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2009-12-08(Tue)

夢の記録

12月8日(火)

いま、朝5時15分。三津子が夢に出て来てくれた。

夕べ12時前に寝室に上がり、そのまま寝た。何度か目を醒ましたが比較的良く寝られ、最後に目を醒まして時計を見ると4:45だった。「惜しいな」と思ってそのまま寝ようと目を閉じる。尿意があったが下のトイレまで起きて降りるのが面倒だった。それに今朝はぐっと冷えるということだったので、玄関の横にあるトイレまで暖かい布団から抜け出していくのも嫌だったから、そのまま朝まで我慢しようと思った。
玄関のすぐ横の今はクローゼットと物置みたいになっている洋室は、引っ越してきてからしばらく、メゾネットの2階の本が一杯詰まった段ボール箱の山があった間は夫婦の寝室になっていた。
マンションの玄関を出た廊下がすぐだったので朝はいつも近隣の人の出入りで起こされたものだ。トイレは近かったのくらいが救いだったか。
引越から1年が経つ間に、メゾネットの2階和室には本棚をぐるりと置き、部屋の中央に積まれた大量の段ボール箱を夫婦二人で時間を見ては開けて、本を二人で周囲の棚に突っ込んで行った。そうしてようやく簡易ベッドとはいえ、去年の秋にようやく2階を寝室にした。

ここは一人じゃ広すぎるな。隣のベッドは今でも、彼女が寝ていた頃のままだ。ふと隣を見たら普通に寝ていてもおかしくないように、カバーをちゃんと取り替えた枕も置いてある。
でも、そろそろ下に独りで寝て、上を広く開けて親戚が来た時に寝られるようにした方がいいだろうか。そんなことを考えているうち、ウトウトしたんだと思う。ここまでは現実の話だ。

その後いつの間にか俺は地下鉄の駅に急いでいた。どこか解らない、意識は「今」で京都市内だったと思う。階段を昔健康だったときのように飛び降りるように降りて、改札に近付くと電車が来るのが見えた。でもよく考えたらその駅はかつて団地の頃によく使った、都営三田線のどこかの地下駅みたいだ。
券売機で券を買っていたのではもう間に合わない。走りながらもどかしく財布を開くが、あったはずのカードが見つからない。改札前で探しているうちに電車は行ってしまい、何だよと息を切らしてがっかりしつつ券売機で券を買った。
そこから場面は急に飛んだ。

昔、「ガロ」という雑誌を出していた青林堂という貧乏な出版社に勤めていた頃、編集業務の他に営業もやっていた。自分たちで作った本を、自分たちがあちこちの担当地域へ、ネクタイを締めて出版物一覧表を持って、注文を取りに散った。もちろん電車で、山手線内や中央線などいい場所は先輩に抑えられていて、俺の場合はだいたい行ったら一日かかる常磐線や京浜東北線、東武線や総武線の秋葉原以東などだった。
その、どこかで行ったことのある大きい書店の雑踏の中にいた。

ずいぶん混んでいるな、と思いつつ書店の担当さん…書店名の入った揃いの前掛けをつけ、やはり揃いのポロシャツを着た中年と若い女性のコンビが棚を整理している。そこで俺も同じようにしゃがんで棚を見ている。
書店の棚は平台と言って本を床と平行に積み重ねる部分と、棚とに別れている。棚は壁際だけではなく平台の上にもある。売れ線の場所は店によって違うが入口やレジ近くとか、新刊書のコーナーの平台、次が客目線が来る棚だ。
そのコーナーの新刊の平台には、かつての「ガロ」の作家の新装版が並んでいて、新刊が何点か薄い平積みになっている。
俺は営業に来たはずなのに、いつの間にか客になって三津子、やまだ紫の本を一生懸命探していた。
見つからない。
書店の担当さんにしゃがみながら「亡くなった妻の本を探してるんですよ。やまだ紫という」と話すと、中年の方の書店員は「あの!」というようなビックリした顔をして、すぐに済まなそうに「入荷が少なくて、品切れになっちゃったみたいですね」と言った。
そうして立ち上がって、ちょっと離れた壁際の棚を指さして、「あっちへ棚挿し(背を見せて棚に普通に入れること)にする予定だったんです」という。俺も「はあ」とがっかりして立ち上がり、顔を上げる。
広い書店だ。そうだ、ここは池袋のリブロ…か昔の三省堂じゃないか? 二人で何度も何度も来た店だ。
たくさんの人が立ち止まって俺がしゃがんでいた平台の上の棚の向こう側の通路を移動していたり、立ち止まってこちらを向き、本を立ち読みしていたりする。

その中に、こちらを向いている三津子の顔があった。
俺の顔を見ている。色が真っ白な人だったが、周囲の人に比べてひときわ白く目立った。
俺と目が合うと、彼女は笑ってペロッと舌を出した。そう、俺をちょっとバカにするときにした仕草だ。
俺はまた「うわあ!」と叫んでぐるりと棚を回り込み、「どれだけ会いたかったか…」と言いながら彼女をつかまえようとしたが、彼女はいたずらっぽく逃げてしまい、小柄な人だったので、アっという間に雑踏に紛れてしまった。
そこで目が醒めた。

彼女の顔は、ちょうど俺と出会った頃の髪を短く切ってすぐの頃だった。まだ顔はふっくらしており、当時30半ばだったと思うが、可愛らしい印象さえ受けた、あの頃の顔。つい先日見せていただいた、次の本『ゆらりうす色』に掲載した写真の前後あたりの、可愛い顔だった。

寝室の時計を見ると5:15だったから、一度目が醒めて、数分でレム睡眠に入り、その薄い眠りの中で見た夢だったようだ。しばらく布団の中で今見た夢を反芻する。何度も、何度も。
ありがとう、夢に出て来てくれて…。
そのうち、この夢をもう一度寝て起きたら忘れていたら嫌だ、と思った。なので降りてきてこうして記録した。外はまだ真っ暗で、叡電がガタンゴトンと通り去った。
5:54
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コメント

いえ・・・

料理なんか習ったこともありません。強いて言えば、連れ合いの手伝いをするうち、見よう見まねで覚えたという感じでしょう。
彼女を失ってからは、一人だと思うといい加減になりがちな食生活を、夕食時くらいは「ふたりで」と思い、たとえ出来合いのものでも一手間二手間かけるようにしています。
盛りつけにしても、簡単な調理であっても、いい加減にというか、おざなりで流してしまうよりも、何となく気分が上向きます。
ただ彼女が生前、俺の料理の腕がどんどん上達していくことを「申し訳ない」と言っていたことも思い出します。
腕といっても、しょせんは素人だし、ちゃんと切れる包丁、手入れされた調理器具があれば、普通の人ならそれなりのものは作れるはずです。
彼女は病気がちになって、それも原因不明の消化器官からの出血に悩まされていたことも多くなりました。
別にいい格好をしようというのではなく、入退院を繰り返していた彼女のために、こちらが出来ることをするのは当たり前でした。
何より若い頃、彼女の作ってくれたとびきり美味しい料理のおかげで、どれだけ幸福な時間を味わったことか。そう考えたら、今毎日陰膳を据えることなど屁のようなことです。
何もなければちゃちゃっと台所で自分の食べるものは作る、連れ合いに食欲がなければ何とかして食べてもらえるようなものを考える。
そんなことの連続が、今こうなっているかと思うと、何だか悲しいですが。

こんにちは。

白取さんの陰膳の写真はどれもおいしそうですね!いつもよだれを垂らして見ています。
なにか料理をするお仕事してらしたのでしょうか・・・?

先日(やっと)「しんきらり」注文してきました。
次の「ゆらりうす色」も、さっそく予約してこようと思います。

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シラトリチカオ

Author:シラトリチカオ
白取千夏雄/編集者。1965年函館市宝来町生まれ。元青林堂「ガロ」副編集長、97年よりフリー編集者・ライター・Web構築・管理他なんでも屋と、専門学校・大学講師など。
2005年夏、白血病告知・余命宣告を受けるが「慢性リンパ性白血病」に近いタイプと判明、無治療・対処療法、2014年より抗癌剤治療、巨脾へ放射線など治療開始。2015年夏左上眼瞼にメルケル細胞癌発症、眼瞼切除、再建手術、16年にかけて放射線も耳下腺に転移、郭清術、放射線治療中に再発、左眼球ごと摘出・皮膚移植。転移再発治療中ながらまだ生涯一編集者として生息中。
二十余年の東京在住ののち、07年から京都在住。09年5月、愛妻=漫画家・やまだ紫を脳出血で失った。
やまだ紫クロニクル

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