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2009-12-05(Sat)

7回目の月命日

12月5日(土)

夕べは11時過ぎに寝室へ上がり、なかなか寝付けなかったのでmp3を焼いた音楽CDを低く再生しつつ寝る。だがそのCDはRebeccaだったので、むしろ聞いていた当時のことを思い出したりして切なくなる。挙げ句、変な夢を見たり。
朝は6時には目が醒めたが、足元に丸くなっているユキが気になってその後も寝られず、結局7時前に起きた。外は雨だった。

朝飯は食欲が無かったが、こないだ安売りで箱買いしておいたかに雑炊をレンジで作る。この手の食品は近年技術の進歩か、まあまあ食べられるものが多くて、バカにしたものではないな、と思いつつ食べた。
帯状疱疹の痛みは、背中のごく一部と、時おり鼠蹊部より上、下腹のあたりがずきずき来るが、モルヒネはもう不要。ロキソニンだけ、食後に他の薬と一緒に飲んだ。
その後は仕事をささっと片付けたりして、昼前に雨が上がったので、買い物へ出る支度をする。

今日は三津子の月命日だ。
早い、もう7ヶ月か…という気持ちなのだが、彼女を失ってから独りの暮らしはメリハリがなく、しかもそのうち一月はほぼ丸々入院していたり、どうにも時間の感覚がおかしい。
二人で最後に出かけた、本当に何でもないごく普通の一日
あの日は春だというのにひどい低気圧が来ていて、寒い日だった。二人で洋食を食べに出て、買い物をして帰ってきて、テレビを見て笑い、寝た。
そしてその夜に君は倒れた…。
ついこの間のように鮮明に思い出す。一生消えない記憶。俺の腕の中でガクリと力の抜けた、あの感じ。握った手、名前を叫んだこと、何もかもはっきりと覚えている。
その後の辛い辛い時間は、ここに克明に記録したことで、逆に頭の中の記憶は圧縮され薄くなっている。彼女が意識を無くして病室で生かされている間、葬儀、火葬…。何だか本当にあったことなのかどうか、リアリティがない記憶としてぼーっと残っている。
彼女と暮らしていた、確かで濃密な日常の記憶と比べると、彼女の居ない日々は本当に薄っぺらく、霞がかかったような記憶しかない。

着替えて外に出ると、雨は上がっていたがやはり寒い。襟巻きも…と一瞬思ったが、革手袋があるのでいいかと思い、そのまま出る。
溜まっていたゴミを下のゴミ置き場の箱に入れていると、I内科の看護婦さんがゴミを捨てに来て、「もう大丈夫ですか、(ガーゼ)交換できてます?」と話しかけてくる。「お陰様で…」と答えると「あ、もう交換(の時期)は終わったんですよね」と言うので、「ええ、ただ痛みが残ってるのと、傷のところの皮膚は薄いので、ガーゼをまだ巻いてます」と話す。「買い物にも行けるようになりましたし」と言うと、「良かったですね、お大事に」と言われる。

そのまま近くのスーパーまで歩くが、だいぶ普通の早さに近い速度で歩けるようになったことに気付いた。
でもこれはロキソニンのお陰かも知れないし、前も調子に乗って動いていたら痛くなったりしたので油断禁物。
スーパーは昼時で混んでいた。
今日の月命日は何にしよう、三津子の好きだったもの…と考えて、「そうだ、久しぶりに鍋をやろう」と思い立つ。
こないだテレビで見たキノコ鍋にしようか、あなたシメジとエノキが好きだったな…俺はマイタケと椎茸が好きで…と思いつつ、それらを買い物籠へ入れて行く。白菜も。
それから鮮魚の方へ行くと、てっちりの具が安くなっていた。ふぐの身が丸々さばかれて1セットになっているが、養殖のせいかかなりお買い得。彼女が焼いて食べるのが大好きだった皮も入っていたので、迷わず「ふぐ鍋にしよう」ということにした。
鍋なんか、独りでやったって虚しいし楽しくないことは重々承知している。けれど月命日くらい、彼女の好きだったもの、それが鍋であっても「二人で」食べたい。
猫たちにお裾分けする刺身も盛り合わせを買い、最後に花を買った。いつもよりカラフルに、多めに買う。
レジも混んでいたが、何とか会計をし袋詰めを終えて店を出る。ちょっと薄日も射す感じで、これからは降らない様子。ゆっくり歩いて、マンションまで戻った。
着替えてすぐに買って来たものを冷蔵庫にしまってから、花を花瓶に活けて、改めてもう一度三津子に線香をあげて手を合わせる。
そして「ありがとう」と御礼を言う。今、俺がこうしていられるのは君のお陰だ。一緒に暮らせて本当に幸せだった…。
夜は君の好きだったふぐを食べよう。ふぐなんか食べるようになったのは、ここ数年だったよね。でも特に京都へ来てからは、安くて美味しい店があって、君の大好物は焼きふぐ、特に皮をよく焼いたものだった。それに、アツアツのヒレ酒。
去年真空パックにしてもらったヒレがあるから、今日はヒレ酒も作ってあげるよ。いつも、ヒレを網焼きしてヒレ酒を作るのは俺の役目だったもんな…。
そんなことを考えながら、もう使わないと思っていた土鍋を出して洗い、水を張る。昆布も北海道の立派なのがいくつもあったのに、これも使うことはないだろうと思い、知り合いに使っていただこうと差し上げた。まさか、家で鍋を作るなんて考えもしなかった。
昆布がないので水に酒、粉末の天然こぶダシとかつおダシ、少量の塩などで味を調え、白菜の固いところを入れて少しだけ煮る。その他白菜はざっくり切り、九条ネギなどを用意。焼き豆腐はキッチンペーパーにくるんで水抜きをしておき、糸コンニャクはよく洗って臭みを取ってざるに置いておく。普通はてっちりには入れないひろうす(関東でいうがんもどき)はダシを吸うとうまいので、自分の好みで買って来たのを、熱湯で湯がいて油を落としておく。あとは夕方、食べる時に作ろう。

…その後仕事を休み休みして、5時前から鍋の仕上げにとりかかる。下ごしらえは済ませていたから、具を入れて、最後に水で洗っておいたふぐの身を入れて、フタをして弱火にする。その間に刺身の盛り合わせを皿に盛りつけ、卓上コンロをテーブルに運ぶ。
ふぐの身には見事な皮や「とうとうみ」、口の縦割りまで付いている。皮は彼女が生前大好きだったように、あとで焼いて食べようということにして、苦労して包丁で一口サイズに切っていく。それから皿に移して、だし、醤油、酒に浸しておいた。それから煮えてきた鍋をテーブルのコンロ上に移動。

土鍋のフタを開けると、ぶわっといい匂い。もう出来上がりだ。ぐつぐつといい音をたてる「てっちり」、だしはちょっと薄めかな、と思ったが俺が薄いくらいのが彼女にはちょうど良かったので、そのまま器に取ってやる。ポン酢は好まなかったので、俺だけポン酢を使う。
彼女は純米「花の舞」、俺はビールで乾杯。…うまい。鍋を一口。衝撃的にうまい。写真の彼女に「美味しいね!」と声をかける。
ゆっくりふぐ鍋を堪能しつつ、テレビでニュースやら、いい加減なものを見る。鍋に刺身のサーモンを入れてしゃぶしゃぶのような半生で食べるのも、うまい。
そうこうしていたら腹が膨れてきたので、一年前に知り合いのお店から譲ってもらった、真空パックのふぐヒレでヒレ酒を作ることにする。

彼女と家で晩酌をする時、ヒレ酒の担当は俺だった。
ガス台に火から距離を置くようにアミを置いて、中火でヒレをカリッと焼く。いい匂いがしてきたら、あらかじめ用意しておいたコップ酒をレンジで熱々にお燗をする。お燗があがったら、焼いたばかりのヒレを数枚ずつジュッ、と投入し、フタを閉める。それをソファで待つ彼女にいつも、「あちち、お待ちどう」と持って行くのが常だった。
コップのフタが熱々になるくらい数分待って、ヒレ酒の出来上がり。何とも言えないヒレのいい香りと、そのうま味の出た熱々の燗酒。寒くなってきたら、これに限る…。
ヒレ酒
今日も二つヒレ酒を作って、一つずつテーブルに運ぶ。ちょっと燗が弱かったかも知れないが、フタを開けると鼻孔いっぱいに香ばしい香りが広がる。
乾杯をして、一口すするとやはりうまい。いつもヒレが勿体ないので「継ぎ酒」で2杯ずつ飲むのが我が家の流儀だった。ちなみに純米酒はヒレ酒には勿体ないし、甘口の酒はヒレの香ばしさを邪魔するので、剣菱など普通の清酒の方がうまい。皆さんもぜひ、お試しあれ。(焼き加減が大事、焼きすぎず焼かなすぎず、だけど焦げていい匂いがしてきたらもうOK)

月命日はどうしても改めて最愛の人の死と、独りの辛さを噛みしめる日でもあり、メソメソ湿りがちだった。だが久しぶりに鍋を作り、ヒレ酒を用意すると、何だか夫婦二人で一杯やっている気分になって楽しい。
陰膳
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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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