ行き、ローソン(この巨大病院にはコンビニもある)で領収書をコピーして、用意しておいた都民共済の入院給付金申請書類の封筒に入れて、再び上の郵便局のノリを借りて封をし、投函。今回は25日の入院。もし保険が無かったら本当にえらいことだった。皆さんもくれぐれも入っておいた方がいいっすよ。健康な時にしか入れないし、必要になるのは病気の時だ。病気になるとぶっちゃけた話、あれこれ金がかかる。入院給付金は掛け捨てでもいいから手厚くしておかないと、後で絶対後悔すると思う。

それから急に下痢が来たのでトイレに入っていると、突然携帯端末が「ブー!」と鳴ったのでびっくり。見ると「診察室へお入り下さい」となっている。予約時間にまだ10分ほどあるので安心していたのに、と慌てるがどうしようもない。終わって出ようとするとまたバイブと同じ表示。皮膚科は3階だ。あせってももう間に合わないし、そもそも今の状態では走ることも出来ない。何しろ動くと疱疹部分が痛いから、ゆっくり歩くしかない。
エレベータを待って3階へ行き、皮膚科の受付に「呼ばれたけどトイレにいましたが飛ばされましたか」と聞く。受付の人は「診察室のドアをちょっと開けて、先生に聞いてみて」という。オマエが行けよ仕事だろう、と一瞬思ったが忙しそうなので「そうですか」と柔和に答えて診察室前へ。
中待合の椅子にはけっこう患者が待っている。診察室を開けようとしたが、中には明らかに患者の影があって声もするので、仕方なく椅子に座る。しかし数分ですぐ出て来たので、患者が出て来るのと同時に「あの、白取ですが…」と顔を突っ込むと、「ああ、お待ちしてました」と言われて安心。

経過を聞かれ、ガーゼ交換も自分で出来た、もう体液が出てきているのは背中の一部だけになった、ただ表面の痛みがまだ強く、モルヒネを飲んでいる…という話をする。
先生はふんふんと聞きながらキーボードで俺の言ったことを電子カルテに書き込んで、「じゃあちょっと見せて下さい」と言うので、右腹部から背中に巻くようにして固定してあるガーゼをめくると、腹の方は「ああ、もうほとんど上皮化が終わってますね…」、背中を向くと「ああ。ここだけですね…でももうこれなら大丈夫ですよ」と言われる。
「もうガーゼも背中の出てるところだけでいいということですか」と聞くと「そうですね、全体に宛てる必要はもうないですよ」とのこと。「痛みはどうですか」というので「疱疹部分全体がまだ痛いんです」というと「夜中にビクッとして目を醒ますとか、そういうのは…」というので「それはないです」と答える。
すると「ああ、じゃあ神経痛も今のところないようですね。お若いから、たぶんこのままだと疱疹後神経痛も出ないで済むかもわかりませんね」とのこと。
「もう、こちらで適切な対応をしていただいたので…」と答えると「いやいや、でも良かったですね、順調で。うち(皮膚科)の方はこれでいいですよ、あとは血液の方の先生にね、また見てもらってください」と言われた。

御礼を言って診察室を出て、少し気分が楽になった。繰り返すようだが、疱疹が完治したとしても単なる「白血病患者」に戻るだけなのだが、常にどこかが激烈に痛いというストレスなど無い方がいいに決まっている。
採血の予定も入っていたので、2階に降りて受付をする。407番で、中待合へ入っていい番号の表示は360番台。けっこう混んでいる。
外待合で10分以上待ったろうか、掲示板に表示されている番号がようやく自分の番までになったので、中に移動。そこから5分くらい待って、ようやく採血。今日は試験管4本くらいと多かった。採血係の女性も「今日はだいぶ待ちました? 多いんですよね」と言っていた。
それから会計の受付に並んで手続きをし、あとは端末が鳴るのを待っていると5分ほどで「ブー!」と鳴る。1400円ちょっとと表示されたのでデビッドカードで払おうと診察券のバーコードを機械に読み取らせると、さっき支払ったはずの入院費が一緒に表示される。あれ、払ったのに…と思い仕方なく支払いの行列に並ぶ。若い人はほとんどが自動支払機で払うのでサクサク進むが、年寄りは概ねこうして対面で支払う。その中に並んで支払いを終える。入院費の支払い済みの連絡が郵便局から入るまで、タイムラグがあるようだ。

支払いを終えて、タクシーで近所のスーパー前につけてもらい、買い物。久しく食べてなかった牛肉も買う。他にはここ数日のもの、野菜サラダ、食パンなど。そして三津子に百合や菊も買った。それらを下げて家まで歩くが、やはり右足の付け根が痛み出す。ヘルペスウィルスは神経を破壊するというが、この足の付け根、いわゆる鼠蹊部のちょうつがいを動かすと痛むというのはしんどい。まったく因果なことだ。
まずいったん帰宅して荷物を冷蔵庫に入れたりして、処方箋を持ってもう一度下へ降りる、調剤薬局へ行くと顔見知りの薬剤師の女性が二人いて、「大丈夫ですか?」「まだ痛いですか?」と口々に言われる。「火曜に退院しました」「まだモルヒネで抑えてる状態です」とそれぞれ回答して、処方箋を渡す。
今日皮膚科の先生に出してもらった薬は例の神経の発達を促進させるメチコバールと、ノイロトロピンという錠剤。家へ帰って調べると、これは鎮痛剤だが、ロキソニンのような消炎鎮痛ではなく、神経痛などの痛みを抑えるものらしい。ということは今俺は幸い神経痛は出ていないようなので、もし出て来たら飲めということだろうか。
とにかく全部終わって一息つくと12時半。疲れた。着替えて食パンと一緒に買ったソーセージパンを昼に食べた後はぐったり。

午後はテレビを見ながらウトウトしたりと、体を休ませる。午後のテレビは下世話なワイドショーしかないのだが、これがただ「眺めているだけ」にはうってつけである。
夕方になって相撲を見ながら支度。今日はこれから明青さんで、やまだ紫の復刊事業の打ち上げをやるのだ。といってもちくまの青木さんとつないでくれた中野晴行さんと、そこから話を聞いて引き受けて下さることになった小学館クリエイティブの川村さんと俺の3人だけだけど。
中野さんが今日は精華大で講義がある日なので、6時にお店で直に待ち合わせということになっている。歩くには今の体だとしんどいし、タクシーだと近すぎて勿体ない。さてどうしようかと考え、結局バスで行くことにする。
44分のバスの北8はほぼ時間通りに来た。たった3つ先の停留所までだが、やはり歩くのよりは全然楽チン。夫婦で何回このバスに揺られたかな…とまた考えてしまう。何をしても何を見ても聴いても、思い出すのは彼女のことばかりだ。
高木町まで行き、久しぶりに明青さんへ。一階は整骨院に改装され、とっくに営業されているのだが、俺は初めて見た。階段を登ってお店に入り、おかあさんに挨拶をしていると、ちょうど川村さんも到着。カウンタ一番奥に飛び出た3人掛けにカウンタに通された。その手前、俺たち夫婦の「指定席」だったところにはすでに初老の夫婦が一組座っていた。もう俺があそこに座ることはないだろう。もし誰かと来るならこういう場所だし、一人で来ることはあり得ない。あったとしても、あそこには座れないと思う。隣にはいつも、必ずあの人が居たから。

川村さんによると、中野さんは講義が7時までだそうで遅くなるという。なので二人で先にやってましょうということにした。カウンタに三津子の写真を置き、小さい日本酒をその前に置いてもらう。川村さんは「あの、これを…」と小さな花束を出してくれたアレンジに使う切り花を出してくれた。京都駅に着いてから、花屋で本当に数輪だけのを小さく作ってもらったそうで、「机の上に置けるように、下を平らにって無理を言ってもらって…」とのこと。三津子、嬉しいね…。そう思いながらお酒と一緒に写真の前に飾った。

まずはビールで乾杯。久々のビールの一口目はうまいというより「苦い」だったが、すぐに「うまい」に変わった。飲んべえだな俺。川村さんが来月出る「ゆらりうす色」のカバーラフを持ってきて下さったので、その話などをチラとする。それからは刺身やふぐの唐揚げなどを肴に、今回の復刊のことやいろいろ話していると、7時過ぎに中野さんも合流、それからは11時過ぎまで盛り上がって話をしてしまった。後半はほとんど今の漫画界の問題点や将来のことなどかなり有意義な話になったのだが、何せ久しぶりの酒席ゆえに酔っていたせいか、細かく思い出せない。いや、覚えているが細かく書き記す体力が今はないので、折に触れて出せれば。

帰りがけ、中野さんは「でもねえ、白取さん生きて下さいよ。生きなきゃ駄目だよ」と言って俺の手をグッと握って下さる。「大丈夫ですよ、死ぬまでは行きますから」と笑うが、もう一度「生きて下さいよ」と念を押された。
お二人とも今回の宿はバラバラだが京都駅の南側しか取れなかったそうだ。おかあさんが呼んでくれたタクシーでうちの前まで送ってもらい、二人を乗せた車はUターンしてそれぞれのホテルへ向かった。家へ着いたのは11時15分ころ。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
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