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2009-11-28(Sat)

情動失禁

11月28日(土)

夕べは11時過ぎに酔っぱらって帰ってきて、たぶん12時ころには寝たと思う。酒の強さには自信があるので、飲もうと思えばもっと飲めたのだが、生ビール5、6杯で日本酒に切り替えて2杯くらい飲んだ後はウーロン茶にセーブした。全然セーブしてないか。
ともかくひさびさに飲んだのでさすがに廻ったのだろう、帰宅してからのことはよく覚えていない。

今朝は目を醒ますと8時過ぎだった。薬とアルコールの相乗効果で爆睡。ユキはもう先に起きた様子で、布団には居なかった。
降りて朝のことを済ませる。朝はトーストに目玉焼き、ボトルの小岩井ミルクコーヒー。薬を各種飲む。外はうす曇り。今日も暖かくなるそうだが、朝は少し小寒い。テレビを見て、そのままリビングのモニタをパソコンに切り替えてメールチェックなどをする。それから昨日の日記をつける。

花を持つように記録を終わってブログにアップしようと思い、テーブル上の三津子の写真を見た。昨夜川村さんにいただいた小さな花束を添えたのだけど、俺の位置から見ると、ちょうどその花を彼女が持っているように見えた。
その写真は彼女の最後の作品集となった「愛のかたち」出版の打ち上げの時に、花束を貰って困ったような笑顔でこちらを見ているものだ。
それを見たら突然ぶわっと涙が出て来て、思わず顔を覆って号泣してしまった。
「何であんたがここに居ないんだよー!」と声が出た。
「うわーん」と子どもみたいな鳴き方になって、涙が大量に出た。
「何で」って、俺の隣で突然あなたは倒れた。病院へ搬送した。一縷の望みに賭けて手術もした。無駄だった、集中治療室で生かされているだけの悲しい時間、早朝に駆けつけ最愛の人の死を看取った、荼毘に付した、骨を拾って食べた…。
全部自分が体験したことだ。
もう解っている。彼女が死んでしまったこと。二度と一緒に暮らせないこと。もうその手を握ることも肩を抱くことも、髪をなでることも声を聞くことも笑い合うこともケンカすることも、もう何もかもが不可能だということなど百も承知している。
それでも「何で」「どうしてだ」と思うとたまらなく寂しい。悲しいし口惜しい。涙が滝のように流れ出る。視界が涙でにじみ、歪む。俺はこれから死ぬまで、こうして生きていくのだ。
「しっかりしなさいよ」「泣いてばかりいちゃ駄目」
そう言ってくれる人もいる。
ありがたいし申し訳ないが、しっかりできるか、泣かずにいられるか、と思う。自分の命より大切な人を失った。自分の「最愛の妻」「伴侶」というありきたりの言葉では追いつかない。自分の分身いや、自分そのものを引き裂かれて持っていかれた気持ちだ。
自分の半身を失い、その傷口はいまだに癒えずじゅくじゅくと血膿を垂らしている。とても痛く触れないし、怖くて直視できない。そんな中、ヘラヘラと笑って過ごせるか。
それでも、じっと傷口を見続けていたら発狂する。
そう知っているから、何とか必死で目を逸らそうと、気持ちを散らそうとしているのだ。彼女の遺した素晴らしい作品を後世に伝えようと、原画や原稿を毎日狂ったように「整理」した。見たくもない映画を借りて、時間を忘れようと思った、こうして記録することで何とか自分を相対化しようとしていることも一環だ。
錦秋とはよく言ったもので、京都の山々はそこかしこの紅葉が本当に錦の織物のように美しく色づいている。二人でこの四季の表情が豊かな、穏やかな歴史の街をあちこち歩いた。
とても一年や二年では周りきれるものではない、だけど俺たち夫婦は京都にたった二人で来た、これからゆっくりと時間をかけて歩こう。そう思っていたのに、一年半で先に逝っちまった。この美しい街を、たった一人で泣きながらさまよえというのか。どこそこの何が綺麗だ、何が見頃だと言われても何も感じないし、見たくない。
人生の喜びも楽しみも、苦しみさえも、俺たちは二人でいつも分け合って生きて来た。彼女と分け合うことが出来ないのであれば、部屋に一人こもっていても同じことだ。

「あなた、そんなことじゃ駄目だよ。頑張ってちゃんと生きて」
彼女はきっとそう言ってくれていると思う、優しく俺の肩に手を置いて。そう、「愛のかたち」の最終話のあの場面のように。
あの本であなたは「まだ当分死ぬつもりなはい」って言ってたじゃないか。それなのに…。こんなに生きていて辛いと思った時間はない。これまでも振り返れば辛いことばかりだった。
人に裏切られ騙された。恩義のある人には不義理をせざるを得ない環境におかれ、世話をした人たちからは足蹴にされた。夫婦ともに病気には苦しんだ。金銭的にどん底も味わった。もう、これでもかと不幸が俺たちを襲った時期が数年あった。
それでも、それでも俺たちは夫婦で助け合い、手を取り合って支え合ってきた。どちらかが病気ならばどちらかが踏ん張って、どちらかに不幸があってもどちらかが励まし慰めた。どうしようもない時でも二人で冗談を言って笑い、酒を飲んでウサを晴らした。唯一ささやかな贅沢が夫婦の晩酌だった。
とにかく、二人でいたら、どんなことでも乗り越えられたし、乗り越えて来た。
白血病なんか力でねじ伏せてやる。大人しくさせてやる。実際そうしてきた。全て、三津子が居てくれたからだ。
俺が死病を患い、生きて行くこと、生きることそのものが人生最大の目的になってしまってから、では何のために生きるのかと聞かれたら、それは三津子のためだった。
その彼女が先に逝ってしまった今、俺は何のために生きるのか? 自分のためか?
もちろん、俺の健康を願い、俺たち夫婦の時間を一日でも、一分でも長く持つことが二人の願いだった、彼女もそうだった。だから死んでしまった今、彼女は見えないが、きっと俺が生きることを願ってくれている…。

知ってるよそんなことは!

解ってる、アタマでは理解している、けれど現実に彼女が物理的に存在しない、声が聞けない体に触れない、やりとりが出来ないことがこれほどまでに辛いことか、誰が解るだろうか。
「自分の苦しみなど誰も解っちゃくれないんだ」
そう世をすね、恨み言を言い続けて生きたくはない。なるべく心穏やかに、彼女の冥福を祈り、聞こえない声を聞き、触れない彼女を感じて生きたい。でも、それでも時おりどうしようもない感情の洪水に襲われて抗えない。

俺は昔から「泣かない人」だった。
彼女は涙もろく、感動的なドキュメントがあるとすぐに俺に気付かれないように眼鏡の下の涙をそっと拭いた。眼鏡を上げるとカチャリと音がするので、俺は彼女が泣いていることを知って顔を見るのだが、小バカにされていると思うのか、いつも彼女は「見ないで!」と言って俺にティッシュをぶつけたりしてきたものだ。
男がメソメソ泣くなんて、男らしくないと思って生きて来た。
だから本当は泣きたい時でも無理に堪えたし、そういうものを見たり場面に遭遇したりしても、彼女が先に泣いてくれたので、自分は抑えることが出来た。
そうして生きて来た。

4月の末に三津子が倒れ、5月に亡くなってから、いったい俺はどれくらい涙を流しただろう。俺たちは日常、よく二人で生き死にの話をしていたものだ。お互い先に逝った方はこうしよう、ああしよう。生死、人生、人間、宇宙、いのち…色んな話をした。答えの出ないことも多かったが、認識や価値観は一緒だった。
だから、ずっと一緒にいた。
人間は生まれた時は平等なのだろうか、前世というものがあって、その清算のために今生があるとしたら、生まれた時に前世の因果を背負っており、最初から不幸な人生を歩むのだろうか。
人間には運というものの定量が決まっていて、小出しに使っている人は大きい運をつかめず、まったく運に恵まれなかった人が、一世一代の大勝負に勝ったり、突然の幸運に見舞われたりするのだろうか。
バイオグラフのように人生や運、健康でも何でも人間には起伏があり、そのマイナスとプラスを埋め合わせてならすと、みんな直線になるのだろうか。
色々なことを話したり議論したりした。

今思うのは、人が流す涙の量も決まっているのか、ということだ。これまでの人生、俺は極力泣かずに生きてきた。実際に涙を流した回数も少ない。
けれど、これまでそうしてきた分、今は毎日泣かない日はない。彼女を失って以来、これまでの人生で泣かなかった分の穴埋めをさせられているように泣いている。これまでの人生と比べたら、尋常な回数ではない。
こうして日記をつける、彼女のことに記述が及ぶ、それだけで涙が出ないことの方が珍しい。部屋のそこここに彼女の写真を飾っている、それを見るたびに目がうるむ。
こうやって、死ぬまで生きて行くしかないのだろう。

気が付くと昼をまわっていた。
何か食べないと薬が飲めないな…と思い、夕べ帰り際、明青のおかあさんに「これ食べて」とおにぎりやみかんをいただいたのを思い出した。
おにぎりを食べながら思った。こうして心配し助けて下さる人がたくさんいる。俺に生きてと願ってくれる身内もいるし、友人や知人もいる。名も顔も知らない人が励ましを下さる。
死ぬまでは精一杯生きよう。
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コメント

駄目ですね

こういう寂しい季節は。
彼女を失って初めての冬です。
初めてのクリスマスを、初めての年末、初めての正月を、桜の季節を、これから正気で迎えることが出来るのか、わかりません。
とはいえ、人間そう簡単に発狂はできませんし、自分を殺すことも出来ないものです。

もう・・・

辛すぎて、こちらも涙が出ます。
気がつけばもう十数年お二人のご様子を、遠くから読ませて頂いてきました。
やまだ先生の作品に触れたのはもっともっと前からです。
大好きだった作家さんを亡くした悲しみと、拝見しているうちに何だか身内のように感じていた方を失った、両方の悲しみを時折痛感しています。
白取さんは毎日毎日一瞬一瞬そうなのかと思うと、想像を絶するものがあります。
生きてください。
それだけしか、やっぱり言えません。
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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